Preview: 熱い夏がはじまる

更新日 Event Coverage on 2006年 8月 24日

By Daisuke Kawasaki

今年の夏も熱い。

そう、暑いではなく熱い。日本でもっとも熱いイベント、日本選手権がはじまろうとしているのだ。

日本国内でプレミアイベントが山のように行なわれるようになってからどれ程になるだろうか。すでに、日本国内には数え切れないほどのグランプリチャンピオンが存在し、プロツアーチャンピオンでさえ片手では足りない人数となった。

しかし、そういった、多くのプレミアイベントが日本で行われると言う土台が出来上がる前、遥か昔から日本選手権は日本に存在し続けている。そして、11年目となる今大会においても、その輝きは全く鈍る事はない。むしろ、多くのプレミアイベントが氾濫する中において、対比的により光を増しているようにすら感じられるのだ。

まだ黎明期と呼ばれていた時代、マジックに触れていた多くの一般プレイヤーにとって、初代、そして翌々年の'98年と2回日本チャンピオンとなった塚本 俊樹のその名前が最強の代名詞であったように、'99年の東野 将幸の戴冠が、それまで関東圏中心と言われていたトーナメントシーンへの関西勢進出の旗印となったように、'03年、三津家 和彦の優勝が、それまでのトッププレイヤーコミュニティに属さなかったグループの台頭というストーリーの一つの集大成となったように、日本選手権という大会はその年の日本のマジックシーンを総括し、象徴する役割を担ってきた。

そう、こんな事はわざわざこんな長い一文を使って説明をするまでも無い事である。

日本選手権そのものが日本マジック界の象徴として存在しているのだから。

■日本の覇者から世界のチャンピオンへ

世界王者となった昨年度日本代表

その事がもっとも体現されたのが、他でもない昨年度の日本選手権である。

昨年度の日本選手権によって選ばれた日本代表の三人。

「日本の宝」諸藤 拓磨
「世界のISO」大礒 正嗣
「やる気のイデア」志村 一郎

彼らの活躍については、これまで幾度となく繰り返され、多くの方にとっては食傷気味かもしれないが、しかし、あえてここでまた繰り返させていただこう。彼らの業績はそれだけ称えられるに足るものなのだから。

過去に多くの日本代表選手団が挑戦し、そして、破れていった世界選手権団体戦プレーオフ出場という夢。彼らはこの夢をかなえただけではなく、マジック発祥の地であるアメリカ、しかもジョンフィンケルが率いた2000年代表以来の過去最強級とまでいわれた昨年度のアメリカ代表を破っての団体戦世界制覇という最高のストーリーを紡ぎ出してくれたのだ。

彼らの活躍は、その年の森 勝洋による個人戦世界制覇、津村 健志による日本人初のPlayer of the Year獲得、今シーズンに入ってからの日本人によるプロツアー連覇といった「世界レベルでの日本勢の活躍」の旗印であり、象徴として語り継がれていくであろう。

そう、ここでも、日本選手権、そしてそこで選ばれた日本代表が、その後の日本の1年間を総括しているのである。

■直前予選とライジングスター

2004年度日本選手権のシンデレラボーイとなった津村 健志

また、日本選手権のもつ役割は、日本代表を選ぶことだけではない。

日本選手権は、いうまでもないが、完全招待制のイベントである。会場にさえくれば、一般参加が可能なグランプリと違って、日本選手権に参加する為には、一定以上の過去の戦績による招待が必要であり、それがない場合は、全国各地で行なわれる厳しい予選を勝ち抜く必要があるのだ。

そして、選手権前日にMeatgrinder、いわゆる直前予選が、日本選手権参加資格を持たないプレイヤーへの最後のチャンスとして行なわれる。

藤田 剛史が、狙い済ましたメタゲームと完膚なきプレイングによって「日本王者になるということ」の意味を身をもって体現した2004年の日本選手権。その年の日本代表のうちの1人が、この直前予選によって権利を獲得したプレイヤーであった。

直前まで権利を持たない状態からの日本代表入りという「シンデレラストーリー」。このプレイヤーの名前が広く世に知られるきっかけとなったこのエピソードの主役の名は、津村 健志。彼が翌年に紡ぎ出した「もうひとつのシンデレラストーリー」について改めて言及する必要はないだろう。

「登竜門」という枕詞が多く使われるのは、年末に行なわれるThe Final'sではある。が、しかし、日本選手権という大会も十分にその役割を担っているのだ。

日本選手権という大会がもつネームバリューは、そこで発生するプロポイントや賞金以上の意味合いを確実に持っている。多くのプレイヤーにとっては「日本選手権に出場する」ということ自体が名誉である場合もあるだろうし、多くタイトルが氾濫するトーナメントシーンに身を置くプレイヤーにとっても、日本王者という称号は別格であろう。

そんな日本選手権で活躍するということに特別の意味が無いわけがないではないか。

ましてや、日本の王者になったとしたら。

■プレイ環境と環境のソリューション

Kjeldoran Outpost

非常に古い話を持ち出すようで申し訳ないのだが、先日のコールドスナップの発売によって完結したアイスエイジブロック、そのアイスエイジブロックがまだ現役で使用できた1997年。その頃の日本の構築シーンは、カウンターポストと呼ばれる青白パーミッションによって支配されていた。そして、その年の日本選手権の決勝で、当時最強のプレイヤーであり最高のパーミッション使いとされていた塚本 俊樹を打ち倒して日本王者となったのが小宮 忠義であった。

当時の小宮は、決して多くのプレイヤーに名前を知られていたプレイヤーではなかった。そういう意味では日本におけるライジングスターの元祖といってもいいだろう。

そして、ライジングスターならぬブルーマスターという二つ名が定着し、「青の強い時代に小宮あり」とまでいわれていた小宮が日本選手権の決勝にふたたび姿をあらわしたのが2000年のことだった。この年もまた、例に漏れず青いデックが環境を席巻していた年だった。

しかし、この年の日本選手権の決勝における最大のトピックは、別のところにあった。

決勝で使用された二つのデックは、サイドボードにいたるまでの75枚が全て同じカードで構成されていたのだ。これは、当然偶然ではないし、コピーデックを使用したというくだらない安全策でもなかった。

チームアクアソウル。

日本のマジック史上でも初めてといってもいいくらいの完璧な「勝利にむけてのチーム」。この大会の決勝の結果を待つまでもなく、この環境を制したのは、このチームによって調整された「青パーミッションのソリューション」である「アクアソウルブルー」だったのである。

そして、アクアソウルのリーダーである堂山 剛志が、この同型対決を、まさにリーダーの貫禄を示す形で勝利したのだった。

このチームアクアソウルの活躍を機に日本のマジックシーンにチームというものが登場してくる事になるのだ。

前述の三津家と八王子組の台頭もそうだが、このように、その年の話題を総括するようなプレイヤーが日本選手権を制覇することも少なくない。

例えば、2002年。

この年、初めての「大規模な賞金のかけられた一般トーナメント」が、愛知のBig Magicというショップで開催された。そして、この大会を制した大塚 高太郎が、この年の日本選手権を制したのは決して偶然ではないだろう。

日本選手権は、時には序章として、時にはラストシーンとして多くのストーリーを紡ぎ続けてきているのである。

■ひとつの歴史から生まれる多くの思い出

だが、日本選手権は最前線で戦い続けるプレイヤーの為だけに存在しているわけではない。

すでにマジックを半ば引退したプレイヤーにとってもまた、日本選手権とは特別な意味を持っているのである。今年でその継続参加記録を11年に伸ばした藤田 憲一がいい例だが、すでに一戦を退いたものの、参加資格さえあれば、日本選手権だけでも参加しようと考えるプレイヤーも少なくない。

それは、過去の思い出であったり、記念であったりするのかもしれない。日本選手権という大会は日本のマジックの歴史そのものを体現している大会でもあるのだ。

そして、そういったプレイヤーが、過去の実力がまだ現代にも通用するという事を見せつけることもままある。

2001年、5年前の当時ですら「黎明期のプレイヤー」として認識されていた松尾 悟郎が日本王者に輝いた時にも多くのマジックファンたちを驚かせた。最近でいえば、昨年の王者である諸藤 琢磨も、もともとは「記念参加」であった。

■歴史と伝統の日本選手権

多くのプレミアイベントが氾濫する中でも、変わらぬ価値を持ち続ける日本選手権。

その、日本選手権というイベントの意味を、歴代のチャンピオンの名前を借りながら駆け足で確認させてもらった。

このように、多くの横顔をもち、多くの役割を担ってきた日本選手権。いつの時代も、日本選手権は日本のマジックの象徴として存在し続けるのである。

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