抱き合わせ
しばらく前に、我々はウィザーズに数人の客を迎えた。ジョージ・ファン/George Fan、その妻のローラ・シギハラ/Laura Shigihara、そして彼らの友人のリッチ・ワーナー/Rich Wernerである。ゲーム・ファンの諸君なら、もしかすると彼らの名前を「植物vsゾンビ/Plants vs. Zombies」のデザイナー、コンポーザー、リード・アーティストとして知っているかもしれない。このタイトルを知らない諸君のために言うと、これはポップカップ社/PopCapの、侵略してくるゾンビの群れから植物がそのオーナーを守るという連作ビデオゲームの一作である。ゲーム用語で言うと、一般市場向けの(ルールを単純化した)タワー・ディフェンス(本拠地を攻撃してくる戦力をリソースを使って止めるゲーム)に分類されるゲームである。
自然はゾンビを嫌う
我々は、ジョージ、ローラ、リッチにウィザーズ社内ツアーを提供した。また、マジック2013のドラフトをやった。しかし、彼らの訪問の中で一番楽しかったのは、ジョージとそれぞれのゲーム・デザインについて語りながらの昼食中のことだった。ジョージ(そしてローラ、リッチも)は、リバイスド時代から続けているマジックの大ファンで、そして植物vsゾンビのデザインにマジックが大きな影響を与えたことを認めている。
昼食中に、今日のコラムの元ネタになるちょっとした会話があった。いつも通り、その部分をここに描き出してみよう。
私:ところでジョージ、ちょっと興味があるんだけど。なぜ植物だったんだい?
ジョージ:タワー・ディフェンス・ゲームでは、自分の戦力を特定の場所から動かすことはできないものなんですが、それが私にとっては奇妙に思えたんですよ。つまり、たとえば騎士が目の前で助けを求めていても動かないということになります。植物なら、動かないのが当たり前です。プレイヤーも動くとは思わないでしょう。
私:なるほど。じゃあ、なんでゾンビだったの?
ジョージ:またタワー・ディフェンス・ゲームの性質の話ですが、プレイヤーが防衛準備を整える時間が必要なので侵略軍を遅いものにする必要があります。最初はインサニクアリウム/Insaniquarium(ジョージの前作)のエイリアンを使うことにしていたんですが、あまりに遅くて奇妙に思えました。そこで、遅くても普通に思えるゾンビにしたんです。遅い侵略軍というのはゾンビのイメージそのものですから。
ゲーム・デザイナーとして、この会話は私の心を打った。植物やゾンビは取り合わせが面白いから選ばれたんだと思い込んでいたが、そうではなく「動かない」と「遅い」という両軍に必要な性質を持っているという、しっかりした理由に基づいて選ばれていたのだ。
これを取り上げた理由は、今日のコラムを今まであまり触れてこなかったゲーム・デザイン上の非常に重要な考え方についてのものにするためである。その考え方は、「抱き合わせ」だ。抱き合わせとは何か、そしてそれがゲーム・デザインにおいてなぜ重要なのか、それをこれから語っていこう。興味のある向きは読み進めてくれたまえ。
私は複雑さ、私は誰
複雑さについて、何度もこのコラムで語ってきた(その中で人気があるのを3つ挙げるなら、「Assume the Acquisition(リンク先は英語)」、「マジック教室(リンク先は英語)」、「新世界秩序(リンク先は英語)」である)が、その欠点を強調する一方で長所についてはあまり語ってこなかった。複雑さのせいでゲームはわかりにくくなり、始めにくくなるという点に焦点を当ててきたのだ。複雑さの利点についてほとんど語ってこなかったので、このバランスを取ろう。複雑さがゲームにもたらす利点には、次のようなものがある。
1) 戦略的深みを与える
まず、複雑さがないからといって戦略的深みがないということではない、ということは強調しておこう。複雑さに頼らずに戦略的深みを作り出す方法は存在する。それを踏まえても、複雑さは正しく使えばゲームに長大な幅をもたらす。興味深い特殊状況を作り出し、ゲームの各部分に必要な要素を与える余裕をもたらしてくれるのだ。
2) よりふさわしいフレイバーを作れる
フレイバーというのは面倒なもので、あらゆるところに影響する。フレイバーはメカニズムのように四角四面にすっきり入ってはくれない物なので、ゲーム・デザイナーはフレイバーとうまくつきあう方法を学ぶものだ。複雑さがあれば、メカニズムをフレイバーによりふさわしいものにでき、(開発部が言うところの「長靴を履いた象」のような)ナンセンスなものを作らなくて済むようになる。
3) 多様性をもたらす
あるゲームのAバージョンでは、10個のことが起こりうる。同ゲームのBバージョンでは、50個のことが起こりうる。非常に乱暴に言ってしまえば、起こりうることが多いのだからBバージョンの方にプレイの多様性があることになる。単純な計算だ。
4) デザイン空間を広げる
ゲームの特定の場所におけるデザイン空間は、限られた資源である。その活用について、何度も語ってきた。特に、プレインズウォーカーのデザイン空間は非常に小さいので、そこを掘り下げるためにかなりの努力を費やしてきた。
複雑さがあれば、起こせることの選択肢が増え、デザイン空間を広げることができる。ゲーム・プレイに多様性をもたらすのとほとんど同じように、できることが増えるのだからデザインの可能性も増えるのだ。
5) 経験を積んだプレイヤーがのめりこめる
時のらせん・ブロックは非常に情緒的なブロックであった。(市場調査によると)当時のプレイヤーの多くはこのブロックを好かなかったが、好きだというプレイヤーは非常に、本当に気に入ったと言う。その理由は、「通じた」だからだ。気に入ったプレイヤーというのは、ネタを完全に理解したわけである。彼らは元ネタとなった部品全てをすでに理解しており、時のらせん・ブロックのデザインやデベロップの機微を準備する準備ができていたわけだ。
私がこのブロックの問題について語るのを聞いて腹を立てる諸君がいるのは、そのことが彼らにとって非常にプラスの影響を持っていたからである。彼らがマジックに関する全てを学ぶために費やした時間が有意義だったという証明、費やした時間や労力への見返りに感じられるのだ。複雑さはそういうメリットがあり、それは、様々なゲームがその支持基盤にアピールするために複雑さを活かしていく理由の一つである。
6) デザインしやすくする
ブレーズ・パスカル(フランスの数学者、物理学者、思想家、文筆家)には「短い手紙を書く時間がなかったのです」という名言があるが、なぜ長いコラムを書くのかというと意を受けた私も同様に、文章を短くまとめるには手間がかかりすぎるのだという答えになる。文章を書く上でも、ゲーム・デザインにおいても、流麗さ、単純さ、簡潔さというのは難題なのである。
《ジェイムデー秘本》 アート:Donato Giancola
デザイン初心者が非常に複雑なデザインをしがちなのは、その方がずっと簡単だからである。ゲーム・メカニズムが巧く働くギリギリにして簡明な方法を見付けるのにはかなりの時間がかかる。より複雑にすることが許されるなら、デザインの仕事はずっと簡単になるのだ。
まだまだある。ゲームにとってプラスになる複雑さの働きは存在するのだ。問題は、デメリットが非常にはっきりしているということなのである。
そのゲームを破壊できる最強の戦力
複雑さにはいろいろな問題点があるが、これ一つを取ってもゲーム・デザイナーたるもの意識することが必要である。
複雑さは、ゲーム・デザイナーが求めるものであり、一方で警戒しなければならないものである。複雑さを必要以上に高めることなく、ゲームに複雑さを忍び込ませる方法を探さなければならない。そんなことが可能なのか? 可能だとも。そのための最も一般的な解決策は、抱き合わせとして知られているものだ。
《金切り声のコウモリ》/《忍び寄る吸血鬼》 アート:Slawomir Maniak
ゲームにおける抱き合わせ
抱き合わせは、すでに知られ、理解されている考え方に基づいてデザインを打ち立てる技能である。抱き合わせの考え方は単純で、ゲームを0から教えるのではなく、プレイヤーがすでに知っているものを使うというものだ。
植物vsゾンビの例を見てみよう。このゲームにおいて、プレイヤーは種を買い、その種を特定の場所に蒔くことで迫り来るゾンビ軍団に対抗する植物を育てるのだ。ジョージは植物に関する一般的な知識を使って、あらゆることを明白なものにした。
植物を作るための何かを買わなければならない。これは現実世界と同じだ。植物を育てたければ、種を買うのだ。そしてそれを特定の場所にある土壌に蒔かなければならない。これはやはり現実世界と同じだ。最後に、一旦植えてしまえば、植物はその場所に固定される。これもやはり現実世界と同じなのだ。
ここでの鍵は、植物をゲームのパーツとして用いることで、ジョージはゲーム内で複雑に感じられるようなあらゆる部分をすでによく知られている植物になぞらえることができたのだ。
これをマジックに応用してみよう。昨年もっとも人気の高かったカード、両面カードを例に用いる。マウス/カーソルを重ねて、恐るべき変身を確認してくれたまえ。
ここで示した各両面カードは、闇への変身を示すホラー・テーマのものだ。人間が狼男に、蝙蝠が吸血鬼に、ジキル博士がハイド氏になる。これらのカードはプレイヤーのホラー知識を通してメカニズムを理解しやすくしていることになる。
たとえば、全ての狼男は同じ誘発条件で人間から狼男に変身するし、また統一された誘発条件で狼男から人間に変身する。プレイヤーはこれをなぜ覚えられるのか? 人間が狼男になるとき――満月の晩――全ての人間が狼男になる、ということを知っているからだ。同様に、人間側が弱いのは、狼男より人間が弱いのがホラーのお約束だからプレイヤーは納得できるのである。
《アヴァブルックの町長》/《吠え群れの頭目》 アート:Svetlin Velinov
プレイヤーは、蝙蝠が飛行を持っていることを知っている。吸血鬼と蝙蝠が自在に変身するのは、その元ネタであるホラーでは吸血鬼はそういう能力を持っているものだからだ。
《礼儀正しい識者》/《人殺しの粗暴者》は一見すると複雑に見える。《礼儀正しい識者》はカードを捨てることに基づいた誘発条件を持つ。そして、青から赤にカードの色が変わる。《人殺しの粗暴者》は攻撃しないことを誘発条件とする、まったく違う変身能力を持つ。これにジキルとハイドのフレイバーをかぶせると、全てが一体となる。科学者は実験し、粗暴者に変身する。色の変化は人格の変化を物語っている。粗暴者は落ち着くまで攻撃を繰り返し、そして再び学者に戻る。元ネタの知識があれば、この複雑な一連の動作をたやすく理解できるのだ。
《礼儀正しい識者》/《人殺しの粗暴者》 アート:Michael C. Hayes
もっと知る
抱き合わせは、単にフレイバーだけの話ではない。デザイナーが既存の知識を活かすなら全てが抱き合わせになる。この知識というのは何でもいい。ジョージが植物vsゾンビのデザインに関して話してくれた、また別の話をしよう。
タワー・ディフェンス・ゲームにおいては、より多くのリソースを得ればより強力な武器を購入することができる。ジョージは植物にさらなる火力を持たせたかったが、他のタワー・ディフェンス・ゲームのように、単に火力の数字が大きいだけのユニットを作りたくはなかった。なぜある種の兵士が1点のダメージを与える中で他の兵士は2点のダメージを与えるというのか?
このゲームにおける基本的な射手が豆鉄砲/peashooterである。これは文字通り豆を侵略してくるゾンビに打ち込む、小さなマメ植物である。この問題を解決したのが、(リピーター/repeaterと呼ばれる)植物の生成だった。これは豆を1つではなく2つ打ち込む性質を持つ。プレイヤーは、このユニットが倍ダメージを与える理由を理解できるだろうか? 文字通り2倍打ち込んでいるんだから、当然理解できる。
ジョージは非常に基本的なコンセプトに取り組んでいた。2は1の2倍なのだ。人間は、林檎2個が林檎1個の倍の林檎を含むということを理解している。だから、単に2倍弾を放つ植物を作るようにするだけで、非常に基本的な情報のかけらを抱き合わせることに成功したのだ。
それではマジックの例を見てみよう。アヴァシンの帰還で、リード・デザイナーであったブライアン・ティンスマン/Brian Tinsmanはカードを引くことに注目したくなるような何か目を惹くものを探していて、そして最終的にはドロー・トリガー(引いた時に特別な効果を持つカード。このメカニズムの誕生について詳しくはアヴァシンの帰還・プレビュー第1週の私の記事を参照のこと)にたどり着いた。
私はドロー・トリガーという発想がいつでも好きだ(一番最初のデザイン、テンペストでも取り入れようとした)が、それがこのセットにどうそぐうのかは判っていなかった。私はそれがメカニズム的に脳の働きと合わせやすいということを理解していたが、それがアヴァシンとその率いる天使軍が流れを変え、人を助けて怪物を蹴散らすというフレイバーに合うとは思わなかった。そのメカニズムを使うのなら、それだけの文脈が必要だと考え、私はブライアンにそれらの呪文は奇跡を表したものだというアイデアを投げかけた。
奇跡という考えには2つの重要な要素が含まれていた。まず、このメカニズムにフレイバーを与え、天使をテーマとしたセットにおいて意味が通じるようにすること。そして、もう一つ同様に重要なのは、鍵となるコンセプトをプレイヤーの頭の中で繋ぐことだ。奇跡は計画されたものではない。突然起こり、すごい威力を見せるのだ。正しい文脈が、プレイヤーに使い方を教えてくれる。ドローに注目するのだ。こうして、ライブラリーの一番上からそのカードを引いた瞬間に状況を一変させるメカニズムになった。
未来への抱き合わせ
ここまで抱き合わせというものについて説明してきたが、ここでそれをどうゲーム・デザイナーが使うべきかについてちょっと触れておこう。抱き合わせは、プレイヤーの脳みそに前もって教え込む情報を減らすための道具だ。抱き合わせの使い方の良い例は、――まあ、うん、良い例というものそのものがそうだ。何かを諸君に説明するとき、その考え方が諸君にとって物珍しいものであれば、そのギャップを埋めるために諸君の知らないことと諸君の知っていることの間の橋渡しとして比較を行なう。
これは、人間がなじみのあるものを好み、なじみのないものを嫌うことから重要である。比喩はその受け手に「この新しい内容は実際は新しくなんかない、みんながよく知っているあれと一緒なんだ」というメッセージを伝えるものだ。比喩をよく使う人間として、私は、比喩に対する返事を聞いて成功したか失敗したかを理解することにしている。比喩がうまくいっていれば、聞いた人間は「ああ」と相づちを打ってくるものだ。これはつまり、聞き手の内部で知らないことから知っていることへの変換が行なわれている証拠である。
《変態するワーム》 アート:Thomas M. Baxa
抱き合わせは、一時しのぎではなく同じことをするものだ。ゲーム・デザイナーは、プレイヤーがそのものに初めてであったときに既存の知識がガイドになるような何かを選ぶ。何か新しいものを組み立てるときに、ゲーム・デザイナーが自問しなければならない質問がいくつか存在している。
ゲームの要素を説明する方法を選ぶ時、その要素のもっとも重要な部分をもっとも良く表したものを選んだかどうか?
ジョージ・ファンは、植物vsゾンビの侵略者が、大多数で、派手すぎず、非常に遅いものである必要があるということを理解していた。ゾンビはこの3つの条件をよく表している。さらに、それらの要素が3つのものでなく1つのものであるというイメージも持たせられる。ゾンビはこの3つのばらばらの性質をひとまとめにするという素晴らしい仕事をしているのだ。
「チャンキング」について語ったことは何度もある。脳内で1つのものに関連づけることによって忘れないようにするという脳の働きだ。抱き合わせはその非常に有効な一例である。巧く用いれば、さまざまな要素を1つの要素にまとめることができるのだ。
何もかもを再現できない場合、もっともプレイヤーを混乱させるもの1つを選んだかどうか?
再び植物vsゾンビを見てみると、防御者には非常に多くの数字が必要になる。ジョージは、その中で最も混乱を招くのはユニットを動かすことができないということだと判断した。すでに語ってきた通り、ジョージはそれまでデザイナーがこのことに注目していないタワー・ディフェンス・ゲームをプレイしてきており、それは不快だったのだ。
植物は「動けない」という性質を示すには素晴らしい役を果たしたが、防衛兵力だという性質は巧く示していないことに注目してもらいたい。ジョージは、植物を防御クリーチャーにできると判断していたので、このことは重視しなかった。植物は普通豆で射撃したりしないが、コンセプトとグラフィックで示せたのだ。
ここで重要なのは、完璧な抱き合わせができるとは限らないということだ。それができたなら、リード・デザイナーが迷子になるエリアを貫くことができたことになる。
ゲームの他の要素を一緒に抱き合わせないか?
抱き合わせは要素の機能を示すだけでなく要素間の関連を示すのにも強力な道具である。たとえば、ミラディンの傷跡・ブロックはファイレクシア人を示すために疫病という比喩を使った。ファイレクシアの主要なメカニズムは、感染と増殖である。片方が疫病を起こし、他方はそれを広めていく。両方のメカニズムを同じ比喩の中に置くことで、メカニズム単体だけでなくその関連性、さらにはファイレクシア人の性質を定義する助けとなった。
ここでの教訓は、ゲームは全体で1つだということだ。抱き合わせの選択はそれだけで存在するわけではない。複数のものを抱き合わせに入れていくと、ゲーム全体の一体感を醸し出すことも簡単になっていくのだ。
抱き合わせによってデザインにインパクトは出たか?
抱き合わせはデザインの進化を助けることもある。その繋がりが完全ではないが、ある種の要素をひとまとめにする何かを見付けることができたとしよう。場合によっては、メカニズムをその抱き合わせに合うように変化させるのが正解であることもある。たとえば、私がイニストラードのデザインをデベロップに渡したとき、私は吸血鬼を黒と赤に配置し、吸血鬼デッキを攻撃的部族デッキにしたいと伝えた。
(そのセットのリード・デベロッパーの)エリック・ラウアー/Erik Lauerは吸血鬼の攻撃性というアイデアを採用し、吸血鬼の食餌を再現するメカニズム的手法を見付けた(戦闘ダメージを与えるたびに+1/+1カウンターを得る、スリス・メカニズムだ)。彼はデザインに修正を加えることになる抱き合わせを採用したわけである。
黒の抱き合わせ
抱き合わせはただプレイヤーに教えるための道具ではない、というのが重要な教訓である。デザインを仕上げる上で助けになる道具でもあるのだ。自然に組み合わさるものというのは、プレイヤーに「通じ」させるだけでなく、ゲーム全体に一体感を与えることにもつながる。
今日はこれまで。このデザイン・ツールに関する考察が有用であることを願う。
それではまた次回、デザイン演説でお会いしよう。
その日まで、あなたのゾンビがゆっくりと動きますように。
(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)