ギラプールの空にて

更新日 Magic Story on 2017年 1月 11日

By Ari Levitch

Ari spent a few years as the herald of Dukos, the star-eating cosmic squid, before becoming a high school history teacher. Now that he has been inducted into the cabal of Magic creative writers, his parents are finally proud of him.

 前回の物語:業火

 改革派が霊気拠点襲撃の準備をしていた頃、空賊カーリ・ゼヴには知る限り最良の手段で霊気を手に入れる別の計画があった――領事府の船から直接奪うという。不確かな計画を得意とする者として、ジェイスはその若き船長が挑む任務へと同行した。

 領事府が改革派から霊気拠点を奪回した際、空路が封鎖された。テゼレットを直接攻撃するという改革派の計画は封じ込められるようとしている。改革派が必要とする打開策は、カーリとジェイスにかかっている。


 弱冠十五歳にしてカーリ・ゼヴは空賊交易の経験を十分に積み、多くの珍しい物事を目にしてきた。時折彼女は珍しい場所へ赴いては珍しい人々に出会い、またある時にはその奇妙な物事が彼女を訪れた。おそらく、空賊とはそういうものなのだろう。カーリ自身にも定かでなかったが、それが何であろうと、カーリは常に、素晴らしい好機の源として珍しい物事を認めることに長けていた。

 そういうわけで、その悪名高くも若き空賊船長は自ら領事府の霊気収集船に乗りこみ、領事府の手下が好意的な視線を送る中、彼らの備蓄である霊気管を自身の船へ密輸していた。その間にも相談の声を頭の中に響かせながら。

 勿論、領事府はそのどれも見ていない、少なくとも見た目のようには。彼らが確認しているのは領事府の同僚の船であり、領事府の目的のために霊気を摂取するという公的任務のためにやって来た忠実な領事府の乗組員だった。

『ジェイス、凄い仕掛けじゃん。上手くいってるなんて信じらんない。これが最後の箱』 彼女はそう考えた。だが誰かに向けて考えるというのは未だ奇妙だった。とはいえ、この仕事に奇妙でない所があるだろうか?

 彼女は膝を曲げ、箱の横板の金線へと頬を押し付け、自分側の端を持ち上げた。食いしばった歯の間から、彼女は鋭く短い息を漏らした。磨き上げられた甲板の床からその荷が持ち上がり、箱の重みが彼女の指に食いこんだ。ジェイスの声が脳内に弾けた。

『とにかく終わらせてくれ。演技とかは何もしない方がいい』

『演技?』 彼女は心の中で会話をしつつ進んだ。この船と自分の船とを隔てる何もない空間へ渡した板へと共に向かう、箱を持つ相手を信頼して。『どんな演技? 忠実なる領事府の船長として、私はただ汚らしい改革派についての思いを共有してるだけなんだけどね』

『君や乗組員や船を覆う幻影は視覚的なものに過ぎない。俺が言いたいのは、それは疑われない理由にはならないってことだ。左に衛兵が一人いる。この交換を快く思ってはいない』

 自分を監視しているその衛兵を見る必要はなかったが、何にせよ彼女は見た。その人物は幾らかの地位にある士官だった。痩せて撫で肩、こめかみの髪が灰色になっていた。板へ踏み出すとカーリは彼へと頷いた。

『渡るのを追いかけてくる』 今一度ジェイスの思考が届いた。

『いいじゃん。言ってやりたい事が沢山あるからさ』

『冗談にしてくれよ、わかってるだろうけど』

『まだ汗かいてるの?』 カーリはからかってみせた。

 ようやく彼女らはカーリの船、『ドラゴンの笑み』号に戻った。とはいえそれは領事府が委託する雲切船に見せかけていた。そして彼女ですらジェイスの幻影を見破れなかった。そして自分達が箱を降ろす様子を監視している士官もそうであることを願った。

 カーリは痛む指を撫で、自分よりも頭一つ背が高い士官に向き直った。「いかがなさいました?」彼は船の中を眺めた。自分は何かを探している、そう彼女へ知らせようとするかのように。

『彼は補佐官だ』 ジェイスの思念が入ってきた。

「補佐官殿」 彼女は繰り返した。「いかがなさいました?」

 その士官は少しうつむいて彼女と視線を交わした。そして何かを言おうとしたが、その言葉は頭上から乱入してきた金切り声にかき消され、彼は攻撃を避けるように跳びのいた。「猿!」 彼は見上げて叫び、そして二度目の金切り声が響いた。

アート:Daniel Ljunggren

「ええ」 カーリは頷いた。「船を動かす者が必要ですので」

 明らかに安心し、その船員は神経質な笑いを漏らした。カーリは思わず我慢できなかった。「何か可笑しいことがおありですか?」 彼女は全力の真剣さで言った。しばし沈黙があった。士官の笑みがゆっくりと消え、彼は猿からカーリへ、そしてまた猿へと居心地悪そうに視線を動かした。カーリは真剣な表情を保ち続けながら、その全ての瞬間を味わっていた。

「少しからかっただけです、補佐官殿」 彼女は胴部から下げた階級章に親指を引っかけ、よく見えるよう弾いてみせた。「ここは私の船ですから」

 彼は小首をかしげ、眉をひそめた。「失礼ですが、船長にしてはとてもお若いようで」

 カーリは最高に真面目な表情をまとった。「つまり、どちらかという事ですね。私は若すぎるゆえに船長ではない、もしくは」 彼女は階級章を再び弾いた。「私は、真に、船長であり、貴方は私の権限に疑問を抱いている。さて、どちらの現実を信じる方が安全と思われますか? あるいはこれこそ貴方が未だ補佐官である理由かと存じます」

「言葉が過ぎました、船長殿。侮辱するつもりはありませんでした」

 笑い出さぬよう全力を尽くしながら、カーリは手を伸ばして士官の肩を払った。「わかっています。もし私を侮辱する気でしたら、そうですね、あらゆる現実を見て頂いたでしょうね。それでは」 彼女は背を向け、そして特に誰に向けてでもなく命令を叫んだ。「離舷準備! 改革派の悪党どもに報いを!」

 その補佐官が去ると、カーリは渡し板を運び入れた。彼女の船が退き、すぐに船と船の間が広がりはじめた。距離が十分と思われた時、彼女はジェイスへと思考を送った。『仕掛けを落として大丈夫。もう離れたから』 そしてその思考を言葉として表現するよりも早く、彼女がまとう領事府の制服と、同じく船がまとう領事府の装飾が消え去った。彼女はもはや領事府の何とかカーリ・ゼヴではなく、空賊船長カーリ・ゼヴに戻っていた。『ジェイス、すごかったじゃん。本当にさ。収穫を見たいなら甲板に来てよ』

 フードの男を待ちながら、彼女は甲板上を行き来した。本当に無くなっていたのではないにしても、自身の船の姿が戻ってきたことは嬉しかった。これは初めて乗った船ではないが、美しく、船首はその名に相応しく堂々と頭をもたげていた。彼女はそれが好きだった。その上に乗るのが更に好きだった。何よりも新鮮で、何よりも自由で、全てが自分のものだった。

 右舷の先、二リーグと離れていない距離に、渦巻く霊気流の中を空鯨が泳いでいた。その壮大な生物が恐らく十体以上、空を流れる霊気を追っていた。中には若い個体もおり、巨大な年長者の間を気ままに飛んでいた。その様子にカーリは笑みを浮かべた。

「あんな事はやめてくれよ」 カーリに合流して箱へ向かいながら、ジェイスはそう言った。大きな音として発せられたその声に順応するためにカーリは一瞬を要した。「あの補佐官を刺激する不必要な危険だった。君だってわかるだろう」

「危険? 確かにね。でもああしなきゃ気が済まなかった」 奪った積荷の山へ向かいつつ、彼女はそれを目がけて手をさっと動かした。「わかってくれるでしょ?」

「そうとは限らないよ」 ジェイスはそう返答したが、カーリは既に聞いていなかった。ゴーグルを装着した猿、ラガバンが箱の山の頂上から二人のやり取りを見つめていた。カーリは口笛を吹いて彼を呼び寄せた。

「いらっしゃい、ラガバン。私の王子さま。さあ中を見ましょうか」 カーリは掛け金を手で外し、白毛の猿が蓋を持ち上げた。笑みを浮かべ、カーリは自分達を浸すよく知った青い輝きを堪能した。

アート:Sara Winters

 彼女は内部に手を入れ、円筒形の霊気缶を取り出した。その金属容器中央にはガラスの小窓があり、光を放っていた。カーリは渦を巻く気体状内容物を見つめた。そして、肩越しにジェイスの顔が現れた。

「霊気以外の何かを期待してたのか?」

「まさか。ただこの瞬間を満喫してただけ。見てみるといいよ。何といっても君の幻影のお陰なんだから」 そう言って缶をジェイスに手渡すと、彼は明らかな興味とともに受け取った。そして彼女は命令を叫んだ。「荷物をしまいな! 下に!」

 一瞬の後、甲板中央の昇降台が『ドラゴンの笑み』号内部の船倉へ向かって沈み始めた。それが動く中、カーリは別の箱に昇り、その端に座って脚をぶらつかせた。

 下降に気付いてすらいないジェイスへ、彼女は言った。「ね、私が最初の船『太陽追い』号に乗った時、いつも船長が言ってたんだ。偉大な空賊になるために大切なのは、好機を見つけてものにする本能だって。もしそれがないなら、これも船長が言ってたんだけど、ただの船に乗った泥棒だって」 そこで言葉を切り、そして続けた。「つまりさ、領事府と大領事との件が全部終わったらさ、一緒に来てもいいんだよ。君みたいな才能のある男は凄く役に立ちそうだし」

 返答はなかった。あるいは聞いていないのかもしれない。昇降台は震え、甲板下の狭い船倉に収まった。

 カーリはその質問を繰り返すそうとして止めた。代わりに彼女はただ見つめた。ジェイスは手にした円筒缶をひっくり返し、まるで中に封じられた何か秘密の意味を調べているかのようだった。中身は霊気だけだというのに、彼は完全に夢中になっていた。

 そしてようやく、ジェイスは口を開いた。「すまない、何だって?」

 気にしないで。彼女はそう思ったが、そうではなく口を開いた。「君は空賊に向いてなさそうだよ」

 ジェイスの手の中で缶が動きを止めた。彼は微笑んだ。「ん? 俺は何に向いてるように見えたんだ?」

「んー」 カーリは身を乗り出し、肘を膝に乗せ、目を細めてジェイスを見つめた。「何にせよ空賊には向いてないね」

「そう思うよ。でも空賊向きには何が必要なんだ? 君はどうやってその人生を楽しむようになったんだ?」

「誰がどうやって何を楽しむようになったって?」 カーリは肩をすくめた。「私にわかるのは、他の人生なんて想像つかないってことだけ。この船を飛ばし続けるためには、私は何だってする。この霊気も全部」 彼女は座っている箱の蓋を拳で弾いた。「売ってあげる、私の前に空が開かれているのを見続けられるように。少なくともしばらくはね」

 ジェイスは缶を元の位置に戻した、まるでそれが突然汚れたかのように。「改革派に霊気を売るつもりなのか? はっきりさせておくが、俺が来たのは、君がこの状況を逆転させられるかもしれないって思ったからだ。君に手を貸すことはできるが、わかってくれ。俺はテゼレットを追ってここにいるってことを」

 その言葉はカーリの好みよりもやや非難の色が濃すぎた、自分の船に乗る者の言葉としては。「いい、ジェイス。ピアさんと私はすごく仲良しなの。育ての親みたいなもん。私は自由のために戦うわけじゃないってことも理解してくれてる。確かに、私はただ働きはしない。私が改革派のために奪うのは、それがやるべきことだから。でも本当のところはこの船が、船団からひとりぼっちで、自力で空にいられないから」 彼女は再び拳を弾かせた。「空賊向きってのはこういうの!」

 頬が紅潮し、声を荒げていた事にカーリは気付いた。一呼吸し、彼女は続けた。「さてと、明日の夜明け前、ピアさんの仲間に荷渡しを手配してるから。一緒に来てよね」


 そこは鳥園と呼ばれていた。ギラプールでも最も高い建物幾つかの屋上に設置された格納庫の群れだと、カーリはそうジェイスに説明した。彼女が子供だった頃、日がな一日飛空船が行き交う様を観察しようと訪れていた場所だった。それ全体は貧弱なものから洞窟のように深いものまで多様な倉庫設備と幾つもの工房、そしてそれらを繋げる通路と階段のもつれた塊だった。まるで逆さまの蟻塚だとジェイスは思った。

 夜明け前の光の中、まだ暗くはあったが霊気の光が粒となって彼方から次第に街へ近づいてきていた。だがジェイスはその青い光のお陰で、遠回りの通路の端と輪郭を把握できていた。

 そして、ジェイスはカーリの前方の空間で黄橙色の光が垂直方向に現れたのを見た。瞬時に彼は領事府船で使用したものと同じ幻影呪文を構え、必要とあらば自分達を覆えるようにした。彼は待った。そして、カーリの抑えた声を騒騒しい風音の上に聞いた。「ウクティ?」

「カーリ」 苛立って緊張した、馴染みない声が届いた。完全に非友好的というわけではない、ジェイスはそれを急ぎのテレパス能力で素早く察した。「あんたが来るなんて」 その声は続いた。

「何? 何があったの?」 カーリが尋ねた。

「ピアの仲間は霊気拠点を失ったよ。皆ばらばらに逃げてる。何人かはここに来はじめてるけど、あんたが待ってる奴は誰もいない」

「通して」 カーリが言うと、扉が勢いよく開いてドワーフの老女が姿を現した。年齢に皺が刻まれ、だが背筋は伸ばされて強健そうな姿をしていた。

 ジェイスはカーリに続いて部屋に入った。幅広く、だが天井は低く、むき出しの丸机が食堂のように並べられていた。ジェイスが見た限りでは幅広の窓がその場所を取り囲んでおり、とはいえ全てがカーテンで閉ざされていた。

「ここは第一発着所」 カーリはジェイスへと解説した。「飛空士の食堂兼社交場。子供の頃、何度か親に連れてきてもらった事がある」

「カーリ、あんたはまだ子供だ」 ウクティは咎めるように言った。「十五歳の空賊なんて一体どんな人生だい」

「私の人生よ」 カーリはそう返答した。冷静な声で、正しい返答であるかのように、十度かそれ以上も繰り返した多くの説明のように。互いを冷淡見つめる数呼吸の間、見えない、まっすぐな線がカーリの両目から年長ドワーフのそれへと伸びていた。

 やがてウクティは鼻を鳴らし、背を向けると椅子を押しのけながら食堂を進んだ。二人はその後につき、すぐに彼らは食糧庫に入った。棚は半分が埋まっているだけで、だが自分達が感じる一連の匂いがどこから来ているのか、ジェイスにはわからなかった。ウクティは食糧庫の隅にある香辛料棚の背後に手を伸ばし、壁沿いの何かを探ると、一続きの低い機械音がどうやら壁の内側から聞こえた。そして力を込めて棚の端を引くと、それは静かに内側へ回転して薄暗く狭い小部屋が現れた。その中には更に狭い、急かつ浅い階段が上へと続いていた。押し殺した声が聞こえ、ジェイスは精神走査から五人を判別した。

「通りな」 ウクティはぞんざいに手を振って言った。

「ありがと、ウクティ」 カーリが言った。そして最初の段に足を置き、だが上りだす前にウクティがその手首を掴むとそれぞれに視線を投げた。

「聞きな。あんたら二人も含めてこの場所を知る奴は少ない。ここはあたしの聖域。丁寧に扱いな」

 ジェイスはカーリの後に続いて足を進めた。背後でウクティが隠し扉を閉じ、すると唯一の光は階段が終わる天上の丸穴から差し込む光だけとなった。足を段にかけながら、ジェイスはラヴニカにある自身の聖域を思った。ギルドパクトの責任からの逃げ場所であり、それに頼ることが多くなっていた。自分だけの聖域、その大切さを彼はよく知っていた。

 丸い入口に首をくぐらせると、狭すぎる場所に人がひしめいていた。素早く数えて最初の見積もりを確認すると、先程過ぎてきた食糧庫と大差ない広さの部屋にカーリを含めて六人が詰め込まれていた。全員が一度に会話しており、更に各人が複数の話題に加わっていた。その全ての中心は彼の同行者だった。圧倒されそうな騒音の中、ジェイスは最後の危なっかしい一段に集中することを決めた。そして部屋に入る方法を考えていると、分厚い手甲の手が混乱の中から伸びてきた。その背後から声がした。「そこは危ないんだ。掴まりな」

 ジェイスは従った。力強い手が彼のそれを掴み、部屋へ引き上げられた。

「ジェイス、入ってきて」 カーリの聞き慣れた声、そして彼女は周囲を押しのけつつ向かってきた。ジェイスは彼女からそのひしめく空間へと視線を移した。あらゆる壁を埋め尽くしているのは、飛空士の装備と道具だろうとジェイスは認めた。その幾つかはとても古いもののように見えた。彼の左側では壁から金属の棚が伸びて作業台となっており、それもまたあらゆる種類の小さな金属片と器具で覆われていた。部屋の隅では、誰かが古く擦り減った椅子に座っていた。別の隅にある二番目の椅子は無人のままだった。

「今以上に『入れる』とは思わないんだけど」

「そう?」 カーリは得意そうに笑い、ジェイスの肩に腕を乗せた。「烏!」 部屋の会話が途切れ、全ての目がカーリへと向いた。「こいつはジェイス。改革派の長の友達、つまりはあたしらの友達ってこと。若くて才能ある期待の密輸人」

 会話が再開すると、ジェイスは突然自身がその中心にいることに気付いた。カーリはまず自分達の盗みについて語り、その後に紹介が続いた。彼らは競烏会、都市内で飛空船レースを行う飛空士の連合。だが領事府関係の事情が変わると、彼らは政治的な活動を活発化させることを決めた。昨日、全てが崩れた時、彼らはピアとともに霊気拠点にいたのだった。

「ねえ」 カーリが言った。「私は今日荷渡しをすることになってた、けど思ってたより状況はちょっと深刻っぽいね。どうなの?」

 一人のドワーフが立ち上がった。紫色の雲形模様が描かれた赤いスカーフを首に巻き、白い刺青が額から右目を横切って頬へと走っていた。デパラ、彼女はそう名乗った。「領事府は速接会地区から霊気塔まで、スカイソブリンを中心に編隊を形成してる」

「スカイソブリン」 少ししてカーリが繰り返した。

「そう」 デパラは頷いた。「見てみるといい。ラーシャ、見せてやってくれる?」

 デパラが声をかけた女性が振り返り、小さな歯車型の扉を片側へ滑らせた。ジェイスはそれが扉だと初めて気が付いた、だがそれはその女性の胸ほどの高さもない小さな扉だった。彼女は身を屈めてそれをくぐった。「こっち」 ジェイスとカーリ、デパラは押し合いながらその扉へ向かった。どうにか覗きこむと屋根裏の外側にしがみつく簡素な昇降台に一つの装置が取り付けられており、女性はそこに縮こまっていた。

「あそこ。自分で見てみな」 そして彼女は屋根裏へと引っ込んだ。その装置は真鍮の枠にはまったレンズの集合体だった。ジェイスがそれを覗きこんでみると、視界全体がスカイソブリンらしき巨体で満たされた。嵐雲のように空に重々しく浮かぶ巨大戦艦。夜明けの光が増しつつある中、ジェイスはその旗艦を取り巻く小型先導船の群れを確認した。

 彼が中の一団へ戻ると、デパラはかぶりを振っていた。「キランの真意号はあの怪物に勝てない」 彼女はそう言いながら模型の小さな回転翼を回した。

 その後、しばしの間誰もが黙っていた。ラーシャが歯車の扉を元の場所に戻す音だけが響いた。

「カーリ」 デパラが口を開いた。「私達はキランの真意号を飛ばすまでの時間を稼ぎたいの。霊気塔へ向かうにはここが最高の場所だけど、あの封鎖で改革派は全く飛び立てないでいる。競争用の船でも無理」

「つまり、計画はないという事ですか」 ジェイスは尋ねた。

 デパラは両手を挙げた。「それを見つけようとしてたの。私達に要るのは沢山の船。わかりやすくて単純でしょ」

 確かにジェイスにとって飛空船は少々専門外だったが、その若き船長が自分達の盗みの件に続いて話していた内容を把握していた。「カーリ、君の船団はどうなんだ? さっき話してた奴だ」

「それは本当か?」 ジェイスを部屋に引き上げた大柄の男性が尋ねた。その声には少々の楽観が浮かび上がっていた。

 カーリはジェイスを一瞥した。何か間違ったことを言ったかと彼は感じたが、既にもう一つの質問を続けていた。「カーリ、その船団に頼めないか?」

「あんまり役には立てないと思う」 全員の視線が集まる中、彼女は作業台の棚にもたれかかり、自身の靴だけを見ていた。「ラスヌーの近くにいる」 そして顔を上げずに続けた。「けどこの所ずっと空には上がれてない。デパラ、あんたの言う通り、スカイソブリンはまさしく怪物さ、あの設計は空賊狩りのためのものだし、しかもそれだけじゃない。船団がやられた時、何とか逃げられたのは『ドラゴンの笑み』号だけだった。他も追い付こうとしたけれど壊されて、何万もの破片になって田舎道に散らばってる」

 そしてカーリはスカイソブリンの方角を指差した、壁越しにその存在を感じているかのように。「私にできたのは、あれが歓楽船みたいに飛んでくのをただ見てることだけだった」

 再び沈黙が部屋に降りた。そしてジェイスはカーリへと踏み出した。「君の船団の数は多いのか?」

「『ドラゴンの笑み』号を入れて十四隻」

「君はそれをどのくらいよく知ってる?」

「それはもう」 彼女は片眉を上げた。「なんで?」

 ジェイスは笑みを抑えられなかった。「じゃあ時間を無駄にはできない。俺に考えがある」


 夜の間に霊気流は街に近づき、カーリが昨日の略奪の間に見た空鯨の群れもやって来た。カーリは拳を右舷の縁に置き、甲板から乗り出して船腹を覗きこみ、巨獣達が集う様を見ていた。空鯨たちは交替で口を大きく開いて霊気の巨大な渦へと転回した。暖かな霊気の輝きで彼らの皮膚には無数の斑点が灯っていた。

 そこからカーリの視線は広がる街を辿った。上昇気流が左右非対称に長い髪を左肩に叩きつけ、ラガバンは苛立つような鳴き声とともに逆の肩へと退散した。船の竜骨の下には薄い雲の覆いが空のほぼ一面に広がり、うっすらと街の一部が見えていた。

 この高度からでも、彼女は街で最も高くそびえる二本の塔を確認できた。それは巡回する執行飛行船からなる何重もの層に囲まれていた。カーリは相手の多種多様な様式と武装を数えては見定めようとしたが、その度に彼女の目は空に浮かぶその巨体に引き寄せられた。尖塔と速接会地域とを繋ぐ空を支配する――スカイソブリン。

 彼らが目指すのは、その旗艦を空中の停泊地点から必要な時間と距離だけ移動させることだった。そうして改革派の船、キランの真意号が突入できる隙間を作り出し、霊気塔の大領事を攻撃させるために。そのため、領事府旗艦を定位置から引き寄せるという計画だった。自分達へ向けて。カーリにしてみれば、まるでその船が世界のどこまでも自分を追いかけてくるようで、大歓迎すべきものだった。だがこの高度での空気の薄さと冷たさすらも、再びスカイソブリンに対峙するという未来予想よりは快適だと心のどこかで思った。

 だが同時に心の別のどこかが、空賊の船長としての部分が、船団を破壊された仕返しを求めていた。その思いは彼女の首筋へと怒りの熱を送り出し、鋭い囁きの言葉へと沸騰して食いしばった歯から押し出された。「空の君主とか」 再び彼女の両眼は飛行する空鯨へと移った。「あいつらは納得しないよね」

 カーリは船倉の中で襲撃隊と対面した。霊気缶の箱が船倉の大半を占領しており、彼らは狭い中で二列に並び、向かい合うように座っていた。

 襲撃隊のうち七人は『ドラゴンの笑み』号から、五人は競烏会からの者だった。それぞれが異なる飛行装置を背中に取り付けていた。一瞬を要して、カーリは船長の自分へと心を切り替えた。彼女は脚を伸ばして列の間の狭い空間へ入り、激励の頷きをしてから剣を抜き、全員へと呼びかけた。

「聞きな! あんたらの仕事は幾らか注目を浴びることだ。たっぷり嫌がらせをしてあの船を動かすくらいのね。できるかい?」 熱狂的な呼応。「上等。じゃあ忘れないでよ、これは『ドラゴンの笑み』号だ」 彼女はそう言って、両腕を広げた。「今日、あんたら一人一人がドラゴンの尖った牙になる! どれほど鋭いかを領事府に見せつけてやりな!」

 襲撃隊の歓声が船倉から彼女を追いかけた。操縦席へ向かいながら、カーリは心の中にそれを残したままにしておいた。

 その朝に鳥園を離れる際、デパラははっきりと申し出てきた。『ドラゴンの笑み』号を操縦させてほしい――その願いが通ると思った訳をカーリは尋ねたが、デパラは率直に言った。「わかるでしょ、私がいる場所はそこだから」 それはおそらく真実だった。カーリは以前に彼女のレースを見たことがあったが、そのドワーフがギラプール最高の操縦士の一人であることは疑いなかった。

 どのみち、操舵を握ってみないかとカーリは尋ねるつもりだった。だが口には出すことはなかった。そのため操舵室へ入った時に、そのドワーフが既に操縦席に着いていたのを見て思わず微笑んだ。その後ろの座席で、ジェイスがシートベルトを締めていた。

 カーリはラガバンをその定位置、操縦席上部のくぼみに固定した。自分のベルトを締めると、彼女は尋ねた。「二人とも、いい?」

「いつでも」 とデパラ。

「ジェイス?」 カーリは座席から身体を寄せて尋ねた。

「はいかいいえか選べと言われたら、はい。けどもしこの一連の――」

「デパラ」 カーリは両目にゴーグルをはめて呼びかけた。「流れ星みたいに飛ばしな!」

「了解、船長!」 デパラは返答し、操縦席の天井から伸びた伝声管の円錐口から乗組員らへと伝えた。「行くよ!」 そしてエンジンが低い溜息とともに停止し、四連プロペラが回転を止めるまでもなく船は落下を始めた。船体を取り巻く大気が激しく流れ、すぐにその風音が他のあらゆる雑音を飲み込んだ。ベルトで座席に固定されてはいたが、カーリは腹の中で胃袋が揺れるのを感じた。慣れた不快感だったが、ジェイスの方は目を閉じたまま座り、何でもないように装いつつ耐えているらしかった。

 あまり時間はない、カーリはそう直観した。すぐにでもデパラはエンジンを再始動するだろう。操縦席の丸窓越しに、カーリに見えたのは青空を背景にして淡い白色が勢いよく飛んでいく様子だけだった。雲の粒、彼女はそう思った。だがその動きは速すぎた。そろそろじゃないの、デパラ。

 そして飛空船の船首が下がり、突如として操縦席が落下の先導を始めた。急速に近づく都市の光景が、そして数えきれない厚さで並ぶ何十隻もの領事府船の船首が、視界の中に揺れた。突然の重力移動にカーリは内臓ごと背中を押し付けられ、彼女にできた事は目の前の恐慌を見つめている事だけだった。領事府の船団は彼女らの突撃を避けようと半狂乱に編成を乱していた。「見なよ、あいつら逃げてる!」 デパラの声、そして熱狂的な笑い声。

「デパラ、エンジンは?」 カーリの言葉はかろうじて疑問を成した。

「もうちょい」 彼女はこの状況を楽しんでいた、少々楽しみ過ぎているほどに。「さあて……」 そしてその手が前へ伸ばされ、エンジンを始動させる操縦桿を動かした。カーリが知る通りに船は従い、四つのプロペラが同調して動く響きを感じた。

 『ドラゴンの笑み』号は領事府船の先頭列の間を急上昇し、封鎖の隙間を通った。「そうれ!」 デパラが吼えた。彼女が操縦桿を引くと、船は急旋回をしてその垂直上昇を脱した。今や『ドラゴンの笑み』号は領事府船団の最中におり、敵船の間を縫って進んでいた。息をつく余裕すらなく、とはいえそれは緊急事態に混乱する領事府船にとっても同じだった。

 そして本当の狙いが始まる時が来た。カーリは指示した。「展開するまで奴らの真っ只中にいて。大っぴらに撃ってはこないはず、自分達に当たるからね」

「やれることは少ないよ、そこらじゅう敵さんだからね!」 デパラは怒り口調で言った。「展開したいなら、さっさとやって」

 カーリはシートベルトを解いた。「スカイソブリンが動かないならあんまり意味はない。精一杯近づいて」 若き船長は座席から立ち上がり、伝声管へ身体を寄せた。「もうすぐ降りるよ! ハッチが開いたら展開! あいつらに蜂みたいに群がりな!」 狭い管を通ってその言葉は船じゅうに響き、船倉にいる乗組員らへも届いた。

 一瞬、沈黙があった。そして、「蜂ですか?」 管から小さな声が届いた。「さっき、牙って言ったじゃないすか。鋭い牙。どっちなんですか、船長。厚かましいですけど」

 良いことだった。士気が高い。「牙のある蜂ってのはどんな感じだい?」

「すっげえ怖い」

「上等!」 カーリはそう言おうとしたが、飛空船が大きく傾いてその言葉は飲み込まれた。彼女は船長席の背もたれに掴まった。「次にやったら私が動かすよ」 そしてデパラの肩に寄って言った。

「ご心配なく、船長」 デパラは船を急上昇させ、強く傾かせて急停止した。「見なよ」 だがその言葉は必要なかった。旋回とともに、カーリの視界はスカイソブリンの巨体に占拠された。それは目の前の空中に浮かび、ほぼ微動だにしていなかった。まるで二つの建築物の間に渡された不可視の枝に猛禽がとまるように。

「あれが」 船長はそれを睨みつけ、感情なく言った。

 彼女は幻影使いへと振り返った。彼は今も両目を固く閉じたまま身動きせず、その顔色は大理石の彫像のように青白かった。予想以上に彼は先程の落下に耐えていたと認めざるを得なかった。「ジェイス、ジェイス!」彼の目が薄く開かれると、カーリは叫んだ。「生きてる?」

 彼は頷いた。「必要なら、いつでも呼んでくれていいよ」

「頼もしいよ。ところで、船倉の扉を開けて欲しいんだ、乗組員を下ろすために。その取っ手を回して。回らなくなるまで」 彼女はジェイスの頭上、低い天井から下がる金属盤を示した。「ラガバン、来な!」 その猿は壁の網伝って彼女へと急ぎ、そして彼女の肩に乗った頃には、ジェイスはその仕事を行っていた。

「何処へ行くんだ?」 彼は強情な取っ手の悲鳴に負けないよう呼びかけた。

 彼女は飛行装置を掴み、身に着け始めた。ラガバンはその背負い紐を避けるべく幾らかの体操をする必要にかられた。「上甲板へ行く。よく見えるように!」 そして装置の最後の紐を腰にくくりつけた。走り出すと、靴音が中央回廊と急な階段の金属床に鳴った。そこから続く低いアーチの通路を通ると、そこかしこで繰り広げられている混乱が――彼女らによって繰り広げられている、その様相が広がった。

 あらゆる方角から船が駆け抜けていた。この狂乱の光景の中、カーリは自分だけがゆっくりと動いているように感じた。もしくは、何もかもが一つの入念な、きつく絡み合った歯車仕掛け玩具の内部構造のように思えた。カーリにとって高速飛行は何ら真新しくはなかったが、デパラの腕は認めざるを得なかった。彼女はいかにしてか『ドラゴンの笑み』号を宥めすかし、カーリですら見たことのなかったものを引き出していた。

 船を壊さない事に関しては、私より上手い。

 船尾に着くと、ありがたいことに背後の船室が、猛烈でしつこい風から彼女を守ってくれた。彼女は柵にケーブルを繋ぎとめた。それは背中の飛行装置の底に取り付けられていた。そして下を覗きこむと、ちょうど最初の襲撃隊が大きく開いた船倉口から発進した。彼らは二人もしくは三人組で現れ、やがて十二人全員が離陸し、カーリのそれと似た飛行装置で運ばれていった。

 うまいじゃない、ジェイス。

『どうも』 ジェイスの声がした。そのあまりの近さに彼女は驚いた。以前と同じくそれは心の中へ直接発せられた。まるで彼がずっと、自分のすぐ後ろを歩いていたかのように。『手強かったよ』

『ちょっと、ジェイス!』 彼女は思考を返した。『ずっと私の頭の中に隠れてたの?』

『隠れてはいないよ。頼まれた仕事が終わったって伝えようとしただけだ』

 カーリの両目は一つの襲撃隊から次へと移った。彼らは縫うように領事府の前線へ進んでいた、まるで……怒れる蜂の群れのように。そしてジェイスへ伝えた。『次は船倉の扉を閉めて。それから呼びかけるまでそこにいて。命令したら、その通りにして』

『了解』

『私が見せたこと、覚えてる?』

『それはもう詳しく』

『ん、必要にならないといいけどね』 カーリは領事府船の一隻が近くの船に衝突され、突然制御を失って回転する様を見つめた。はぐれた銛が見えた。襲撃隊の二人組。右舷下で、一人の襲撃者を追いかけて三隻が衝突した――外見からしてデパラの仲間の一人だった。

霊気急襲者》 アート:James Ryman

「首尾は上々だと思わない、私の王子さま?」 カーリは頭上の猿を小突いた。ラガバンは同意に短く鳴き、その間にカーリは心の中で素早く勘定を行った。

 封鎖を破った? よし。

 編成を乱した? よし。

 だがその読み上げは頭上から鳴り響いた爆発音に中断された。彼女はラガバンとともに甲板上をよろめき、片腕で顔を守りながら見上げた。それまで一隻の領事府船だった広がる雲から、霊基体の襲撃者が飛び降りた。

果敢な爆破》 アート:Svetlin Velinov

 その霊基体は降下しながらカーリへと軽い敬礼をし、そして別の領事府船へと激しく着地した。

「うんと混乱を起こした? よし。ラガバン? よし」 『ドラゴンの笑み』号が封鎖の間を曲がりくねって進む中、カーリは続けた。「でも足りない。あの旗艦――あれだけが問題――ちっとも動いてない。あの空のナマケモノが追いかけてこないなら、何の意味もないのに。 ちょっと!」 ラガバンがカーリの髪の毛を掴んで引っ張り、彼女は頭へと手を伸ばした。その猿は金切り声とともに眼下の街路を指差した。

「ありがと、教えてくれて」 領事府の執行官が何十人と、飛行装置を背負ってもしくは一人乗りの翼船で戦いに加わっていた。ほとんどは船を守るために展開していたが、全員がそうではなかった。

『カーリ、見たか?』 ジェイスが尋ねてきた。『デパラが見た。執行官の一団が邪魔しに来てる』

『ん、六人見た』 カーリは返答した。彼女は命綱を素早く引いて確認した。『振り払える?』

『できる事をやるってさ』

 カーリは剣を抜いた。「私の王子さま――『ジェイス、あんたじゃないわよ』――戦闘準備」 ラガバンは素早くゴーグルをはめ、カーリの肩甲骨の間に下げられた袋へと急いだ。飛行装置のその部分が背中で湾曲していた。「私達の出番よ」

 『ドラゴンの笑み』号の船腹沿いに最初の三人が上がってくる頃には、カーリは既に飛び立ってい飛行装置の機械翼が激しく羽ばたき、彼女は甲板上を横切った。高い摩擦音を立てて命綱が繰り出された。

 三人組の執行官は四枚翼の同じ飛行装置で宙に浮き、領事府製の投網装置を胸の近くに握りしめていた。こんな馬鹿どもに掴まる気はさらさらなく、カーリは空賊船長としてのあらゆる歓待で彼らを迎えることにした。彼女はまっすぐに三人へと向かった。

 そして、まっすぐに通り過ぎた。

 予想通り、執行官らは接近するカーリから散開し、彼女はそのまま通り過ぎた。その軌跡に合わせて命綱が伸び、執行官の二人を三人目から引き離した。カーリはそれを見て二人を囲むようにきつく旋回し、命綱がたわむ前に巻き上げ機を素早く動かした。

「ラガバン、掴まって!」 カーリは叫び、そして命綱が片方の執行官の胸を激しく叩くと、二人目へと飛びかかった。そのドワーフ執行官は驚き、武器を構えるのが遅れた。一人目を引っぱったまま、カーリとそのドワーフはもつれて『ドラゴンの笑み』号の甲板へと落下した。激しく揺れて傾く船の上、翼とプロペラをもつれさせて二人は掴み合い、武器は滑っていった。

 カーリの肘がドワーフの頬に入って鈍い音がし、半瞬後にその戦いは決した。カーリは彼を押しのけ、次の瞬間には再び空に舞った。

 最初の執行官は三人目の手を借りてカーリのケーブルから脱した所だった。そしてカーリは彼ら両方を転げ落とすべく時間を無駄にしなかった。

 だがその勝利は束の間だった。もう三人の執行官が仲間に加わった。そのうちの一人、それなりの階級らしき士官がカーリの目の前に降下してきた。

尖塔の巡回員》 アート:Dan Scott

 カーリは思考をジェイスに送った。『動きはあった?』

 そして反応。『スカイソブリンは動かない。そっちはどうだ?』

「船を引き渡せ」 その士官が命令口調で言った。

『芳しくないね。君の技、いける?』

『ほんのちょっとだけ待ってくれ』

 カーリはその士官へと進み出て呼びかけた。「領事に知らせなさい。私、カーリ・ゼヴ、『ドラゴンの笑み』号の船長と船団がこの街を手に入れる、って」 『やって』

 そして青い光が閃き、次の数瞬に展開された壮観な光景に、士官の言葉は失われた。突然、何隻もの船が建物の背後から姿を現した。領事府の船ではなく、空賊船が。

幻術師の謀》 アート:Svetlin Velinov

 それらは二隻、三隻と連れ立って動き、そして執行官らと同じようにカーリもただ見ていることしかできず、その場に釘づけになっていた。何故ならその一つ一つを熟知していたために。『真鍮の鎚』号。『バードの悪魔』号。『北風』号、『鳶』号。更に。まだ続いた。『太陽追い』号までもが――そう、もちろん『太陽追い号』が。船団が帰ってきた。そして多くの建築物を囲み、広場の上空に集っていた。ある瞬間、『ドラゴンの笑み』号は孤立無援だった。だが次の瞬間、それは何十隻の中の一つとなっていた。彼女はわかっていた、これはジェイスの、もしくはジェイスと共有した記憶の仕業。だがそれでも、今や領事府は力でひどく劣っているという感覚に浸らずにはいられなかった。執行官らの評価も彼女と一致したらしかった。そこかしこで彼らは空賊船から離れるべく飛び去っていた。

 その士官はカーリから船の壁を、そして再びカーリを見た。そしてカーリが挑発を口にするよりも早く、投網装置が放たれた。突然のことにカーリはひるみ、その一瞬、自分を捕えようと広がる網の中にただ立っていた。

 だがそれが彼女を捕えることはなかった。肩の袋の中からラガバンが飛び出した。彼はカーリの頭から跳ね、迫る網へと身を投げた。即座に彼は捕われ、そして網にくるまれたまま、普段の優雅さの欠片もなく甲板に落ちた。

 次の瞬間、その士官は飛び立った――カーリの王子を捕えた網とともに。

「ラガバン!」 カーリは悲鳴を上げ、だが既に動いていた。四歩のうちに彼女は甲板から剣を拾い上げて船腹を跳び越えた。飛行装置の翼が動き出し、下向きの刃を振るって命綱を舷縁から切断した。

 士官を追いかけて、彼女らの距離はすぐに縮まった。低く飛ぶと、ラガバンはまだ網の中に入ったまま、士官の腰に下げられていた。「しっかり掴まってて、私の王子さま。今助けに行くから」 彼女は囁き、その猿もジェイスの読心術に入っていることを願った。

 カーリは下から士官に追い付き、避けられる前に強く掴んだ。そして二人は飛びながら顔を合わせた。士官はカーリを振り解こうとしたが、カーリはその両脚で士官の足を挟み込んだ。

「離れなさい!」

「なら私の猿を返しなさいよ!」

「一緒に死ぬ気!」

 カーリはただその士官へと目配せをし、その飛行装置である四つの回転翼の一つへと剣を突いた。一連の鋭い衝突音と火花を迸らせ、その回転翼はカーリの刃を打ちつつ砕けた。即座に二人の飛跡は乱れ、士官がカーリへと放つ拳によって更に悪化した。

 だがカーリは掴まり続け、士官の顎へと下から頭突きをした。頭蓋に苦痛が広がったが攻撃は止み、自分達のもつれた飛跡を多少なりとも制御できた。無傷の回転翼は飛行装置を片側へ傾かせたが、カーリは自身のそれで補助し、もつれあった彼女らは飛びながら大きな半円を描いて空賊船の投影へと戻り、『太陽追い』号の幻の船腹を通り、そして船団を越えた。


「カーリの返事がない」 ジェイスは言った。彼は目を閉じて、操縦席の先で繰り広げられていると知っている狂気から目を閉ざしていた。「あっという間に、心に届く先へ飛んでいった」

「じゃあその投影に集中して!」 デパラが言い放った。

 無論、ジェイスはそうしていた。肉体的にはそのドワーフ操縦士の後部座席に繋ぎ留められたまま、心は巨大かつ複雑な幻影を維持すべく稼働していた。あれはカーリの心から引き出した記憶で彼が作り上げ、壮観な光景にするために少々の複製をそこかしこに加えた。大変な集中力と気配りを要する、大がかりな仕事だった。

「あれを見たなら、スカイソブリンも無視はできない筈……」 デパラはそう言ったが、その声はかき消えた。

 ジェイスは目を開ける危険を冒したくはなかった、今はまだ。「何があった?」

「わかるでしょ」

 その通り、だがどのみちデパラは告げた。「スカイソブリンが護衛艦と一緒に船団へ動きだした。長の部下も見てないわけがないと思うけど」

「こっちの船団はどう反応すればいい?」 ジェイスは尋ねた。

「そのまま。私達もただあの中の一つよ」

 突然、目蓋越しに放たれた光をジェイスは知覚した。心から視覚情報を押し出そうとしたが、世界は完全に白色と化して空が引き裂かれるような音が耳をつんざいた。彼は意識を幻影へ向け、それが失われまいと努めた。だが口内を満たした金属の味は無視できなかった。

 どこか離れた場所からジェイスは自身の名を聞いた。その音には狼狽があり、何度も繰り返していた。横向きになった操縦席へ意識を戻すと、デパラが呼んでいた。

「俺はここだ、デパラ」 ジェイスは言ったが、それが真実なのは一部だけだった。彼の一部はまだ船団を保っていた。「攻撃されたのか?」

「ジェイス! 目をやられたわ!」 操縦士が叫んだ。

「何だって!?」

「操縦をお願い!」

 船が傾いては揺れながらも、操縦桿を握る自身の姿は想像したくなかった。デパラの心から必要な専門知識を引き出す十分な余裕は単純になく、だが彼は報いた。領事府の封鎖へと自由落下する中、デパラはジェイスを絶対的に信頼しており、彼はその思考へと手を伸ばすことで彼女の狼狽を食い止めた。今や、彼はデパラの心を自身に引き込んでいた。

「見える!」 デパラが言って、鼓動一つすら無駄にせず『ドラゴンの笑み』号を優雅に上昇させた。

「何で見えなくなったんだ?」

「あの稲妻砲!」 そして証明するかのように、再び閃光が発せられた。この時デパラは素早く旋回してその電弧を避けた。その間もずっと、スカイソブリンは近づいてきていた。一方でジェイスは、壮大な幻影がいつ途切れてもおかしくないと感じていた。

「私達を気に入ってくれたみたいね、君の幻影があっても」

「これは今もゼヴ船長の船だろ」

「壊すかもしれないから、あんまり合流を楽しみにしないでおいて」


 カーリとラガバン、領事府の士官がジェイスの幻影の外に出ても、彼女らはまだ激しい空中格闘の最中にいた。士官は怒り狂ってカーリへ蹴りを放ち、カーリはラガバンの入った網を奪おうとしていた。その猿はというと、網から手を伸ばして士官のポケットを漁っていた。

 士官の重い踵がカーリの向こうずねに命中し、強く押されて彼女は手を放しかけた。引っかかれる痛みにカーリはひるみ、唇を噛んだ。

 その苦痛に集中が途切れ、自分達が霊気渦へと流されていることにカーリは気付いた。そしてその渦の中に、巨大な姿が動いていた。泳いでいた。

 空鯨。

 その生物には敵意も捕食衝動もないが、その瞬間カーリをとらえた絶対的な卑小感は和らぎようもなかった。唐突に喉が乾き、自分の口が唖然と開かれていることを知った。

 両目の開かれ具合から察して、その士官の方もまたこの危機的状況にもがいていたに違いない。だがその時、カーリは自分の王子を思い出した。そして士官の腰から網を掴んでねじり、その頑固な手から引き離した。

 離れると、彼女はラガバンを強く抱きしめた。空鯨の一体が宙を曲がって彼女らへと向かい、しばしカーリは一対一で対峙した。その口は無限に続いているようで、下顎から喉へと折り畳まれた溝は峡谷のようだった。その空鯨がどれほど意識を向けようとも、彼女は塵の一粒でしかなかった。

 そしてカーリの脳内に、ジェイスの声が響いた。それはどこか遠くから、だが彼女の名を呼んでいた。

 彼女は返答した。『ジェイス!』

『スカイソブリンの右舷が俺達の上にある。キランの真意号はまだ飛んでいない。長くはもたない』 彼の声は消耗しかすれていた。

『そんな!』 彼女は許せなかった。『ドラゴンの笑み』号が、船団最後の生き残りが、同じ運命に遭うことは。彼女は空鯨を最後に一瞥し、旋回し、船へと速度を上げた。

 だが彼女は止まった。忽然と、悟った。好機。

『ジェイス、船倉の扉を開けて。合図したらデパラに荷を投げさせて急上昇して』

『霊気缶を捨てるってことか?』 その言葉はかろうじて彼女の心に届いた。

『私の船団のために』

 彼女は幻影の船団を通り抜け、目の前にそびえるスカイソブリンの巨体に直面した。それは空を埋め尽くし、彼女の背後にいる空鯨の姿を金属の表面に反射させていた。

『君のすぐ下だ、カーリ』 ジェイスの声とともに、カーリは自分の船が上昇してくるのを見た。

『落として!』 飛行装置の留め金をいじりながら、カーリは精一杯の大声を思考した。船倉から箱が落下し、蓋が何度もはためいて霊気缶がこぼれ出た。

 狙いはこれだった。カーリは飛行装置を肩からむしり取って下方へ投げ、ガラス容器にぶつけた。青色の煙が弾け、そして更に多くの容器が砕けると、霊気の雲がうねって渦を巻き始めた。彼らの注意を引きつけるには十分だった。

 その間に、カーリは胸にラガバンを抱きながら滑るように『ドラゴンの笑み』号の甲板上に着地した。金属の床を身体が滑り、跳ねると向こうずねが痛んで悲鳴を上げた。やがて、彼女とラガバンは船尾の柵に激突して止まった。

『視界良好』 カーリはジェイスへと思考した、大声を出さなくとも良いことを感謝しながら。

 数瞬が経過した。そして空鯨の一体が霊気へと飛び込んでくると、ジェイスの幻影船団が――彼女の船団が――またたいて弾けた。そしてその生物の真正面にいたのは、スカイソブリンだった。

 小型の領事府船はその前から逃れたものの、スカイソブリンは残されてその名を試された。空鯨が全速力で衝突した。敵うはずもなかった。金属は悲鳴を上げてへこみ、そこかしこで煙が空へと昇った。空鯨は悠然と泳ぎ、領事府の旗艦ははぐれた風船のようにしばし空中を浮遊し、そしてその身を傾げてゆっくりと地面へ滑り落ちていった。

「私の王子さま、一緒に見ましょ」 彼女はそう言い、ラガバンが網から脱出するのを助け、肩に乗せた。そして一気に疲労を感じ、両腕を手すりに乗せるとその金属の怪物が死にゆく喘ぎを見つめていた。

 ここから離れるべき、彼女はそう思った。ジェイスの声が再び心に届くと、彼女はそう命令しようとした。だが彼の言葉はカーリの予想よりも活き活きとしていた。『あれは君がやったのか?』

『やったのは空鯨よ、ジェイス。私にあんな攻撃はできない』

(r. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)


『霊気紛争』 物語アーカイブ

『カラデシュ』 物語アーカイブ

プレインズウォーカー略歴:ジェイス・ベレレン

次元概略:カラデシュ

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