絆と血

更新日 Magic Story on 2014年 12月 3日

By Ari Levitch

Ari spent a few years as the herald of Dukos, the star-eating cosmic squid, before becoming a high school history teacher. Now that he has been inducted into the cabal of Magic creative writers, his parents are finally proud of him.

原文を読む

アブザン家のカン、アナフェンザはその玉座と復讐を手にする。


先頭に立つもの、アナフェンザ》 アート:James Ryman

 アナフェンザは常に裸足で登っていた。彼女は足指で一本の頑丈な枝の根元の樹皮を掴むと、少しの間そこに屈んで体勢を固定した。始まりの木の葉が放つハッカに似た鈍い匂いが、彼女の鼻孔を満たした。彼女は目を閉じ、全身を使って登っていった。最上部の葉冠から顔を出すと、太陽の熱が彼女を待っていた。この日は暑かったが、彼女はその最高点から都市を観察するのを楽しんだ。始まりの木はマー=エク要塞の砦の屋上広場から外にまで枝を伸ばしている。アナフェンザの位置からは、砦の大塁壁を越えて眼下の市場までを、そこで商人達が走り回っては噂や品を商う様子を見下ろすことができた。

 彼女の視線は首都を防護する壁の先へと動いた。あらゆる方向に、乾燥した荒れ野が広がっていた。街道が一本、首都が建造された岩から出て、広大な砂丘と砂塵の中へと伸びていた。移ろう荒野の無情な砂の中へと塩路が消える所。そこを移動するのは商家の移動要塞商隊だけだった。それはアナフェンザがよく知っていた世界、人生のほとんどを過ごした彼女の故郷。

平地》 アート:Sam Burley

 彼女は顔を風へと向けた。馴染み深い砂漠の息は、感傷に彩られたとても多くの記憶を運んでくる。過去へと遡る自身の思考を追いかけると、それぞれの道が同じ一つの暗い場所へと続いていた。彼女の家族はもういない、ただ独りを除いて。

 彼には自分のことを覚えていて欲しいと思った。ほとんど十年前のままであるように。その朝、彼女は髪を短く切っており、砂漠の熱い空気が周囲に押し寄せ、首後ろが露わであるのを実感した。かつての長さの唯一の名残は、両こめかみから垂れ下がった短い房だけだった。それらは風を受けて激しく震えた。

 だが彼女は同じままではなかった。そして彼は、彼女がどうなったかを見るのだろう。

「我がカン?」 下方から声がした。

 カン。その思考に圧倒されないように、彼女は口に微笑みを鼓舞させた。

「上にいます、クワーロ」 アナフェンザは言った。クワーロはアナフェンザの護衛隊長であり、その新たな地位を最も熱心に受け止めていた。アナフェンザがカンとなる前、アブザン軍の一将軍だった頃、そのエイヴンの古参兵は戦いの中で彼女の儀仗兵を率いていた。アナフェンザの抗議にもかかわらず、彼は新たなカンと接する際の形式を主張した。そして彼女に対面する時は常に「我がカン」と前置きする、もしくは締めるかのどちらかだった。それはそれでまた、確かな親愛の情だった。「どうしました?」

アラシンの上級歩哨》 アート:James Ryman

「氏族家の長たちが集まっております、我がカン」 クワーロが言った。

「全員ですか?」

「一人残らずです、我がカン」

 その一人が一番重要。彼女は思った。

 カンは始まりの木の枝の間を降りていった。初めてこの木に登ったのはちょうど二週間前だった。その木の名を冠する広場に初めて入った時、カンとしての最初の日。その枝と足がかりは既に馴染み深いものだったが、始まりの木はどこか他の族樹とは違うものを感じさせた。その下に歴代のカンが埋葬されている――血で繋がるのではなく、氏族への義務によって繋がる人々が。だがあらゆる族樹と同じように、その幹には彼らの名が刻まれている。あらゆる族樹と同じように、祖先の霊がその内に住まう。あらゆる族樹と同じように、始まりの木は一人の個々が家族と氏族への神聖なる義務を負うことを思い出させるものとして成長してきた。アナフェンザはそう考えた。

 アナフェンザは一本の枝の上で身を屈めると脚を伸ばし、琥珀の玉座の黄金がかった橙色の座面に足先が触れた。それはカンの玉座、始まりの木の巨大な幹を囲む石の演壇の上に置かれた、華麗な彫刻を施された一つの琥珀の塊だった。アナフェンザはその上へと飛び降り、玉座の肘かけに下げた剣が鳴った。傍には茶色をした革製の乗馬靴が横向きに重ねられており、彼女はそれを履いた。

 クワーロの帰還を待ちながら、彼女は玉座の背にもたれかかった。それは彫刻を施された琥珀の密な塊で、陽光を捕まえたようなその半透明の深みを覗きこむと、捕らわれるように思えた。しばしの間広場を見渡しながら、彼女は玉座の肘かけでぼんやりと指をもてあそんだ。そこにいるのは彼女と、十人程の儀仗兵だけだった。野外ではあったが、その空間は全体が始まりの木の影に覆われていた。広場は取り囲まれた狭い空間のようで、かつ開けた中庭のようで、アナフェンザの内にその幻想が沁み入った。暗い筈の広場の至る所に火鉢が置かれ、炎が低く燃えていた。

 彼女は自身の心の穏やかさに気付き、驚いた。冷静かつ集中しており、これから行われるべきことに対して備えられていた。そして初めて、自身がカンであると感じた。

 始まりの木の広場、四人の屈強な護衛の背後で重々しい木製の扉がついに開いた。氏族各家の代表者達が入ってくると、アナフェンザは琥珀の玉座の前に立ち、最初の使節を迎えた。

 アブザンの各家族は彼らのカンへと忠節を誓ってはいなかった。むしろ彼らは血の絆を通して、もしくは誓いで結ばれた盟約の関係を育んできた。忠誠は移ろう、だか盟約は神聖なもの。アナフェンザの母はかつてそう言っていた。

 アナフェンザをカンとして選んだ各家族。彼らは一人また一人と、絆や血の盟約を宣言すべく広場に並んだ。

「アブザン家のカン、アナフェンザ様」 代表者の一人が口を開いた。彼女は氏族の精鋭龍鱗歩兵隊の隊長だった。「エメシュ家は始まりの木と我らの祖先の面前ににて、貴方様を姉妹として奉じるものであります」

「エメシュ家のマリット、私は貴女の妹です、今や貴女が私の姉であるように」 アナフェンザは形式にのっとった返答をして、二人は抱擁を交わした。

 それが同じように続いた。代表者達の多くは、彼女がアブザンの地を守るために率いてきた軍隊の古参兵だった。何人かは塩路沿いの安定した貿易によって今や繁栄する、古からの商家の出だった。ほとんどが彼女を琥珀の玉座へと上げた支持者達だった。数人は政治的最下層民となるのを避けたい中傷者達だった。一人は、家族だった。

 最後の代表者がカンへと近づいた。彼はアブザン戦士の、表面に龍鱗を模した上質の鎧をまとっていた。肩には清純な白い亜麻布の外套が下げられており、彼が前に進み出ると、その生地が彼の背後で波打った。

 アナフェンザは彼を受け止めるために、演壇の一番下の段で待った。彼が目の前に立ち、彼女は見上げた。彼の髪はこめかみが灰色をしており、顔の髭を綺麗に剃っていた。二人の目が合うと、彼は微笑んだ。いつもの笑顔。それが彼だった。彼女が待っていた瞬間だった。渇望していたものだった。夢想していた、過ぎ去った過去の確信だった。彼女は沈黙したまま彼の視線を受け止め、待った。

 彼の笑みが消え、両眼が見開かれた。

 認識。そして怖れ。

 彼女は笑みを浮かべた。

「元気そうですね。景気が良いようで」 アナフェンザは言った。「交易は順調ですか?」

 その男はわずかに口を開け、ただ見ていた。

 カンが頷き、その代表者の背後から一人の逞しいオークが歩み出た。彼の背丈はその男ほどだったが、身体の幅は倍もあった。カンの命令で彼は重い手をその男の肩に置き、力ずくでひざまずかせた。広場は静まり、風が始まりの木の葉を揺らす音だけが響いていた。

 アナフェンザは玉座へと演壇を登り、そしてゆっくりと剣を抜いた。覇王の剣を、その鞘から。

「許してくれ!」 その男は悲鳴を上げた。アナフェンザは腕を伸ばした、覇王の剣先を男の喉に押しつけた。


 塩路ではあらゆるものに砂塵が入り込む。巨大な車輪付き要塞が傾き、それを引くビヒモスの背後できしみながら動く。アナフェンザはまたも起き上がり、部屋を満たす陽光の中で砂塵の微片を観察した。十三歳の頃、彼女は氏族で最も栄えたとある商家の一員として、人生のほとんどを都市から都市へと車輪に揺られて移動しながら過ごしていた。それは慣例と家族から成る生活だった。彼女は剣と弓の訓練を受け、移ろう荒野を生き伸びるための図表や地図の読み方を学び、そして都市の内では交渉と交易の技を実践した。一家は外交的手腕で知られていたが、彼女にはそれが欠けていた。砂塵を吹きこまれた人生だった。

包囲戦法》 アート:Viktor Titov

 移動要塞に乗る者は誰でも、たびたび癇癪を起こしそうになる。家族の近しい関係、荒野の風、要塞を引く巨大な獣の重い足取り、そして要塞の車輪の下で絶え間なく砂がきしむ音。それら全てが絶えず、中の者達の神経をすり減らす。アナフェンザはこれは当然のものだと早くに学んでおり、そして誰もがそれぞれの気晴らしを持っていた。彼女の母のそれは条件の良い時に要塞の前で一人、アイベクスに騎乗することだった。父のそれは龍の骨を収集し、その表面に入り組んだ模様を彫り込むことだった。

 アナフェンザにとっては、髪を切ることで十分だった。砂がその中に入り込む。そして暑い朝、首に髪が貼り着いて目覚めるのが嫌だった。そんなある朝、彼女は鋏を手に取ると慣れた作業を始めた。その儀式が終わる頃には髪は目の前にはもう降りてきておらず、首の後ろも自由だった。彼女はこめかみの髪だけを長く残してあり、それらは頬の下まで伸びていた。彼女は苛立つとそれをもてあそび、その事は母を悩ませていると彼女は知っていた。

「いらっしゃい」 要塞の窮屈な教室へ入ると、従兄弟がそう言ってアナフェンザを笑顔で迎えた。そこには常に、地図と元帳を睨みつけて最も効率よく有益な交易路を見定めようとする者達がいた。彼女の従兄弟オレットは一家の地図師であり、旅から戻ってきて以来彼はそこに居付いていた。彼はアナフェンザよりも十歳程年上で、アブザンの向こうの土地での物語をいつも話してくれていた。そして、彼は気さくだった。「髪を切ったんだね?」

「伸びてたから」 アナフェンザは言った。オレットは濃い黒い髭の向こうから微笑んだ。

 いつも通りに、従兄弟の前の机には一枚の地図が広げられていた。彼女はここを訪れるたびに、現在位置を地図で示すように言われていた。そしてだいたいにおいて、彼女は得意だった。

「今は、アラシンから塩路を二日。この前いた都市は、ええと、何だっけ?」 アナフェンザは顔をしかめ、目を寄せて集中した。長い交易遠征の間に、彼女にとって都市は全て似たような存在としてぼんやりとしていた。

「カヴァー」 従兄弟のものでない、低く重い声がした。「アラシンへの塩路を、カヴァーから二日」

 顔を上げずとも、アナフェンザはその声が誰のものかわかっていた。だが彼女は、ただ視線を動かすだけであったが確かめた。ガヴァール・バーズィール。耳障りな名前だった。いつもそうだった。彼はクルーマ、それは彼がアブザン生まれではないことを意味していた。正しくは、彼はマルドゥ族とのアブザンの戦闘において、敗者となったマルドゥで取り残された子供だった。アブザンは戦闘で殺した敵の子供を育てるべしと慣習は定めている。それによってガヴァールも、アナフェンザの伯父の一人が連れ帰った。彼の息子、彼女の大好きな従兄弟の一人が殺された戦いの後に。

「カヴァーで買ったんだ」 ガヴァールは言った。彼は葡萄の椀をアナフェンザへと差し出したが、彼女は気付かないふりをした。ガヴァールとアナフェンザは年が近く、そのため二人は友となることを期待されていた。

「正解だよ、ガヴァール」 木彫りの要塞の模型を地図上に正しく置きながら、オレットは頷いた。

 アナフェンザの両親と伯父の一人が教室を訪れ、三人は彼らへと注意を向けた。ガヴァールの声を再び聞く必要がなくなり、アナフェンザは安堵した。大人達は重大そうな話し合いの途中だった。

「交易中なんでしょう? いい仕事のできる所へ行くべきよ」 アナフェンザの母が言った。彼女の声は憤激に満ちていた。

 彼女の伯父が手を挙げ、おどけたようにその攻撃から顔を守った。「私達は既に譲歩している」 彼は言った。

「地図師に意見を聞きたくてね」 アナフェンザの父親が付け加えた。

「何についてですか?」 オレットが言った。明らかに彼の年長者の振舞いを楽しみながら。

「乗り手が到着した。彼女は、カヴァーに染料の積み荷が届いたと言っていた、私が思うに、そこへ戻る価値があると思う。特に首都が次の停泊地だというのなら」

「わかりました」 オレットは彼の地図を見た。その微笑みが消えた。「ご存知でしょうが、アラシンはほんの――」

「二日しか離れていない!」 アナフェンザが割って入った。

「二日離れている」 オレットが繰り返した。「私達の背後には、砂嵐が建物のようにそびえ立っています。このまま首都へ向かう方が賢明でしょう」それはアナフェンザの母が聞きたかった答えではなく、部屋には議論が弾けた。アナフェンザとガヴァールは追い出された。

 アナフェンザは息を切らして要塞内部を通り抜け、脚に導かれるまま屋上広場へとやって来た。そこでは彼女の族樹が育っていた。ガヴァールは後ろをついてきていた。

「カヴァーに戻ると思う、お姉ちゃん?」 ガヴァールが尋ねた。

 アナフェンザは身体を回転させて振り返った。「ガヴァール、私達は従姉弟なんかじゃない! 家族でもない! 私の従兄弟はあなたの氏族と戦って死んだんだから! あなたがここにいるのは、あなたを育てる家族がもう誰もいないから。アブザンは野蛮人なんかじゃないからよ」

「それなら、僕たちには共通点があるってことだよ」

「何を言ってるの?」 アナフェンザは不満に腕を挙げた。

「僕も君も、家族は選べないんだ」

 アナフェンザは彼の目を見て、何も言わず、そして背を向けた。彼女は靴を脱ぎ捨てると族樹の幹へと駆け上がった。彼女の族樹へと。ガヴァールは彼女が登っていくのを見ていた。だが彼女は気にしなかった。頂上まで登れば、彼の姿は見えなくなる。

 枝越しに、街道を行く要塞の車輪の振動が届いた。だがアナフェンザは何度もその樹に登っており、上の枝へと辿り着くのは容易だった。

 彼女の下で葉が音を立てた。

「ガヴァール?」 アナフェンザが尋ねた。

「ガヴァールではない」 囁き声がした。顔が現れた。それはハクリーズ、族樹の守り手だった。アブザンの伝統の通りに、一家で最も熟達の戦士であるハクリーズが族樹の守り手を務めていた。彼女はその樹を害から守り、祖先達を留める責任を負う。彼女は怖れを知らず、獰猛で、囁き声でのみ話す。そして――アナフェンザにとっては――彼女は恐怖と同時に驚嘆の対象であった。

 ハクリーズは登りながら、その目は決して枝を見ていなかった。彼女は誰よりもその樹について知っているのだ。彼女の両眼はアナフェンザを捕えていた。二人が並ぶと、ハクリーズは話し始めた。風の中で彼女の声を聞くために、アナフェンザは近寄らねばならなかった。

「我々は、何処にいる?」 族樹の守り手は尋ねた。

 カヴァーへの街道上、アラシンから二日の所です。彼女はそう言いかけた、他の誰かに尋ねられたかのように。そうではなく、彼女は何も言わなかった。

「謎かけではない。我々はどこにいる?」 ハクリーズは言った。

「樹の中です」

「我々の族樹だ」

「すみません。私達の族樹の中にいます」 アナフェンザは言い直した。

「それは何だ?」

 アナフェンザは突然感じた、何か間違ったことをしてしまったと。「私達の家族の樹です」

「我々の血族の樹だ、アナフェンザ。血族と盟族の。この樹は我々と彼ら、全てのものだ」

 アナフェンザは知っていた、族樹の守り手達は祖先の霊と特別な繋がりを持つと。そして彼らの言葉は常に、更に広大な知恵を内包しているように思えるのだった。まるでその言葉はどこか、年代を経てきたかのように。

 ハクリーズはその言葉を思案させたまま、アナフェンザの前から去った。アナフェンザはそこに数時間留まり、アブザンの兵士達が多数、要塞の側で行進するのを観察していた。

 要塞は行き先を変えていないと彼女は気付いていた。彼らは今もアラシンへの道にある。その市場へと足を伸ばせることを期待し、彼女は微笑んだ。

 砂丘の端を商隊の要塞が縁取るように並ぶのを、彼女はじっと見つめた。砂漠はあらゆる方向に広がっており、都市に近づいたとしても文明の証拠は何もないという事実がアナフェンザを打った。その思考を中断するように、彼らは砂から飛び出して要塞の右に並ぶ巨大な肋骨へと近づいた。砂が村一つを完全に飲み込んでしまう、もしくは砂が退き、何世紀も昔にアブザンの祖先達によって空から落とされた龍の、年月に磨かれた遺産が現れるというのは、移ろう荒野において珍しくない光景だった。

 要塞が隣を通る間、彼女はその肋骨を観察していた。その時肋骨の二本が動いた。砂が落ちた。当初、砂丘そのものが崩れるように見えた。だがアナフェンザは砂から何かが出現するのを見た。もつれた黒い毛皮が現れた。アナフェンザは口をぽかんと開けたまま、その視線は砂から現れた姿に釘付けになった。彼女は恐怖に固まった。

 龍の肋骨ではなかった。

 牙だった。

 巨大な頭部が続いて現れた。腐った肉片がその頭蓋骨を半分だけ覆っていた。そして胴体が。気付いたのはアナフェンザだけではなく、警告の叫びが要塞のこの高さまで届いた。下方で、護送の歩兵隊が防御の体勢をとった。

朽ちゆくマストドン》 アート:Nils Hamm

 マストドンの屍が生かされて立ち上がった時には、更に三体が砂から現れていた。要塞を引くビヒモスは死の悪臭に怯えたのか、吼えて足を踏み鳴らした。

 そして混乱が勃発した。

 マストドン達の間の砂が、数十箇所で一斉に炎を上げて爆発したように見えた。光の球が橙色の魔力の痕跡とともに、要塞へと向かって砂の表面を撫でていった。その球に照らされ、数えきれない程の戦士達が怯えたヒビモスへと向かう様が見えた。

無情な切り裂き魔》 アート:Clint Cearley

「待ち伏せだ!」 族樹の下の広場から声が上がった。「スゥルタイの戦闘部隊だ!」 アナフェンザは何十人もの射手たちが胸壁の持ち場につくのを見た。彼らの弓から矢が放たれ、スゥルタイの戦士達はその矢弾を避けるために散開した。

 マストドン達が重々しく要塞へと迫り、その足元で兵士達は散り散りになった。族樹の中で、アナフェンザは突然の風音を感じた。砂塵が渦巻き、アブザンの重装鎧をまとった人間の姿が三つ現れた。祖先達。彼らはアナフェンザを認めて頷くと、巨大でよろめく不死の怪物の一体へと急いだ。それを彼らの霊的な武器で引き裂くために。

族樹の発動》 アート:Ryan Alexander Lee

 そのマストドンは倒れたが、他は要塞へと迫っていた。最初の一体が自身の頭蓋骨を砕くほどの衝撃で壁に衝突した。アナフェンザは族樹から投げ出されそうになるも、枝にしがみついて次のマストドンが激突する直前には体勢を保った。世界が震えた。再びの衝撃。わけがわからないままに全てが横倒しになり、塩路が彼女へと迫ってきた。

 一瞬の後、アナフェンザは砂の上に転がっていた。彼女は眩暈とともにそこに横たわっていた。砂が目の前に迫ったかと思うと、顔が砂に埋もれていた。頭蓋骨に騒音が鳴り響いていた。顔を起こすよう首の筋肉を動かそうとしたが、硬い砂の上をこすったらしく、焼けつく痛みが頬に走った。痛みを抑えようと手を伸ばすと、それは赤くねばついた。

 彼女は仰向けになり、裸足の指先を見た。長い切り傷が走っており、顔も同じ様相に違いないと想像できた。その向こうでは要塞が横たわり、彼女の隣には砕けた族樹の残骸が転がっていた。落下の衝撃でそれは土から引きはがされ、衝撃で折れていた。枝の破片と兵士達の死体が辺り一面に散らばっていた。アナフェンザは重い枝の下敷きになったハクリーズの命なき身体を認めた。族樹の守り手、彼女の胸当ては凹んでいた。何が起こったのかを解釈しようとアナフェンザの心ははやり、そして彼女はマストドンを思い出した。

 角笛の音にアナフェンザは我に返った。筋肉に力がうねり、彼女は立ち上がると砂丘の向こうにスゥルタイが退却していくのを見た。だが角笛の音に歓声は続かず、大気は虐殺の音に満ちたままだった。

 アナフェンザは倒れた要塞の周囲を回り、最後のマストドンを倒した家の兵士達を見つけられればと騒乱を探した。だが叫び声があった。人間のものだった。彼女は注意深く近寄った。

 角を曲がったその時、彼女の世界は欠片と砕けて落ちた。目の前に現れたその光景は自然に反する冒涜だった。肉体と内臓までも刺す過ちがそこにあった。彼女は、アブザンがアブザンを殺す様子を目のあたりにした。

 人々が要塞の狭い窓から出ようと奮闘していた。だが彼らが逃げ切るよりも早く、アブザンの兵士達がその剣や斧や矛槍で彼らの血族を切り捨てていた。

「お母さん! お父さん!」 彼女は叫んだ。「オレット! お願い!」 目を見開き、涙を流しながら、アナフェンザは死んだ兵士の剣を取り上げようと膝をついた。そして再び立ち上がった時、人影がひとつ、太陽を背にそて、彼女にそびえ立っていた。

「君の両親は死んだ。僕の盟父も」 曇った視界の向こうに、アナフェンザはガヴァールの姿を認めた。彼の目の端にできた傷から血が流れていた。

 アナフェンザはそのオークを無視し、通り過ぎようとした。

「アナフェンザ! 僕たちは裏切られた」 ガヴァールが彼女の目の前に立ちはだかった。「早くここから逃げ――」

 その言葉を口にした所で彼は突然前のめりになり、アナフェンザを地面に押し倒しかけた。彼は片膝をつき、アナフェンザは羽根のついた矢軸が彼の肩から突き出ているのを見た。

 更なる矢が彼の周囲に降り注いだ。

「ご先祖様の役立たず! ガヴァール!」 アナフェンザは立ち上がろうとする彼を助けながら罵った。「走って!」

 彼らは移ろう荒野に隠れるべく、動き続けた。

 彼らはその日の大半を黙って歩いた。砂の中、もがくように一歩一歩、彼らは背後の殺戮から進み続けた。熱い砂はアナフェンザの素足を焼き、そして肩に乗せた剣は一歩ごとに重くなっていくようだった。

「一ついる?」

「何?」 アナフェンザは言った。乾いた口から発せられる声はひび割れたようだった。

 ガヴァールの大きな拳が開かれると、深紅の葡萄の小山が現れた。「幾つか食べて」 彼は言った。

 アナフェンザは立ち止まり、疑わしい視線でその果物を、そしてガヴァールをじっと見た。そのオークは肩をすくめ、苦痛に僅かにひるんだ。「わかってる、わかってる。食べてよ」

「ありがとう」 彼女は葡萄の間から言った。

 ガヴァールは微笑んで、最後の葡萄を口に放り込んだ。そして二人は行軍を再開した。砂丘を一つ登るごとに、彼らは文明の兆候を何か発見できないかと願った。道中、彼らは首都から二日の所にいた。だが移ろう荒野を横切るにあたって、確実なものは何もなかった。

「貴方はまだ、アブザンがいいと思ってる?」 アナフェンザの声は苦みを帯びていた。「残忍なのは、マルドゥじゃなかったのかな」 彼女はガヴァールを見た、彼は答えなかった。彼はアナフェンザを砂塵から遮るように前を進みながら、その先をじっと見続けていた。

「ガヴァール?」 アナフェンザは催促するように言った。

「知ってるよね」 ついに、ガヴァールは口を開いた。「僕がアブザンなのは、小さい時に、アブザンの戦士に――君の伯父さんに――戦いで、本当の親を殺されて、僕には誰もいなくなったからだ。君の伯父さんは僕を家に連れて帰って、育ててくれた。別の道があったのかな……アブザンに生まれて、マルドゥの戦士がアブザンの僕の両親を殺して、そうしたら、僕も彼らに殺されていたかもしれない」 彼はアナフェンザへと振り返った。「僕の家は裏切られた。けれどきっと、僕らの氏族は正してくれると思う」

 彼らは雲一つない空に太陽が傾くまで歩いた。風が出てくると、あらゆる露出した肌を砂が無情に打った。

 また別の砂丘。

 その頂上で、アナフェンザは急速に霞みゆく靄の向こうをじっと見た。細めた眼の間から、彼女は曖昧な、だが紛れもなく水平な直線を見た。地面と平行に走るそれを。「壁!」 彼女は声を上げた。「ガヴァール、見て!」

「君は祖先に愛されているよ、きっと」 ガヴァールは既にその壁に向かい、砂丘を降り始めていた。アナフェンザはすぐ後を追った。

砂への挑戦》 アート:Dave Kendall

 その壁は放棄された村を囲んでいた。彼らが崩れた門をくぐった時には、空の端は鮮やかな橙色をしていた。その村は片手で数えるほどの崩れかけた砂岩が円形に並んだ以上のものではなかった。

「この中のどれかで夜を過ごしましょう」 アナフェンザが言った。

「できれば、崩れてこなさそうなのにしよう」 ガヴァールが言った。「いい場所を見つけてきてくれ。僕は井戸を探してくる」

 アナフェンザは興味深く観察しながら、二つの家の間を歩いていった。その反対側には、村の小さな中央広場があった。その真中、貧弱な建築物に囲まれて、節くれ立った樹が立っていた。打ちつける砂に樹皮をはがされ、弱々しく残されていた。風が一つ吹くごとに、その葉のない枝が音を立てた。

 暗くなりゆく空を背に立つ、見捨てられた樹。こらえることはできなかった。アナフェンザは剣を落ちるがままに任せ、駆けた。そして樹の根を覆い隠す砂の山へと倒れ込んだ。あの時彼女に見えたのは、砕けて死んだ族樹だけだった。家族は失われた。彼女は額をその幹に押しつけ、叫びを腕に隠して押し殺した。涙が溢れ、顔を流れ落ちると傷ついた頬を刺されたように痛んだ。

 彼女は太陽が沈むまでそこにいた。ガヴァールの叫びを聞くまで。

「追手だ!」 彼は声を上げた。「逃げて!」

「ガヴァール!」 アナフェンザは立ち上がり、剣を手にした。

「すぐに行く!」 彼は戦っていた。アナフェンザは彼の声からそれを察した。そして彼女は駆ける音を聞いた。暗闇の中、ガヴァールの幅広の姿が角を曲がって彼女の視界に入ってきた。彼は激しく息をついており、脚は重く、そして一人ではなかった。彼のすぐ後ろに人影が二つ、そしてアナフェンザは彼らに鋼のきらめきを見た。何も言わず、だが静かに彼女は身体を樹へと引き上げた。

 彼女はガヴァールが真下を通り過ぎて行くのを見守った。追跡者達は追いかけた。人間が二人――アブザンの重装鎧の、見慣れた輪郭だった。彼女は目を細め、剣の柄をきつく握り締め、そして裏切り者の背後をめがけて飛び下りた。アナフェンザの剣先は、振り返った一人の胸当ての下に突き刺さった。鋼が肉に食い込み、男の腹部へと深く沈んだ。その口から聞きとれない異議の声を幾らか湧き出し、そして彼は倒れた。

 ガヴァールと彼の追跡者が振り返った時、アナフェンザは剣を引き抜いていた。もう一人の攻撃者はその刃を振り上げたが、彼がそれを振り下ろす前にガヴァールが背後から首を掴んだ。二人は地面にもつれて倒れ、オークは彼の背中の上に乗った。攻撃者は地面に押しつけられ、顔をそむけた。

 アナフェンザは血のついた剣を、無力となった敵の喉に向けた。「抵抗したら、死ぬわよ」

 男はガヴァールの腕に固められたまま、抵抗をやめた。

「仕組んだのは誰なの、言いなさい。全部よ」 アナフェンザは言った。その声は冷静で明瞭だった。

 その男は黙っていた。

 アナフェンザは押した。「もし名前を言わないのなら、私達はお前が犯人だと信じることになる。そして、そいつを罰そうと考える。ものすごく」 彼女は彼へと顔を近づけ、じっと目を合わせた。「もう一度」

「お前の家の一員だ」 その男は声を絞り出した。「奴がスゥルタイを雇った」

「それだけ?」 彼女は言った。「誰なの?」

「オレット。オレットだ」


砂草原の城塞》 アート:Sam Burley

 万戦の古参兵だけが持つ獰猛な視線で、アナフェンザは従兄弟を見下ろした。彼はガヴァールの足元で、実に小さく見えた。「貴方の地図には、貴方だけが知る秘密があったそうですね」 彼女は言った、その声は冷静で確固としていた。「けれど貴方ですらも、新たなカンと盟約を結びにやって来なければならなかった。オレット」

 オレットは声を絞り出した。それはかろうじて聞こえる程だった。「君は、死んだ筈だ」

「私がカンです」

「頼む」 オレットは嘆願を繰り返した。

 カンは彼を黙らせるべく手を挙げた。

「許してくれ!」 彼は再び請うた。「こうして再会できたんだ。僕は君の最後の家族だ!」

 ガヴァールが怒鳴り声を爆発させた。「まだ言うか?」

 アナフェンザはオレットの向こうのオークを見た。彼女は楽しむような笑みを浮かべた。

「オレット。私の家族は貴方ではありません」

 カンは手首をひねり、刃を閃かせた。赤い線が彼の顔、耳から頬にかけて現れた。そしてオレットは悲鳴を上げた。彼の血は覇王の剣の先端についたままで、彼女はそれを、演壇の足元に灯された火鉢の一つへと差し出した。血が熱に弾け、焦げた。次にアナフェンザは剣先を空へと掲げ、そして自身の手を鋭い刃に走らせた。オレットから視線を外すことなく、彼女は拳を炎に掲げて握り締めた。血が滴り落ち、燃えさかる炭に当たって音を立てた。

「始まりの木と祖先らの面前に、オレット、貴方と縁を切ることを宣言します。貴方はもはや私の血縁ではありません。貴方を私の敵と宣言します。もしも戦場で相まみえたなら、去ることは許しません。貴方の霊は根無し草となり、苦悶の中で始終孤独に彷徨うのです。さあ、我が弟ガヴァール、彼を外へ」

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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