マジック生誕10周年を祝うGlobal Celebrationで世界中が祝祭ムード真っ只中、いつにも増して盛り上がりを見せそうなのが今年の世界選手権ベルリン大会だ。その歴史的イベントに名前を残そうとやってきた日本人のプレイヤーは10人。ツアーごとに30名前後の選手がコンスタントに参戦していることを考えると...これはやや少ない数のようにも思えるかもしれない。しかし、これも世界選手権というイベントがプロツアーよりも一段高いところにあるものだということの証左なのである。
ちなみに、世界選手権というのはやはりマジック界で最大のイベントである。水木金の三日間が個人戦予選ラウンド、土曜日が国別対抗戦の予選ラウンドとなり、日曜日に個人・団体の決勝ラウンドがテレビジョンマッチとして行われるという次第である。ちなみに、土曜日の対抗戦はいわゆる三人でのチーム・リミテッド形式で行われるもので、代表選手となるのは各国の選手権大会での上位三名だ。
はたして、三人ものプレイヤーをプロツアーの決勝ラウンドに送り込んだという「歴史的飛躍のシーズン」を締めくくることになるこの大会で、日本の選手たちはどのような活躍を見せてくれるだろうか?
物語の登場人物たちを簡単に紹介させていただこう。
浅原晃:初出場
グランプリ京都2003優勝。...つまりリミテッダーとして初タイトルを掴み取ったことで周囲を驚かせてくれたデッキビルダーがこの浅原だ。そう、彼は構築一辺倒のプレイヤーではないということを自ら証明してみせたのである。もちろん、この一年間の浅原の軌跡はやはり構築ありきであった。彼はプロツアー・ヒューストン2002(エクステンデッド)で、かつての「バーゲン」を髣髴とさせる《アカデミーの学長/Academy Rector》エンジンを搭載した白い《魔の魅惑/Aluren》デッキを披露。その「アストロナイン」で見事にベスト16入賞(日本勢最上位)という結果を出しているのである。
ところで、この世界選手権のスタンダードから第七版がローテーション落ちし、注目の第八版が解禁となるわけだ。そして、浅原晃は黎明の環境を切り開くことを何よりも得意とするプレイヤーである。
熱田直央:初出場
若い世代の台頭という言葉はしばしば聞かれるかもしれないが、熱田はそうカテゴライズされるプレイヤーたちの中でも特に突出した部類だと言って過言で無いだろう。何せ、彼は16歳の現役高校生なのである。彼は浅原晃のグループに加わったことで一気に力をつけ、今年度日本選手権第6位入賞というパフォーマンスを披露し、全国区デビューを果たしたばかりなのだ。
ちなみに、日本代表選手となるのは上位三名で、第四位のプレイヤーも代表チームの補欠選手という肩書きつきで世界選手権へと招待される。そして、くどいようだが熱田直央の日本選手権最終順位は「6位」である。つまり、参加辞退を表明したプレイヤーが現れたことで、あれよあれよと出場権が彼のところまで繰り下がってきたというわけだ。
しかし、熱田がその権利繰り下がりの報を聞いたのは大会開催まで数日前という土壇場でのことだったそうだ。適用フォーマットへの十分な準備時間がなかっただけでなく、渡航の準備をするだけでもギリギリという際どいタイミング。それでも、熱田は千載一遇の好機を逃したくなかった。
上昇気流を捕まえた熱田の若い力は...一気にのぼりつめてしまうかもしれない。少なくとも、前例には枚挙に暇が無い。
池田剛:出場3回目
池田剛といえば?
まず、石田格や岡本尋をはじめとした国内屈指の強豪たちの集うチーム・ファイアボールの総帥である。ちなみに彼らは今や実質的に日本最大最強のチームだ。そして、彼はプロツアーに渡航する多くの日本人プレイヤーたちの世話役として毎回毎回ツアーの幹事をこなしてくれる頼もしい兄貴分でもある。また、実生活で経営者であり良き夫でもある池田は...やはり人望の厚いことで知られるプレイヤーなのだ。そう、とにかく頼りになる人なのだ。そのためか、これまではプレイヤーとしての強さというより人格者という面ばかりが強調されてきたきらいも無いではなかった。
しかし、この2002-2003シーズンの充実ぶりによって池田はマジックプレイヤーとしての強さを十分にアピールすることが出来た。すなわち、プロツアー・ボストンではチームwww.shop-fireball.comとしてトップ8に勝ち残り(チーム戦はトップ4が決勝進出できる)、プロツアー横浜でも堂々の第四位入賞を果たしたのである。彼の短くないキャリアを振り返った中でも、すでに間違いなく今季は過去最高のシーズンといえるだろう。あとは、千秋楽で有終の美を飾るだけだ。
石田格:出場4回目
石田格は日本マジック界の「鉄人」だ。違った表現から選ぶなら「生き証人」だとか「生きた歴史」とでも言おうか。彼がサイドボード日本語版で連載している「My Pro Tour」シリーズなどを読んでくださっている方にはきっと納得いただけることだろう。ともあれ、「日本最強の高校生」と呼ばれた頃から24歳になる現在まで、彼は常に日本のマジックシーンの最前線で戦い続けてきた。これは驚くべき事実である。彗星のごとくあらわれ、そして一時代を築いた後に退場していった名優たちのなんと多いことか。使い古された表現であるが、彼は「継続は力なり」という言葉をまさしく体現しているのだ。
いまさら言うまでもないことかもしれないが、石田格はすべてのフォーマット(構築・リミテッド・チーム戦)で成績を残してきた真のオールラウンドプレイヤーであり、国際的に名前の通用する数少ない日本人プレイヤーの代表格でもある。マジック・インビテーショナル出場者であることも付け加えておくべきだろう。
やはり...と言うべきだろうか。そんな石田は、今季も実に安定したパフォーマンスを見せてくれている。チームPanzer Hunterの司令塔として今季のマスターズ・ヴェニスではKai Budde率いるPhoenix Foundationをシングルエリミネーションで破った最初の存在となった。Phoenixは文字通り不死鳥そのものといった存在であり、結成以来チーム・プロツアー2大会とチーム・マスターズ一大会で王者に輝いているというモンスター・チームだったのだ。ちなみに、Panzerそれ自体もすべてのチーム・マスターズに出場した唯一のチームというブランドとなった。イベントとしてのマスターズが終焉をむかえてしまった以上、これは決して破られることのない大記録である。
また、今季の個人としての石田も悪くない結果を残してきている。グランプリ京都で見事にベスト8に勝ち残っており、つい先日のグランプリ・バンコクでも藤田剛史と決勝戦を戦い、準優勝という結果をおさめたばかりである。つまり、石田のエンジンは十分に暖機済みということだ。
大礒正嗣:初出場
10名の日本人選手がここベルリンへとやってきたわけだが、プレヴュー記事の段階での主役は間違いなくこの大礒正嗣であろう。今季プロツアーデビューを果たしたばかりの若武者が、今や暫定新人王としてシーズン最終節を迎えようとしているのだから...これは文句なしだ。しかも、彼はそう長くないこれまでのキャリアにおいて「プロツアー日本人最上位記録」へとたどり着いてしまっているのである。ちなみに、もう一人の記録保持者は藤田剛史(プロツアー東京準優勝)だ。
大礒の描いてきた軌跡、それをここで大まかに振り返ってみよう。
そもそも、大礒正嗣というプレイヤーのツアーデビューというのがちょうど今シーズン開幕戦だった。檜垣貴生、上野一樹とともにチームHato Beamを結成し、プロツアー・ボストンへと参戦したのが開戦の号砲。ここで幸先良く初出場初日突破という快挙を成し遂げた大礒は、続くグランプリ宇都宮で早くもインディヴィジュアル・プレイヤーとして開花。このオンスロート・ブロック開幕戦で見事に決勝ラウンドへと進出したことにより、若き大学一年生は新人王レースの有力な候補として名乗りをあげることとなった。
以後もツアーやグランプリをサーキットしてプロポイントを着々と稼いでいくことになるわけだが、やはり大礒正嗣という若きプレイヤーの成功はオンスロート・ブロックを使用したリミテッド戦での圧倒的パフォーマンスに牽引されているということに着目せねばならないだろう。宇都宮、京都という二つのグランプリで決勝ラウンドに進出し、挙句、プロツアー横浜では新人王有資格者にして準優勝という壮挙をやってのけてしまったのだ。
ところで、横浜で決勝ラウンドの解説を担当した藤田剛史が大礒の巧みなプレイングに舌を巻いたというエピソードがある。そして、その藤田は日本選手権でのインタビューで「今、日本で一番強いプレイヤー」として大礒の名前を挙げた。藤田は新人らしからぬ技量と度胸と勝負勘とを兼ね備えている末恐ろしいライバルのことを「おそらく、このオンスロート・ブロックを日本人でもっとも深く理解しているプレイヤー」とまで評したのだ。
実際問題、すでに大礒正嗣は「暫定」にして限りなく「当確」に近い新人王というポジションに位置している。そしておそらく、よほどのことが無い限り逃げ切ることができるであろう。しかし...どうせならここベルリンでの新人王受賞には大きな余禄、ドラマをともなってもらいたいというのがファン心理であろう。
横浜での大礒を見た者なら、誰もが勝手にそう期待したくなってしまうのではないだろうか。
大塚高太郎(日本代表選手):出場2回目
「KTO」こと大塚高太郎。彼は正真正銘の夏男である。彼の個人史を紐解いてみると実にそれがよくわかるだろう。
まず、彼が最初に飛躍のキッカケとしたのが大阪のBIG CUPというイベントに優勝したことだった。ちなみにこれはBIG MAGICがスポンサーとなって賞金100万円がかけられたトーナメントのことで、参加者数の規模やイラストレーターのRebecca Guay女史が招聘された点など、ちょっとしたグランプリなみの規模のものだった。そして、大塚は昨年の日本選手権では見事に決勝ラウンドへと進出し、シドニーでの世界選手権をも体験した。それから一年の時を経て、大塚はとうとう念願の日本王者となり、日本チームの顔として世界の舞台へと挑むことになったのだ。そういった彼のキャリアの輝かしい部分のほとんどが...夏の日差しの下での出来事なのだ。まったくもって、ここまで徹底していると立派なものである。
かつては岡本尋を中心とした「名古屋勢の一人」として認識されがちだった大塚も、今や堂々の日本王者...シングルプレイヤーである。そして、彼のシドニーでの戦いは一個人としてのそれだけでなく、四日目の国別団体戦での日本代表の総大将という役目もある。是非ともベルリンでも夏男の本領発揮といってもらいたいところだ。
岡本尋:出場3回目
最後のアジア王者、「Last Emperor」岡本尋にとっての2002-2003シーズンは...まばゆいばかりのきらめきを放った前シーズンに比べると少しばかり地味なものということになってしまうかもしれない。しかし、単純にこれを岡本が不調だっただけだとかそういう類の評で括ってしまうべきではないだろう。少なくともこれだけはいえる。今季に関しては、これまで「自分のために」使っていたエネルギーや労力を「自分たちのために」より多く割いてきたのだ。迂遠な表現になってしまったかもしれないが、自分をある程度犠牲にしてでもコミュニュティ、コロニーの充実に貢献してきたということである。
そんな彼のスタンスが端的にあらわれているイベント、それがプロツアー・ヴェニスだっただろう。いまや日本勢にとっては「プレイテストの内容によっては十分に通用する」というたしかな手応えもあるブロック構築に挑戦するにあたって、岡本は大掛かりなプレイテスト・チームを組織し、その音頭をとった。日本各地のグレイヴィ・プレイヤーをかきあつめ、それぞれが地元に持つコロニーを抱え込むかたちでのチームを統括し、情報の交換を主体とした大規模なプレイテストを行ったのである。結局、岡本自身は残念ながら初日落ちの憂き目となってしまったのだが、それでも二日目以降の自分の時間にもYMG然としたスコアラーとして駆け回り、最後まで仲間たちのサポートに徹していたものだった。...はたしてグレイヴィ級プレイヤーを大同団結させるなどという芸当をやってのけられそうな人物をほかに何人あげられるだろうか?
それにしても、プロツアー・ボストンにおけるチームwww.shop-fireball.com.としてのベスト8入賞が今季のベストパフォーマンスである...というあたりも、ある意味で今季の岡本尋というプレイヤーのスタンスを象徴しているようにさえ思えてしまうのだが、それは穿ちすぎだろうか?
ところで、弟分の大塚がそうであるように、岡本もまたいっぱしの夏男なのである。そもそも、長い雌伏のときを経てブレイクしたのが最後のアジア選手権だった。そして、続く世界選手権でもBob Maher Jr.を最終戦で破っての10位入賞という快挙を成し遂げ、グレイヴィ・トレイナーとしてのスタートをきったのである。そろそろ、岡本はこれまで投資してきたぶんを回収しはじめてもいいのではないだろうか。
田中久也(日本代表選手):初出場
「とどちゃま」こと田中久也にとっての2002-2003シーズンというのはビッグ・イヤーそのものだろう。まず、プロツアー・シカゴでベスト16入賞(日本勢最上位)という結果を残したことでにわかに注目の存在となったのが序幕。そして、そのレーティングを守りきるだけでプロツアー横浜出場が確実視されていたなか、彼はグランプリ京都に堂々と出場し、当たり前のように準優勝という結果を残して見せた。かくて、田中久也という名前はリミテッダーとして全国区となり、そのまま好調を維持して日本選手権でも見事に四位入賞を果たしてしまったのである。
ところで、日本選手権第三位の前川徹が出場を辞退したため、田中久也は2003年度の日本代表としてベルリンでは国旗を掲げることになった。そんなこんなで、大塚、藤田、田中という布陣が土曜日にどのような戦いを見せてくれるかも注目したいところだ。
二年連続で日本選手権の決勝ラウンドに勝ち残った大塚高太郎の充実ぶりは疑う余地なし。また、藤田修のチーム戦における敏腕ぶりもすでに周知の事実(Unluckys / Anchans)である。そして、田中久也というプレイヤーがオンスロート・ブロックのリミテッドを深く理解しているということは言うまでもないだろう。
藤田修(日本代表選手):出場2回目
かつてのアジア選手権とグランプリ台北、そして今季のグランプリ広島と日本選手権。かくて、豪華4本の銀メダルを首からぶらさげた藤田修は...森田雅彦や中村修平に続く「シルバー・コレクター」として認知されることになってしまった。これは最後の一勝が縁遠いことを揶揄しているようでもあり、それだけの決勝戦を戦ってきたという練磨ぶりを讃える言葉でもある。どう解釈するにせよ、非凡なことに間違いない。
ところで、日本三大藤田という呼ばれ方をするプレイヤーたちがいることを皆さんはご存知だろうか? すなわち、(藤田)憲一・剛史・修の三名の強豪たちのことである。そして、この中では藤田修だけに欠けていたプロフィールがあった。そう、それこそが「日本代表経験者」という肩書きだった。しかし、とうとう藤田修も2003年度日本代表としてベルリンの地を踏む事となり、晴れて三大藤田の足並みが揃ったわけである。せっかくだから、追いついたついでに今度は彼らを出し抜いてしまってはどうだろうか? ちなみに、三大藤田の中でこの世界選手権へと参加しているのは...藤修その人だけなのである。
三原槙仁:初出場
日本各地に、「まだ見ぬ強豪」たちが眠っていることは間違いない。そして、今年度日本選手権で第八位という堂々の成績をおさめているとはいえ、三原槙仁というプレイヤーのプロフィールも広く知られているほうではない。少なくとも、今年の日本選手権まではまさしくその「まだ見ぬ~」にカテゴライズされるプレイヤーであっただろう。
...と思っていたら! 実はジャッジ関係者の間では語り草になっている興味深いエピソードがあるそうで、前々からその強さは知られていたようである。せっかくなので、ここでその話をご紹介してみようと思う。
DCIは「トーナメント報告内容の調査」を定期的に行っている。それはまさしくBob Maherが出場停止処分を受けたケースのような不正を許さないためであり、捏造されたトーナメント結果によってレーティングが不正に乱高下することを阻止するためである。たとえば、トーナメントでのマッチの勝敗結果を実際のそれとは異なるように報告したり、もっと極端にいえば、ありもしないトーナメントをでっちあげて特定の人物が勝ちまくっているような嘘の報告をしようという輩がやはりいるのだそうだ。レーティングが高ければプロツアーのような大会に招待されることも可能であるわけで、DCIとしては当然放ってはおけない。実際、誰か特定の人物が得するようなかたちで虚偽申告がされるわけだから、結局、あっさりと摘発されてしまうことがほとんどのようだ。
で、ここで登場するのが三原だ。どう登場するのかというと、あまりにも彼の勝率が高いために...この手の虚偽の申告で不正にレーティングを操作している類のプレイヤーでないかと疑われてしまったのだ!
もちろん、彼が清廉潔白の身であることはすぐさま判明し、これは笑い話の種となったのだそうだ。濡れ衣そのもの。何が悪かったかといえば、強いてあげるなら「三原が強すぎて勝ちすぎてしまったこと」とでも言うしかないだろうか。そう、草の根レベルの大会では彼をとめることなど誰も出来なかったのだ。実際、草の根どころか...日本選手権クラスのプレイヤーたちでさえ、三原の決勝ラウンド進出を阻止することはかなわなかったではないか。
日本選手権のTop 8 Interviewによると、三原の現在のデュエル環境は競技的であるかどうかという側面から見るとあまり芳しくないようだ。しかし、そんな状況下でさえ日本選手権のベスト8に勝ち進んでしまったという男のポテンシャルが低いわけがない。
やはり、今大会を含めて今後の活躍が十分に期待できる逸材といえるだろう。
(以上、五十音順紹介。文中敬称略)