沈黙の時
前回の物語:真夜中に
領事府の戒厳令による圧力下、ゲートウォッチは危険な工匠テゼレットの計画を暴き出そうにも力を発揮できずにいる。テゼレットが領事府を支配し指導者として立ち続ける中、気が付けばゲートウォッチは反逆の改革派対政府という現地の紛争に巻き込まれていた。これは介入か、押しつけか。小競り合いの狭間で、ギデオン・ジュラはその僅かな差を見定めようとしている。
ギデオンは杯を覗きこんだ。多元宇宙の異なる世界でも変わらないものは、彼をいつも驚かせ続けていた。この熱く泡立ったカーピというものは、ジェイスが私室で食後にいつも暴飲しているラヴニカのコーヒーとは味も口当たりも異なるのは確かだった。それでもこの飲料の苦味と、疲れた心をうずかせる刺激は同じものだった。
ギデオンは自身の席から見上げた。彼が座しているこの小さなカフェは目の前の眩しい広場を良く見通せる。優雅な建築物が、渦巻く雲で彩られた鮮やかな青空を縁どっている。華麗な広場の意匠を、ひときわ美麗な噴水が一つにまとめ上げている。戒厳令前には間違いなく人々でごった返したであろう広場の光景をギデオンは想像した――今はまばらな歩行者が数人、がらんとした空間を速足で横切るだけだった。純然たる対照。彼らはうつむきがちに数歩先だけを見ていた。
この政治的圧力下にあっても、ギラプールの街はきらめいていた。
ゲートウォッチがカラデシュにやって来て数週間が過ぎていた。テゼレットとの衝突、戒厳令の発令と発明品の押収から数週間。彼らは身を潜め、隠れ処から隠れ処へと移動することに多くの時間を費やし、ピアと改革派に力を貸しつつテゼレットの計画に関する情報を集めていた。
それでもギデオンは未だに、ここにいるべきかどうか迷っていた。
ジェイスとリリアナはテゼレットの存在について警告しており、それは正真正銘のものに思えた。だがテゼレットが示す具体的な脅威の詳細については二人とも口を閉ざしていた。そう、テゼレットは政治体制に入り込み、カラデシュの主導権を握っている。それは間違いなくギデオンが懸念するものであり、ゲートウォッチが調査するに足りる理由だった。だがカラデシュ地元政府とテゼレットとの関わり合い、そして領事府と改革派との関係は事態を複雑にしていた。エルドラージと、それらがゼンディカーやイニストラードに及ぼす脅威を断つことには何ら疑問の余地はなかった。だが歯車を鳴らすカラデシュ製の自動機械をスーラで切り裂き、ただこの地の法を守ろうとする領事府と戦うことは……
遥かに複雑な問題だった。
ギデオンはコーヒーを口にした。良き司令官というものは明晰な思考を保っていなければならない、交戦状態の混乱と騒ぎの中でも。軽率な行動の必要性を我慢する、手の届く紛争の批評的な評価とともに。彼はどんなにかこの沈黙の時を大切にしていた、昨今の戦いの合間の静穏を。彼は深呼吸をした。
基本に立ち返ろう。
ゲートウォッチはカラデシュにいる、テゼレットの脅威を見定め、無効化するために。
ギデオンはかぶりを振った。これすらも完全に正確ではない。自分に正直になるなら、チャンドラのためにここに来たのだ。
自分は、チャンドラのために来たのだ。友のために。
テゼレットは付加的な理由、ここに来て初めて発覚した脅威だった。確かに今ゲートウォッチがここにいる理由はテゼレット、だが自分達全員が来た元々の理由は、チャンドラ――そして彼女がここに留まっているのはピアのためだった。彼女らがいるからこそ、今ゲートウォッチは改革派の側で戦っている。敵の敵は味方――だがゲートウォッチはこの次元内紛争の一方に肩入れすべきなのだろうか? 次元内の反逆勢力に与するべきか、それともカラデシュ政府側に協力し、バーンや領事府と共に動いてテゼレットの危険と脅威を内から暴き出すべきだったのだろうか――未だ、何らはっきりとした回答も定義も持たない脅威を?
だが同時に、領事府がチャンドラの両親に成したことを知った上で、果たしてバーンと共に動けただろうか? ピアを見捨て、チャンドラの信頼を裏切ってしまうなど?
若い頃、法の執行者と言い張る者らによって不当に拘束されていた。ラヴニカで過ごしていた頃、ボロスのために神聖術を振るい、正義の側で戦っていた。法の勢力とそれを拒む者らとの戦い、このような紛争はこれまでに何度か目にしていた。そしてギデオンはどちらの側についた事もあった。
どうするべきか、今までで最もわからないように思えた。
小型の飛行機械が一体、卓へと飛んできた。彼は眉をひそめ、片手を差し出した。その飛行機械は広げた掌の上に静止し、霊気コイルが三度脈動した。長く、短く、長く、そして午後の中へ飛び去っていった。ギデオンは溜息をついた。ピアから話がある。
沈黙の時は終わった。ギデオンはコーヒーを飲み干して立ち上がり、ヤヘンニ宅へ戻るべく回り道をとった。
数時間後
彼女は屋上にいた。当初、その髪が今も燃え盛っているように思えた。だが歩いて近づくと、ただ赤と橙に陽光が揺らめいてそう見えていただけだとわかった。彼女は端の柵に腰かけ、彼からは顔をそむけ、足をぶらつかせていた。ギデオンは隣で立ち止まり、都市を見つめるその視線を追った。ヤヘンニの館は高層で、壮観な眺めを提供してくれる。あのような短い生涯の間にいかにしてこれほどの富を蓄えられるのか、ギデオンはしばし驚嘆し――そしてギラプールの光景が彼の思考を奪い去った。不規則に伸びる街路とそびえる建築物が遠くまで広がり、低くなりつつある太陽の光に金属が鈍くあるいは眩しくきらめき、影が深くなるほどに際立つ霊気の青色を輝かせていた。
「綺麗な所だな」 ギデオンは柵にもたれかかった。
「ここが私の故郷だった所。今もそうなのかは、よくわかんないけど」 彼女は唇を噛み、両目は地平線を見据えていた。
「思えばずっと慌ただしくて、街をよく見ることができたのはこれが初めてだ」 ギデオンの視線は地平線から眼下の敷石の街路へと移った。「綺麗な所だよ、チャンドラ」
チャンドラは顔をしかめた。「今まさにあの忌々しい領事府の旗がそこらじゅうの窓や建物から隙間もないくらいぶら下がってるのに」 彼女は参ったというように両手を上げた。「こんな短い間にどうやったのよ。本当わかんない」
ギデオンは溜息をついた。「チャンドラ……」
「で、あんたは何でずっと黙ってたのよ、さっきの話し合いでさ。お母さんが話して改革派の次の攻撃計画を立ててるだけだったじゃない。手を貸すとも言わなくて」 チャンドラは振り返ってギデオンを睨み付けた。「あんたが黙ってるってのは苛つくのよ、ギデオン。私達は領事府を倒そうとしてて、あんたは――」
「そうじゃない、私達は」 ギデオンは一瞬だけ躊躇した。言わないでいるべきか、それとも本当の事を言うべきか。
彼の瞳がチャンドラを見据えた。その視線に疑念は燃えて消えた。まっすぐに話せ。いつでも。
「君のために来たんだ」
炎のひとひらがチャンドラの髪にひらめき、ギデオンは熱のうねりを感じた。「へえ。あんたが来たのは、何よ、私を守らなきゃとかそんなことを思ったから?」
「君が気になったから来たんだ、チャンドラ」 ギデオンは微笑んだ。柔らかく。穏やかに。「私達は見守ることを誓った。それは、互いを見守るということでもある。互いの背中を守るということだ」 そして眉をひそめて付け加えた。「それがリリアナでも、な」
チャンドラは笑った。心からの笑い声、だがそこには不満が滲んでいた。「じゃあ何でお母さんが領事府をやっつける計画を話してる時、黙ってたのよ? 私の背中を守ってくれるなら、お母さんも守ってよ。私はお母さんの力になりたい、ならなきゃいけない。私は、あんたの力が欲し……い……お母さんのために」 チャンドラは不満に地団駄を踏んだ。「私の言いたいこと、わかる?」
ギデオンは柵の上によじ登り、チャンドラの隣に腰かけた。「わかるさ、チャンドラ。私達皆が、私が、君の力になりたいと思っている。だがゲートウォッチはテゼレットに集中しなければいけない。領事府ではなくて」
チャンドラは眉をひそめた。「でもテゼレットと領事府は同じものでしょ。少なくとも今はそう」 彼女は視線を険しくした。「そして領事府は燃やしてやるわ」
ギデオンはかぶりを振った。「チャンドラ、君自身の復讐心でゲートウォッチの目的を曇らせてはいけないよ」
チャンドラはギデオンへと向き直った。その瞳には怒りが火花を散らしていた。「ねえ、私の背中を守るって言ったわよね。でも、あんたはゲートウォッチのギデオンとしてここにいるの、それとも私の友達のギデオンとしてここにいるの?」
ギデオンは溜息をついた。「それは……わからない。どちらの私も同じものだと思っていた」
幾つかの悪態がチャンドラの唇を震わせ、だが彼女は懸命にそれを飲み込み、そして叫び一つと炎の一筋を暗くなりつつある空へと放った。ギデオンは、自分達の居場所を明かしてしまう可能性について彼女を咎めることを我慢した。
そして二人はしばし、黙ったまま立っていた。
やがてギデオンが沈黙を破った。
「君の両親と領事府の間に何があったのか、私は詳しい事は知らない。ここで、カラデシュで何が起こったのか、全てを知っているわけではない。知っているのは私自身の心だけだ。私は友人として、何よりも、君の苦痛の盾となって、君が正義を見出す力になりたい」
小さな微笑みがチャンドラの顔によぎった。ギデオンも微笑み、そして眉をひそめた。
「……けれど何もかもに火をつけるって意味じゃないからな」
チャンドラは視線を動かした。「あんたがやるのは、何を燃やしたら駄目かを教えることでしょ」
「少し違うな。燃やすべきものを教えることもある」
心とは裏腹に、チャンドラは含み笑いをもらした。「変なの。あんたも、その決めごとも」
ギデオンはかぶりを振った。「どれも取るに足らないことに見えるかもしれない、だが大切なことだ」 ギデオンは都市そのものを示すように腕を振った。「私達はただ世界から世界へと渡り歩くだけでなく、世界それぞれの問題に干渉し、自分達の正義や意志を押し付けている。私達は、一歩間違えたなら暴虐の魔道士になってしまう」
チャンドラはいぶかしげな視線をギデオンに向けた。「それ、私の誓いの引用?」
ギデオンは肩をすくめた。「君に影響されたのかもな」
チャンドラは笑い、そしてその笑い声は嘲りに変わった。「法に縛られる不滅の戦士さん、あんたは重く考えすぎよ」
「生きた火の玉くん、君が情け深く親切なのは間違いない。けれどチャンドラ、私達皆、自分達の力以上の存在なんだ」
チャンドラは両手を見下ろし、小さな火花と燃えさしが指先の間に踊った。ギデオンは自身の両手を掲げ、左手は右手首に取り付けられたスーラを辿った。
「私は限界を知り、限界を定めることの大切さを学んできた。さもなくば自分だけでなく、愛する者も、この傲慢さの重荷を背負うことになる」
チャンドラの両目に疑問が宿った。ギデオンは深呼吸をし、語ろうとした。誰にも話したことのない物語を――だが彼の過去はずしりと重く動かないまま、胃袋の底に居座っていた。二人はそのまま座り続け、太陽が地平線へと滑り込む間も沈黙が張りつめていた。最後の光線が消えると、彼はチャンドラの手が肩に置かれるのを感じた。自分の仕草を真似されたことに気付き、ギデオンは彼女へと微笑みかけた。
「あんたを信頼してるわ、ギデオン・ジュラ」 チャンドラは慰めるようにギデオンの肩へと力をこめた。「それと、この憎らしさをかけて、テゼレットを止めることに集中してみる……今は。きっと。約束はできないけど」 チャンドラは柵から立ち上がり、跳び越えて屋上へと戻った。「でも私はお母さんと改革派の力にだってなるつもりだから。ゲートウォッチの一員としてじゃなくて、ピア・ナラーの娘として」
ギデオンも立ち上がった。「そうするといい。お母さんと一緒に過ごすのは良いことだ。何を置いても……その時間を取り戻すべきだ。それに改革派の計画を知れば、テゼレットに対して行動に移る時には何よりも役立つだろう」 ギデオンは屋上から降りる階段へと歩きだした。「ゲートウォッチの皆と、あるいはアジャニさんにも共有すべきだな。テゼレットが何を考えているのかをどう調べ、止めるかを」
チャンドラは彼が去るのをしばし見つめていた。「ねえ!」 ギデオンは振り返った。「私だって、あんたの力になりたいんだからね」
チャンドラはギデオンに追い付き、その腕を軽く突き、そして追い抜くと階段を二段飛ばしで降りていった。ギデオンの方ではそれを追いかけながらも、胸に張りつめたものを気にせずにいようと務めていた。
数日後
「話すことがある」 ギデオンは力強く扉を閉め、息まいた。リリアナは部屋を横切りながら視線を動かした。
「お好きにどうぞ」
「私達は殺さない」
「そうね、あの大きな猫男は誰も殺さない」 リリアナは衣装部屋を勢いよく開いた。ゲートウォッチのためにヤヘンニが用意したもので、彼女はその中を漁り始めた。「もう誰も、ですってね」 そのプレインズウォーカーの口ぶりを不気味なほどに真似て言い、そしてまた視線を動かした。「とっても立派。謎めいてること」
「私達もだ」 ギデオンは歩み出して衣装部屋の扉を閉じ、リリアナに顔を向けさせた。彼女は声をあげて笑った。
「あら、ごめんなさい。スレイベンでは敵を雑草みたいに切り殺しているのを見かけた覚えがあるのだけれど」
「あれはエルドラージの怪物だ。ここにいるのは人々だ」
「じゃあ、醜いのだけを殺す? それなら簡単、あいつは十分に条件に合ってるんじゃない」 リリアナは衣装部屋を再び開け、捜索を再開した。ギデオンは疑念を込めて言い放った。
「必要にかられた以外は殺すんじゃない! そして今は――」
「今がその『必要にかられた』状況よ。あの領事府軍は私達を見て、特定して、攻撃してきた。だったら何、そいつらを気絶させて目覚めさせてから、私達がこの家から出て来る所の記憶を魔法で忘れさせろとでも?」
リリアナは大きめの白いクルタを取り出し、素早く値踏みするように見て、それを肩にかけた。「記憶を消すのは私の特技じゃないし、そっちなら馬鹿げた偵察任務に走り回ってるのがいるでしょ。私は自分の得意なことをしただけ」 彼女は振り返り、ギデオンへと上品ぶった笑みを見せた。「死なんてただの道具。私はただその道具の扱いが凄く得意なだけ」
「死は何としても使うべきでない道具だ。死の魔道士としては受け入れ難いかもしれないが」 気が付くとギデオンは拳を握りしめては緩めていた。そして深く息をついた。
「あらあら。貴方、私がここに来てから、殺そうと思ってやめた人数をご存知?」 リリアナはそのクルタをギデオンへと投げつけた。「それと、あなたがここの服を着て辺りに馴染んでくれれば、もっと目立たなくなるのだけど?」
ギデオンは自分の服を見て、そしてリリアナを睨み付けた。深い溜息。彼は黙って服をまくり上げた。彼女は私を挑発しようとしている。彼はその衣服を近くの長椅子に置いた。
「非難されなくとも、私は自分が終わらせる命の責任を負う」 リリアナは視線を動かしたが、ギデオンは彼女を見つめたままでいた。「リリアナ、私は貴女を信頼したい。だが貴女が私達の行動の大前提を裏切ってしまうなら、それは難しくなる」
「自分達が何をしているのかもわからないのに?」 リリアナの表情は皮肉を帯びた歓喜から一瞬にしてひどく真面目なものになった。「領事府や改革派と無駄に遊んでいる間に、テゼレットを倒すべきよ」
「その通りだ」 リリアナが一歩下がり、目をしっかりと合わせたことにギデオンは少し満足した。「だからこそジェイスが領事府軍を探ってテゼレットの計画を詳しく暴き出そうとしているし、ニッサとヤヘンニさんが都市の霊気の流れを辿って、テゼレットが命令を下している場所を探し出そうとしている。居場所のわからない者を止めるのは困難だ」
リリアナは嘲った。「母親を連れて改革派と騒ぐチャンドラはどうなのかしら? 『おばあちゃん』を守って同じことをする猫男は? それもゲートウォッチの行動だっていうの?」
「戦いとなれば、準備万端の改革派の仲間がいることに損はない」 だがギデオンの言葉と声には確信が欠けていた。
「ああ、そうね。じゃあ、あなたが命令する軍隊を待っているだけでいいのね。殺さない魔法の戦いをする。私達を捕まえるか殺すかするために送られてくる軍とのね」
リリアナはギデオンへ音もなく近づき、その顔を見上げた。
「保証してあげる、ギデオン。テゼレットはあなたと同じ規則には従わない。そして止めなければ、あいつは私よりもずっと沢山殺すでしょうね」
彼女の声は囁きに等しかったが、その言葉は柔らかな息の音となって大気に居残った。「結局のところ、この次元で私が殺したい相手はただ一人だけ。あいつがそう。そうなって当然」 その言葉とともに、彼女は背を向けて階段へと歩きだした。
「そいつは貴女に何をしたんだ?」
ギデオンの言葉にリリアナは立ち止まり、疑問に眉を歪めて振り返った。
「その話し方だ。何かをされたんだろう? 何か個人的なものを奪ったのか」 穏やかな確信の表情をまとい、ギデオンは彼女の視線を受け止めた。
「あいつは次元間犯罪組織の主導者で、世界を超えて危険な物品を売り買いしていた。残酷さと狂気を増すばかりの性格で、友も敵も操って殺すし、主張のためだけに村も焼く奴よ」
ギデオンはかぶりを振った。「それは、君が考える、私がテゼレットを止めたいと思うであろう理由だ。貴女が何故そいつを止めたいのかを、殺したいのかを知りたい」
しばし、リリアナは本当に口がきけなくなったように見えた。ギデオンは彼女を見つめ続けた。その瞳の中に何かがひらめくのが見えた、紫の泉の奥、決意が現れた。
「あいつは私の大切なものを傷つけた。私のものを壊した」 その口調は平坦で、だがその下にギデオンは怒りと憎悪の棘を感じた。
「私の邪魔をしないで頂戴。あいつに引導を渡し、この虚飾すべてを終わらせてやるわ」
リリアナは背を向けて階段を滑るように上っていった。一段ごとに靴の踵が鋭い音を鳴らした。
ギデオンは溜息とともに顔を手で覆った。それが真実の全てではないことは確かだった。とはいえ、彼女から引き出した最大の真実であることもまた確かだった。
数日後、ボーマット地区
領事府の突撃車が彼へと殺到してきた。金属の車輪が石畳で悲鳴を上げ、彼の耳をつんざいた。
息を吸う。
まっすぐに自分へと疾走してくる機体へ、彼は左肩を向けた。そして防御の姿勢で両腕を構え、衝突の衝撃に備えて足を広げた。
敵を見ろ。
黄金色の光の波が身体を走り、皮膚がちらちら光った。この突撃車はテーロスで街を蹂躙した怒れるハイドラとそう変わりはなかった――ただ、衝突の直前に見たのは凶暴な獣の目ではなく、恐怖におびえた操縦者の瞳孔だった。
息を吐く。
突撃車がギデオンに衝突した。両足はその威力に後ずさり、地面にめり込むと敷石が砕けて破片が飛び散った。突撃車は砕け散り、破片がそこかしこに舞い、歯車やひしゃげた金属の破片がギデオンの魔法的に難攻不落の身体に飛来し、彼に当たって黄金の火花が散った。機体が爆発している混乱の最中にあっても、ギデオンの両目はその操縦士に定められていた。そしてその不運な男が破壊された機体から前方に放り出されると、ギデオンは両腕を伸ばして受け止め、衝撃を和らげるとともに飛散する破片から守った。
片目の瞬き。つい先ほど、恐るべき領事府の突撃車が街路を疾走していた。次の瞬間、散らばった屑鉄の前で、呆然とした操縦士がギデオンの腕の中に守られていた。
「今日の仕事は終わりだな」 ギデオンはその操縦士を下ろし、好意的に肩を叩いた。
その操縦士が何か反応したとしても、巨大な金属の拳に殴られたギデオンには見えなかった。彼は弾き飛ばされ、近くの建物の壁に叩きつけられた。操縦士が見上げると、その両目は鋼灰色をした自動機械の虚ろな視線と合った。そびえ立つ高さは十二フィート、領事府の赤と金をまとっていた。
操縦士は一瞬呆けていたが、鋼灰色の自動機械がギデオンらしき形状にあいた壁の穴に向かって足を踏み鳴らすと、全速力でその逆方向へ駆け出した。機械の進軍は別の自動機械によって遮られた。奇妙なほどに似通った設計の、だが黄金色の金属で作られた自動機械が駆けてきて頭突きをした。領事府の構築物は平衡を回復し、そして二体は殴り合いを始めた。同時に、青と赤紫色をまとった小柄な女性がその穴へと駆け寄った。
「ギデオンさん! 無事ですか? すみません――私、二体目の機械を見ていなくて!」
ギデオンは瓦礫の中から這い出し、頭部を振って肩から埃を払った。
「大丈夫だ、サヒーリ――むしろ、貴女があれを見逃したという事の方が心配だ」 ギデオンは戦う巨獣たちを示した。丁度、領事府の自動機械が会心の攻撃を当て、黄金色の方を別の壁へと叩きつけた。
サヒーリは肩をすくめた。「あの大きさで、驚くほど静かです」 そして両手を挙げ、壊れた突撃車の破片へ向けた。ギデオンはマナのうねりを感じた。そして彼が感嘆とともに見つめる中、歯車や破片が自ら組み上がり、戦いを続ける巨獣をそのまま小型化したような複製が二体完成した。サヒーリの両手から別の波があり、二体の小型機械はその戦いへと飛び込み、領事府の機械によじ登り、黄金色の機械の攻撃が続く中、霊気ケーブルを切断してその装甲内を覗きこんだ。サヒーリが押すような仕草をすると黄金色の自動機械がそれを真似し、相手の胸部を殴りつけて配管ガラスのもつれた塊を砕き、液化霊気が飛び散った。領事府の機械は膝をつき、そして耳をつんざく破壊音とともに地面に倒れた。サヒーリは勝利に拳を掲げた。
「あれはギデオンさん向けの設計です。頑丈ですが予測しやすいんです。動力核が全ての個体で同じ箇所に位置しています」 ギデオンは口を開きかけたが、近づく足音に二人は顔を向けた。来たる脅威へとスーラが伸ばされ、金線が渦を巻いて形を成した。
外套をまとった巨体が近くの屋根から跳躍し、ほぼ音もなく二人の前に着地した。ギデオンとサヒーリは反射的に一歩後ずさり、だがフードの下から覗く見知った青い瞳にギデオンは安堵の溜息を洩らした。「アジャニさん。ここで何を?」
アジャニは背筋を伸ばした。「騒動の音が聞こえた」
「それは全員が聞いたわ」 ギデオンは振り返った。近くの建物の背後からリリアナと、続いてジェイスが歩み出た。別の車道から角を曲がってニッサとヤヘンニが、そしてチャンドラとピアまでも横道から駆けてきた。
「何あんた、私みたいな戦い方したの」 今も煙を上げて街路に散らばる断片と残骸を、そして建物に空いた幾つもの穴をチャンドラは見た。「いい感じにぶちのめしたじゃない」 彼女はギデオンが数瞬前に叩きつけられた壁の穴越しに、姿の見えない人物へと手を振った。素直な「やあ」が返ってきた。
ギデオンは咳払いをし、全員の注意を向けさせた。「皆、助けに来てくれて感謝する。だが皆がこの音を聞いたのであれば、領事府の増援も間違いなく向かって来ている。サヒーリも一緒に新しい隠れ処で立て直してから――」
「時間はありません」 一団の中央にサヒーリが歩み出た。「ギデオンさんに伝えに来たのですが、この騒ぎが起こる前に伝えられれば良かったのですが、テゼレットの隠れ場所がわかりました」 その知らせに軽い騒ぎが起こった。ギデオンは両手を挙げ、サヒーリを見た。彼女は続けた。
「テゼレットは中央霊気塔の私的な作業場に閉じこもっています。そこに博覧会で受賞した発明家を閉じ込めて、ラシュミの発明に何かをしています」
「私達が見つけた事とも一致するわ」 ニッサが歩み出て頷いた。ヤヘンニが口を開いた。「ニッサ嬢と私は近頃、霊気の不自然な流れを察知していました。霊気拠点から特定の貯蔵器への」
「じゃあすぐ塔に向かってテゼレットの奴をやっつけるのよ!」 チャンドラは既に駆け出しそうだったが、サヒーリはかぶりを振った。
「研究室は間違いなく厳重に警備されています。それにテゼレットは受賞した発明家を手中にしています。その中にはラシュミも、私の友人も」 サヒーリの声が僅かに詰まった。「入り込んで、彼女を助け出して、逃げ出さないといけません。私一人ではできません、ですがもう一人か二人とならきっと……」
「侵入ならば、ジェイスだな」 ギデオンが友へと頷いた。「テゼレットが何をしようとしているのか、ジェイスなら見つけ出すのも――」
「私が行く」 リリアナが進み出て、ジェイスを押しのけると彼とギデオンの間に立った。「テゼレットがそこにいるのなら、私が行くわ」
サヒーリはジェイスからリリアナ、そしてギデオンへと視線を動かした。ジェイスは驚いた様子で、だが緊張と不安が解き放たれてその肩がわずかに落ちるのをギデオンは見た。ギデオンは厳しい視線でリリアナを見つめた。リリアナは無表情で、そこからは何もわからなかった。沈黙の秒針が進むごとにギデオンの肩には躊躇の重みが増した。
私は貴女を信頼したい。信頼していいのか?
サヒーリの声が彼の思考を遮った。「今すぐ決めないといけません」
「わかった。リリアナ、行ってくれ」
サヒーリは満足に頷き、そして速接会地区へと足を向けた。リリアナがそのすぐ後を追った。
「リリアナ」 ギデオンは声を上げた。「正しいと思ったことをしてくれ」
ギデオンはリリアナの穏やかな物腰の背後にひらめく、何万もの無言の返答を見つめた。一つが浮かび上がり、広場を横切って届いた。「すべき事をするだけよ」
二人が脇道へと姿を消すのをギデオンは見つめた。アジャニの低い唸り声が彼の注意を一同へと引き戻した。
「私達も私達なりに二人を援護しよう」
ギデオンはそのレオニンへと頷いた。「アジャニさんの言う通りだ。攪乱を起こしたなら、テゼレット兵の多くをこちらへ向けられるかもしれない」
「それなら私達の出番ね」 ピアが微笑み、そして言葉を続けながらその笑みは大きくなっていった。「サヒーリの言うものが重要だとしたら、他の標的の警備は脆くなっているはず。ただ攪乱のためにではなく、必要なものを手に入れるために攻撃しましょう」
「標的の見当がついているのですか?」
「霊気拠点を手に入れます」 ピアの両目は興奮にきらめいていた。「成功すれば塔への霊気を切断して、そうすればテゼレットがやろうとしていることはすべて止まります。そして改革派の発明家へ、人々へ霊気を送ることもできるでしょう。象徴的で物質的な勝利になります」
「それば良さそうです――とはいえ成功したなら、間違いなくテゼレットやバーンは私達を止めようと最大の兵力を送り込むでしょう。私はかつて消耗戦を戦ったことがありますが、ここで同じことを繰り返したくはありません」
「あら、強力な発明品を持っているのは領事府だけじゃありませんよ」 ピアの笑みは更に大きくなり、そこには健全な企みが混じっていた。「私達も大きなものを作ってきました。足りないのはそれを動かして完成させる霊気です」
「失礼」 アジャニの荒い口調が会話を途切れさせた。「幾つか先の街路で音がします。領事府軍でしょう――相当な数です」
「では動きましょう。ナラーさんとチャンドラ、改革派を集めてくれ。ニッサ、ジェイス、アジャニさんは私と一緒に。改革派の攻撃準備が整うまで攪乱する。攻撃し、逃げ、消える。改革派の準備が整ったなら、ジェイスのテレパスとピアさんの飛行機械で合図し、霊気拠点への攻撃を開始する」 そしてプレインズウォーカー達はギデオンの周りに集合し、ピアは走り出そうとした。
だがチャンドラは腕を組んだまま立っていた。「本気? あんたは領事府との戦いに行くのに、私だけ行かないの?」
ギデオンはかぶりを振った。「リリアナとサヒーリがテゼレットの妨害任務に行く。私達はそれを支える攪乱攻撃だ」
チャンドラはリリアナを真似するようにはっきりと視線を動かした。「呼びたいように呼んでいいけどさ、それは私が燃やしてやるべき相手じゃないの」
遠くで金属装置が高く鳴り、靴音が近づいてきた。ギデオンはそれを無視してチャンドラを見つめた。「霊気拠点への攻撃となれば、君の炎の力が必要になるだろう。今確実なのは、改革派と君のお母さんの方が、君の発想と存在を必要としているという事だ」
チャンドラはピアを横目で見た。母は微笑んで頷いた。そして彼女は少しの狼狽とともにギデオンへと視線を戻した。
「いやちょっと、ね、それは、あのさ。わかるでしょ、私はみんなを元気づけるとか苦手だから。演説とか話とかって」
「君は目立つ。だからただ心のままに話せばいい、もしくは何も話さなくてもいい」 ギデオンは微笑んだ。大きく、心から、正直に。「行動で示せばいい。力で導けばいい」
チャンドラは一瞬の不安に両眉を歪め、だが肩をすくめて短く頷き、背を向けてピアとともに離れていった。領事府軍が接近する音は今や大きく、ギデオンはスーラを放って身構えた。アジャニが屋根の上の隠れ場所へと跳躍するのを見つめ、そして気が付くとニッサは杖を構え、敷石の隙間からは既に蔓が育って突き出していた。そしてジェイスは……ああ、きっとそのあたりに立っているのだろう。そして揺らめきが一つ、目をとらえたかどうかも定かでないほど僅かに。ふむ、精神魔術。自分は決して慣れることはなさそうだ。
「いたぞ! 取り押さえろ!」 領事府執行官の叫び声が広場に響いた。ギデオンは武器を構え、輝く光の痕跡が既に身体に広がっていた。
沈黙の時は終わった。
(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)