プレイのガーフィールド

更新日 Making Magic on 2013年 7月 31日

By Mark Rosewater

Working in R&D since '95, Mark became Magic head designer in '03. His hobbies: spending time with family, writing about Magic in all mediums, and creating short bios.

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 今夏、マジックは特別な発売記念年を迎える(まだ知らない諸君のために言うなら、20周年だ)が、これだけがこの夏に起こるマジックの記念日ではない。ほんの数週間前、リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldが50歳の誕生日を迎え、私は彼のためのサプライズ・バースデイ・パーティに参加する栄誉を得た。リチャードについては過去600回の記事の中で何度も何度も語ってきたが、まだリチャードそのものをテーマにしたコラムは書いていなかったことに気がついた。彼は私と私の人生に多大な影響を与えてくれたので、語るべきことを今日は語ることにしよう。


    ガーフィールド・オブ・ドリームス

 私が初めてリチャードに会ったのは、サンフランシスコで開催されたMana Festという名前のゲーム大会のことだった。その大会はトレーディング・カードゲームの大会だったので、私やその仲間はロサンゼルスからやってきて参加していたのだ。ロビーを歩いていると、向こうからリチャードがやってきたのに気がついた。そう、このとき既に私はリチャードという存在を知っていたのだ。彼は私の大好きなゲーム、マジック:ザ・ギャザリングの作者だった。まだ直接会ったことはなかったが、リチャードは私のことを知っているのもわかっていた。その当時、私は「マジックのパズルの人」であり、リチャードは私のパズルについて公に高評価をしてくれていたのだ。

 この機会に、私はリチャードに自己紹介した。彼が私のことを認識しているとわかっていても、彼が私の名前を知っていたという事実はとてもエキサイティングだった。彼は握手し、そしてホテルのリチャードの部屋で仲間たちとゲームをしないかと誘ってくれた。参加する?

 内心で私は「リチャード・ガーフィールドが一緒にゲームしようと招待してくれた!」叫んでいたが、外側では、私は興奮を表す方法が思いつかなかった。私は彼に光栄だと伝え、そして彼の部屋に行ってロボラリー(これはまだ世に出る前のもので、我々は試作品で遊んだのだ。つまり、私はこのゲームを見たこともプレイしたこともなかったのだ)をプレイした。

 マジックの歴史を知らない人のために添えておくと、ロボラリーはリチャードと彼の仲間のマイク・デイビス/Mike Davisが最初にウィザーズ・オブ・ザ・コーストに売り込みをかけたゲームだ。(ロールプレイング・ゲームを扱う小さな会社だった)ウィザーズ・オブ・ザ・コーストのCEOだったピーター・アドキッソン/Peter Adkisonはリチャードとマイクに、ロボラリーは気に入ったが、ウィザーズの体力で扱うには高価すぎると告げた。会社で扱えるのは、カードを使うゲームであると。ピーターは、小さく、持ち運びが出来、短時間で遊べるもの、「ロールプレイングのセッションの合間にプレイできるもの」が欲しかったのだ。リチャードはアイデアがあると答え、そして歴史が始まったのだった。

 ゲームのセッションが終わった後、私が自分の部屋に戻ると、ルームメイトがいた。私が覚えている当時の会話はこういうものだった。

:やあ。どこに行ってたんだ?
:リチャード・ガーフィールドとゲームしてたんだ!
:え?
:リチャード・ガーフィールドがいたんだ。ロビーであった。彼は私を部屋に誘ってくれて、そこでゲームしてたんだよ。
(しばらくの間)
:オーケー、詳しく話してもらおうか。

 その後、ルームメイトが帰ってくるたび(私はウィザーズ入社前、8人でルームシェアしていた)、その前に帰ってきた人が新しく帰ってきた人に私の体験を語り、それから私がその夜のことを詳しく話すはめになった。ゲームプレイを振り返っていた時間の方が、実際にゲームをプレイしていた時間より長かったと思うね。

    質問のガーフィールド

 その夏の後半に、私はGen Conに参加し、もっと記事を書かせてくれるようDuelist誌の編集長のキャスリン・ハインズ/Kathryn Hainesを説得した。その結果、大量のフリーランスの仕事に繋がり、その中には様々なイベントに足を運ぶことも含まれていた。そのイベントの中で、私はリチャードを知る機会を得た。リチャードは初対面の時には静かだが、知り合いになれば彼は内気なんかじゃないのだ。

 私がリチャードについて最初に知ったことは、彼がゲームを愛しているということだった。それまでにも多くの情熱的なゲーム・プレイヤーには出会ってきたが、リチャードほどの情熱をゲームに注いでいる人はいなかった。彼はゲームの探求者であり、いつでも可能な限りゲームについて学ぼうとし続けている。その一環として、リチャードはいつでも新しいゲームを探し、それについて語ることにエキサイトしている。リチャードのそばにいると、新旧問わず無数のゲームを紹介され続けることになるだろう。

 当時、ゲームデザインは私にとってただの趣味で、私はリチャードとデザイン理論について語ることが好きだった。リチャードはゲームを成立させているのが何なのかについて常に深い洞察を持っており、私は彼の言うあらゆることに夢中になった。一方、リチャードはハリウッドに興味があったので、私はロサンゼルスでの多くの冒険談を止めどなく語った。会えるのは2ヶ月に1週末だけだったが、この時期に私はリチャードの友人になったのだ。

    展望のガーフィールド

 約1年後、私はシアトルに引っ越すことを勧められた。この時点で、私はウィザーズ・オブ・ザ・コーストに雇われていたのだ。マジック開発部の人はエメラルドの都の存在で、我々は身内でだけつきあう傾向になった。普通の日はこんな風に過ぎていく:仕事に行き、夕食まで働く。夕食はレストランに行き、そして戻ったら夜が明けるまでゲームをプレイする。その後(机の下に置いた寝袋で寝ない人は)それぞれ家に帰り、倒れ込む。翌朝、起きて――これを繰り返すのだ。

 我々もゲームをプレイするが、その首謀者はリチャードだった。時には昔のお気に入りをプレイし、時にはリチャードがまだアメリカの市場に出ていなかったドイツゲームを中心に新しいゲームを紹介してくれた。つまりドイツ語版だったのでプレイはリチャード頼みだったのだ。また時にはリチャードが持ち込んだ新しいゲームをプレイすることもあった。この時期が私にゲームを教えてくれたと考えている。私はずっとゲーマーではあったけれども、すぐに自覚することだが、ゲーム世界がもたらすものをほんのちょっと囓っただけだったのだ。

 夜のゲームに加えて、開発部は余暇時間にも好んでゲームをプレイしていた。違いは、仕事中にもプレイできるゲームだったということだ。最大のゲームは、単に「ザ・ゲーム」と呼ばれていた。ザ・ゲームは、スカッフ/Skaffとその仲間が大学時代に作ったものだそうだ。ルールはいくつかあり、そのルールのどれかを破ったら罰を受ける。もっともよくあった罰は腕を殴ることだったが、変わることもあった。一番厳しかった罰は、誰かがその静寂から解放してくれるように引っかけるまで話してはならないというものだった。


 ザ・ゲームについて詳しく語る時間も記憶も無いが、仕事に活かせた副産物は色々とあったと言える。例えば、パワーワードと呼ばれる単語群が存在していた。パワーワードを使う場合、指でカギ括弧を作らなければ他のプレイヤーが罰を与えるというものだった。このルールについて誰もが気付いていたが、他のプレイヤーにその語を言わせるように仕向けるというミニゲームがあった。これは普通の営業時間内に行われていたので、いつでも油断できないのだ。

 全てが説明されることがないというのもザ・ゲームの一面である。プレイしながら部分部分を学んでいかなければならない。ザ・ゲームの全てのルールを理解したかどうかは今でも自信はないが、私はそれを何年もプレイしていたのだ。

 また別の、リチャードが紹介したゲームがあった。名前はなかったが、私は「嘘つきゲーム」と呼んでいた。ルールは次のようなものだった。機会があるたび、嘘をつく。普通の信じられるような嘘ではなく、非常識な嘘をつくのだ。誰かがその嘘を信じたら、それを維持して、誰も信じなくなるまでエスカレートさせなければならない。これ全体の間、ずっと真顔でいなければならない。リチャードはこのゲームが大得意だった。

 実際にこのゲームのときに使われた嘘(デザイナーのジョナサン・ツイート/Jonathan Tweetだったと思う)を紹介しよう、

開発部員:ホッキョクグマと鮫が格闘したら、ホッキョクグマが勝つと確信してるよ。
ジョナサン:ホッキョクグマは熊じゃないって知ってる?
開発部員:え? どういうこと?
ジョナサン:うん、熊のように見えるからほとんどの人は熊だと思ってるけど、実際はイタチの仲間なんだ。
開発部員:じゃあなんでホッキョクグマって呼ばれるんだ?
ジョナサン:元はそうじゃなかったんだ。最初はホッキョクフェレットだったんだよ。
開発部員:フェレットには見えないだろ。
ジョナサン:過酷な極地の気候のせいで体毛を増やしたんだけど、もしホッキョクグマの毛を剃れば巨大フェレットになるんだよ。
開発部員:毛を剃ったホッキョクグマの姿なんてなんで知ってるんだ?
ジョナサン:ペルーにいたときに巨大サンフェレットを見たんだ。浜辺をうろついていたんだよ。巨大サンフェレットはホッキョクグマの近親種なんだ。
開発部員:フェレットが浜辺に?
ジョナサン:巨大サンフェレットの主食は貝なんだよ。


 開発部の騙されやすい1人が嘘つきの嘘を捕らえるまで、ばかばかしいほど長い時間質問することがあった。

 このゲームをなぜ開発部に紹介したのかと聞かれて、リチャードは、嘘をつくのは持っておくべきゲーム技術だからだと答えていた。

    研究のガーフィールド

 私はデベロッパーとして開発部に雇われたが、私が本当にやりたかったのはデザインだった。私はデザインについてリチャードと話すのが好きで、その議論の中でマジックのデザインの話になったことがある。私は彼のことを知っていたが、リチャードはマジックのデザインをしていなかった。彼は他のトレーディング・カードゲーム(Jyhad−のちのVampire: the Eternal StruggleやNetrunner、Battletech)やボードゲーム(The Great Dalmuti、Roborally、Filthy Rich、What Were You Thinkingなど)のデザインで忙しかったのだ。マジックのデザインについて語るとき、リチャードはまたデザインするのが嫌なわけではないと言っていた。こここそ好機だと見て、私は「もし私がマジックのデザイン・チームを組むなら、参加してくれますか?」と聞いたのだ。

 リチャードとともに、私は当時の首席デザイナー(兼首席デベロッパー。当時は兼任だったのだ)のジョエナル・ミック/Joel Mickのところに赴いた。私はデザイン・チームをやらせて欲しいというアイデアを投げかけ、リチャードがチームに入ってくれると告げた。リチャードの協力を得て、ジョエルは私に機会をくれたのだ。諸君が知っているそのセットの名前は『テンペスト』である。

 私は『テンペスト』のためにリチャードと全力で働いた。彼はもちろんマジックをよく理解していて、2年間マジックの仕事から離れていたので、アイデアをたっぷり溜め込んでいた。その中の大きなもの2つが、バイバックとサイクリングだった。「サイクリング? 『テンペスト』にあったっけ?」と思う諸君もいるだろう。そう、それは『テンペスト』には入らなかったが、リチャードがそれを最初に提示したのは『テンペスト』のデザインの時だったのだ。『テンペスト』のデザインは詰め込みすぎだったので、いくらかの要素を後に回すことにした。『テンペスト』のデザイン・チームの一員だったマイク・エリオット/Mike Elliottは後にサイクリングを拾い上げ、彼のメカニズムであって『テンペスト』のデザイン中に一時存在していたエコーとともに『ウルザズ・サーガ』に投入したのだった。

 私には多くのアイデアがあったが、リチャードはアイデアがどのように、そしてなぜ働くのかを見切る助けとなった。リチャードは何がデザインのキモなのかを見分ける目を持っていて、私は彼とともに働くたびに彼の見ているものが見えるようになっていった。やがて、時を経て、私も何が働いているのかを自分なりに洞察することができるようになったのだ。


 このころ、私は(時間の95%をマジックに費やしている今と違って)マジックのデザインだけに専念していたわけではなかったので、様々な他のゲームでリチャードとともに働く機会があった。例えば、スターウォーズ・トレーディング・カードゲームの制作においても、私と彼は密接に協力していたのだ。

 リチャードは『テンペスト』を楽しんでいたので、私はしばしば彼を他のマジック・チームに招いた。次に肩を並べて働いたマジックのセットは『オデッセイ』で、リチャードはスレッショルドのメカニズムを提示し、私は自分のフラッシュバック・メカニズムと組み合わせて墓地中心のデザインを組み上げたのだった。

 またこのころ、私はMood Swingsと名付けた一般向けトレーディング・カードゲームの作業を始めていた。リチャードは私がやろうとしていることを理解する助けとなり、そして仕上がったのは私の作ったマジック以外のゲーム・デザインの中で最高傑作と言えるゲームだった。

 リチャードはすばらしい教師で指導者で、私はこのころのことを自分のゲームデザイナーとしての基礎を作り上げた最高の教室だったと考えている。

    専門のガーフィールド

 時が流れ、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストはハズブローに買収された。最大の株主であったリチャードは、やりたいことをできるだけの金銭的な自由を手に入れたのだ。リチャードは彼の血肉であるゲームデザインを続けることにしたが、ウィザーズ以外にその可能性を探したかったのだ。

 リチャードの旅立ちは突然の話ではなく、彼はしばらくの間パートタイムで働いていた。しかし、やがて彼がウィザーズにやってくる頻度はどんどん下がっていった。リチャードと私は友人になっていたので私は彼と交流を持っていたが、ともに働く機会はほとんど無くなっていた。リチャードと一緒に働くのは楽しく、出会うたびに何か得るものがあったので、これは寂しいことだった。

 ある日、彼と喋っていたときに、先のセット――『ラヴニカ』と呼ばれる――のデザイン・チームを組もうとしているところだということを思い出した。私は首席デザイナーになったところで、史上最も人気のあったブロックの『インベイジョン』の影でも生きていけるだけの多色セットを作る責任があった。リチャードはマジックの仕事をしていないことを寂しく思っていて、もし状況が許すならデザイン・チームに入りたいと言ったのだ。

 私はすぐにリチャードをフリーランサーとして迎える許可を取り、問題なく進んだ。『ラヴニカ』は流暢にデザインされ(チームのメンバーはリチャード、マイク・エリオット/Mike Elliott、アーロン・フォーサイス/Aaron Forsythe、タイラー・ビールマン/Tyler Bielman、私)、リチャードは価値あるメンバーだった、彼は 召集メカニズムを提示し(彼はボロスのために提示したが、私はそれをセレズニアに移動させた)、「戦場に出たとき」の誘発型能力を持つオーラのサイクルを作り、対戦相手にトークン・クリーチャーを与える「狩り立てられた」サイクルのクリーチャーを作り、多くの個別のカードを作った。しかし彼の最大の寄与は、セットには表れてすらいないあるものだった。


 街を舞台としているので、リチャードは「構造物/structures」という新しいカード・タイプを提示してきた。建物だ。構築物は常在型能力を持つという面ではエンチャントや全体アーティファクトのように働くが、一カ所だけ違いがあった。対戦相手が攻撃して破壊できる、タフネスがあったのだ。最終的に採用しなかったのは、『ラヴニカ』が既に一杯になっていたからで、そのアイデアは気に入っていた。

 これが気に入っていたので、それから数年後、新しいカード・タイプであるプレインズウォーカーを作ろうという時に、構造物の最も面白い部分、攻撃すれば破壊できるという部分を借用することにした。素晴らしいフレイバーを持っており、まさにプレインズウォーカーに相応しいものだ。

    視界のガーフィールド

 時を経て、私の家族は大きくなり、私は郊外に引っ越した。このため、私はリチャードと顔を合わせる機会がさらに減ることになった。実際、彼と顔を合わせる一番の機会はマジックのイベントになっていた。同じ街に住んでいるとはいえ、彼と私はお互いに違う街、違う国に行くことが多かったのだ。

 顔をあわせるたびに、私たちはデザインについて語り、彼の近況を聞き、マジックの現状について彼に説明した。こうした会話はテネシー州メンフィスで開催された世界選手権の場でも行われていた。そしてリチャードはやはり私の好きな言葉、「次に君がデザイン・チームを組むとき、そこに参加したいね」と言ったのだ。

 リチャードが申し出たときに私がいつもする通り、私は彼をデザイン・チームに招いた。このときは『イニストラード』だ。『アルファ版』や『Arabian Nights』でわかるとおり、リチャードはトップダウン・デザインが好きなので、私はホラー世界はまさに相応しいと感じていた。リチャードは週に一回会社に来て、定期的に彼と会える環境は素晴らしいものだった。いつもの通り、彼はチームの重鎮となった。

 もっとも興味深い側面は、チームの他の誰もリチャードを知らなかったということだった。もちろん、彼らはリチャードのことを知っているが、リチャードがウィザーズで働いていたのは遠い昔であり、開発部の中で実際に彼を知っているのはほんのわずかになっていた。現在の同僚をマジックの創造者に紹介するのは、本当に楽しかった。

 リチャードは怪物たちを光の下に出すことをとても楽しんでいた。彼が最もデザインしたがったクリーチャーはゾンビで、ゾンビをらしくするために次々と様々な側面をデザインし続けていた。リチャードの助力はいつもの通り有益で、『イニストラード』が大成功を収めたのも当然だった。


    知識のガーフィールド

 『イニストラード』以来リチャードとともに働く機会は手にできていないが、彼にはいつでもドアが開いていると伝えてある。マジックは彼の赤子であり、私は誰もがマジックを正しく扱うようにしているだけなのだ。

 今日のまとめに入る前に、私がリチャードから学んだゲームデザインに関する教訓を紹介したい。

教訓 #1: 自分の基盤を理解せよ

 ゲームをビルのようなものだとすれば、その基礎になるものがあるはずだ。マジックの場合、それはカラー・パイである。ゲームデザイナーとして、自分のゲームの寄って立つものは何なのかを理解し、それを見失わないようにしなければならない。


 これは私がカラー・パイにこだわる理由の1つである。深く掘り下げていけば、これこそがマジックの基盤に他ならない。巨大なビルを倒すための一番簡単な方法は、その基盤を食い荒らすことなのである。

 私は、そのゲームの基盤が何なのかをゲーム・デザインの初期に理解することは常に重要だと気付いた。例えば拡張セットをデザインするとき、私は自分のチームにこのデザインの心臓部は何なのかを明確化することにしている。『ラヴニカ』ならギルド、『イニストラード』ならホラーの再現。『テーロス』は……すぐにわかるだろう。

 リチャードが私に言ってくれたことだが、「自分のゲームが何なのかわからなければ、どうやってそれを見失わないようにできるんだい?」

教訓 #2: 切り捨てられるものは、切り捨てよ

 様々なプロジェクトで最初から最後までリチャードと働くことの素晴らしいことの1つに、彼が自分のゲームに使うアイデアをどう集め、そして何を残して何を捨てるかをどう決めているのかを見ることができるということがある。それを通して学んだのは、要素をゲームに付け足すのは簡単だが、取り除くのはとても難しいということ、しかしゲームデザイナーであると言うことの中には取り除くべきものを決めるという難題があるということである。

 最高のゲームには、必要な以上のルールが存在しない。ゲームの全ての要素が有用でなければならない。リチャードは要素に複数の意味を持たせる方法を探すのが好きだった。5個のものが2つずつの機能を果たせるのなら、10個の機能を果たすために10個のものを使う必要なんてないのだ。

 私がゲームに取り組んでいてリチャードに助言を求めると、彼はいつもゲームを調べて、何らかの要素に注目して、「これは必要あるの?」と聞いてくる。ほとんどの場合、その答えは「必要ない」だ。リチャードは何が蛇足なのかを見極めるのが非常に得意なのだ。

 私はこの手法を自分のマジック・デザインにも使っている。「これは必要あるの?」と自問自答しているのだ。

教訓 #3: 楽しさを見失うな

 デザインを掘り下げていくうちに、重要なもの――楽しさを見失うことがある。他のあらゆる面で正しいゲームができても、受け手が楽しんでプレイできなければ何の意味も無いのだ。リチャードは私に、ゲームがうまくできたかどうかの最大のテストはプレイテスト中の単純な質問だと教えてくれた。その質問は、「もう一回プレイしたいか?」だ。もし答えが「ノー」なら、何か間違っているのだ。

教訓 #4: 受け手が知っているものに基づけ

 この観念については既に記事「 抱き合わせ」を書いている。この観点もリチャードから学んだものだ。ゲームを学ぶのはいつでも障壁であり、その障壁を下げるために受け手の知識を使えるのなら使うべきなのだ。


 リチャードがゲームの歴史家であるという話はした通りだ。彼がゲームをプレイするのにそれだけの時間を費やしているのは、ゲームデザイナーとして使える道具を可能な限り手に入れたいと思っているからなのだ。

教訓 #5: 誰かにプレイテストさせたければ、かかる時間は「15分」と言え

 リチャードがウィザーズで働いていた当時、彼は私のところにやってきてテストプレイしたいかと聞いてくることがよくあった。私がかかる時間を聞くと、彼は決まって「15分」と答えた。そのうち、私も彼が常に同じ答えを返してくると気がついた。試行錯誤を通して、リチャードはこれが一番相手を乗せやすい時間だと学んだのだという。

    可能性のガーフィールド

 今日はここまで。マジックの裏にいる男についていくらかの洞察を得ることを楽しんでもらえたなら幸いである。マジックの仕事をしている中で大きな楽しみの1つはリチャードと友人になる機会を得ることだった。50歳の誕生日おめでとう、リチャード! 様々なことを教えてくれてありがとう、楽しい時間を過ごさせてくれてありがとう、そして、またマジックのデザインがしたければ、いつでもドアは開いているんだ。

 それではまた次回、世界選手権への旅でお会いしよう。

 その日まで、リチャードが私の人生に影響を与えたようにあなたの人生に影響を与える人との出会いがあなたにありますように。


(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)

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