夢の仕事を掴むため
昨年、私は娘のレイチェル/Rachelのクラスでスピーチを行なった。彼女の先生は保護者を招いて、そのやってきたことを語らせることを授業に取り入れていて、(アメリカ独立戦争に関する)ゲームを作ることを宿題にしたのだ。そういうわけで、私は招かれ、ゲームデザインの基本について語ったわけだ。そのスピーチの内容は、「ゲームに必要な10のこと」(その1、その2)と題してこのコラムで取り上げている。
今年、また私はレイチェルの学校でスピーチをする機会を得た(新しい中学校だ)。私を含む40人の保護者が、ボランティアでキャリア・デー(訳注:学校で、様々な職業について学ぶ日のこと)に自分の職業について語るために集まったのだ。前回、レイチェルのクラスでのスピーチを元にしたコラムが好評だったので、もう一度やってみることにしよう。
2012年キャリア・デーにおけるマーク・ローズウォーター
私の担当は非常にわかりやすいもので、私のやってきたことと、どうやってその職についたか、そして同じような職につきたければどうすればいいかを40分で語るというものだった。それが充分かと言われればそんなことはなかったが。私はそれ以上の語りたい内容、ゲーム・デザイナーとしての人生論を持っていた。よく考えた後、私は主題を「夢の仕事を掴むため」に決めた。
私は自分の仕事について子供たちに語るのではなく、私が自分の仕事から得たものについて話すことにした。職探しの聖杯について説明したいと思ったのだ。子供たちが将来について考えるとき、高みを目指すべきだと意識してもらえればいいと考えたわけである。
これをコラムに転用するにあたって、ちょっとした問題があることに気がついた。私は、「ウィザーズで職を得た方法」については何年にも渡って語ってきている(マジックとの出会い(リンク先は英語)、ジェンコンにて、そして最初の世界選手権について(リンク先は英語)、初めての遠征を受け入れるまで(リンク先は英語)、そしてシアトルへ(リンク先は英語)と段階を踏んで職を得ているのだ)。これを繰り返すのでは芸がないので、今回のコラムでは職を得るまでの状況についてではなく、思考や決断について語ることにしよう。何が起こったかではなく、どんな決断をしたかに焦点を当てて私がしてきたことを語るのだ。重複する部分はあるだろうが、このコラムで違う切り口を見せられたら幸いである。
また、これからゲーム・デザイナーになるための話をするが、ウィザーズで働きたいという諸君向けにはダグ・ベイアー/Doug Beyerが先日書いたこちらのコラムが充分参考になることだろう。
前置きはこれぐらいにして、それでは始めよう。
可能な夢を夢見るために
私は夢の仕事についている。それは一体どういう意味だろう? 私は、毎日仕事に行くことを楽しみにしている仕事についている。私が愛している仕事だ。私が秀でている仕事だ。私やその家族が生きたいように生きられるだけの収入をもたらしてくれる仕事だ。一言で言えば、仕事というものに私が望むあらゆるものをもたらしてくれ、私の人生をあらゆる意味で高めてくれる仕事についている。
それでは、どうやって夢の仕事を得ることができるのか。今日のテーマは、そういった仕事を見つける助けになるものを諸君にお見せすることだ。
その1:夢の仕事とは何なのかを理解する
私は言葉を使うのが大好きだが、時にはイラストで表す方がわかりやすいこともある(絵と文字の価値比率を誰かが提示してくれないだろうか)。
この画像は、Sam Lamという人物の書いた「Green Eggs and Lam」というブログで見つけたものだ。夢の仕事とは何なのかをこの上なく示していたこの画像を見て、私はすっかり感動してしまった。夢の仕事とは、3つの鍵となる条件(それぞれが1つの円で示されている)の重なり合った部分である。
好きなこと
3つの円の重なったところを見つけるためには、まず、諸君にとってのそれぞれの円を見つけなければならない。この1つめの円は、諸君がやりたいと思うことである。好きなものは、自分で選ぶわけではないことに気付かなければならない。何か惹きつけられるものが先にあるから、諸君はそれを評価しているのだ。各個人には(肉体的、心理的、感情的、精神的)需要があり、それらの需要から人々は何らかの活動や仕事を選ぶことになる。
《気楽な休止》 アート: Rebecca Guay
この円における自分の位置を見いだすことは、内省的な旅になる。自分の情熱がある部分がどこなのか、そして自分が本当に好きなのは何なのかを識別しなければならない。これに関して私が言えることは、諸君は自分の奥深いところで本能的に自分の愛するものを知っている、ということだ。見つけるために必要なのは、探すことではなく、受け入れることだ。自分が幸せになるために必要なものを(もちろん、それが他人を傷つけない限りにおいて)愛するのだ。
人々がその人生においてよくやってしまう失敗に、幸せと他のもの――最悪のものは金だ――を引き替えにしてしまうということがある。幸せになりたければ、幸せであるかどうかを第一に置くことを覚えなければならない。ばかげたアドバイスに聞こえるかもしれないが、人々が自分の幸せを第一に置かないで判断することが多いことは私にとっては驚きである。
人生において、自分の愛するものを見つけ、それを愛し、最優先にし、理解し、それに参加する。これが、第一の円を満たすために必要なことなのだ。
ここで、私の実体験を交えることにしよう。
私の父はゲームのプレイヤーだった。私は子供の頃から、そして今に至るまでずっと、ゲームを楽しみながら育ってきた。ゲームは私の情熱の一部であり続けたわけだ。たとえば、私の住処にある本棚2本をお見せしよう。
私の持っているゲームはこれだけではない。地下室にはもっと大量のゲームを置いた収納棚がある。さらに車庫の倉庫にもゲームの山がある。私は、骨の髄からゲーマーなのだ。
私はただゲームを愛しているだけではなく、ゲームの仕組みを理解することを楽しんでいる。趣味としてゲームをデザインし続けてきた。当時は、私は自分のゲームを売るなんて考えてもいなかった。作ることそのものが楽しかったのだ。テレビのライターになるためにロサンゼルスに住んでいた頃も、やはり余暇にゲームをデザインしていた。サイコロ6つを使ったダイスゲームのPolyhedra、それに時間旅行者2人による対戦型カードゲームのTime Duelを作って、これを出版するための方法についても調べたほどだった。
そのころ、私は自分の部屋で気が狂いそうになっていた。文章を書くこともまた私の情熱の一つだった(今もそうだ)が、毎日1人で文章を書き続けるだけの仕事でおかしくなりそうになっていた。私は人と関わり合いを持てるような別の仕事を探すことにした。金銭的なものは問題ではなかった(衆知の通り、当時の私の仕事は金銭的には恵まれていた)ので、私が楽しめると思う仕事を選んだ。それは、ゲームショップの店員であった。
できること
この円は、就業の鍵となる。仕事を得るためには、その仕事のための技術が必要なのだ。技術を得るための鍵は、時間と意識である。何かに長けるようになるには、それをしなければならない。たくさん、たくさん、たくさんだ。マルコム・グラッドウェル/Malcolm Gladwellの本「天才! 成功する人々の法則」から引用したことがあるが、彼曰く「1万時間の法則」というものがあるという。何かに長けようと思ったら、そのことを絶え間なく振り返りながら1万時間しなければならないというのだ。グラッドウェルはある技術を完全に習得するということについて、その職につくまでに1万時間費やす必要はないが、その技術に意識を向ける必要があるのだと説いている。何かに長じたければどうするか? それをやるのだ。やり続けるのだ。それが終わったら、またそれをやるのだ。
《霊気の達人》 アート: Eric Deschamps
ここに特徴がある。人間は、集中していればより巧く働く。何かをやる動機があれば、それを続けることはより簡単になる。たとえば、私は文章を書くのが好きだ。もしずっと書き続けていれば、より良いライターになるだろうと分かっている。そうするための一つの方法として、そういう状況に自分を追い込むというものがある。つまりこのコラムだ。毎週文章を書くことを義務づけている。締切を設け、毎週文章を書くことで、私は文章を書き続けているのだ。
ここで、このことを私自身とゲーム・デザインに当てはめてみよう。私はゲームを楽しんでいた。そして、私はゲームをデザインすることに興味があるということに気がついた。つまり、私は上達する方法を探す必要があったのだ。そのために何をしたか? まず、このことに関する知識を集めた。ゲーム・デザインに関してありとあらゆるものを読んだ。当時はそれほど数も出ていなかった。今はもうちょっとマシになっている。何も見つからなくても、少なくともこのコラムを読むことはできる。
次に、私はゲームのデザインを始めた。経験に勝る教師はない。何かをする方法を学びたければ、まずそれを始めてみることだ。自分ができないことを理解すれば、それで充分だ。何かにおいて上達するためには、最初はそれが不得手でなければならない。私は、ゲームをデザインするためには一歩を踏み出さなければならないと分かっていたので、踏み出したのだ。
ここに1つの教訓がある。ゲーム・デザインは他のクリエイティブな活動と同様、終わりのないものだ。今手がけているものは、常にどこかに向上できる部分がある。このサイクルを打ち破るために、自分で自分に締切を設ける必要がある。その締切はただの終わる目安であっても構わない。ロサンゼルスでは、私はダイスゲームのPolyhedraをずっと弄っていたのだ。
ラスベガスでゲーム・デザインの会議があり、私はそこに参加することにした。そこに持って行けるように、ダイスゲームを仕上げることにしたのだ。どうやったらゲーム・デザイナーになれるかは知らなかったが、私がゲームをデザインできるということをアピールする必要があると思っていた。また、私は自分でゲームを作ることにも興味があって、そのプロトタイプを見せびらかしたいと思っていたのだ。
儲かること
3つの円の中でもっともやっかいなのはこれだ。最初の2つは、自分の力でなんとでもできる。自分が好きなことを見いだしていなくても、内省して見つける能力自体はある。そして、今まさに言った通り、上達するためには意識的に判断して時間内に仕上げ、よりよいものを作ろうと思うことが重要だ。しかし、この3つめの円は、自分の力ではどうにもならない何かを探さなければならないのだ。
《傭兵騎士/Mercenary Knight》 アート: Adrian Smith
私は少しばかり不公正である。この最後の円を知ることは、諸君が2つめの円で見なければならない技術を方向付ける助けとなることだからだ。どの技術を伸ばすかを決めるにあたっては、どの技術が市場で求められているかを知ることができる。私が選んだ道はそうではなかったが、この3つめの円をただ運だけで終わらせるつもりはない。
私にとって、この最後の円の本当の教訓は、多様化の重要性である。技術を得るという中には、基礎能力を固めて仕事を探すときにいくらかの柔軟性を持たせるようにするということが含まれる。この円のもう一つ重要なところに、身につけた技術をどう使って就きたい仕事に就くか、ということがあるのだ。ここで再び、私自身を例に挙げよう。
長じて、私は以下の技術に習熟することにした。執筆(より広くコミュニケーション全般)、話術、創造的思考、問題解決能力。大学を出て、私はこれらの技術を使ってテレビのシリーズ物を作ろうと考えていた。ゲーム・デザインはこれらの技術を使うにしてもただの趣味だと。これらの技術はいろいろな面で役に立つもので、ゲーム・デザインは趣味の範疇であると思っていたのだ。
興味はゲーム・デザイナーになることに向いていなかったが、これらの技術を磨いていたことで、ウィザーズに雇われる可能性が出た(ゲーム・デザイナーではなかったが)ときにそれを掴むことができたのだ。
この「その1」の重要なところは、夢の仕事を得るためには並ならぬ努力が必要だということである。自分が本当に好きなのは何なのかを見つけなければならないし、そこで必要となる技術を磨かなければならない。そして、それらの技術を使ってどのような仕事があるのかを理解するための調査も必要になる。私がよく言う通り、夢を現実にするための歩みを止めれば、夢は現実にならないのである。
その2:夢の仕事に向かって努力し続けること(それが何なのかが分かっていなくても)
私は、マジックの首席デザイナーであることを愛している。最初から首席デザイナーだったわけではない。マジックのいちファンからマジックの首席デザイナーに至るまでには、長い行程があった。最初は、趣味でゲーム・デザインをしていた。その後、私は自分の部屋を出て人々と交流するためにゲームショップの店員になった。この仕事の間に私はマジックの存在を知り、やがて(1993年8月のロサンゼルスでのコンベンションで)マジックを手に入れ、そしてすぐにはまったのだ。
Duelist #1次の転機は、1994年1月、創刊されたばかりのデュエリスト誌(ウィザーズが出していた、マジック専門誌。DailyMTG.comの祖先とも言える)を買ったときだ。私はそれを隅々まで読み、心ゆくまで楽しんだが、何かが足りないと感じた。あまりにも初心者向けで、私のように少しばかり経験を積んだプレイヤー向けの記事がなかったのだ。どうすればそれを解決できるか、私は考えを巡らした。
私が考えたのは、既存のカードを使って、マジックのゲーム中に何らかの条件(大抵はそのターン中に勝てというもの)を満たさせるというパズル・コラムだった。そのアイデアを思いついて、私はその考えを示すためのいくつかのパズルを作り始めた。ここでの教訓は、ほとんどの人は可能性に気付かないということだ。何かを誰かに理解させたければ、それに充分近いものを作って見せる必要がある。これはマジックのデザインについても同じことだ。たとえば私がメカニズムに関するクールなアイデアを持っていたなら、そのメカニズムを組み込んだカードをデザインしてテストプレイに供する必要があるものなのだ。
《思い起こし》 アート: Terese Nielsen
パズルが仕上がったら、次はそれをどうやってデュエリスト誌の編集者に届けるかを決めなければならない。幸いにして、ロサンゼルスで開かれた別のゲーム・コンベンションで、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストの人間が参加していた。私はスティーブ・ビショップ/Steve Bishop(ウィザーズにおける、当時はイベントと呼ばれていた、最初の組織化プレイ責任者)に話し、デュエリスト誌の編集長であるキャスリン・ヘインズ/Kathryn Hainesの名前を教えてもらうことができた。私は自作のパズルを持っていて、スティーブは好意からそれをキャスリンに届けてくれることになった。
数ヶ月間、キャスリンからは特に連絡もなかった。最終的に、我慢できなくなった私は彼女に電話をかけた。パズルの話を聞くと、彼女はパズルが非常に気に入ったと教えてくれた。そのパズルは翌月発行のデュエリスト第1.5号に掲載されることになると(歴史マニアのために添えておくと、第1.5号は第2号までの中継ぎに発行された縮小版である)。
ここまでに私が取った行動は、情熱に突き動かされたものだということに注意してもらいたい。仕事を得ようと思ってやったわけではない。私はただ、自分の愛するもののために何かをしようとしただけだ。究極の夢の仕事が何なのかを気づきもしないまま、その地盤固めをしているように見えるかもしれない。
ここでの教訓は、夢の仕事が何なのかを見つけられていなくても、夢の仕事に向かって歩くことはゴールに近づくことだ、ということである。意味が分かるだろうか? 情熱に従うのだ。1つめの円がなんだったか、思い出してみるといいだろう。また、自分が好きなことに能動的に働くことは、2つめの円においても有意義なことである。私は、私がゲームが好きだと知っていたし、私自身の技能を使って私の愛するゲームに協力しようとした。膝を抱えて人生が過ぎゆくのを眺めていたわけではなく、円を埋めていたのだ。
その3:リスクを恐れないこと
人生最大のリスクは、リスクを避けることだ。興味深いことに、これはマジックのデザインにも当てはまる。私のマジックのデザイナーとして成し遂げてきた実績から言うと、誰かの考え通りにやることは良いことではない。分割カード、部族テーマ、ギルドのブロック構造、土地セット、ホラー・ブロック、両面カード――もし私が特定の誰かの意見を聞いたなら、どれも物にならなかっただろう。
《ひたむきな殉教者/Dedicated Martyr》 アート: Dave Dorman
私がリスクを取り上げるのは、何か目標を目指すなら快適な空間から出て何かを起こさなければならないときが訪れるからである。なぜか? なぜなら、人生は思うままにはいかないからだ。人生は可能性をもたらすが、それを活かすのは諸君自身なのだ。場合によっては、可能性すらも自分で作り出さなければならない時がある。たとえば――
私のパズル・コラムは「Magic: The Puzzling」となり、大成功を収めた。誌上でももっとも評価が高いコーナーになった。すぐに、私は自分の執筆能力を活かせるような解答編コラムを書き始めた。解答と解答の合間に、雑多な物語を入れた――まあ、黒歴史だ。
そのとき、私はそれ以上のものを求めることにした。マジックを心から楽しんでいたし、マジックに深く関われるならすばらしいことだと思った。私は自分の寄与をより強めたいと思ったのだ。最大の問題は、どうやって寄与するかだ。そして、ある日、私はゲームショップをクビになった。今に至るまで、なぜクビになったのかは分からない。前月は、パートタイムだったにもかかわらず最大の売り上げを上げていたのだ! 新しい店長は新人を使いたいと考え、私をクビにしたわけだ。(私の型破りな性格や足が痛くなる靴を履かなかったことが問題かも)
その日、家に帰る途中で、クビになったことでジェンコンに行けると気がついた。ジェンコンについて知らない諸君のために言うと、ジェンコンとは米国最大の非電源系ゲーム・コンベンションだ。その時はミルウォーキーで開催されていた。私の叔父、叔母はミルウォーキーに住んでいた。その家に泊めてもらうことができるのもわかっていたが、航空券は高く、金銭的にも余裕はなくなってきていた(仕事をクビになったところなのだ)。
ジェンコンに行きたかった理由は、デュエリスト誌の編集長、キャスリン・ハイネスがそこに来ることを知っていたからである。彼女に直接会って、より多くの記事を書かせてもらえるように説得しようと思ったのだ。実際、その判断は正しかった。キャスリンと私は意気投合し、いいコラムのアイデアを提供してくれれば書かせてもらえるという話を取り付けた。私はマジック・プレイヤーの視点でジェンコンを見るという記事(リンク先は英語)と、マジックの第1回世界選手権の決勝観戦記事(リンク先は英語)を書いた。
第1回マジック世界選手権でのマーク・ローズウォーター 1994年ジェンコン
私は自費でジェンコンに行き、その週末の間に、最初の世界選手権の決勝観戦記事を書くことになったのだ。このリスクを冒さなければ、私は首席デザイナーになれていなかっただろうと確信している。リスクを恐れるなかれ、道が閉ざされることを恐れよ。
その4:あらゆる可能性を掴むこと
今日取り上げたかったテーマの1つに、夢の仕事を手に入れるのは受け身ではない、ということがある。ただ座って奇跡が起こることを待っていてもダメだ。奇跡を起こすようにしなければならない。そのための1つの方法に、可能性を掴むということがある。再びここで私の話を例に出させてもらう。
ジェンコンへの旅は成功だった。私はデュエリストのレギュラー・コラムニストになった。ここで、3つのことをはっきりさせておきたい。1つめ、私は最善の仕事をした。全ての時間、全ての意識をつぎ込み、可能な限り最善の仕事をしたのだ。2つめ、私は常に締切を守った。信頼を失うのは一瞬のことだ。3つめ、私はいつでも可能性を追求した。
《過ぎたる実り/Overabundance》 アート: Ben Thompson
私は次から次へと物語のタネを出した。どこででも助けられることがないかと尋ねた。連絡を取った全てのウィザーズ社員と良い関係を築いた。それらによって、いくつかの結果が生まれた。デュエリスト誌で多くのコラムを書くようになった。全体の20%以上を私が書いていたのは1度だけの話ではない。さらに、ウィザーズ内外で私がマジックを理解して締切を守るいいライターだという評判が立った。
ここで理解しておいてもらいたいのは、これは1995年初期の話であり、マジックは爆発的成長を遂げていたということだ。その時点での社員では手が回らなくなっており、フリーランスの仕事が多く発生していた。その中のいくつかは私の仕事になった。その仕事の中にはつまらないものも多かったが、私がきちんと仕事をすれば、ウィザーズに、そしてマジックに、私がする貢献も大きくなると理解していた。私はマジックに関してあらゆる仕事を請けた。最終的には、私はフリーランスで社内の10部署からの仕事を請け負っていたのだ。
話の山場を見るのは簡単だが、フリーランスの仕事は面白くも何ともないものであっても、今につながるものだった。あらゆる可能性を請けていなければ、今私がここにいることはなかっただろう。
その5:不意に訪れる大チャンスを逃さないこと
諸君の人生を振り返ったとき、何が諸君の人生を形作ったのかに気付くと驚くことだろう。私は、自分の妻に初めてキスをしたときのように驚いた。最初に手に取ったコミックがどういう影響をもたらしたかは当時気付いていなかったが、博士が「two birth sacs」という言葉を使った日のことははっきりと思い出せる。私がウィザーズに雇われたのも、同様だ。
《好機/Opportunity》 アート: Patrick Faricy
ほとんどのフリーランスの仕事は家でしていたが、時折ワシントン州レントンにあるウィザーズのオフィスを訪れて働くことがあった。その旅の間に、私は何人もの開発部メンバーを含むウィザーズ社員と知り合うことができた。そんなあるとき、開発部で、後の開発担当副社長マイク・デービス/Mike Davisと話していた私は開発部に人を増やしたいと思っているという話を聞いた。
ここで、諸君に、私はすでに夢の仕事を見つけていたということを伝えておきたい。私はテレビのショーを作っていたことがあった。ゲーム会社で働くと言うことについては考えたこともなかったが、ウィザーズでのフリーランスではすばらしい時間を過ごしてきていたし、マジックを愛していた。私が「シアトルに引っ越したい」と告げたとき、一番驚いたのは誰あろう私自身だった。
この瞬間のことは、はっきりと覚えている、マイクは私に振り向き、「いつから来れる?」と聞いたのだ。
私が人生において下してきた全ての決断において、これがもっとも重要なものだったと考えている(ああ、妻にプロポーズしたときと同じぐらい)。これは非常に怖い決断だった。妻に話をしなければならない。人生設計もし直さなければならない。しかし、その間も、私は自分の決断を疑わなかった。私はこの決断を正しいものだと感じているし、自分の力でつかみ取ったのだ。
その6:最初の目標をこなしても、最終目標の夢の仕事を忘れないこと
私はデザイナーとして雇われたのではなかった。開発部にあった空席はデベロッパーのものだった。歩きながら、私は自分の技術がデザイナー向きであると主張したが、マイクは開発部に必要なのはデザイナーではないと答えた。リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldがいたのだ。そこで、私はデベロッパーとして招かれた。
《指揮官の威厳》 アート: Johannes Voss
本当にやりたいのがデザインであるなら、なにをすればいいか? 私は、長いゲームをプレイしているのだ。私はゲーム・デザイナーになりたい。ゲーム会社に就職できたのはいいスタートだ。しかも開発部所属。夢の仕事には間違いなく近づいている。もうあと一歩だ。それで充分じゃないか。夢の仕事をすぐに手にできなければならないわけではない。我慢して、仕事をしよう。
私は、誰もに、いつかはデザイナーになりたいと明白に主張していた。そして、いつであれ、その可能性を手に入れたらやると。最初の転換点は、私自身が引き起こしたものだ。2年後の(テンペストの)デザイン・チームが組まれていないことを知って、まだ経験がないことが最大の問題だと知っていた私はリチャード・ガーフィールドに私のデザイン・チームに入ってくれるように頼んだ。彼はアラビアン・ナイト以来マジックのデザインをしていなかったが、再びデザインをしたいと思っていたのだ。私はそこにつけ込んで、当時の首席デザイナーに、私をリーダーにしてリチャードを組み入れたデザイン・チームを組むように頼んだ。
私の賭けは成功し、テンペストを作ることになった。チームを組み(リチャード、マイク・エリオット/Mike Elliott、チャーリー・カティノ/Charlie Catino、私)、全身全霊を注いだ。セットの評判は上々で、私の開発部での役職も変化した。人々は私をデザイナーと捉えるようになった。私は自分が可能な限りあらゆるデザイン・プロジェクトに関わるようになった。デベロップも続けていたが、開発部におけるデザイン履歴を積み重ねていったのだ。
それから9年経って、ある日、私はランディ・ビューラー/Randy Buehlerの訪問を受けた。しばらくして、開発担当副社長にしてマジックの首席デザイナーで多忙だったビル・ローズ/Bill Roseが姿を見せた。マジックには、専任の首席デザイナーが必要であった。私はその役職に就くか?
この最後の教訓は、夢の仕事は与えられるものではなく、掴み取るものだということだ。多くの献身と集中が必要である。いつでも重要なのは、得るべきものに目を向け、歩みを止めないということだ。まだ、その夢が遙か彼方であっても。
私はそうしてきたし、最高に幸せなのだ。
ちょっとした夢を夢見よう
これが、私のキャリア・デーの話になる。今日のコラムが諸君にとって、私のここにいたるまでに関する何らかの示唆になっていれば、そして諸君自身の人生において何らかの示唆になっていれば幸いである。このコラムは私にとって非常に個人的なものなので、諸君からの反響が本当に楽しみである。いつもの通り、メール、Twitter、Tumblr、Google+などで意見を寄せて欲しい。
《物語の円》 アート: Aleksi Briclot
諸君には、夢の仕事は手の届かないものではないが、そこに至るには非常な努力と集中が必要だということを知ってもらいたかった。3つの円の中の位置づけを見つけなければならない。愛するものを見つけ出すこと、一歩ずつ踏み出すこと、チャンスを逃さないこと。そして、リスクを受け入れ、自分の可能性を作り出すこと。それをすれば、すばらしい見返りが待っているのだ。
今日のコラムはここまで。来週、そう、来週からはマジック2013のプレビューになる。
その日まで、あなたの夢があなたをより高みへと導きますように。
「次元を渡ろう/Walking the Planes」の話
ネイト・ホルト/Nate Holtはマジックのベテラン・プレイヤーだ。ある日、彼はプロツアーが自分の街にやってくる(プロツアー・フィラデルフィア2011)と気がついた。ネイトは役者で、彼の友人のショーン・コーンハウザー/Shawn Kornhauserはビデオ撮影者だ。2人は協力していくつものビデオを作っていた。ネイトはショーンに、プロツアー・フィラデルフィアのビデオを作ろうと持ちかけた。評判は上々だった。そこで、彼らは昨年12月にサンフランシスコで行われた世界選手権に向けて別のビデオを作った。
世界選手権のビデオは評判になり、ネイトとショーンはウィザーズの公式ビデオを作るように頼まれた。このシリーズが、「Walking the Planes」である。その1では、彼らはグランプリ・シアトル/タコマに行き、その2ではシアトルのゲームショップに行き、その3ではプロツアー「アヴァシンの帰還」でバルセロナに飛んだ。
彼らと私が出ている世界選手権のビデオが気に入った諸君に朗報だ、プロツアー「アヴァシンの帰還」には私も行っていたので、ネイト、ショーンとともにビデオに出演しているのだ。楽しんでくれたまえ!
(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)
昨年、私は娘のレイチェル/Rachelのクラスでスピーチを行なった。彼女の先生は保護者を招いて、そのやってきたことを語らせることを授業に取り入れていて、(アメリカ独立戦争に関する)ゲームを作ることを宿題にしたのだ。そういうわけで、私は招かれ、ゲームデザインの基本について語ったわけだ。そのスピーチの内容は、「ゲームに必要な10のこと」(その1、その2)と題してこのコラムで取り上げている。
今年、また私はレイチェルの学校でスピーチをする機会を得た(新しい中学校だ)。私を含む40人の保護者が、ボランティアでキャリア・デー(訳注:学校で、様々な職業について学ぶ日のこと)に自分の職業について語るために集まったのだ。前回、レイチェルのクラスでのスピーチを元にしたコラムが好評だったので、もう一度やってみることにしよう。
2012年キャリア・デーにおけるマーク・ローズウォーター
私の担当は非常にわかりやすいもので、私のやってきたことと、どうやってその職についたか、そして同じような職につきたければどうすればいいかを40分で語るというものだった。それが充分かと言われればそんなことはなかったが。私はそれ以上の語りたい内容、ゲーム・デザイナーとしての人生論を持っていた。よく考えた後、私は主題を「夢の仕事を掴むため」に決めた。
私は自分の仕事について子供たちに語るのではなく、私が自分の仕事から得たものについて話すことにした。職探しの聖杯について説明したいと思ったのだ。子供たちが将来について考えるとき、高みを目指すべきだと意識してもらえればいいと考えたわけである。
これをコラムに転用するにあたって、ちょっとした問題があることに気がついた。私は、「ウィザーズで職を得た方法」については何年にも渡って語ってきている(マジックとの出会い(リンク先は英語)、ジェンコンにて、そして最初の世界選手権について(リンク先は英語)、初めての遠征を受け入れるまで(リンク先は英語)、そしてシアトルへ(リンク先は英語)と段階を踏んで職を得ているのだ)。これを繰り返すのでは芸がないので、今回のコラムでは職を得るまでの状況についてではなく、思考や決断について語ることにしよう。何が起こったかではなく、どんな決断をしたかに焦点を当てて私がしてきたことを語るのだ。重複する部分はあるだろうが、このコラムで違う切り口を見せられたら幸いである。
また、これからゲーム・デザイナーになるための話をするが、ウィザーズで働きたいという諸君向けにはダグ・ベイアー/Doug Beyerが先日書いたこちらのコラムが充分参考になることだろう。
前置きはこれぐらいにして、それでは始めよう。
可能な夢を夢見るために
私は夢の仕事についている。それは一体どういう意味だろう? 私は、毎日仕事に行くことを楽しみにしている仕事についている。私が愛している仕事だ。私が秀でている仕事だ。私やその家族が生きたいように生きられるだけの収入をもたらしてくれる仕事だ。一言で言えば、仕事というものに私が望むあらゆるものをもたらしてくれ、私の人生をあらゆる意味で高めてくれる仕事についている。
それでは、どうやって夢の仕事を得ることができるのか。今日のテーマは、そういった仕事を見つける助けになるものを諸君にお見せすることだ。
その1:夢の仕事とは何なのかを理解する
私は言葉を使うのが大好きだが、時にはイラストで表す方がわかりやすいこともある(絵と文字の価値比率を誰かが提示してくれないだろうか)。
この画像は、Sam Lamという人物の書いた「Green Eggs and Lam」というブログで見つけたものだ。夢の仕事とは何なのかをこの上なく示していたこの画像を見て、私はすっかり感動してしまった。夢の仕事とは、3つの鍵となる条件(それぞれが1つの円で示されている)の重なり合った部分である。
好きなこと
3つの円の重なったところを見つけるためには、まず、諸君にとってのそれぞれの円を見つけなければならない。この1つめの円は、諸君がやりたいと思うことである。好きなものは、自分で選ぶわけではないことに気付かなければならない。何か惹きつけられるものが先にあるから、諸君はそれを評価しているのだ。各個人には(肉体的、心理的、感情的、精神的)需要があり、それらの需要から人々は何らかの活動や仕事を選ぶことになる。
《気楽な休止》 アート: Rebecca Guay
この円における自分の位置を見いだすことは、内省的な旅になる。自分の情熱がある部分がどこなのか、そして自分が本当に好きなのは何なのかを識別しなければならない。これに関して私が言えることは、諸君は自分の奥深いところで本能的に自分の愛するものを知っている、ということだ。見つけるために必要なのは、探すことではなく、受け入れることだ。自分が幸せになるために必要なものを(もちろん、それが他人を傷つけない限りにおいて)愛するのだ。
人々がその人生においてよくやってしまう失敗に、幸せと他のもの――最悪のものは金だ――を引き替えにしてしまうということがある。幸せになりたければ、幸せであるかどうかを第一に置くことを覚えなければならない。ばかげたアドバイスに聞こえるかもしれないが、人々が自分の幸せを第一に置かないで判断することが多いことは私にとっては驚きである。
人生において、自分の愛するものを見つけ、それを愛し、最優先にし、理解し、それに参加する。これが、第一の円を満たすために必要なことなのだ。
ここで、私の実体験を交えることにしよう。
私の父はゲームのプレイヤーだった。私は子供の頃から、そして今に至るまでずっと、ゲームを楽しみながら育ってきた。ゲームは私の情熱の一部であり続けたわけだ。たとえば、私の住処にある本棚2本をお見せしよう。
私の持っているゲームはこれだけではない。地下室にはもっと大量のゲームを置いた収納棚がある。さらに車庫の倉庫にもゲームの山がある。私は、骨の髄からゲーマーなのだ。
私はただゲームを愛しているだけではなく、ゲームの仕組みを理解することを楽しんでいる。趣味としてゲームをデザインし続けてきた。当時は、私は自分のゲームを売るなんて考えてもいなかった。作ることそのものが楽しかったのだ。テレビのライターになるためにロサンゼルスに住んでいた頃も、やはり余暇にゲームをデザインしていた。サイコロ6つを使ったダイスゲームのPolyhedra、それに時間旅行者2人による対戦型カードゲームのTime Duelを作って、これを出版するための方法についても調べたほどだった。
そのころ、私は自分の部屋で気が狂いそうになっていた。文章を書くこともまた私の情熱の一つだった(今もそうだ)が、毎日1人で文章を書き続けるだけの仕事でおかしくなりそうになっていた。私は人と関わり合いを持てるような別の仕事を探すことにした。金銭的なものは問題ではなかった(衆知の通り、当時の私の仕事は金銭的には恵まれていた)ので、私が楽しめると思う仕事を選んだ。それは、ゲームショップの店員であった。
できること
この円は、就業の鍵となる。仕事を得るためには、その仕事のための技術が必要なのだ。技術を得るための鍵は、時間と意識である。何かに長けるようになるには、それをしなければならない。たくさん、たくさん、たくさんだ。マルコム・グラッドウェル/Malcolm Gladwellの本「天才! 成功する人々の法則」から引用したことがあるが、彼曰く「1万時間の法則」というものがあるという。何かに長けようと思ったら、そのことを絶え間なく振り返りながら1万時間しなければならないというのだ。グラッドウェルはある技術を完全に習得するということについて、その職につくまでに1万時間費やす必要はないが、その技術に意識を向ける必要があるのだと説いている。何かに長じたければどうするか? それをやるのだ。やり続けるのだ。それが終わったら、またそれをやるのだ。
《霊気の達人》 アート: Eric Deschamps
ここに特徴がある。人間は、集中していればより巧く働く。何かをやる動機があれば、それを続けることはより簡単になる。たとえば、私は文章を書くのが好きだ。もしずっと書き続けていれば、より良いライターになるだろうと分かっている。そうするための一つの方法として、そういう状況に自分を追い込むというものがある。つまりこのコラムだ。毎週文章を書くことを義務づけている。締切を設け、毎週文章を書くことで、私は文章を書き続けているのだ。
ここで、このことを私自身とゲーム・デザインに当てはめてみよう。私はゲームを楽しんでいた。そして、私はゲームをデザインすることに興味があるということに気がついた。つまり、私は上達する方法を探す必要があったのだ。そのために何をしたか? まず、このことに関する知識を集めた。ゲーム・デザインに関してありとあらゆるものを読んだ。当時はそれほど数も出ていなかった。今はもうちょっとマシになっている。何も見つからなくても、少なくともこのコラムを読むことはできる。
次に、私はゲームのデザインを始めた。経験に勝る教師はない。何かをする方法を学びたければ、まずそれを始めてみることだ。自分ができないことを理解すれば、それで充分だ。何かにおいて上達するためには、最初はそれが不得手でなければならない。私は、ゲームをデザインするためには一歩を踏み出さなければならないと分かっていたので、踏み出したのだ。
ここに1つの教訓がある。ゲーム・デザインは他のクリエイティブな活動と同様、終わりのないものだ。今手がけているものは、常にどこかに向上できる部分がある。このサイクルを打ち破るために、自分で自分に締切を設ける必要がある。その締切はただの終わる目安であっても構わない。ロサンゼルスでは、私はダイスゲームのPolyhedraをずっと弄っていたのだ。
ラスベガスでゲーム・デザインの会議があり、私はそこに参加することにした。そこに持って行けるように、ダイスゲームを仕上げることにしたのだ。どうやったらゲーム・デザイナーになれるかは知らなかったが、私がゲームをデザインできるということをアピールする必要があると思っていた。また、私は自分でゲームを作ることにも興味があって、そのプロトタイプを見せびらかしたいと思っていたのだ。
儲かること
3つの円の中でもっともやっかいなのはこれだ。最初の2つは、自分の力でなんとでもできる。自分が好きなことを見いだしていなくても、内省して見つける能力自体はある。そして、今まさに言った通り、上達するためには意識的に判断して時間内に仕上げ、よりよいものを作ろうと思うことが重要だ。しかし、この3つめの円は、自分の力ではどうにもならない何かを探さなければならないのだ。
《傭兵騎士/Mercenary Knight》 アート: Adrian Smith
私は少しばかり不公正である。この最後の円を知ることは、諸君が2つめの円で見なければならない技術を方向付ける助けとなることだからだ。どの技術を伸ばすかを決めるにあたっては、どの技術が市場で求められているかを知ることができる。私が選んだ道はそうではなかったが、この3つめの円をただ運だけで終わらせるつもりはない。
私にとって、この最後の円の本当の教訓は、多様化の重要性である。技術を得るという中には、基礎能力を固めて仕事を探すときにいくらかの柔軟性を持たせるようにするということが含まれる。この円のもう一つ重要なところに、身につけた技術をどう使って就きたい仕事に就くか、ということがあるのだ。ここで再び、私自身を例に挙げよう。
長じて、私は以下の技術に習熟することにした。執筆(より広くコミュニケーション全般)、話術、創造的思考、問題解決能力。大学を出て、私はこれらの技術を使ってテレビのシリーズ物を作ろうと考えていた。ゲーム・デザインはこれらの技術を使うにしてもただの趣味だと。これらの技術はいろいろな面で役に立つもので、ゲーム・デザインは趣味の範疇であると思っていたのだ。
興味はゲーム・デザイナーになることに向いていなかったが、これらの技術を磨いていたことで、ウィザーズに雇われる可能性が出た(ゲーム・デザイナーではなかったが)ときにそれを掴むことができたのだ。
この「その1」の重要なところは、夢の仕事を得るためには並ならぬ努力が必要だということである。自分が本当に好きなのは何なのかを見つけなければならないし、そこで必要となる技術を磨かなければならない。そして、それらの技術を使ってどのような仕事があるのかを理解するための調査も必要になる。私がよく言う通り、夢を現実にするための歩みを止めれば、夢は現実にならないのである。
その2:夢の仕事に向かって努力し続けること(それが何なのかが分かっていなくても)
私は、マジックの首席デザイナーであることを愛している。最初から首席デザイナーだったわけではない。マジックのいちファンからマジックの首席デザイナーに至るまでには、長い行程があった。最初は、趣味でゲーム・デザインをしていた。その後、私は自分の部屋を出て人々と交流するためにゲームショップの店員になった。この仕事の間に私はマジックの存在を知り、やがて(1993年8月のロサンゼルスでのコンベンションで)マジックを手に入れ、そしてすぐにはまったのだ。
Duelist #1次の転機は、1994年1月、創刊されたばかりのデュエリスト誌(ウィザーズが出していた、マジック専門誌。DailyMTG.comの祖先とも言える)を買ったときだ。私はそれを隅々まで読み、心ゆくまで楽しんだが、何かが足りないと感じた。あまりにも初心者向けで、私のように少しばかり経験を積んだプレイヤー向けの記事がなかったのだ。どうすればそれを解決できるか、私は考えを巡らした。
私が考えたのは、既存のカードを使って、マジックのゲーム中に何らかの条件(大抵はそのターン中に勝てというもの)を満たさせるというパズル・コラムだった。そのアイデアを思いついて、私はその考えを示すためのいくつかのパズルを作り始めた。ここでの教訓は、ほとんどの人は可能性に気付かないということだ。何かを誰かに理解させたければ、それに充分近いものを作って見せる必要がある。これはマジックのデザインについても同じことだ。たとえば私がメカニズムに関するクールなアイデアを持っていたなら、そのメカニズムを組み込んだカードをデザインしてテストプレイに供する必要があるものなのだ。
《思い起こし》 アート: Terese Nielsen
パズルが仕上がったら、次はそれをどうやってデュエリスト誌の編集者に届けるかを決めなければならない。幸いにして、ロサンゼルスで開かれた別のゲーム・コンベンションで、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストの人間が参加していた。私はスティーブ・ビショップ/Steve Bishop(ウィザーズにおける、当時はイベントと呼ばれていた、最初の組織化プレイ責任者)に話し、デュエリスト誌の編集長であるキャスリン・ヘインズ/Kathryn Hainesの名前を教えてもらうことができた。私は自作のパズルを持っていて、スティーブは好意からそれをキャスリンに届けてくれることになった。
数ヶ月間、キャスリンからは特に連絡もなかった。最終的に、我慢できなくなった私は彼女に電話をかけた。パズルの話を聞くと、彼女はパズルが非常に気に入ったと教えてくれた。そのパズルは翌月発行のデュエリスト第1.5号に掲載されることになると(歴史マニアのために添えておくと、第1.5号は第2号までの中継ぎに発行された縮小版である)。
ここまでに私が取った行動は、情熱に突き動かされたものだということに注意してもらいたい。仕事を得ようと思ってやったわけではない。私はただ、自分の愛するもののために何かをしようとしただけだ。究極の夢の仕事が何なのかを気づきもしないまま、その地盤固めをしているように見えるかもしれない。
ここでの教訓は、夢の仕事が何なのかを見つけられていなくても、夢の仕事に向かって歩くことはゴールに近づくことだ、ということである。意味が分かるだろうか? 情熱に従うのだ。1つめの円がなんだったか、思い出してみるといいだろう。また、自分が好きなことに能動的に働くことは、2つめの円においても有意義なことである。私は、私がゲームが好きだと知っていたし、私自身の技能を使って私の愛するゲームに協力しようとした。膝を抱えて人生が過ぎゆくのを眺めていたわけではなく、円を埋めていたのだ。
その3:リスクを恐れないこと
人生最大のリスクは、リスクを避けることだ。興味深いことに、これはマジックのデザインにも当てはまる。私のマジックのデザイナーとして成し遂げてきた実績から言うと、誰かの考え通りにやることは良いことではない。分割カード、部族テーマ、ギルドのブロック構造、土地セット、ホラー・ブロック、両面カード――もし私が特定の誰かの意見を聞いたなら、どれも物にならなかっただろう。
《ひたむきな殉教者/Dedicated Martyr》 アート: Dave Dorman
私がリスクを取り上げるのは、何か目標を目指すなら快適な空間から出て何かを起こさなければならないときが訪れるからである。なぜか? なぜなら、人生は思うままにはいかないからだ。人生は可能性をもたらすが、それを活かすのは諸君自身なのだ。場合によっては、可能性すらも自分で作り出さなければならない時がある。たとえば――
私のパズル・コラムは「Magic: The Puzzling」となり、大成功を収めた。誌上でももっとも評価が高いコーナーになった。すぐに、私は自分の執筆能力を活かせるような解答編コラムを書き始めた。解答と解答の合間に、雑多な物語を入れた――まあ、黒歴史だ。
そのとき、私はそれ以上のものを求めることにした。マジックを心から楽しんでいたし、マジックに深く関われるならすばらしいことだと思った。私は自分の寄与をより強めたいと思ったのだ。最大の問題は、どうやって寄与するかだ。そして、ある日、私はゲームショップをクビになった。今に至るまで、なぜクビになったのかは分からない。前月は、パートタイムだったにもかかわらず最大の売り上げを上げていたのだ! 新しい店長は新人を使いたいと考え、私をクビにしたわけだ。(私の型破りな性格や足が痛くなる靴を履かなかったことが問題かも)
その日、家に帰る途中で、クビになったことでジェンコンに行けると気がついた。ジェンコンについて知らない諸君のために言うと、ジェンコンとは米国最大の非電源系ゲーム・コンベンションだ。その時はミルウォーキーで開催されていた。私の叔父、叔母はミルウォーキーに住んでいた。その家に泊めてもらうことができるのもわかっていたが、航空券は高く、金銭的にも余裕はなくなってきていた(仕事をクビになったところなのだ)。
ジェンコンに行きたかった理由は、デュエリスト誌の編集長、キャスリン・ハイネスがそこに来ることを知っていたからである。彼女に直接会って、より多くの記事を書かせてもらえるように説得しようと思ったのだ。実際、その判断は正しかった。キャスリンと私は意気投合し、いいコラムのアイデアを提供してくれれば書かせてもらえるという話を取り付けた。私はマジック・プレイヤーの視点でジェンコンを見るという記事(リンク先は英語)と、マジックの第1回世界選手権の決勝観戦記事(リンク先は英語)を書いた。
第1回マジック世界選手権でのマーク・ローズウォーター 1994年ジェンコン
私は自費でジェンコンに行き、その週末の間に、最初の世界選手権の決勝観戦記事を書くことになったのだ。このリスクを冒さなければ、私は首席デザイナーになれていなかっただろうと確信している。リスクを恐れるなかれ、道が閉ざされることを恐れよ。
その4:あらゆる可能性を掴むこと
今日取り上げたかったテーマの1つに、夢の仕事を手に入れるのは受け身ではない、ということがある。ただ座って奇跡が起こることを待っていてもダメだ。奇跡を起こすようにしなければならない。そのための1つの方法に、可能性を掴むということがある。再びここで私の話を例に出させてもらう。
ジェンコンへの旅は成功だった。私はデュエリストのレギュラー・コラムニストになった。ここで、3つのことをはっきりさせておきたい。1つめ、私は最善の仕事をした。全ての時間、全ての意識をつぎ込み、可能な限り最善の仕事をしたのだ。2つめ、私は常に締切を守った。信頼を失うのは一瞬のことだ。3つめ、私はいつでも可能性を追求した。
《過ぎたる実り/Overabundance》 アート: Ben Thompson
私は次から次へと物語のタネを出した。どこででも助けられることがないかと尋ねた。連絡を取った全てのウィザーズ社員と良い関係を築いた。それらによって、いくつかの結果が生まれた。デュエリスト誌で多くのコラムを書くようになった。全体の20%以上を私が書いていたのは1度だけの話ではない。さらに、ウィザーズ内外で私がマジックを理解して締切を守るいいライターだという評判が立った。
ここで理解しておいてもらいたいのは、これは1995年初期の話であり、マジックは爆発的成長を遂げていたということだ。その時点での社員では手が回らなくなっており、フリーランスの仕事が多く発生していた。その中のいくつかは私の仕事になった。その仕事の中にはつまらないものも多かったが、私がきちんと仕事をすれば、ウィザーズに、そしてマジックに、私がする貢献も大きくなると理解していた。私はマジックに関してあらゆる仕事を請けた。最終的には、私はフリーランスで社内の10部署からの仕事を請け負っていたのだ。
話の山場を見るのは簡単だが、フリーランスの仕事は面白くも何ともないものであっても、今につながるものだった。あらゆる可能性を請けていなければ、今私がここにいることはなかっただろう。
その5:不意に訪れる大チャンスを逃さないこと
諸君の人生を振り返ったとき、何が諸君の人生を形作ったのかに気付くと驚くことだろう。私は、自分の妻に初めてキスをしたときのように驚いた。最初に手に取ったコミックがどういう影響をもたらしたかは当時気付いていなかったが、博士が「two birth sacs」という言葉を使った日のことははっきりと思い出せる。私がウィザーズに雇われたのも、同様だ。
《好機/Opportunity》 アート: Patrick Faricy
ほとんどのフリーランスの仕事は家でしていたが、時折ワシントン州レントンにあるウィザーズのオフィスを訪れて働くことがあった。その旅の間に、私は何人もの開発部メンバーを含むウィザーズ社員と知り合うことができた。そんなあるとき、開発部で、後の開発担当副社長マイク・デービス/Mike Davisと話していた私は開発部に人を増やしたいと思っているという話を聞いた。
ここで、諸君に、私はすでに夢の仕事を見つけていたということを伝えておきたい。私はテレビのショーを作っていたことがあった。ゲーム会社で働くと言うことについては考えたこともなかったが、ウィザーズでのフリーランスではすばらしい時間を過ごしてきていたし、マジックを愛していた。私が「シアトルに引っ越したい」と告げたとき、一番驚いたのは誰あろう私自身だった。
この瞬間のことは、はっきりと覚えている、マイクは私に振り向き、「いつから来れる?」と聞いたのだ。
私が人生において下してきた全ての決断において、これがもっとも重要なものだったと考えている(ああ、妻にプロポーズしたときと同じぐらい)。これは非常に怖い決断だった。妻に話をしなければならない。人生設計もし直さなければならない。しかし、その間も、私は自分の決断を疑わなかった。私はこの決断を正しいものだと感じているし、自分の力でつかみ取ったのだ。
その6:最初の目標をこなしても、最終目標の夢の仕事を忘れないこと
私はデザイナーとして雇われたのではなかった。開発部にあった空席はデベロッパーのものだった。歩きながら、私は自分の技術がデザイナー向きであると主張したが、マイクは開発部に必要なのはデザイナーではないと答えた。リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldがいたのだ。そこで、私はデベロッパーとして招かれた。
《指揮官の威厳》 アート: Johannes Voss
本当にやりたいのがデザインであるなら、なにをすればいいか? 私は、長いゲームをプレイしているのだ。私はゲーム・デザイナーになりたい。ゲーム会社に就職できたのはいいスタートだ。しかも開発部所属。夢の仕事には間違いなく近づいている。もうあと一歩だ。それで充分じゃないか。夢の仕事をすぐに手にできなければならないわけではない。我慢して、仕事をしよう。
私は、誰もに、いつかはデザイナーになりたいと明白に主張していた。そして、いつであれ、その可能性を手に入れたらやると。最初の転換点は、私自身が引き起こしたものだ。2年後の(テンペストの)デザイン・チームが組まれていないことを知って、まだ経験がないことが最大の問題だと知っていた私はリチャード・ガーフィールドに私のデザイン・チームに入ってくれるように頼んだ。彼はアラビアン・ナイト以来マジックのデザインをしていなかったが、再びデザインをしたいと思っていたのだ。私はそこにつけ込んで、当時の首席デザイナーに、私をリーダーにしてリチャードを組み入れたデザイン・チームを組むように頼んだ。
私の賭けは成功し、テンペストを作ることになった。チームを組み(リチャード、マイク・エリオット/Mike Elliott、チャーリー・カティノ/Charlie Catino、私)、全身全霊を注いだ。セットの評判は上々で、私の開発部での役職も変化した。人々は私をデザイナーと捉えるようになった。私は自分が可能な限りあらゆるデザイン・プロジェクトに関わるようになった。デベロップも続けていたが、開発部におけるデザイン履歴を積み重ねていったのだ。
それから9年経って、ある日、私はランディ・ビューラー/Randy Buehlerの訪問を受けた。しばらくして、開発担当副社長にしてマジックの首席デザイナーで多忙だったビル・ローズ/Bill Roseが姿を見せた。マジックには、専任の首席デザイナーが必要であった。私はその役職に就くか?
この最後の教訓は、夢の仕事は与えられるものではなく、掴み取るものだということだ。多くの献身と集中が必要である。いつでも重要なのは、得るべきものに目を向け、歩みを止めないということだ。まだ、その夢が遙か彼方であっても。
私はそうしてきたし、最高に幸せなのだ。
ちょっとした夢を夢見よう
これが、私のキャリア・デーの話になる。今日のコラムが諸君にとって、私のここにいたるまでに関する何らかの示唆になっていれば、そして諸君自身の人生において何らかの示唆になっていれば幸いである。このコラムは私にとって非常に個人的なものなので、諸君からの反が本当に楽しみである。いつもの通り、メール、Twitter、Tumblr、Google+などで意見を寄せて欲しい。
《物語の円》 アート: Aleksi Briclot
諸君には、夢の仕事は手の届かないものではないが、そこに至るには非常な努力と集中が必要だということを知ってもらいたかった。3つの円の中の位置づけを見つけなければならない。愛するものを見つけ出すこと、一歩ずつ踏み出すこと、チャンスを逃さないこと。そして、リスクを受け入れ、自分の可能性を作り出すこと。それをすれば、すばらしい見返りが待っているのだ。
今日のコラムはここまで。来週、そう、来週からはマジック2013のプレビューになる。
その日まで、あなたの夢があなたをより高みへと導きますように。
「次元を渡ろう/Walking the Planes」の話
ネイト・ホルト/Nate Holtはマジックのベテラン・プレイヤーだ。ある日、彼はプロツアーが自分の街にやってくる(プロツアー・フィラデルフィア2011)と気がついた。ネイトは役者で、彼の友人のショーン・コーンハウザー/Shawn Kornhauserはビデオ撮影者だ。2人は協力していくつものビデオを作っていた。ネイトはショーンに、プロツアー・フィラデルフィアのビデオを作ろうと持ちかけた。評判は上々だった。そこで、彼らは昨年12月にサンフランシスコで行われた世界選手権に向けて別のビデオを作った。
世界選手権のビデオは評判になり、ネイトとショーンはウィザーズの公式ビデオを作るように頼まれた。このシリーズが、「Walking the Planes」である。その1では、彼らはグランプリ・シアトル/タコマに行き、その2ではシアトルのゲームショップに行き、その3ではプロツアー「アヴァシンの帰還」でバルセロナに飛んだ。
彼らと私が出ている世界選手権のビデオが気に入った諸君に朗報だ、プロツアー「アヴァシンの帰還」には私も行っていたので、ネイト、ショーンとともにビデオに出演しているのだ。楽しんでくれたまえ!
(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)