子育て その1

更新日 Making Magic on 2012年 11月 15日

By Mark Rosewater

Working in R&D since '95, Mark became Magic head designer in '03. His hobbies: spending time with family, writing about Magic in all mediums, and creating short bios.

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 私の人生について考えてみると、これまで果たしてきた2つの役割に思い至る。私の時間の一部において、私はマジックの首席デザイナーであり、何年も先のセットのデザインを同時に考え、そして全てのデザイナーやデザイン・チームが必要とされる方向性を正しく持てるようにすることに心を砕いてきた。それ以外の時間においては、私は家族を大事にする男であり、妻のローラ/Lora、そして三人の子供、レイチェル/Rachel、アダム/Adam、サラ/Sarahのために過ごしてきた。

ローラ、マーク、アダム、レイチェル、サラ

 しかし、しばしば述べるとおり、私は全体を包括して考える人間であり、この2つの役割をお互いに無関係なものだとは考えていない。片方の役割で得られた教訓は、他方の役割でも活用される。今回(そしてこれからあと2回に渡って)、父親として学んだことについて語り、それらがデザイナーとしての私にどう活用されているのかを説明しよう。この2つの技術は、諸君が想像するほどかけ離れてはいないのだ。

 デザインは創造であり、父親も同じく創造である。諸君が何かをこの世界に持ち込んだのなら、それを守り、育てる責任がある。そしてそれに思い入れを持ち、そしてそれのために時間や注意を大量に消費することになる。やがてあなた以上に成長し、うまく行けば幸せな人生を導いてくれることだろう。

 私の個人的な話を楽しんでくれる諸君のために、これまでのコラムを紹介しておこう。今回のコラムを読む前提というわけではないが、私がどういう人間であるかを知る手がかりにはなるはずだ。以下のコラムから引用できるような話をする場合、引用することにしよう。

 さておき、今日の話を始めよう。

教訓#1:大変な仕事がたくさんある

 私は、父、母、それに1歳年下の妹アリスの4人家族で育った。私の学生生活は平穏無事だったとは言わないが(詳しくは上の人生訓その1を読んでもらいたい)、私の家族生活は平穏なものだった。私の家族は愛に溢れ、協力的で、私もいつか自分の家族を持ちたいと思いながら育ったものだった。

 それから時が流れ、私はウィザーズ・オブ・ザ・コーストでローラと出会い(来年、結婚15周年を記念して、私たちの求愛についての記事を書きたいと思っている)、そして結婚した。ローラもまた家族を求めていた。私たちは家族について、また、子供は2人欲しい、男の子1人と女の子1人がいいけれど、そうでなくても子供を大事にしよう、と語り合ったのだった。ローラと私はお互いに少しばかり高齢だった(どちらも30代前半だった)ので、私たちは結婚してすぐに子供を作った。それから2年後、レイチェルが生まれたのだ。


 ここで、私は家族を求めていたということを強調しておきたい。私は新しい家族を求めていた。では、ついに子供が生まれたときの私の最初の反応はどうだったか? まず、それはすばらしいことだった。レイチェル以上にすぐに、そして完全に、愛したものはなかった(もちろんアダムとサラはこの例外になる)。そして、やることがたくさんあった!

 大人が2人いるのだから、小さな赤ん坊1人を扱うのは簡単だと思っていた。レイチェルが生まれた時に私は数週間の休暇を取り、ローラは数ヶ月の休暇を取った(私たちは両方ともウィザーズで働いていたのだ)。それに加えて、私の母も手伝いに来てくれた。3対1だ。文字通り赤子の手を捻るようなもののはずだったが、愛しいレイチェルは私たち3人をノックアウトしてしまったのだった。

 やがて、私たちはパターンを掴み、状況は改善されたが、それでも仕事は減らなかった。親であることというのは、自分自身よりも大きい存在の一部になることを選ぶということである。これはすごい経験だ。私は家族を持つことには一瞬も後悔していないが、犠牲を必要とする決定だということを学んだ。時間や金銭的なものだけでなく、感情や精神力もすり減る。子供を持つということは、自分の人格そのものを完全に再定義することなのだ。

 それがどうデザインに関係するのか? すべてだ! 私が新人デザイナーを迎えるとき、私はいつも同じ質問を受ける。「私がセットのリーダーになるにはどれぐらいかかりますか?」 誰もが自分のセットを作りたくてうずうずしているのだ。まるで、初めて子供を妊娠した人と同じようだと感じる。親になること、そしていつか得るであろう経験をめでたく思うが、同時に彼らが認識している以上の苦労をするだろうということ、そしてその人格まで変わってしまうということもわかっている。願わくば、その変化が向上でありますように、だ。

 デザイナーが自分の初めてのセットを作り上げたときの感覚は、私がレイチェルを連れて退院したときの感覚に似ているものだ。「本当に? ただコレを持たせただけじゃないのか? コレが本当に? 私は親になる資格があるのだろうか?」

 デザインについてもっとも恐ろしいのは、私が「空白のページ」と呼んでいるものだ。多くの人々は、もっとも恐ろしいのは何もないところから何かを作り出そうとすることだと思っているが、そうではない。ほとんどのデザイナーが、その能力は持っている。本当に恐ろしいのは、何がそこにあるべきかを知らないということだ。何が必要なのかがわかれば、それを作ることはできる。しかし、どうやって何が足りないかを知ることができるのだろうか? これは私がある早朝に(ここで言う早朝とは、まだ真夜中だ――赤ん坊は時計通りに動いてはくれないものだ)レイチェルに授乳しながら考えていたことと非常に似通っている。私は自分の娘がいい娘に育って欲しいと思い、どんな方向にでも育てることができたが、それは私が知っている限りに過ぎなかった。

教訓#2:時折、それは牙を剥く

 私はノンフィクションをよく読む。子供が生まれたときには、子育ての本をたくさん読んだものだ。私は多くの親と話した。可能な限りいい親になろうと、可能な限りの情報を集めた。

 本に書かれているとおりなら、物事は簡単だ。「Xが起こったら、Yしなさい。Yで問題解決です。」と書かれても、Yで解決しなければ? 多くの本では、解決すると書いてそれで終わりだ。ところで、読んだ本の中にタイムアウトの重要性を説いたものがあった。子供の頃にタイムアウトをされたことのない諸君のために説明すると、タイムアウトとは子供が不作法をした後の行為であり、子供を退屈なところに座らせて自分のやったことを反省させるというものである。これは罰である(子供はタイムアウトを嫌うものだ)が、同時に子供に理解のための道具を与えるものでもある。タイムアウトの最後に、子供になぜタイムアウトさせられたのかを説明し、子供は何が問題だったのかを理解したと答えるのだ。


 それを前提に、レイチェルが1歳半の時の話をしよう。彼女が何をしたのかも覚えていないが、何かすべきでないことをしたので、その本の指針に従って私はレイチェルをリビングに連れて行き、そこで座っているように言った。彼女はその通りに従った。その後、彼女にタイムアウトを与えるので1分間座っていなければならないと伝えた(その本には年齢と同じだけの分数タイムアウトの時間を取るように書かれていた)。それを聞いて、レイチェルは立ち上がった。

 レイチェルはどこにも行かず、ただ立ち上がったのだった。私は座るまでタイムアウトの時間は始まらないということを伝えた。好きなだけ立っていてもいいが、1分間座るまではタイムアウトは終わらないのでそこを離れることはできない、と。レイチェルはそれでも立っていた。私は、「レイチェル、座ってタイムアウトすれば、1分で終わってまた遊べるんだよ」と優しく言ったが、レイチェルはやはり立っていた。

 もう一度繰り返しても効果はなかった。そこで私はレイチェルが座るのを待つために立っていた。5分立って、私はレイチェルに言った。「疲れたから座るよ」――それでもレイチェルは立っていた。

 10分、20分、30分。時々ローラはレイチェルの視界の外から部屋を覗いたが、私が首を振るとローラは首を引っ込めた。

 35分ほど立って、レイチェルはようやく座った。私は時計を引っ張り出し、時間を計り始めた。私が時間を計っているのに気付くや、レイチェルは再び立ち上がった。

 40分。50分。1時間。70分も過ぎた頃、レイチェルはようやく座って、1分間のタイムアウトに入ることができた。タイムアウトが終わって、私はレイチェルに何をしていたかを聞いた(まだ2歳にもなっていなかったので、私が聞いたことに頷く程度だった)。彼女は遊ぶために頑張っていたのだ。

 ローラが現れ、そして「結局なんだったの?」と尋ねてきた。私は「レイチェルは強情な子だってわかったよ」と答えた。

 ローラはニヤニヤ笑いながら、「レイチェルが何かを学んだとは思えないわね」と言ったのだった。


 デザインはこれと非常に似ている。しばしば、セットに取り組んでいると、自分のセットが自分に牙を剥いているような感覚に陥ることがある。全体の目標や見通しを持っていて、そのセットに必要なものがある。それでも、セットはその必要なものに気付かず、その行きたい方に行くのだ。

 セットは強情なもので、行きたい方に行こうとする。リーダーの仕事は、それを正しい方向に向けることである。その動きをコントロールするのではない(ここについては2週後の教訓で詳細に語る)が、正しい方向に向けさせるのだ。

 ここでの教訓は、セットはより大きな絵のことを考えてはいないということだ。最善の、ではなく、勢いや機会に左右される最も簡単な解決を求めるものだ。管理者ととして、そのできないことを見定めることが必要である。大きな絵を意識し、セットの衝動をねじ伏せなければならない。

 「マーク、まるでセットが生きているみたいなことを言うね」と諸君は言うだろう。しかしある意味で、セットは生き物なのだ。創造とは、自身の無意識に触れることである。私は本能の人間だが、例えば常に自分の衝動を理解しているというわけではない。ほとんどのゲーム・デザイナーは理解しているからではなく正しいと感じたからという理由で判断するものである。ゲームに深く関与しているので、その必要なものに関して直感が働くのだ。それが、私の話している感覚というものである。

 しばしば、行き詰まったとき、一歩引いて自分に課している制約がそのゲームの必要性から定義されているもの以上になっていないかどうかを見極める必要がある。私はしばしば質問の中に答えのかけらが入っているということに気付く。そして、そのかけらから離れると、よりよい回答がその問題を解決してくれるものなのだ。

 教訓#1と教訓#2は密接に関わっている。管理者であるということの最も難しい部分の1つは、その管理しているもの自身の繁栄についてあまり心配していないものだということを理解することである。明かりのソケットに見入っている赤ん坊は、そこに何があるかは理解していないのだ。

 私がレイチェルに感じたのと同じようにデザイナーは自分のセットに行き詰まりを感じるもので、焦らないようにすることが必要なのである。

教訓#3:可能なところで差を付けろ

 この事件については、私の「人生訓」コラムの(その2内)教訓#9で触れている。レイチェルが2歳の時、ネフローゼ症候群と呼ばれる腎疾患と診断されたのだ。一言で言うと、腎臓というのは体内の漉し器であり、必要な栄養分を体内に残し、ゴミを外に捨てる役割を持つ。レイチェルの腎臓は機能不全で、タンパク質を中に保たなかったのだ。これは悪いことで、そのままにしておけば臓器不全、そして死にもつながるものだった。

 彼女の腎臓が機能不全を起こすたび、私たちは彼女にプレドニゾンと呼ばれるステロイド剤を与えた。薬について知らない諸君のために添えるなら、プレドニゾンは気分の乱高下、食欲の異常昂進、発育不良といった非常に大きな副作用を持つ。しかし、継続的に効果を持つものはこれしかなかったので、レイチェルが発作を起こす度に彼女にプレドニゾンを与えるしかなかった。

 2歳児はただでさえ気分が安定しないものだ。2歳児にステロイド剤を与えるのは普通ではない。それに加えて、彼女の体重は2倍にふくれあがり、数日後に全て尿で出るという悪循環になっていた。発作は見るだけでもつらいものだったが、状況はさらに悪化していた。やがて、彼女の身体にはプレドニゾンへの耐性がつき、投薬量が増えていき、効かなくなるおそれもあった。つまり、発作が起こっていない時でも、私たちはいつも薬が効かなくなる可能性のある発作を恐れながら暮らさなければならなかったのだ。

 この恐ろしい時期を通して得た教訓は、親として、何でもコントロールできるわけではないということだった。私は力の及ぶ限り子供のために何でもできるが、それが何の役にも立たないときもあるのだ。私ができたことといえば、私にコントロールできないということを受け入れ、対処できることに集中することだけだった。私は腎疾患を止めることはできないが、彼女の楽しめるような減塩食を作ることはできた。発作が起こったときは他の何よりも優先するようにしていたので、気付くこともできた。彼女のつらいとき、彼女を助けるためにできることは何でもすることができた。

 デザインの話に進む前に、この部分のハッピーエンドをお知らせしておこう。レイチェルの最後の発作は、彼女が幼稚園の時だった。それ以来発作は起こっていない。医者の判断によると、彼女の腎臓は充分に育ち、もう発作の心配はないという。私が「人生訓」を書いたときには、まだそこまでは行っていなかった。


 これがデザインにどう活かされるのか? ゲーム・デザインはグループでの創造である。リード・デザイナーはデザインにおいて他の多くのメンバーよりも影響力を持つが、それでも対応しなければならない他の影響力はいくらも存在する。時には、ゲームに影響を与えて欲しくないような因子さえも存在することがある。それらの影響力は外部からも、内部からも来ることがある。

 マジックのセットはより大きな文脈の中で機能しなければならない。イニストラードの2色土地を例にしてみよう。スタンダード環境には敵対色の2色土地が必要である。ブロックの順番上、イニストラードがその必要な時期に当たった。しかし、イニストラードは友好色テーマを強く持っているセットである。友好色の怪物や人間に関連する部族要素を含んでいた。そこで、私は2色土地を取り除こうとするのではなく、友好色のテーマにふさわしい基本でない土地を追加して入れることにしたのだった。

 ここでの教訓は、デザイナーは自分のコントロールできるところにエネルギーを注ぐべきだということである。デザインの外部にある何かがセットに必要だとなれば、それを組み入れる方法を探すために努力する。外部の圧力によって自分の見通しを再検討する必要が出てくれば、その変更に抵抗するためにエネルギーを浪費するのではなく、その変更を可能な限り良いものにするためにエネルギーを注ぐ。良い管理者であるということの中は、理想に溺れるのではなく現実を見るということが含まれるのだ。

教訓#4:楽しむための時間をかける

 子供が小さいときは、祝日というのは子供のためのものというより親のためのものだ。子供達に贈り物をあげ、ケーキを買ってあげ、ドレスを着せてあげるのだが、それは親が祝いごとを楽しむためである。2歳〜3歳のころに、意味合いが変わってくる。その頃になると、子供は「理解」し始めるのだ。

 例えば、レイチェルが6ヶ月のころ、ローラはレイチェルにとてもかわいらしいハロウィン用のウサギの格好を見付けた。私たちが参加したコスチューム・パーティで、レイチェルはイースター・バニーだった。ローラは歯の妖精、私はサンタクロースだった(10月にサンタの衣装を見付けるのは本当に大変だった)。翌年、ローラはかわいらしいライオンの衣装を見付けたので、レイチェルはライオン、ローラは虎、私は熊だった(ああ、もう)。しかしレイチェルが2歳半になったとき、全てが変わった。

Little Girl

 ネフローゼ症候群と診断された6ヶ月後だった。レイチェルは連続で発作を起こしたので、私たちは彼女の新しいライフスタイルに合わせるべく試みており、状況は混沌としていた。なんにせよ、ある日私たちはコスチューム売り場に行き、ハロウィンの仮装を探していた。何だったかは忘れたが、ローラがまたかわいらしい衣装を見付けたのだが、レイチェルはそれに興味を示さなかった。レイチェルは自分で気に入ったネズミの仮装を見付けていたのだ。

 つまり、この年にレイチェルは何が起こっているのかを理解したのだ。彼女は仮装に身を包み、みんなが(子供にとって本当にいいものであるところの)飴をくれるのだ。彼女は心から興奮していた。変化は訪れたのだ。この年、私たちは主導者から随行者に変わったのだ。

 レイチェルがなぜそのネズミの衣装を欲しがったのかは知らない。記憶では、ローラが見付けたものの方が可愛かった気がするが、レイチェルが欲しがったのはネズミだったのだ。ローラは果敢にもよりかわいらしい仮装を薦めたが、レイチェルは譲らなかった。

 そこで私はローラに言った。どっちの衣装が可愛いとかは問題ではないのだ。いや、衣装すらも問題ではないのだ。注目すべきは、レイチェルが幸せになるようにすることだ。この6ヶ月は最悪だった。レイチェルに必要なのは、彼女が本当に幸せになることだ。私たちにもだ。親であるということは、心配して、見て、重視することだけれども、同時に重要なのは、それを楽しむ時間を取ることだ。ネズミの仮装と一緒に手に入る笑顔が欲しいんだから、ネズミの仮装も必要なのだ、と。

 もちろん、私たちはその仮装を買い、レイチェルは今までにないほど可愛いネズミになり、すばらしいハロウィンが訪れた。今でも覚えているのは彼女が激しく笑いすぎて私が叫んだことだ。親であること(そして人生)は、目的地ではなく旅そのものである。諸君も、その途上で楽しむ時を見いだすことだろう。

 デザインも同じことだ。カード・ファイルの細目を取り上げるのはとても簡単なことだ。考慮すべき問題、注目すべき危惧ははたくさんある。私がデザイナー達に伝えることの1つは、一歩引いて自分のセットを楽しむことの重要性だ。記録を取らずにプレイテストをすることだ。ただ楽しむためにプレイするのだ。自分のセットがどんなものなのか、顕微鏡を通さずに見てみるのだ。

 このための一つの方法に、各人に役割だけを与えてプレイテストをするというものがある。たとえば、各メンバーごとに2つの色を選び、その色でプレイするように言うことで、プレイヤーはどうあるべきかに囚われず、今現在がどうなのかに注目できるようになる。

ミニマスター

 これはミニマスターが楽しい理由である。ミニマスターでは、ブースターの中身を見ずに各種の基本土地を3枚ずつ混ぜ、切り直してプレイする。状況にあらがわずに受け入れた上で即興でプレイしなければならないのが、本当に楽しいのだ。

 ゲーム・デザイナーはいつでも結局の所は楽しみを作っているのだということを覚えていなければならない。そのために重要なのは、状況に任せて自分のデザインを眺めるということだ。考えるな、感じるんだ。自分の作っているものを楽しむのだ。自分が楽しめないなら、他の誰が楽しめるというのか?

教訓#5:驚きがある

 すでに述べたとおり、ローラと私は結婚前に価値観の一致を確認する時間を過ごしていた。その最大のものは子供のことだった。私たちは、子供は2人と同意していた。

 レイチェルが3歳になって、ローラと私はローラが2回目の妊娠をしたと知った。2ヶ月後、最初の超音波検査を行った。すでに経験していたので、超音波検査には慣れていた。ローラはゼリーを塗る時にお腹が冷たいということも知っていたし、まだ見たことがない何かを見ることになるというのもわかっていた。技師は画面を指さし、何かを確認していた。そして、私たちは小さな鼓動を確認して、ほっと息をついた。

 技師が奇妙なことを口にするまで、何もかもが予想通りだった。彼女は画面を指さしながら言った。「ご覧になってわかるとおり、どちらの袋も順調です」

「え? 子供1人に袋が2つということはないですよね」

 私が尋ねると、彼女は答えた。

「ええ」

 その技師の言葉に、私たちは驚いた。直接告げるのでなく、仄めかす形で彼女のもたらした情報で、私たちの世界は一変した。

 ローラはその言葉を理解していないようだったので、私は彼女に言った。

「ローラ、技師さんの言ったことがわかるかい?」

「いいえ」

「双子だって!」


 人生において教訓となる情報はたくさんある。その情報のいくらかは、非常に重要だ。しかし、重要な情報を初めて耳にして、その情報の重要性を理解できることは滅多にない。情報を聞くことに関する「頭を爆発させるような」という言い回しがあるが、この瞬間まで私はこの言い回しの意味を理解していなかった。それまでの人生で、それほど激しく私の頭を揺さぶった情報というのは存在しなかったのだ。

 私は自分の人生設計を立てていた。最初の草稿に過ぎず、何度も書き直しが必要になることはわかっていたが、それでも状況がどう流れているかについて大まかには掴んでいた。その登場人物は4人。――それが一瞬で覆るというのは、私の頭脳で扱える限界を超えていた。

 その後、ローラと私は2人でテーブルにつき、昼食を取っていた。何も口を開くことはできなかった。黙ったまま昼食を終え、そしてローラは口を開いた。

「双子よ!」

「そうだとも!」

 落ち着いてから、私たちは対応を考えた。新しい家を探し始めた。プロツアーに行くのを諦めた。双子に関して周りの親と話をした。教訓#1を思い出し、「たくさんの仕事」を再評価した。人生が投げてきたカーブだったが、それを打ち返そうとすることができないというわけではなかった。

 デザインも同じことだ。時のらせんは時をテーマとしたセットだったが、郷愁を扱ったセットになった。ラヴニカは混成をテーマとしたブロックだったが、ギルドを扱ったブロックになった。私はギルド門侵犯のリード・デザイナーだったが、「Friends」のリード・デザイナーにならなければならなかったのでバトンをマーク・ゴットリーブ/Mark Gottliebに渡した。ある日変わるまでは、全てが予想通りだったのだ。

 デザイナーにとって重要な技術は、計画と対応の両方の能力である。見通しを立て、セットの骨格を編み、メカニズムを描き、しかしデザインは書き上げてこそ完成だと忘れない。最高のものを作るために準備をし、事前に決めた何かをデザインする。驚きは混乱させるものだが、それはよりよいセット、あるいは人生に導いてくれることがあるものだ。

子供は寝る時間

 その1はここまでだ。2週後、さらなる5つの教訓とその他親としての話をその2で語ることにしよう。つも通り、諸君の(メール、掲示板、TwitterTumblrGoogle+などでの)フィードバックを期待しているが、いつもにもまして聞きたいのはこういった個人的なコラムについてどう思うかだ。

 それではまた次回、3つめのギルド特集でお会いしよう。

 その日まで、あなたの人生に楽しみと輝きがありますように。


(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)

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