壁の記述

更新日 Magic Story on 4月 12, 2017

By Alison Luhrs

Alison Luhrs is a community manager for Magic: The Gathering. She is also a playwright, improviser, and tweet farmer.

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前回の物語信頼

 ナクタムンの都市は現実とは思えないほどに完璧だった。きらめいて傷ひとつなく、民は若く信念に満ちている。ニコル・ボーラスがこの次元で何を意図しているのか、それを解き明かすべくニッサとチャンドラは答えを求めて街を探索する。二人の発見は、アモンケットについてのあらゆる想定に逆らうものだった。

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 暗く、果てのない不快感の井戸の中。彼女の周りで、この次元が弱々しく脈動していた。

『私はかつて、生きていた』 この次元はかすれた、砂に軋む声で囁いたようだった。

 生命を感じた。けれど生きてはいない。この次元に残っているのは、反抗するような呻き声だけだった。

『あの者は、私を真に殺すことは決してできなかった。私は断固として死を拒んだ』

 一つの映像。半ば食べられた、アンデッドの羚羊とそれを嬉しそうに追いかける飢えた禿鷲。子象の死骸が立ち上がり、それを母象が愛おしく撫でる。

『死したものは常に戻り来る。それは放浪の呪い。我が恩恵』

 彼女は理解した。死んだものは、分解されない限り、再び立ち上がる。

 突然、彼女は沈んだ。次元の地表から遥か、遥か奥深くへと。

アート:Sam Burley

 彼女の意識は地下数百フィートのどこかにあった。ここは洞窟、遠い昔に人の手によって注意深く作られたものだと感じた。古臭い空気は濃く、暗く、鼻につく粘土と詰まった砂の中で停滞していた。動くものといえばスカラベだけだった。

『彼らの死体はここへ、私へと送られた。腐敗せぬように』

 広間は空っぽだった。その甲虫すらも食物の在処は知らなかった。

 この場所で彼女は物理的な肉体を持たなかった。身体はずっと上の地表で、この痩せ衰えた世界の熱に汗をかいて震えていた。

『ここはかつて、私が最も大切にした場所』

 それは悲鳴のこだまだった。

 彼女は今や理解した。ここは地下墓地だった。かつては安全で見事だった場所。

『私はこの器を守っていた、彼らの魂が生きられるよう。そしてあの者が、奪った……』

 不安に胸が緊張した。この場所の彼女の魂が、地表のそれを感じた。

『彼らを奪ったのだ――!』

 その洞窟は完全に空っぽだった。

『ああ。あの者は彼らを奪い、堕落させ、私の罪を終わらせ、そして私は守れなかった――!』

 地表の身体は恐怖に震えた。彼女は顔を上げて地下墓地の天井を見て、上へ、取り囲む砂とスカラベと蛇から脱出しようと――

 ニッサは目を覚ました。

 アモンケットは年老いて、悲嘆にくれ、哀れなほどに怯えていた。

 朝の光が窓から差し込んでいた。大型の太陽が昇っており、透き通って眠気を誘う輝きで寝台と寝具を照らしていた。その光は綺麗で温かく、空気からは柔らかな砂漠の朝の匂いがした。だがニッサの胸に残る緊張感は解けていなかった。上層に触れてみる価値はあるかもしれないと、彼女は目を閉じて静かにこの世界の魂へと呼びかけた。

 それは釘を満たした桶の中に沈むようだった。

 ニッサは喘ぎ、接続を切った。胸の緊張感は残っていた。

 彼女は身体を起こし、部屋の様子を見た。チャンドラとジェイスはまだ眠っていた。ギデオンの姿はなく、それが逆に目立っていた。

 ニッサは小声を発した。「チャンドラ?」

 部屋の向こうの、女性型の塊がわずかに身動きをした。

「チャンドラ、起きて」

 チャンドラは目脂で固まった片目を開けた。「なによう?」

 ジェイスは身動きしていなかったが、いずれにせよニッサは声を落としたまま続けた。

「昨日のあの女の人を探しに行こうと思うの。一緒に来てくれる?」

「んむう、勿論よ」 彼女は起き上がると同時に片腕を伸ばし、両目の目脂をこすり取った。「でも行く前に朝食を――」

「朝食」という言葉と同時に、白い包帯に包まれたミイラが扉を勢いよく開け、パンとエールらしき水差しの盆を手に入ってきた。

 チャンドラは叫び声を上げ、同時にニッサも小さな悲鳴とともに壁まで後ずさった。ジェイスはその騒乱で目を覚まし、手探りで寝台から出ると馴染みのない部屋と朝食を持つ死体を見てまごついた。

 そのミイラは何ら気にすることなく、その盆を小机に置くとエールが零れることがないよう注意深くその位置を直した。

 三人は警戒しつつも黙って見つめていた。そのミイラは優雅に背筋を伸ばし、回れ右をし、寝室から出ていった。

 しばし三人の狼狽した呼吸音だけが続き、そして疑問が弾けた。

「なんで部屋の中に――」

「ノックしろよ!」

「今のはリリアナの?」

「君のじゃないだろうな!」 ジェイスは壁に向かって叫んだ。

 リリアナのくぐもった声がすぐに、大きく鋭く返ってきた。「私じゃないわよ!」

 ニッサは寝台から這い出た。全身が汗まみれだった。「ここにいるのは無理。外を歩きたい」

 チャンドラは頷き、靴をはき始めた。「もう目は覚めたから、一緒に行くよ」 彼女は寝具を床からあるべき場所へと素早く戻し、鎧や金具を身につけ始めた。何故この世界で更に暑くなる服を着るのだろうとニッサは思ったが、その疑問はとても馬鹿げたものだとすぐに悟った。

 ジェイスも起き出し、ミイラが卓に置いていった食べ物をつついた。暗い色のビールに彼は顔をしかめた。「ちょっと待ってくれ、しっかり目を覚ますから」

 チャンドラは板金鎧を装着しながらそれを覗いた。「コーヒーじゃないみたいだけど?」

「コーヒーとは正反対のものだよ」

 チャンドラは手を振って部屋を出て、ニッサが続いた。


 朝の時間でも、ナクタムンには汗の匂いが漂っていた。労働者のものではなく、拷問によるものでもなく、訓練のそれが。

 街路には若者が群れを成し、幾つもの隊列を形成しつつ走っていた。石灰岩の大通りに沿って多くの訓練場が並び、若干数の二人組が重しを持ち上げていた。丁寧に縄で区切られた競技場内には実戦練習の動きを繰り返す者らがいた。店はなく、売り物もなく、パン屋も肉屋も大工も警察もなかった。

 誰もが起き出し、訓練に励んでいた。そしてその誰一人として二十歳に達してはいないように見えた。

「私、人生で初めて年をとってるって思ったかも」 チャンドラは半ば冗談のように言った。彼女とニッサは少し立ち止まり、重い棒を持ち上げようとする六歳程の子を八歳程の子が監督している様子を見つめた。

 その子供は握りしめた拳をくっつけて、棒を持ち上げようと力を込めていた。

「そうやったらだめ、棒をしっかり持てなくなる!」 立っていた子供が叱った。

 ニッサはチャンドラへと寄り、その子供達には聞こえないくらいの声で囁いた。

「これって、変」

 ニッサがその単語をはっきりと口にしたのは初めてだった。チャンドラは真剣に頷いて同意し、二人は歩き続けた。

 街路に並ぶあらゆる建物は真新しい白色で、清潔極まりなく、よく維持管理されていた。道にはごみ一つなく、足をつまずかせるような凹みもなかった。絶えずやって来る若者の群れの中を二人は離れず歩き続け、やがて明らかになったことがあった。誰一人として単純に道を歩いてはいなかった。誰もが運動をしていた、自分達二人を除いて。

 だがニッサがよく見ると、秩序がどのように維持されているかがわかった。一体のミイラが白い塗料で壁の側面を塗装していた。別の一体は寄宿舎の玄関を掃き、また別の一体は家畜を小屋へ連れていっていた。一体は排水溝へと尿瓶の中身を捨てていた。魔法で動く死者が、あらゆる仕事を行っていた。

「どうしてニコル・ボーラスは次元を作って、でもこんなふうに放っておいてるの?」 ニッサが尋ねた。チャンドラは肩をすくめた。

「んー、うぬぼれとか? 自分を崇拝する次元をそっくり作るって、何かこう全てを操ってるみたいに感じるとか?」

「でも、それだとここに留まっていないとおかしくないかな」

 チャンドラは答えられなかった。

 ニッサは歩きながらミイラを見て、死に対する自身の認識について考えた。バーラ・ゲドのムル・ダヤでは、エルフとその祖先の魂との繋がりは他のエルフの共同体と一線を画すものだった。死と死者の霊は自然界と同じように彼らの生活の大きな一部を成していた。だが逆に、ここでの死は、その物質的面においてずっと隷属的だった。屍の保存は彼らの文化にとって重要なものに違いない、彼女にとっての祖先への祈りのように。

 何かを理解しようとしたなら、それを怖がらなくてもよくなる。ニッサはヤヘンニを想った。その死はかつて見た何とも異なっていた。もしかしたら、死とは次元によって違うものだったかもしれない。

 こめかみが痛くなり、ニッサは立ちくらみを感じた。彼女はうつむき、吐き気を覚えた。

「どうしたの?」 チャンドラが尋ねた。ニッサは自身が道の真ん中で立ち止まったとわかった。

「わからない、何て言ったらいいか……」

「気持ちが悪いの? こっち、座って」

 チャンドラは彼女を広場の噴水へと導いた。ニッサが眩暈とともに見つめる中、チャンドラは白い包帯のミイラへと近づいていった。彼女はぎこちない身振りで指をさし、そのミイラは彼女が示す方向を見ると広場から出ていき、少しして空の杯を手に戻ってきた。チャンドラは感謝の頷きとともにそれを受け取り、ニッサが座る噴水まで走ってきた。

「死体から貰ってきたものってのはわかってるけど、これで飲んでも大丈夫なはず」

 ニッサはチャンドラからその杯を受け取り、噴水に浸した。彼女は飲み、乾きを癒すのが一番だと実感した。

「ありがとう、チャンドラ」

 チャンドラは二杯目を満たして微笑んだ。「ちょっと休も。喉が渇いてたらドラゴンとは戦えないよ」

 ニッサは悲しい笑みで溜息をついた。今は、何とも戦えない。

 二人は少しの間、長椅子に座っていた。ニッサは日陰がありがたかった。この世界の不調は彼女に浸み込み、それはアモンケットを離れるまで回復することはないとわかっていた。あのドラゴンを、なるべく早く倒せた方が良い。

 彼女は空を見上げて息をついた。遥か上空にヘクマの障壁が優しく揺らめき、その向こうに薄青の空があった。果てしない空への眺めは、目の前の建物の端、あの恐ろしい角の意匠に遮られた。

 彼女は二杯目を空けた。「今朝は一緒に来てくれてありがとう、チャンドラ」

「他に行く所もなかったしね」 チャンドラは腕甲の紐を弄びながら、視線をニッサへと向けた。無意識に笑みがその顔によぎった――免れきれない感情の、わずかな赤みとともに。

 ニッサは自嘲した。「私は、アモンケットよりも行きたい場所が少なくとも二十くらいあった」

 チャンドラの笑みは消え、彼女はうつむいた。

 二人は半ば黙ったまま座っていた、一人は心地良く、もう一人は言えなかった言葉に悩みながら。ニッサは息をつき、噴水のざわめきと頭上の涼しい影に神経を和らげた。チャンドラは留め金をじっと見つめていた。

「こんなに長く街にいたことはなかった」 ニッサが言った。「カラデシュとここで、誰かと一緒にいることも」

「一緒にいても大丈夫になってきたみたいだけど」

 ニッサはかぶりを振った。「不安を上手く隠せるようになってきただけ。こんなにずっと、人と一緒にいると疲れるわ」

「でも、私達は違う、そう?」

 その質問はニッサの注意を引いた。チャンドラは腕甲の同じ紐を締めては外してを熱心に繰り返していた。

 ニッサは眉をひそめ、言葉を選んだ。「違うし、違わない」

 とりとめのない手を止め、あてどない心が、馴染みない感情を形にする言葉を探した。

「ゲートウォッチとも、まだ友達になったばっかりで。まだ理解しようと頑張ってる。そもそも、友達になるってどういうことなのか」

 チャンドラは小さな声を発して広場を見つめた。その物腰は重く鈍く、指は不意に動きを止めた。

 ニッサは続けた。「ゼンディカーでは、ほとんどずっと誰かと一緒にいたことはなかった。友達に一番近かったのは、次元。信頼することを学ぶのは……少しずつで、まだ沢山学ぶことがある。友達っていうことを理解して耐えていくのは大変、今までそういうことってなかったから」

 チャンドラはぎこちなく身動きをした。「じゃ......友達ってことでいい?」

 ニッサはきょとんとした。チャンドラは彼女を強く見つめすぎないように努めた。

「うん」 ニッサは言った。「そう思う、今はこれが精一杯」

「ん……」

 ニッサは目を閉じ、もう一度深呼吸をした。頭痛が和らいだ。不安を打ち明けるのは心地よかった。彼女は微笑み、チャンドラと目を合わせた。

「一緒にいてくれて感謝してるの。友達ってどういうことか、沢山教えてくれて。私にとってはとってもありがたいことだから」

「良かった」 笑みのようなものがチャンドラの顔に戻った。「あんたのいい友達になりたいからさ」

 ニッサは破顔した。「あなたはもうその通りよ。お返しに、私もそうなれるように頑張る」

 チャンドラの小さな笑みは、硬いが親切なものに広がった。彼女は友の目を見つめた。「上手くできてるよ、ニッサ」

 安堵とともに、ニッサは噴水の隅に杯を置いた。

「良くなったと思う。行きましょう」

 エルフは立ち上がり、歩きだした。一呼吸と重い溜息の後、チャンドラは続いた。


 二人は何か古いものを見つけるまで歩き続けた。ロナス神の碑は巨大で、厳然としていた。最も目立つのは巨大なコブラの頭部の形状をした建築物で、周囲の他の建物とは異なり、経過年月以上に摩耗しているように見えた。その建築物は川沿いに座し、両目は遠くの双角を見つめていた。

 近づくと、その入り口近くのオベリスクの先端に奇妙な姿が鎮座していることにニッサは気が付いた。一体のスフィンクスが上にとまり、眼下で訓練する修練者の一門を、読めない表情で見下ろしていた。

アート:Christine Choi

 ニッサはその根元に立って見上げた。チャンドラもその視線を追ったが、そのスフィンクスとどう会話していいかがわからないのは明らかだった。

「君達が旅人だな。話は聞いている」

アート:Tyler Jacobson

 ニッサは振り返り、これまでアモンケットで目にした最も年長の人物と目を合わせた。見たところ三十代半ば、厳格な表情に背の高い高官の帽子をかぶっていた。彼女は顎を高く上げ、肩を引いて歩いてきた。そして立つ彼女のほぼあらゆる物腰は、これまで遭遇してきた子供以上大人未満の大勢とは対照的だった。

 その女性は片手を挙げて挨拶した。「テムメトから全神殿に知らせがあった、この街への客人がいると」

 チャンドラは喋ろうと踏み出した。ニッサは少し微笑んだ。チャンドラは自分の安心と不安を知っている、それがありがたかった。自分達が、言葉はなくともそれぞれの役割をわかっている様が好きだった。

「こんにちは」 チャンドラはそばかすの頬を緩ませ、愛嬌のある笑みで言った。「話をしたいんだけど、この……」

「スフィンクスだ。とはいえ君達は会話ができるほど幸運には恵まれていないだろうな」

 その高官の口調は命令のようだった。ニッサはその姿にラヴニカ次元のラヴィニアを思い出した。あらゆる規則を熟知しており、誰もそれを覚えていないことに常に苛立っている。

「なんで?」とチャンドラ。

「うむ、心から正直に言えば……悲劇だ」 その女性はかすかな溜息とともに言った。「スフィンクスには悲しい物語がある――無限の知識を持ちながら、同時に陰鬱な運命に呪われている」

 ニッサとチャンドラは共に、疑問に黙った。

 高官は二人へと感情のない、乾いた視線を投げた。「……同時に彼らは皆、喉を患っている」

 二人は顔を見合わせた。

 その高官は微笑んだ、歯を見せてにやりと。「……冗談だよ。彼らは元気だ」

 チャンドラは居心地悪く笑った。ニッサは、それはとても上手な冗談だとは思わなかった。

 その高官の物腰は劇的に変化し、彼女は片脚に体重を寄せた。ニッサはその手に巻き付く小さな可愛らしい蛇に気が付いた――忍耐強いペット。高官はもう片方の手を掲げて陽光を遮ると、スフィンクスを見上げた。

「実のところ、彼らは沈黙の誓いを立てているのだよ、王神の帰還まで。それは、幸運なことに、まもなくだ! 私は高官のハパチラ。旅人さん達、私の助けが必要かな?」

「私はニッサ、こちらはチャンドラです。とても遠い場所から来ました」 ニッサが返答した。「皆さんの慣習は、私達にとってはとても珍しいんです」

 チャンドラは声を立てて遮った。「ニッサが言いたいのは、つまり、私達が不思議に思っているのは……」

 彼女は碑へと続く階段を掃除する二体のミイラを示した。

「選定された者に興味がおありかな?」 とハパチラ。

「うん!」 チャンドラは頷いた。「そうなの。何であんなに沢山いるの?」

「彼らあってこそ、私達は競争と献身に生きることができるのだ」

「死んでても?」

 ハパチラは微笑んだ。

 彼女は自分達の前に立つ碑を示した。「身体が存在する限りは、魂も来世にて存在し続ける。私達は残された身体を保存する。私達の現世での義務は試練に向けての鍛錬だ。そのため器に魔法をかけ、人々へと奉仕させている」

 ニッサは心地悪く身動きをした。アモンケットが見せてくれた地下墓地は、永遠のための場所だった。そこに送られたものは大切に守られることを約束されていた。とはいえハパチラは言っている、ミイラはずっと召使いのように……

 高官は物思いにふけるように、ペットの蛇を片手から片手に移した。「ヘクマの内ならばミイラは安全な存在だ。彼らは手入れをされ、労働という目的を与えられている。五つの試練を突破した者に待つような栄光の運命は、その魂にはないだろうね。けれどヘクマの外で腐朽する器に待つ運命よりはずっと望ましい。朽ちた身体には何も存在しない。それこそが最悪の運命だよ」

「試練って?」 ニッサが尋ねた。ありふれた話題であるのに、自分達に共有された情報の何と少ないことか。

 ハパチラの眉が歪んだ。「神々は試練について何もお伝えにならなかったの?」

「私達に話したみたいじゃなかったけど」 チャンドラは淡々と言った。

 その言葉にハパチラは悲しんだようだった。

「神々は助力を求める者へ常に手を差し伸べてくれる」

 ニッサは少し落ち込んだ。神々が必要だと考えたことはなかった、だがハパチラの目にある同情に、自分には何が欠けていたのだろうかと疑問を感じた。

 ハパチラは続けた。「五柱の神々は愛と情に溢れている。きっと、君達に教えを与えてくれるだろう」

「あなたには何を教えたの?」 とチャンドラ。

「ロナス神は私に、ただ、私が育む社会と同じほど強くあれと。それと、毒の作り方をね」ハパチラは悪戯っぽく微笑んだ。

 ハパチラをどう評価したものか、ニッサは未だ定かでなかった。だがチャンドラが高官へと心からの笑みを向けたことに彼女は気が付いた。ハパチラは会話自体が好きらしかった。

「まだ試練に挑む時間はある。そうでなくとも、数日のうちに王神は帰還される」 彼女は言って、地平線の角の端に触れようとしている小さな太陽を見つめた。「けれど急ぐ気がないのであれば、ただ刻が来るまで待てばいい」

 ニッサは不意に、あの女性が群集の中で叫んでいた内容を思い出した。『自由になりなさい! 神々も、刻も、欺瞞なのよ!』

「刻って?」 ニッサは尋ねた。彼女はチャンドラの身体がわずかに後ずさったのを感じた。ニッサの探究心を察したに違いなかった。

「王神の帰還の後にくる刻のことだよ。私達の歴史はずっと、その瞬間を待っている」

 ニッサの脳内に警鐘が鳴り響いた。「その刻はいつ来るの?」

 ハパチラは遠くの巨大な角を指さした。「刻はあの太陽が角の間に座した時に始まるとされている。私が思うにいつ来てもおかしくはない」

 ニッサの平常心が、床に落ちたように砕けた。

 チャンドラは大袈裟な驚きを装って彼女を見た。「だってさ、ニッサ? 王神様の帰還はもうすぐだって! どう思う?」

 ハパチラは頷いた。「私達の神々の最も素晴らしい所は、約束を守って下さるということだよ。話すといい――ケフネト神はよく疑問に答えて下さるから」

 ニッサは苦労して恐怖を隠した。いつ来てもおかしくない? 全く何の計画もなしに、あと数日であのドラゴンと戦うの?

 チャンドラは小さくお辞儀をした。「ありがと、ハパチラさん。私達はもう行かないと」

「どういたしまして。もし簡単な毒の調合を学びたければロナス神の碑に私を尋ねてくるといい。いつでも喜んでこの技術を分け与えるよ」

「あなたが私達にその毒を使うんじゃなければね!」 チャンドラは作り笑いで言った。

 ハパチラは少々熱心すぎるほどに笑った。ニッサは早く離れたかった。

「チャンドラ、話せて楽しかったよ! 勇ましく戦わんことを!」 ハパチラは碑へと続く階段を上りながら、優雅に一度手を振った。

 チャンドラは反射的に留め金の一つを締め直した。「ん、面白い人だった。あんたはどう思った?」

 ニッサはそうは感じなかったが、どう表現すれば良いかもわからなかった。代わりに彼女は漠然と小さく唸り、以前見たリリアナの手の動きを真似してみせた。

 チャンドラは鼻を鳴らした。「喉の病気の冗談は下手だったね」

 ニッサは碑への階段に腰を下ろした。

「二日間」

「んーーーー。二日、ね」

 ニッサはかぶりを振った。「ここの人達は神を信じて疑わない」 彼女は呟いた。「そして神の言葉を信じている。もちろん、王神のことも信じてる、神がそう言うのなら」

「あの人が言ってた『刻』って、昨日の女の人の叫びのことかな」 チャンドラはそう言って、ニッサの隣に腰かけた。

「私も同じことを考えてた。急いであの人を見つけた方がいいでしょうね」

「どこにいるか、感じられる?」

 ニッサは息を整えて身構えた。彼女は目を閉じ、集中した。この時は手をぬかるみの鉢の中に滑らせるようだった。

 彼女は不快感に震え、だが力線の残骸を通して、その女性のエネルギーの手がかりを感じた。

 ニッサは自身を知覚の表層へ引き戻し、その奮闘から息を切らしていた。チャンドラは心配そうに彼女を見た。

「どうだった?」

 ニッサは頷いて指をさした。「この碑の近くに」 激しく息をつきながら彼女は言った。

 二人は立ち上がった。片方はもう一人よりも脚を震わせながら、建物を迂回した。数分間歩き、そして碑の周囲を進むと、周囲の建築物の様相は変化し始めた。それらの建物は街の他の場所よりもずっと古く、外壁の石はナクタムン中心部の輝く石灰岩よりもずっと粗いものだった。

 ニッサは再びぬかるみに浸り、その碑と隣の建物の間の狭い路地から引くものを感じた。

 二人がその路地に入ると、青空は頭上で狭い帯となった。

 ニッサとチャンドラは進んだ。壁は極めて古く、両側には何らかの古い書き込みが刻まれていた。路地の行き止まりには巨大な、奇妙な形状の箱が並べて壁に立てかけられていた。

 チャンドラは刻み込みに手をなぞり、今やありふれたボーラスの角の意匠を指がとらえた。

 何かがニッサに感じさせた……今朝の幻視の名残が。

 彼女は自身の指を壁の文字に走らせた。その絵は一つの物語を描いているらしかった。家族の生活、赤子と母親、祖父母が暖炉を囲んで座り、年長の女性が杖にもたれかかる。ありふれている筈のものは、ナクタムンの街では時代錯誤だった。人々の上にはアモンケットの神々が刻まれていた。動物の頭部をもつ八柱の神々、どれも優しく情け深い哺乳動物、鳥と爬虫類――八柱?

 そしてその更に上にはもっと新しい彫刻があった。どこにでも見るあの角が。

 ニッサの心がはやった。角の切り出し部分は擦り減っていたが、他の文字にあるような古い摩耗はなかった。

 あのドラゴンがこの世界を作ったのであれば、その印が後から加えられる必要なんてない。

 ニッサの両手が怒りに震えた。彼女にはわかった。ニコル・ボーラスはこの世界を創造したのではなく、堕落させたのだと。エルドラージの記憶が心に溢れた。悪質で破壊的、異質な触手がそれらのものでない世界を汚していく。ニコル・ボーラスはこの地や宗教を創造したのではなく、自身の文化を創造したのではないのだ。歪め、誤らせ、好むものは奪い、そうでないものは壊したのだ。

 ここにはない何かへと、彼女は衝動的に感覚を伸ばした。そして病的な苦痛にひるんだ。この世界は死にかけている、そうされたのは僅か数十年前。

「チャンドラ?」 彼女は抑えた怒りで言った。

 チャンドラは路地の奥で、壁に立てかけられた奇妙な背の高い箱に近づいていた。それらは彼女の背よりもわずかに高く、丸みを帯びて表面には難解な彫刻があった。それらの色は剥がれて古く、だがそれぞれに顔が描かれているのがわかった。

アート:Mark Poole

「チャンドラ、それは?」

「わかんない……」

 チャンドラはその一つを正面から見つめた。そして箱に描かれた顔に触れようと手を伸ばし――

「二人とも、そこで何をしている?」

 路地の入口にギデオンが立っていた。首からカルトーシュを一つ下げ、心配するような表情だった。

 ニッサは壁から飛びのいた。唇が震えていた。チャンドラは立っていた場所から離れ、ギデオンへと向かった。

「あの箱を見つけて――」

「石棺だ」

 ニッサの胸を締め付けていた恐怖がすっと消え去った。胃袋が落ち着き、目の前に涼やかな風が吹くのを感じた。オケチラ神が路地の角を曲がって姿を現した。彼女は両側の壁よりも長身で、後に続くその心地良い静寂はニッサの不安を宥めた。その神はニッサと目を合わせた。

 神は足を止めた。声がニッサの心をよぎった。『其方はこの大地と話すのか、ニッサ、世界を目覚めさせる者よ?』 その声は小麦のように柔らかく優しく、砂漠の花のように逞しかった。ニッサは震えた。神と話すのは初めてだった。

『そうです』 彼女は答えた。『あなたの世界は死にかけて、怯えています』

 オケチラ神は何も言わず、だがニッサはその猫の耳が一瞬だけ、無意識の恐怖に伏せられたのを見た。

 そのやり取りは一瞬だった。ニッサは息を吐いた。それを止めていたことすら気付かなかった。

「それらの石棺に近づいてはならぬ」 オケチラ神は声を大にして言った。「旅人らよ、済まない。だが彼らに手を触れずにいてはくれまいか」

 ギデオンが申し訳なさそうな表情で進み出て友人らに言った。「彼らの規範を守ってくれないか。そうすれば揉め事も少なくて済む。頼む」

 その言葉には熱意があった。この場所と神は彼にとって多大な意味を持つ、ニッサはそう認識した。

「有難う、旅人らよ」 オケチラ神は続けた。「理解と協力に心から感謝する」

 ニッサはその神の存在の中で途方もない安らぎを感じた。そして、オケチラ神の首に下げられたカルトーシュは修練者のそれとは異なることに気が付いた。ボーラスがやって来た時も、彼女はこの地にいたに違いない。

『他の三柱はどうなったのですか?』 神々の彫刻に手を触れ、ニッサはそう投げかけた。オケチラ神はわずかに首を動かしてニッサを見た。

『私にかつての記憶は無い』

『いつからです?』

『……わからぬ』

 ギデオンの声がその沈黙の会話を遮った。「戻ったら、他の二人にも感謝を伝えておきます」

 何か内なる懸念に打ち勝つように、オケチラ神は背筋を伸ばした。彼女はギデオンを見下ろした。「勇者よ、来るがよい。次の試練の時だ」

 チャンドラはニッサよりも先に問いただした。「あんた、その試練ってのに行くの?」

「ああ」 ギデオンは頷いた。彼を残したまま、神は背を向けて立ち去ろうとした。

「なんで?」 チャンドラの声には心配があった。

 反論に身構えるように、ギデオンは深呼吸をした。「ここの神々は、根本的に善い存在だ。彼らに私の力を示したい」

 チャンドラは腕を組んだ。「そんなの変。この次元の存在そのものが悪い知らせなのよ。ボーラスがあの神を作ったっていうなら、それを信頼するってこと自体おかしくない?」

「君は理解していないだろうが――」

「完璧に理解してるわよ!」

「チャンドラ、これは私にとって大切なことなんだ。それに、ここの神は違う、私にはわかる!」

 彼は正しい、ニッサは骨身に染みてわかっていた。

 ギデオンは背を向けた。「後で宿舎で会おう」

 そして彼は神に追い付くべく去っていった。

 チャンドラは失望とともに石棺へと振り返った。

「わかんない。あいつは神の遊びに加わって情報を集めるつもりで……?」

「ギデオンがそうするのは、それが必要だからよ」 ニッサが言った。「個人的な理由から」

 私達は皆、それぞれのの理由で行動している。

「馬ッ鹿みたい」

 路地は狭すぎるように感じた。ニッサは幾らかの空気を求めて開けた場所へ戻ろうとしたが、脈打つような頭痛と吐き気が彼女をよろめかせた。

「ニッサ、どうしたの?」

「チャンドラ……ニコル・ボーラスはこの世界を作ったんじゃないの。腐敗させたの」

 チャンドラは歩みを止めた。「どうやってわかったの?」

「ここの建物を見て。この角があるのは全部新しい。そして古い部分、ニコル・ボーラスの印は全部にあるけど、後から彫られてる。もしあのドラゴンがこの次元を作ったなら、印は他の文字と同じ古さのはず。他の、全部の建物の印も新しい。チャンドラ、私、昨日の夜にこの次元と話したの。年老いていて、けれどその苦痛は最近のものだった。ニコル・ボーラスはここに来て、去ったに違いないの、ほんの数十年前に」

 大気の熱が増した。ニッサは友が立ち上らせる怒りに後ずさった。

「ここに年をとった人は誰もいない。あのドラゴンはただ、ここに来て……」 その言葉はかき消えた。両者とも、推測した運命を口にすることはできなかった。

 ニッサは自身の仮説を言葉にしたくはなかった。「昨日の夜にこの次元と話した時、酷い傷を感じた」

「あいつが何をしたのか、調べないと……」

「チャンドラ……」

「そいつが何を変えたのかを見つけ出さないと。もしここに飛び降りてきて何かの理由で自分を神にしたっていうなら、ボーラスが来た時に何をしたのかがわかれば、元に戻せる」

 ニッサは拳をきつく握りしめて手を下ろした。「私達は、自分達では何も変えてはいけない。それでは、私達はニコル・ボーラスと同じものになってしまう」

「じゃあ、どうするのさ? そいつは今ここにいない、どうやって、ここの人たちを助ければいいのよ?」

「ここの人々は、助けを求めているようには見えない」

 チャンドラは言葉を飲みこみ、息をついた。ニッサは友が気持ちを落ち着かせるのを待った。

「それでも、ボーラスがこの場所をどう変えたのかは知らないと」 チャンドラは穏やかに、だが決心とともに言った。「もしそいつが来る前から神がいるなら、神も犠牲者だってこと。昨日のあの女の人のことをもっと知らないと、何であんなに慌ててたのかを。あの人はこの場所の本当の何かを知ってる。あの人は、助けられる」

「私はケフネト神と話してみようと思う。知識の神なら、きっとこの世界についての理解を助けてくれるでしょうから」

 眩しい白い光。三柱の忘れられた神々と五つの歪められた記憶――

 ニッサはこめかみを拭った。「私、休みたい。宿舎に戻りましょう」

 二人は歩きだした。チャンドラは怒りに煮えたぎり、ニッサは心ここにあらずのままで。

 格式高い儀式は強制的な終身刑へと変えさせられた。何千人もの幼い孤児が過去のない三世代の人々を養育する。あのドラゴンはここに来て、殺して、だが留まることはなく、かつて存在した文化を粗雑な輪郭だけ残したまま放り出した――

 二人は宿舎へと戻った。チャンドラは無言で中庭に居残り、ニッサは寝台に向かった。眠りに落ちると、彼女の心は死にゆく次元のむせび泣きとドラゴンの遠い笑い声に苛まれた。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)


『アモンケット』 物語アーカイブ

プレインズウォーカー略歴:チャンドラ・ナラー

プレインズウォーカー略歴:ギデオン・ジュラ

プレインズウォーカー略歴:ニッサ・レヴェイン

プレインズウォーカー略歴:ジェイス・ベレレン

プレインズウォーカー略歴:リリアナ・ヴェス

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