革新の時
前回の物語:郷愁
カラデシュにて発明博覧会が始まった。それは創造性と英知の出会う所。希代の催しに参加すべく、発明家達がギラプールへと大挙して押し寄せている。発明を目にして、目にとまらせて、大衆と審判者の心を掴むために。熱心な霊気技術者ラシュミが望むのはまさにそれだった。名を残し世界を変えるためには、審判者へと自身の創造物を認めさせる必要がある。
ギラプールとその住民は巨大な甲虫に似たその調査球の存在に慣れつつあった。中央広場の片隅に、六本の長い金属肢をその下に折り畳んで腹這いになった、洗練された調査施設が座していた。以前は通行する運転士らがその輝く球形の金属突起と霊気調査アンテナを口をぽかんと開けて見上げ、交通の流れを遅らせたものだった。今となっては通勤者もその存在を気にもかけず、目をとめたとしてもその時間は僅かだった。その調査球は長期間に渡ってそこに設置されており、甲虫の頭部に似た接続部の溝にはクジャクのつがいが巣を作っていた。約一時間おきに調査球内部から熱い蒸気が音とともに吹き上がり、排気塔からは火花が散るが、鳥たちはわずかに身動きをする程度だった。生命は適応するもの、ギラプールは多くの多種多様な名所と同様にその調査球を個性の一部として受け入れていた。どんな才気溢れる研究者がその中に住んでいるのだろう、立ち止まってそう考える者も僅かだった。
ラシュミの方も彼らのことはほぼ念頭になかった。自身が設計した装置以外の全てが念頭になかった。普段は静かな霊気学会内部で、輸送問題が熱い話題となったのはわすか数か月前のことだった。小規模な発明同好会の中、その理論は願望に過ぎないと誰もが囁き、やがて消えた。だがラシュミだけはそのような冒険的発明を進める装置を所有していた。彼女が製作した革新的な霊気凝縮装置は、当初はほとんど気付かれもせずに消えてゆくと思われた。だが今やそれは転送器の最も重要な部品として脚光を浴びようとしている。まるでその凝縮装置はこの装置のために作られたようだった。ラシュミがまさにこの実験のために制作したようだった。霊気が規則正しく整列し、次第に運動量を増加させながら物体を所定の場所へと牽引する。
やってやろう。博覧会に間に合うようにその装置を完成させ、それが可能だと世界に示してやろう。
「ピンセット」 ラシュミは片手を伸ばした。
「ピンセット」 ヴィダルケンの助手、ミタルがその器具を彼女の掌に置いた。
彼女は極細の針金をよじって正しい位置にはめ、作業をしながら霊気の配列へと耳を傾けた。霊気を知ることで、金属を緊張させることなく十分な強度で針金を締められる。「測径器」
ミタルがピンセットを測径器に取り換えた。「3.084です」
ラシュミは印をつけた。「これで間違いなく最大値が上がるはず」
「できそうです。私が計算したところ、三倍になります」 ミタルは測径器を受け取り、次に光学的穿孔器を渡した。
外科医の精密さで彼女は金色の金属管に穴を一つあけ、真新しいフィラメントを挿入するとそれを霊気回路に繋いだ。「これでできるはず」 ラシュミは立ち上がると強張った首筋を伸ばし、そして不安と興奮のうねりが身体に走った。何百回も実験を行ってきたが、そのつど彼女は次の実験へと駆り立てられるのを感じていた。この理論を証明する次の試行を。特に博覧会がここまで近づいている今は。
「設置します」 頭上の窓から降り注ぐ陽光の中に置かれた壺へ、ミタルが大股で歩いていった。ラシュミが嫉妬する落ち着いた身のこなしだった。彼はその壺から生花を一本取り出し、それを部屋の中央に置かれた花瓶の中に放り込んだ。「被験体第848号、準備完了」 そして一歩下がった。
ラシュミは第848号に先立った花のことは考えないよう努めた。
彼女は転送器を作業台から持ち上げ、実験区画へと運んだ。それは領事府専用車の車輪ほどの直径を持つ、巨大な金色の輪だった。それを花の上に保持したまま、ラシュミは黄金色をした線条細工のスイッチを動かして霊気弁を起動した。青色に輝く霊気が輪の中を走り、内側から振動が響き渡った。彼女は自身を大導路へと開き、他の感覚を閉じて霊気を感じようとした。それが転送器を流れる時に織り成す法則はとても美しいものだった。設計へとひねりを加えることで霊気の流れを僅かに変化させ、一定間隔で繰り返す噴出を輪の周囲に作り出す。その形状は彼女に猫猿の尾を思い出させた。ラシュミはこれを良い兆候と受け取った。エルフの中には、猫猿を幸運の使者と考える者もいる。
「ミタル、これはいけるかもしれない。霊気でわかるわ」 そう囁く彼女の両手は震えていた。
「私の計算によれば、この反復には確実性があります」 ミタルの表情は変わらず、その物腰も普段通りに専門家のそれだった。彼女とは異なり、彼は試験の前に苛立ちや興奮を見せたことはなかった。彼は実験室の中において不変かつ一定の力であり、常に集中していた。
「準備はいい?」 彼女は尋ねた。
ミタルは頷いた。彼は霊気測定装置が並ぶ背の高い机の隣に立ち、筆記具は実験日誌に構えられていた。「準備できました」
あなたならできる、ラシュミは密かに被験体第848号を励ました。「了解です。転送器を離します。3……2……1……」 彼女がその輪を手離すとただちにその内の霊気がうねり、輪は花の真上の空中に浮かび上がった。
「計測開始」 ミタルが実験日誌へと記入した。「開始時の霊気量を記録」
霊気を穏やかに発散しながら、輪は下降を開始して花弁へと向かっていった。ラシュミの神経は霊気の響きに飲み込まれた。転送器が第848号へ近づく中、脈動し次第に強まるその流れから目をそむけられなかった。脈動は次第に速度を上げ、やがて構造を越えて揺らぎ始めた。普段なら穏やかなその曲線が跳ね、鋭く曲がる様が見えた。盛んに動く猫猿の尾は互いに絡み合っていた。この振る舞いを知っていた。霊気は形を成そうとしていた、それは世界の法則を無視することを意味するものだった。
輪が花弁の高さにまで降りてきた時、ミタルの声は遥か遠くからのように聞こえた。「接触時間を記録」
ラシュミは息をのんだ。
輪が通過すると、花弁の先端が震えた。金色の転送器は下降を続けた。
また震えた。
そして突然、花そのものの構造が屈し、小さな爆発音とともに花全体が内破して輪郭が塵と化した。一瞬遅れてその輪郭も弾け、凄まじい速度で欠片が飛び散った。超小型の飛弾が輪に衝突し、金属を窪ませ、幾つかはまっすぐに傷をつけた。転送器は火花と音を立て、繊細な霊気フィラメントはラシュミが取り除くよりも先に甲高い音を立てて焼き切れた。
「実験失敗。被験体第848号は消滅」 ミタルが告げた。
ラシュミは溜息をつき、転送器の金属に指を滑らせて破損具合を見積もった。今度こそは成功する、心からそう考えていた。
「なお」 ミタルが続けた。「霊気量の変化の測定によれば、第848号は初期段階においては良好な接触を示しておりました」
「転送の準備段階での変化?」 ラシュミの肩に力が入り、心が活気づいた。
「はい。そう示しているものと思われます」
「でしたら、この場合はもっと安定した環境を提供すれば良いと」
「私もそう考えます。次の実験は霊気の流れをより穏やかなものにして行うべきではないでしょうか。管の直径を太くすれば――」
「初期の流れの乱れを抑制できる。そして揮発性を減少できる!」 ラシュミは彼の言葉を締めくくった。「ミタル、素晴らしい!」
「はい、その前提は間違いないと信じております」
これこそまさに、二人が共に研究へ携わる理由だった。どちらも長く落ち込むことはない。ラシュミには自身が正しい路の上にいると確信させてくれる大導路が、ミタルには研究の反復手法への信念があった。彼はラシュミと大導路の関係について尋ねたことは一度もなかったが、それをあまり重視はしていないと彼女は感じていた。それでいて彼は、前回の手法に僅かな変更を加えて繰り返しながら次第に一つの結論へ近づくという終わりのない作業過程を理解していた。こういった反復の中で彼がいかにして発想を得るのか、ラシュミは全く理解していなかったが、彼へと尋ねたこともなかった。自分達の哲学が異なることは気にならなかった。熱意の源は問題ではなかった。お互いを繋いでいるのは楽観的な精神と、研究に対する献身だった。そしてこれほど優れた研究助手にして友人を得られた幸運をラシュミは一度ならず感じていた。
記録書を精査していたそのヴィダルケンは顔を上げた。「折よく、該当する管が保管庫にあります。すぐに持ってきます」 その言葉を言い終える頃には彼は既に部屋を半分ほど横切っていた。そしてラシュミの方では、転送器の輪を修理すべく腕を肘まで中に入れていた。
無駄にできる時間はなかった。ラシュミはその気を散らす存在を無視しようと努めていても、暦に丸く記したその日が急速に近づいていることが頭から離れなかった。それは発明博覧会への提出期限であり、既に一週間を切っていた。博覧会はその転送器を世界へと披露する機会だが、より重要なのは審判者と後援者に対してだった。優勝はできると確信している、そして優勝したなら研究のための後援者と出資者がつくと期待していた。減少しつつある霊気の供給ではなく、領事府からの支援が得られるだろう。あるいは調査球を満たすほどの自動機械労働者を手に入れられるかもしれない。だがそれは先の話だった。第849号を試すのが先だった。
「被験体第887号、準備完了」 ミタルの声はかすれていた。彼もラシュミも二日間不眠不休だった。今は発明博覧会の提出締切日の午後、そして二人は未だ成功に至っていなかった。これが最後の機会だった。この実験が成功したなら、輪を梱包し、荷車に乗せ、期限時間内に闘技場へと作品を提出することができる。だが失敗したなら、終わりだった。
ラシュミは僅かに萎れた花の上に輪を掲げた。興奮ではなく疲労からその腕は震えていた。もし博覧会での優勝の目がないなら、何故大導路は自分をここまで連れてきたのだろう? 何故自分を失敗へと突き動かしたのだろう? 彼女は叫びたかった。だがそうはしなかった。ミタルが欠伸をかみ殺したのを見た時、彼女の内なる何かが奮起した。諦めることはできない、今はまだ。
まだもう一回できる。彼女は改めて思い直し、冷笑的な思考を心から払いのけようと試みた。最後の瞬間まで自分とミタルは奮闘するべきなのだと。これもまた大導路が織り成す法則の一部なのかもしれないと。今がまさにその時なのかもしれないと。「大丈夫です。行きましょう」 絞り出せる限りの気力とともに彼女は言った。「3……2……1……」 そして輪を離した。
「計測開始、霊気量を記録」 ミタルが日誌に印をつけ、赤くなった目をこすった。
ラシュミは客観的な観測者という自身の立場を保とうと努めたが、うなだれた花弁へと輪が下降していく中、気がつくと彼女はまたも息を止めて祈っていた。今回こそ上手くいく、意地でも成功させなければ。
輪が花弁の最上部を通過した。「接触時間を記録」 ミタルの声。
花弁が揺らめいた。弾けないで。弾けないで。ラシュミは心から願った。
もう一度の揺らめき。
もう一度。
輪が花の半ばまでを通過した。ラシュミの心の奥深くがざわついた。その調子よ。霊気の法則が空間に道を作ると彼女は畏敬とともに見つめた。世界の構造にできた穴が見えるほどだった。今まで疑っていたことを申し訳なく思った。目の前で起こっていることがほとんど信じられなかった。花全体が瞬き、現れては消え、ラシュミの全身の筋肉が緊張し、そして――
ポン! 花が内破した。
ラシュミの内が凍り付いた。そんな。輪は音と火花を上げていた。そんな。フィラメントが屈して切れる音がした。そんな! こんなことが起こるはずがなかった。ありえなかった。
「試験失敗。被験体第887号は消滅」
ラシュミは輪を拾い上げる気も、弾けた花の残骸を取り除く気も起きなかった。回収する意味はなかった――終わったのだ。もう何も見ていられず、彼女は目をそむけた。輪が卓上に落下した音だけがかろうじて聞こえた。その音はまるでアカデミーの終業を告げる鐘のように響いた。試験は終わり、自分は落第したのだ。
「補遺:被験隊第887号を含む連続した実験にて、有機体と非有機体の挙動の差は空間内における霊気の波に影響されることは明らかである」 ミタルの声はまるでラシュミのむき出しの傷を洗い流すかのようだった。
「ミタル、もう記録する意味はありません」 彼女は離れた机の上に置かれた支払催促書を一瞥した。「ずっと前に話すべきでしたが、ごめんなさい、ですがこの調査球は――」
「ラシュミ」 ミタルが遮った。彼が自分の名を呼ぶのは、そのように話しかけられるというのは滅多にない奇妙なものだった。「ラシュミ」 その声に何かを感じ、彼女は振り返った。「み、見て下さい」 彼はしきりに瞬きをしながら、研究室の隅を指差していた。
ラシュミは彼の指先を辿った。そこに、小さく記された輪の中、壁にもたれかかって、花瓶があった。ラシュミの息が止まった。振り返って部屋の中央の机を見ると、そこには輪だけがあった。目の錯覚、違う花瓶、最初はそう思った。だが見間違えようもなかった。研究室にある花瓶はあの一つだけだった。それは鉄の障壁二枚と設備の山とミタル自身を通過し、その花のために小奇麗に用意された輪の中で静かに壁へもたれかかっていた。
ラシュミは笑い声を上げた。不意に上がってきたのは奇妙に響く笑い声だった。笑い続けなければ心臓が喉から飛び出て窒息してしまいそうだった。一言を発することすら困難だった。「ミタル……ミタ……わ、私達……」
「はい」 ミタルは今も激しく瞬きをしていた。「非有機体を空間を越えて転送することに成功しました」
「ああ! やった!!」 ラシュミの目の奥に熱と湿気が沸き上がり、彼女は友へと駆け寄ってその両腕を長身のヴィダルケンの首に回して強く抱きしめた。「私達、本当にやったのよ」
「本当に、成功しました」 ミタルは彼女の抱擁から脱出して言った。「では、私はこの結果を記録することに集中せねばなりません。科学を手にしているというのに、感情に攪乱されてそれを逃すことになってしまってはいけません」
ラシュミは再び笑った。自身がこの時とれる唯一の反応に思えた。
「ですが私が興奮していないという訳ではないのです」 ミタルは口の端をごく僅かに上げるだけの、最小の笑みを見せた。「非常に興奮しています。ええ、非常に」 だが彼は気を取り直し、筆記具を紙に当て、咳払いをした。「では、進めましょう。先程の実験からのフィードバックとしては有機体と変化する空間との相互作用によって引き起こされたものを我々は観察していたというものでした。設計こそ変更を重ねましたが、試験対象の性質については一貫しておりました」 ミタルは現実へと集中することで瞼の制御を取り戻したようだった。
そして彼の安心させるような、馴染み深い声にラシュミも我に返った。「博覧会!」
ミタルの集中は途切れなかった。「それでは私は注目すべき要点を記録しましょう、輸送を成功させる花瓶の特徴は――」
「違うの、ミタル。時間がないの!」 ラシュミは卓上の輸送機械を掴んだ。「博覧会の提出期限!」
「あ!」 ミタルは振り返り、目に光がひらめいた。そして記録簿を落としかけた。「そうでした。その通りです。これほどの興奮を経験するとは考えてもみませんでした。帰ってきたら記録を終わらせましょう。今装置を適切かつ安全に梱包し、荷車に乗せ、走らせれば、混雑と輸送速度の減少を考えましても、展示品提出期限の一時間前には闘技場に到着できるでしょう」
「完璧ね」 ラシュミは輪を調べた。「でもまず新しいフィラメントがないと。これは切れてしまったし」
「それは有機体との最初の接触によるものに違いありません。非有機体のみを転送する際にはそのような挙動は起こらないと予想します」
「そう願いたいわ」 ラシュミは作業台で金線を剥いてフィラメントを露わにした。「花火で審判者を楽しませる気はないし」
「そうですね。それが受け入れられるとは私も思いません」 ミタルは急ぎ足で保管庫へ向かいながら、含み笑いをしたとラシュミは確信した。
ラシュミはその金線に指を走らせた。幾つかの窪みとこすれ跡があったが、どれも機能を損なうものではなかった。部屋を越えて移動する機能! 「本当にやったのよ」 ラシュミは囁き、肩越しに花瓶を振り返った。彼女の内のどこかはその花瓶が本当にそこにあると信じられなかったが、それは紛れもなくそこにあった。「疑ったことなんてなかった」 彼女は目を閉じた。大導路が、目の前に鮮やかに輝いている。その温かさに包まれ、それに手を伸ばした。
「予備のフィラメントがありません」 ミタルの声にラシュミは目を見開いた。彼はおぼつかない足取りで部屋へと入ってきた。「もうありません。備蓄が減っているのは把握しておりました。私が補充すべきで――ですが注文する時間はありませんでした。反復実験は途切れることなく、ですが言い訳の余地はありません――この責任は私にあります。許して頂けるとは思いませんが」 彼の十二本の指がその長く青い顔の周囲で震えた。
「大丈夫ですよ、ミタル」 ラシュミは彼の肩に手を置いた。奇妙に落ち着いていた。大導路からの導きを感じ、そしてやるべき事を知っていた。「装置を梱包して下さい。それを市場まで運んで、そこでフィラメントを手に入れてから博覧会へ向かいましょう。それでも提出期限までには闘技場へ行けるはずです」
「あっ」 ミタルは瞬きをした。「あ、そうですね」 彼は長い溜息をついた。「それで大丈夫だと良いのですが」
「大丈夫でしょう。今は私達の時ですから」
ラシュミは眩しさに目を遮った。沈みゆく太陽の光に何もかもが輝いていた。磨き上げられた金属の自動機械、ぎらつく建築、そしてたなびく旗、リボン、広場を覆う花飾り。
この数か月、二人が調査球内に閉じこもって外の全てを忘れている間に、発明博覧会がその周囲に築かれていた。自分の研究室という一つの世界から、ぎらつく金属と祝祭の巨大迷宮のような別の世界に出てきたかのようだった。だが見とれている時間はなかった。大導路は彼女を急ぎ引いていた。「こちらです」 彼女はミタルへと言って、市場の入口を示す遠くの巨大なクジャクの羽根を指さした。だが一歩進もうとするよりも早く、一体の自動機械が彼女の前に進み出た。
「発明博覧会へようこそ!」 それは朗らかに言った。「創造と知性の交差点へようこそ」
彼女は踵を返し、転送器を乗せた荷車を迂回させようとした。だが同時に二体目が近づいた。「楕円競走の改造車レースをお見逃しなく! 観覧券のお求めはお早目に」
ラシュミは引き返し、突破口を探した。
「構築動物で満ちた百エーカーの動物園へお越し下さい!」
だが取り囲まれていた。
「ここを越えるためには別の道を見つけた方が良さそうです」 ミタルが先導してラシュミが続いたが、そちらにも多くの自動機械がいた。
「ギラプールでも最も伝説的な金属細工師の手による歯車建築物に驚嘆しましょう。素晴らしいですよ」
「はい、はい」 ミタルは手を振って自動機械を避けた。「少々急いでいるのです。判るでしょう」
だがそれは引き下がらなかった。「自動機械の対決がお好みですか?」
「いえ。お願いですから……」
その自動機械はミタルを通さなかった。「再度のお願いです、会場にグレムリンの持ち込みは禁止されております」
「勿論です、あれは不合理だ。それでは――」
「外部からの霊気缶の持ち込みはご遠慮下さい。また万が一何らかの不審な行動を見かけましたら、最寄りの栄誉の護衛もしくは自動――」
「頼むから通してくれないか!」 ミタルが腕で自動人形を押しやり、ラシュミを手招いた。「あちらです。ようやく市場へ行けるはずです」
ラシュミは急いで荷車を押し、よろめく自動機械を避けた。それは発明博覧会を楽しんでくれと二人へ続けていた。これほど強気なミタルを見たのは初めてだった。ラシュミは少しの間、彼を見つめた。彼も大導路の引力を感じているのだろうか? 彼の分析的な視点が説明できない力を、いつか説明する日が来るのだろうか。二人は足を速め、黄金に縁どられた市場を目指した。
二人が第九橋を駆けてレミの店へ飛び込む頃には、太陽は市場入口の巨大な羽根のすぐ下まで傾いていた。ラシュミが荷車を押し込むと、扉の組み合った歯車が騒々しく悲鳴を上げた。磨かれた金属、心地良い錆、そして辛辣な潤滑油の匂いが二人を出迎えた――いつもならばラシュミの神経を宥める芳しい香り、だが今は切迫させるだけだった。彼女は切れたフィラメントをポケットから取り出し、ミタルへと言った。「WP系列のを探して」 二人ともどこを探せば良いかは熟知していた。後方の壁、完璧に整理されて色別に分けられた小物入れ。二人はレミの店で材料のほとんどを購入していた。彼は最良の値を提示し、地下の自動機械闘技を見ていけとよく言っていた。
「確か右の……」 ミタルは緑色の小箱を引き出した。「これですね」
それは空だった。
ラシュミは焦りかけたが、ほんの一瞬だった。「在庫があるはず。レミ!」 棚の間に長身の店主の青い姿を見つけ、彼女は呼びかけた。
「はい? どちらさま……ラシュミ! ミタル! ご無沙汰ですね!」 ぼろ布で手をぬぐいながら、潤滑油にまみれたレミが店を横切ってやって来た。彼は肩越しにその布を投げ、ラシュミを抱擁した。「来てくれたのは――」
「フィラメントが要るんです」 ラシュミは彼の言葉を遮った。「WP系列の」 ミタルが空の小箱を抱えていた。
「ん?」 レミはその小箱を見た。「それも売り切れておりましたか? 全く、発明家というものはグレムリンよりたちが悪いですね。私の店も家も空っぽにしてしまう」
「在庫がありますよね?」 増大する恐怖感をこらえながら、レミは言った。
レミはかぶりを振った。「残念ながら。倉庫も店頭も空なんです。ピーマから始発が到着して以来、つぎからつぎへと押しかけて来て。まるで総攻撃を受けているように。誰もが予備や代用品を欲しがっています。ラスヌーからの配達があるまで補充はできませんね」
「配達。いつ?」
「そうですね、今から三日程度」
ラシュミの最後の礼節が砕けた。「ちょっと、それじゃ駄目なの、レミ、今すぐフィラメントが要るの。お願い、何かないの」
「私も心からそう思うのですが。ご存じの通りお二方はお得意様ですから」
もしフィラメントが手に入らなければ、この先長く発明家ではいられないだろう。支払の催促書がラシュミの心に浮遊した。掌に汗がにじんだ。唐突にこの店がとても小さく感じた。
「ああ、それでは理にかなった次の行動に移りましょう」 ミタルの声は平静だったが、十二本の長い指は空の小箱を戻すために手間取った。「別の店を探しましょう」
「別の店」 ラシュミは爆発しかけた感情をかろうじて飲み込んだ。「そうね、それが理にかなってる」
「聞く所によれば、どこも空の霊気缶みたいに乾いているようですよ」 レミが舌打ちをした。
だがラシュミは荷車を押しながら既に通路を半ば進んでいた。そして扉から急ぎ出て、橋の上にある次の店へと直行した。必要ならば、その全てを確認するつもりだった。
「申し訳ございません……」
「力になれれば良かったんだが……」
「実は、今日WP系列をお求めの方はお客様で二件目なのですが……」
「ちょうど同じようなお急ぎの方が……」
「明日おいで頂けますか……」
「全て売り切れとなっております……」
まるでギラプール全域でWP系列のフィラメントが枯渇したかのようだった。
疲労感に襲われ、ラシュミは橋の欄干に寄りかかった。ミタルは向かいの店から出てきたが、その顔はうつむいていた。彼は息を吐いた。「私の責任です」
そうではない、だがラシュミは何も言えなかった。今は何も。彼女は遠くの水面へと太陽が沈むのを見ながら、首筋に張り付いた長い髪をはらった。展示はまもなく始まり、自分達は間に合わない。今ここに、こんなにも近くで転送器を持っていながら、完成できずにいる。ありえない事のように思えた。
彼女はもはや焦っても、怒ってもいなかった。ただ心が挫けてしまっていた。問題は転送器だけではなかった。調査球。発明博覧会で当てにしていた後援者や出資者がなければ、全てを失ってしまうだろう。それをミタルに告げる時だった。
ラシュミの胃袋が強張った。気が付けば友人ではなく、通りすがりの郵便配達自動機械を見つめていた。
「ミタル、調査球を閉鎖しましょう。もう間に合いません。私の責任です。私は全てをこの事業に注ぎ込みましたが、今――」 その声はうわずり、言い終えることはできなかった。「本当にごめんなさい。この数年、共に働けた時間は私にとって真の名誉です」 彼が返答するよりも早く、ラシュミは荷車の取手を掴むと夕日の方角へと橋を下っていった。
ラシュミは調査球へ向かいたくはなかったが、かといって都市の他の場所へ向かいたくもなかった。外の、興奮の騒音と祝祭の嵐は耐えられなかった。彼女は階段に包みを引き上げて扉の鍵を開けた。荷物をまとめよう。遅れるだけ無駄だった。
「生きてたのね!」 友の声がラシュミを階段から突き落としかけた。
「サヒーリ?」その快活な若き発明家は工房の中に立っていた。彼女は色鮮やかにゆらめく優雅な金属の網を腕と腰に巻きつけ、文字通り輝いていた。まるで曇天の日の太陽のようだった。
「ずっと探してたのよ」 サヒーリはラシュミの様子を認めて眉をひそめた。「ひどい有様じゃない。何をしていたの? 闘技場で名前を呼ばれていたけれど」
ラシュミの両目に涙が溢れ出た。それを止める力はなかった。
「どうしたの?」サヒーリは横にやって来て、片手でラシュミの肩を抱きしめた。「何があったの?」
ラシュミはかぶりを振った。「終わったの。フィラメントが切れて、それだけ。替えはどこにもないの。街のどこにも」 涙の粒が落ちた。
「ああ、よしよし」 サヒーリはラシュミの背中を撫でた。「大丈夫。傷ついた金属片があるなら、私を呼ぶことは思いつかなかったの?」
ラシュミは鼻をすすった。「あなた?」 そして気が付いた。「あなた! あなたなら直せる」 無論サヒーリには可能だった。彼女は金属の達人であり、最も細かな部品すら複製できる。ほとんど何でも直すことができる。あの焦りの中、サヒーリについての考えは心によぎりすらしなかった。何か月にも及ぶ隔絶生活は調査球の外の何もかもを忘れさせていた。
「ええ。それじゃ、それを見せて」 サヒーリは気短に手を差し出した。
ラシュミはポケットから切れたフィラメントを取り出したが、それを渡す前に手を止めた。「でももう意味はないの。展示にはもう間に合わないから」
「あら、それについては心配いらないと思うわよ」 サヒーリは企むような笑みを浮かべた。「パディームについてはよく知ってるから。あなたの霊気凝縮装置の話を聞かせたら、直接見ずにはいられないくらい興味を持ってくれるでしょうね」
「そんなことができるの?」
「あなたが言った通り、あの凝縮装置は派手じゃないかもしれないけど、誰もが組み込める類の発明だわ。いつか使われるようになるかもしれない」
「でも実のところ、問題は少なくとももう一つあって」 興奮を抑えきれずにラシュミは言った。「サヒーリ、私は成し遂げたの。私達は。ミタルと私はある種の転送器を設計して、機能したのよ! 花瓶を工房の一か所から別の箇所まで移動させたの」 彼女は口調を速め、花瓶のあった場所を指さした。「信じられる? 私もわからないの、正確にどうやってやったのか。反応式によれば世界の外の力が一緒に働いているらしいの。霊気を見つめた時、それが分かれて道を作るのが見えた、久遠への道を。すごかった。それに派手だった! パディームと審判者も驚かせられる。それも全てあなたのお陰よ」 彼女はフィラメントをサヒーリへと差し出した。「あなたに本当に大きな借りができるわね」
だがサヒーリはそのフィラメントを受け取らなかった。身動きもしなかった。
「どうしたの?」
サヒーリはうつむいて一歩引き下がった。「ごめんなさい。私はそれを直したくない。友達のあなたを傷つけたくはないけれど、できない」
「できないって何を?」ラシュミは混乱していた。
サヒーリはかぶりを振り、両手を挙げた。「あなたの力にはなれない」
「でも言ったじゃない――」
「それは霊気凝集装置だって言った」 サヒーリは次第に怒りはじめたように見えた。
「そうだったわよ。でもこれを成功した時に、ずっと良くて凄いものになった」
「あなたは何も知らないのよ。それがどうやって動いているのかすらも。あなたの設計が起こす可能性のある結果も。それは危険すぎる」
ラシュミはサヒーリの言葉を全く把握できなかった。「もちろん危険はあるけれど、もっと実験をすれば結果を再現できる。だからこそ発明博覧会での優勝が必要なの。領事府の援助があれば設計を完璧にできる。今私達はまさに何かの最先端にいる、世界を変えるかもしれない素晴らしい何かの」
「世界が必要としない変化があるかもしれない、そう考えたことはある?」 サヒーリはそう言い放ち、ラシュミを追い越して扉へと向かった。
「何処へ行くの?」 ラシュミは呼びかけた、心がぐらつき、何が起こっているのかを懸命に把握しようとした。
「あなたを傷つけたくはないけど、力にはなれない」 サヒーリは歩みを止めずに言った。
「待って」 本日二度目の焦りがラシュミを掴んだ。「サヒーリ、お願い。何が何だかわからない。あなたの力が要るの」 彼女は友人を追いかけてその腕を掴んだ。「お願い」
サヒーリは振り返った。頬は紅潮し、ラシュミを睨み付けていた。「言ったでしょう、力にはなれないって。見えるほどに近づいたのかもしれないけれど、あなたが作ったものは作られるべきでないものだった」
ラシュミは衝撃とともに友を見つめた。混乱は怒りへと変わった。「あなたは束縛なき革新を信じていると思ってた。素晴らしいことが起こるのを見たがってるって思ってた。素晴らしいことが起こる力になりたがってるって思ってた」
「これではないの」サヒーリは腕を引き抜いた。「私はもう行かないと」彼女は階段を降りた。
ラシュミの怒りが頂点に達した。「だったら何? 自分が作り出した革新だけを信じてるってこと? 自分だけが注目されたがってるの?」
サヒーリの首筋が強張った。
「サヒーリ、あなたは栄光の中で生きてきた。今度は私の番。それは嫉妬? 博覧会で一番輝くのはあなたの発明じゃない、それを心配してるの?」
サヒーリの手が拳に握られ、だが彼女は振り返りも足を緩めもしなかった。ラシュミは友人と思っていた女性が、最も必要とする時に自分の前から去ってゆくのを見つめていた。
サヒーリは一晩中、改革派の自動機械決闘をし続けていた。それは慰みにもならなかった。
ラシュミの調査球を去った後、サヒーリは博覧会の大会場へとやって来ていた。その場所では昼には裁定が、夜には速製職人の決闘が行われている。幸運にもそこには発明家が豊富におり、創造物を熱心に試したがっていた。そして彼女は自身の自動機械の鉤爪を何かに突き立てて壊したくて仕方がなかった。
初戦から、彼女は二十体以上に及ぶ金属創造物を下していた。その残骸の多くは今も闘技場から運び出されている最中だった。既に日は昇っており、サヒーリはお気に入りの作品である流線形の鳥を操り、巨漢のような緑色の自動機械に対峙していた。彼女が思うに、闘技場の向かいにそびえ立つその発明品は、時折都市内を通過する巨人にやや似ていた。なおさら、それを壊してやる理由だった。
「戦闘開始!」 頭上で司会者が告げた。
サヒーリが鳥を攻撃に放ち、巨人の自動機械の首筋へ向かわせると観客席の群集は立ち上がって歓声を上げた。
命中! 完璧な一撃だった。その巨体がよろめくと口笛と野次が響いた。同じような攻撃をもう一つ与えれば、相手を倒せるだろう。彼女は苛立ちと共に唸った。無益だった。この発明品のどれか一つでも自分を手こずらせてくれたなら、心を完全にそちらへ向けられるのだが。サヒーリは気晴らしのためにここへ来ていたが、一夜をかけても心を支配していたのはあの転送器と、ラシュミの顔と、その苦々しい言葉だけだった。
サヒーリは一瞬、鳥を旋回させた。何故ラシュミは嫉妬などと? 友人がその転送器について語ってきた時、嫉妬などというものは彼女の心には微塵もなかった。どうしてそんな事を言うの? サヒーリは巨人の首筋をめがけて再び鳥を送り出したが、今回は防がれた。その弱点からは突起らしきものが伸びていた。悪くない、彼女はそう思って設計に入れた発明家仲間の洞察を内心褒めた。だが迂回する方法は既にわかっていた。サヒーリは鳥の降下を中止させ、三度目の攻撃へと勢いをつけるべく上昇させた。
正しい事だけをした、できる事だけを。彼女はプレインズウォーカーであるという責任を、久遠の闇を知っているということを認識していた。ラシュミの装置にはあのエルフが把握しているよりも遥かに大きな可能性があることは、内心疑いなかった。そしてラシュミにとって、カラデシュの全てにとって安全ではないことも。自分は正しい事をしたのだ。
サヒーリの鳥が鳴き声を響かせて背後から急降下し、その嘴を巨人自動機械の首筋に突き立てた。群集は息をのみ、立ち上がった。その巨人はスコールの中の霊気塔のように揺れ、だが倒れはしなかった。ならばもう一撃。サヒーリは鳥を上昇させてとどめの一撃を準備させた。
ラシュミ自身も認めていた、方程式を理解していなかったと。彼女はその結果を考えることなく空間に穴をあけたのだ。彼女を守るのはサヒーリの役目だった。この世界を守る、もしそれが友の前から去ることを意味しても。
彼女は鳥を放った。それは振り回され叩きつけられた緑色の腕を避け、頭から巨人の胸へと体当たりをした。長い、とても長いうめき声を上げ、巨人は轟音を上げて仰向けに地面へと倒れた。群集が大歓声を上げた。
「発明家サヒーリに追加点!」 司会者が声を上げた。「今夜、無敗の二十五連勝です!」 更なる歓声。
サヒーリは一つお辞儀をしたが、彼女は既に次の対戦相手を探して対面側を見回していた。
「そして戦いをこよなく愛する皆様、本日はこれまでのようです。博覧会はまもなく開場致します。我々がここを占拠している様子を見られるわけにはいきません。私も同じく、調査員のバーン氏が我々を目撃した時の顔は見たくはありません」
歓声は止んで群集の足音や走行音に変わり、疲れながらも活気づいた観客が出口へ向かっていった。
司会者が言った。「ご参加ありがとうございました。今夜の戦いの場所を確認することをお忘れなく」
それは自動機械の戦いに関する情報伝達に用いる、改革派の秘密の暗号だった。暗くなってから向かう先はわかったが、一日待つ気はなかった。今夜まで何をするべきだろう?「向かって来なさい!」 彼女は闘技場の中央で呼びかけた。「もう一戦やりましょう。次は誰?」 彼女は周囲を眺めたが、誰も彼女を気にかけなかった。別の競技者達は全速力で退出しており、闘技場は既にほぼ無人だった。「臆病者ばっかり」 彼女は小声で呟いた。
気晴らしになると思った、だが夜が始まった時よりも憤慨は増すばかりだった。優れた自動機械の戦いですっきりしなかったのは初めてだった。憂鬱な思いで彼女は一番近い出口へと急いだ。
会場は群集で素早く埋まっていた。既に門は開いているのだろう。サヒーリは群集の中にいたい気分ではなかった。戦い以外の気分ではなかった。もしかしたらゴンティの所に何かあるかもしれない。彼女は裾をひるがえし、混雑する大通りを縫うように正門へと向かった。自分は正しいことをした。あの転送器は危険すぎる。そうでしょう? 「そう、その通り」彼女は独り呟いた。
「いた!」 小さな声がサヒーリの左から響いた。
サヒーリはひるみ、同時に身をかがめた。沸騰するような歓喜の流れを把握し、そしてもし回避行動を取らなければどうなるかを彼女はよく知っていた。素早く身を翻して彼女は進路を変えたが、二歩遅く彼女は一人の哨兵に阻まれた。
「あそこ!」 人だかりの騒音の中で一際高く、同じ声が上がった。
サヒーリは周囲を見たが別の哨兵がいるだけだった。角を曲がり、だが更なる哨兵を呪った。彼らは至る所にいた。
「すみません、すみません」 誰かが肩を叩いた。サヒーリは長く息を吸い、少なくとも敵意はないように見える外面を装い、振り返った。「はい」
鮮やかな青のスカートとベストをまとったドワーフが、ゴーグルをつけたもっと年若いドワーフの手を握っていた。「あなたがサヒーリさんだと、娘が」 年長の方のドワーフが言った。
「サヒーリ・ライ、名高い発明家にして素晴らしき金属技師、そして現代において最も称えられる才能」 年若い方のドワーフが称賛をまくし立てた。
その母親は顔を赤らめた。「そうよ、本当にその人?」
「そう!」 年若いドワーフは晴れやかな表情とともに、発明博覧会の小冊子からサヒーリの絵を指差した。彼女はその頁を読み上げた。「『目にしたあらゆる生物や構築物の生きたような複製を創造する比類なき能力で最も知られる』、本当にすごいと思います!」 サヒーリを見つめるその目は見開かれて飛び出るようだった。「私もいつか、あなたみたいな発明家になります!」
娘をなだめようとしていた女性はようやくそれに成功し、口を開いた。「すみません。ザラはここに来るのを本当に楽しみにしていて。何か月も、博覧会についてひっきりなしに喋り続けていたんです。この子のためにサインを頂いても宜しいですか?」
若いドワーフはサヒーリの頁を開いて小冊子を掲げた。彼女は溜息とともにペンを受け取った。駄目とは言えなかった。
その娘は言った。「発言の所にお願いします。私が一番好きな言葉なんです」
サヒーリはその頁を眺め、発言を見つけ、自身の名を記した。だが自身の言葉を読み返し、その殴り書きは途中で止まった。規制と規則に縛られる時代もありますが、この革新の時代はそうではありません。怖れることなく突き進みましょう。束縛されることなく創造しましょう。手をとり合って力の限りに驚くべきものを創造し、並外れたことを達成し、世界を変えるのは発明家としての義務です。……そう、私は自分の言葉をあなたから突きつけられた。
「どうかしました?」 そのドワーフが尋ねた。
「あっ」 サヒーリは瞬きをした。一瞬、我を忘れていた。「ごめんなさい。これで――どうぞ」 彼女は年若いドワーフへと小冊子を手渡した。
「ありがとうございます」 彼女は目を輝かせた。「本当にありがとうございます!」
サヒーリはその言葉をほとんど聞いていなかった。その足は目的をもって彼女を運んでいた。向かうべき所を正しく理解していた。遅すぎないことを願った。
寂しそうな建物というものをサヒーリは見たことはなかったが、その調査球はそうだった。アンテナはうなだれて見え、甲虫の頭部を模した部分はたわんで二本の前脚の上に置かれていた。サヒーリは階段を昇り、覚悟を決めて扉を叩こうとした。何を言うべきか、どう言うべきかという疑問が心によぎった。謝罪は得意ではなかったが、そもそも謝罪すべきかどうかも定かでなかった。だが何かを言うべきだった。何かを成すべきだった、何もかもが手遅れになってしまう前に。彼女は扉を叩いた。
扉向こうの足音が誰かの接近を告げた。扉が開き、ミタルの青い顔が現れた。「ミタル、ラシュミに話を――」 彼はサヒーリの目の前で扉をバタンと閉めた。
「そう」 サヒーリは苦い顔をした。「そうでしょうね」 階段を駆け下りたいという衝動をこらえながら、彼女はスカートの皺を直し、再び叩いた。「だけど子供っぽいわよ」 彼女は声を大きくしてそう言い、更に強く叩いた。「ねえ。中に入れて! 私も永遠にここで立ってる気はないの」
更なる足音。この時扉を開いたのはラシュミだった。そのエルフは以前よりも酷い有様だった。目の周りは赤く腫れ、顔と腕には埃と汗が貼りついていた。サヒーリの立腹は完全に溶けて消えた。このような友の姿を見るに耐えなかった。彼女を抱きしめて労りたかったが、我慢した。まず言うべき何かがあった。「どうして力になれなかったのか、説明しないといけないと思って」 ラシュミは目を合わそうとしなかった。「怖いし、自信がなかったの。あなたのしている事は危険で――」
「それはもう聞いたわ、サヒーリ」 ラシュミは背筋を伸ばした。「もしまた私に講義しに来ただけなら、出ていって」 ラシュミは扉を閉めようとしたが、サヒーリは素早くそれを止めた。
「最後まで言わせてよ」 サヒーリは扉と枠の間に割って入った。「そう、危険。でも」 ラシュミが目玉を動かす音が聞こえるようだった。彼女は続けた。「すごくわくわくする。ぞっとするくらい。世界を変えられるかもしれない――良いことのために」 ラシュミは扉から手を放さないまま、僅かに背筋を伸ばした。「あなたなら霊気学で次の革新を起こせる。私も一緒にそれを見たい。力になりたいの」 サヒーリは完璧に形成されたフィラメントを取り出した。それは彼女が呼び起こせる最も頑健な金属から織り上げたものだった。「これをあなたに」 彼女は続けた。「パディームも言ってたわ、もしそれが動くなら見たいって」
ラシュミは彼女を見つめ、そしてその両目はゆっくりとフィラメントへと移動した。
「どうしたの? 何を待っているの?」 サヒーリは尋ねた。「試験か何かをしないの?」
ラシュミはミタルを呼び、二人の発明家は協力して黄金の輪を操作した。まるでそれが彼らにとって最も重要な特許であるかのように。部屋中央の机の上、輪の中央にラシュミが恭しく花瓶を置く様子を、サヒーリは工房の隅で黙って見つめた。
ミタルが頷いた。「被験体第1号、準備完了」
ラシュミが金線のスイッチを弾くと、転送器は息づいた。サヒーリは緊張し、息をひそめた。見ていられない、だが目をそむけられなかった。彼女は視界の端で見ることにした。
「試験開始時間を記録」 ミタルの声。「初期霊気量を記録」
輪は机から浮かび上がり、そして同時に、花瓶はまたたいて消えた。
一瞬の後、それは部屋の向こう側に現れた。
サヒーリは見つめ、驚きに開いた口が塞がらなかった。友人は不可能をやってのけた。その装置は今や空間を越えて物体を運んでいた。自分は正しいことをした、サヒーリはそう願うだけだった。
審判者本部の最上階へ向かいながら、ラシュミは昇降機のガラスの壁から外を見つめた。太陽はギラプールに沈み、日中の喧騒は消え去って夕時の静かな緊張にとって代わられていた。建物の最上部に位置する螺旋のドームに沿って、霊気が緩やかに流れていた。低空飛行の鶴が一羽、眼下の運河のゆらめく水面をかすめた。都市そのものが夜へと向かう様を見つめながら、ラシュミは落ち着いていた。長いこと感じていなかったものだった。彼女は小脇に黄金の転送器を抱えていた。啓発の守り手パディームその人に向けて実演をして、それで全てが終わりというのはありえないように思われた。時折、大導路はラシュミが解釈すらできない法則で動く。長年彼女は霊気の流れを研究することに専念し、生命への影響という謎を解くために全てに投資してきながら、このような動きこそ最も価値のあるものだと知っていた。生命に驚かされる時、人々を驚嘆させる時。
「どうやったの?」 彼女はサヒーリへと尋ねた。「どうやってパディーム氏に納得させたの?」
昇降機の扉が音もなく開くと、サヒーリの顔に邪な笑みが広がった。「来月の地下工匠対決の最前列の席をね」
ラシュミは乗降段から落下しかけた。「パディーム領事が? 決闘を見るの?」
「勿論よ」 サヒーリは笑った。「ミタル、説明してくれる?」
「多くの人々が知らない類の事です」 ミタルが返答した。「そのようなヴィダルケンを誰も想像しません。ですがいざという時私達は実に素早く動けるのです。そのために私達は素晴らしい決闘者になれるのです」
「つまり、パディーム氏は地下速製職人なの?」 ラシュミは唖然とした。
「かつては最強だったわよ」 サヒーリは言った。「今も勝てるでしょうね」
「あ――あなたも戦うの?」 ラシュミはミタルへと尋ねた。
「ああ、そうですね……少しですが」 小さな広間へと続く扉が開くと、ミタルは唐突にとても取り乱したようだった。彼は中へと急いだ。
ラシュミは同僚を新たな光の中で見た。確かに素早く見えた、だが彼の幾何学的計算への熟達は戦略的な戦いという場面で役立つのだろうか? 想像することしかできなかった。この驚きだらけの一日は未だ終わっていないようだった。
「発明家ラシュミ及びミタル、名高き審判者パディーム様との面会に参りました」 サヒーリは背の高い机の背後に堅苦しく立つ領事府職員へと告げた。
「少々お待ち下さい」 その職員は横開きの扉を滑らせ、三人を広間に残して離れた。
サヒーリはラシュミへと向き直った。その見開かれた目には熱があった。「幸運を、って言うべきかもしれないけど、必要なさそうね」
「ありがとう」 ラシュミはサヒーリへと深く頭を下げた。「ありがとう。何もかもあなたのおかげ。終わりのない感謝を」
サヒーリは肩をすくめた。「もっと上手く言えたかもしれないのにね。ごめ……ごめんなさい」 彼女はラシュミを睫毛越しに一瞥した。「まだ友達でいてくれる?」
「ずっと」 ラシュミはサヒーリを抱きしめて引き寄せた。
サヒーリは彼女の腕を握りしめた。「さあ、世界を変えるかもしれない発明をあの決闘ヴィダルケンに見せてきなさい」
「ええ」 横開きの扉が動いて職員が戻ってくると、ラシュミは転送器をしっかりと掴んだ。
「領事がお会いになられます」
ラシュミはミタルを見た。「準備はいい?」
彼は頷き、花瓶を持ち上げた。「できています」 二人は職員に続いて扉をくぐった。廊下の先は小さな部屋で、中ではパディーム領事が柔らかすぎる椅子にもたれかかっていた。伝説的な工匠にして決闘者にはとても見えない、その考えに彼女は笑みを浮かべた。
「領事、発明家ラシュミ氏とミタル氏をお連れしました」 職員が言った。
パディームは頷いた。「ようこそ」
「始めて下さい」 パディームの前に置いた机へとその職員が腕を伸ばした。実演の為であることは疑いなかった。
ミタルが近づき、寸分たがわずその中央へと注意深く花瓶を置いた。次にラシュミが踏み出し、転送器を持ち上げてそれを花瓶の上に通して机に安置した。本当に開始する覚悟を決められず、彼女は長く安定した呼吸とともに大導路を見つめた。見えなかった。だが次の瞬間、自身がその中に立っていると理解した。その光が周囲にあった。長いこと追い求めてきた瞬間だった。今自分はここにいて、次にどうなるのかはわからない。ただ、引き返すことはできないとはわかっていた。自分達の偉業をパディームに見せたなら、世界は決して同じではいられない。あるいはそれで十分なのかもしれない。ラシュミは一歩下がり、視線をヴィダルケンの審判者へと向けた。
パディームは指先に顎を乗せて言った。「宜しいでしょう。発明家ラシュミ、私を驚かせなさい」
(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)