プロツアー『アヴァシンの帰還』特集にようこそ。今週は、アヴァシンの帰還とそれを使ったプロツアー. の話をすることになる。前回のプロツアー特集の時もそうだったように、私はカード個別の話の第3回としてこの特集を使うことにする。まだ読んでいない諸君は、まずその1 and その2を読んでくれたまえ。

 私は追放領域には縁がある。アンヒンジドではそのイライラのはけ口として、こんなカードを作ったほどだ。



 追放領域と呼ばれるようになるより前、この領域は「ゲーム外」領域と呼ばれていた。問題は、「ゲーム外」でありながら、ゲームの内部だったということである。ここで注意しておきたいのは、追放領域の使い方には2種類存在するということだ。その中には、戻ってくることを前提としてものを置いておく、隙間のような使いかたが含まれる。

 たとえば、《忘却の輪》は、《忘却の輪》がある限り、その対象となったものをゲームから取り除いておく。《忘却の輪》が破壊されたら、それが取り除いていたパーマネントは戻ってくる。現在、何かを一時的に取り除いておくカードは私の好みであり、そういったカードを作ることに問題があるとは考えていない。実際、私はそういうカードを作るのが好きだ。「ゲームから取り除く」という表記を不適切なものにしたのは確かで、「一時的にゲームから取り除く」的なものだという主張もできた。今は「追放する」なので何の問題もない。

 追放のもう1つの使い方として、何かを戻ってこないように取り除くというものがある。たとえばあるカードを1度しか使って欲しくない、という、メカニズム的な理由からそうすることがあるし、戻ってこないように完全に除去するという意味を持たせることもある。フレイバー的な意味であることもある。《剣を鍬に/Swords to Plowshares》は、白がクリーチャーを殺さずに除去するというイメージから作られた。つまり、《剣を鍬に/Swords to Plowshares》はクリーチャーの戦意をなくし、戦いの場に戻ってこないようにするのだ。

 マジックのデザインにおいては、今までなかったことをやることが多い。つまり、通常は戻ってくることがないはずの領域から何かを戻すという発想は魅力的だ。ただしここには問題がある。マジックには、確実に戻ってこられないようにする方法が必要なのだ。追放領域にあるカードを戻す方法を作れば作るほど、追放領域は第2の墓地にすぎなくなってしまう。それが進めば、新追放領域を作らなければならなくなるかも知れない。第2の墓地など必要ないのだ。第1の墓地はすでに存在していて、うまく働いている。何か戻せるものを作りたいのなら、そこにエネルギーを注ぐべきだ。

 そうした理由から、私は、追放領域にあるものを戻すべきではないと強く主張してきた。首席デザイナーとして、やりすぎによって物事をダメにさせないようにするのは私の仕事の一部である。《霧虚ろのグリフィン》はこのあたりに関係してくるので、この話をさせてもらった。

 さて、このカードの話だが(これも作られないようにしていたことは覚えておいて欲しい)、これは一時的な追放に分類できるカードである。問題は、永続的な追放に見えるということであり、私はこれが他の永続的な追放に関する取り扱いに影響を及ぼすことを危惧している。まるで追放領域から何かを戻すことを認めたかのように見えるからだ。

 このカードに関しては、私自身の中でも賛否が入り交じっている。開発部の思考や見解が誰か1人の手によるものでないことはすばらしいと思っている。それによって1人では決して作れないようなマジックを作り上げることができる。しかし、それはつまり、個人的に気に入らないこの類のカードが作られるということにもつながるのだ(このカードに関しては「これは《スズメバチの一刺し》じゃないんだ」とつぶやくことにしている)。


 アヴァシンの帰還には基本土地が必要だ。大型セットなのだから基本土地が必要だ。だが、ドラフト環境も変わるので、新しいイラストが必要だ。問題は、セットの雰囲気はこれまでの2つのセットと大きく変わるが、地形は変わらないということである。

 解決策は面白いものだった。アヴァシンの帰還の基本土地のイラストレイターにイニストラードの基本土地をもう一度見てもらい、それを明るい、不吉さの少ないものにしてもらったのだ。イニストラードの変化を見せるための方法は? 対照的な基本土地を見てもらうことだ。詳細について知りたい諸君は、Magic Arcanaのこの記事(リンク先は英語)を見てくれたまえ。

 このカードはデザイン上の面白い問題を解決してくれた。我々は、人間が怪物を追い払うという雰囲気を出そうと考えた。問題というのは、つまり、アヴァシンの帰還はそれ単体でドラフトするものであり、セットの雰囲気を変えるためにセットに含まれる怪物カードは非常に少なくなることになる。カードでクリーチャー・タイプを指定することで、必要としていたフレイバーを出すこともでき、このカードを怪物の部族をテーマにしたデッキへの対策カードとして構築デッキに入れることもできる。リミテッドでも、たとえば天使や人間を指定することで必要に応じて使うことができる。フレイバーを保ったまま実用的にも使えるというわけだ。


 デザインにおける共通の課題が存在する。セットの特徴となる部分は、非常に鮮やかでイカしたものにする。そのために、何枚かの神話レア・カードをデザインしようということになる。しかし、テーマを全てのプレイヤーの目に触れるようにするために、テーマをコモンで表現したいという話について、これまでも語ってきた通りである。

 このセットにおいては、アヴァシンとグリセルブランドがそれにあたる。これらの伝説のクリーチャーは神話レアでなければならないのは明白だが、たとえば10パックだけ買ったプレイヤーがこれらの名前を目にするようにするには、どうしたらいいだろうか。ああ、アヴァシンについては置いておこう、セットの名前に出てきているのだから、当然目には触れる。アヴァシンはいいとして、グリセルブランドはどうだろう?

 この問題を解決するために、これらの伝説のクリーチャーに関わりを持つものを作ることになる。そういったカードは呪文であることも、クリーチャーであることも、エンチャントであることも、土地であることもあるし、時にはフレイバー的に品物であることが望ましければアーティファクトであることだってある。

 これらの巻物は、複数の理由からデザインされたものだ。善なる軍勢と悪なる軍勢の対比を見せるためでもある。メカニズム的に対照的になっているのは見ての通りで、これは対立をイメージさせるようになっている。もう1つ重要な理由が、今回の主役たちとの関連を作ることだ。アヴァシンやグリセルブランドの名前をコモン・カードにいれ、それぞれのキャラクターを連想させるのだ。

 アヴァシンは天使が好きで、諸君を助けたいと思っている。グリセルブランドは悪魔が好きで、人々――この場合、諸君の対戦相手――を傷つけようとしている。これらのカードは毒にも薬にもならないものに見えるが、このセットの中心となるテーマと関連づけるという大きな役割を担っているのだ。

 《月の賢者タミヨウ》に関するコメントの中で最多のものは「《月の賢者タミヨウ》はこのブロックに関係あるようには見えない」というものだ。実際に言いたいことは「《月の賢者タミヨウ》はこの世界の存在には見えない」ということだろう。そして私の返事は、「そうだとも。それがポイントなんだ」ということになる。

 プレインズウォーカーが何なのかについて全ての説明はしていないので、それらしく言い逃れることは非常に簡単だ。ほとんどの諸君はプレインズウォーカーのカードを見るだけだろう。そう、プレインズウォーカーはここに――どこにでも――いるのだ。忘れられがちなのは、彼らはどうやってここにいるのか、である。

 プレインズウォーカーをただの魔法使いの読み替えだと考えるのはよくあることだが、それは重要な定義を見落としている。「プレインズウォーカーがマジックの世界において何なのか」ということだ。プレインズウォーカーには1つだけ共通点があり、それは次元を渡る能力を持っているということだ。どうでもいいことに聞こえるかもしれないが、この考え方は非常に重要である。

 多元宇宙に住むほとんどの存在は、多元宇宙の存在を知らない。彼らは自分の次元で生き、その次元についてしか知らない。プレインズウォーカーはそうではなく、(我々が「灯」と呼ぶところの)特別な能力を持っており、その力で次元と次元の間を旅することができるのだ。この能力だけでプレインズウォーカーはプレインズウォーカーたりえる。彼らは他の誰も知らない多元宇宙の存在を知っているという点で特別な存在なのだ。

 ここでこの話を取り上げたのは、プレインズウォーカーが次元を渡るという事実について取り上げることがあまりないからである。「なぜ《月の賢者タミヨウ》がそぐわないところにいるのか」という質問は、「なぜプレインズウォーカーがそぐわないところにいないのか」という質問に置き換えられる。《月の賢者タミヨウ》はプレインズウォーカーのあり方に一石を投じている。たとえば、もう戻ることの叶わない多くの世界が存在するので、そういった世界からの存在としてプレインズウォーカーを使うことでさらなる何かが見いだせるだろう。

 その多くは、《月の賢者タミヨウ》の評価にかかっている。プレイヤーがマジックの過去の次元からやってきたプレインズウォーカーを気に入れば、今後も姿を見せることになるかもしれない。私は、そういった雰囲気を纏ったプレインズウォーカーをもっと見たいと思っている。

 アヴァシンの帰還に関して多くのインタビューを受けてきた。そのほとんど全てにおいて、このセットでお気に入りのカードは何かと効かれている。そのたびに、私は《屋根職人の反乱》を挙げている。なぜだと思うかね? このカードはまったく鮮やかでもないし、アヴァシンの帰還に大きな影響を与えているようにも思えない。これは天使セットなのに、この怒れる3人の農夫が気に入ったのか?

 なじみのない諸君のために、アヴァシンの帰還が本来描くものは何かを説明しよう。アヴァシンの帰還は、イニストラード世界の潮流の変化を描いている。たしかに天使アヴァシンは帰還したが、その事実よりもその与えた影響の方が大きいのだ。このコラムでも語ってきたとおり、イニストラード・ブロックの主役は人間だと考えている。語られる物語は、彼らの物語なのだ。

暴動の首謀者》 アート: Gabor Szikszai

 イニストラードにおいて、人間は苦難に直面していた。周り全てに怪物がいて、頼りとする道具は日々弱まっていくという状況だ。闇の隆盛にいたって、人間は絶滅の危機に瀕していた。救いなんてどこにもなかった。アヴァシンの帰還は、人間の凱旋を描いている。このセットでは人間が自分たちの手に世界を取り戻すのだ。この文脈において、《屋根職人の反乱》はアヴァシンの帰還そのものとも言える。そう、彼らは怒っている。人間はようやくくぐり抜けたのだ。

 とはいえ、私が《屋根職人の反乱》を推す理由はそれではない。プレイヤーの間で人気が出るカードは、大抵鮮やかでゲームにおいて大きな影響をもたらすものや、その生成する効果が強力なものだ。一方、デザイナーの観点はすこしばかり違う。デザイナーは優雅さを好む、デザイナーは単純を好む。デザイナーはいろんなものを結びつけるカードを好むのだ。

 私が《屋根職人の反乱》を好むのはそこである。優雅で、単純で、そうでありながら大きな役割を果たしている。私がこのカードを推すたび、「え、どのカード」と言われるのだ。説明しよう。

数週間前、善の側と悪の側の対照性を描くための手法について語った。善の側には戦場に出たときの能力があり、悪の側には死亡誘発(死亡したときに誘発する能力)がある。このメカニズム上のテーマを発展させるために、善の側にはクリーチャーが戦場に出やすくするカードを置き、悪の側には何かが死亡やすくするカードを置いた。《屋根職人の反乱》はその両方の役目を果たしている。

 実際、《屋根職人の反乱》が生み出すトークンに関しては議論があった。このカードが優秀なので、両陣営が自分のクリーチャー・タイプ(人間かデビルか)にしようしたのだ。最終的には、人間が勝つのだから人間カードを増やさなければならないということ、また人間部族テーマを強化する意味で、人間になった。

 先週のプレリリースに行ったのなら、セットのシナジーを感じてもらえたと信じている。そしてそういう諸君なら、《屋根職人の反乱》がリミテッドにおいて懐刀になるということが分かったに違いない。今は感じていなくても、近いうちに分かることだろう。

 アヴァシンの帰還の2人目のプレインズウォーカーを紹介しよう。《悪鬼の血脈、ティボルト》についてもっともよく受けた質問は、「なぜ無作為にカードを捨てるのか」だ。答えは、無作為でなければ強すぎるからだ、という一言に尽きる。デベロップは2マナのプレインズウォーカーを作りたかったのだが、そこにはいろいろな制約がつきまとったのだ。

 なぜ《悪鬼の血脈、ティボルト》は2マナでなければならなかったのか。プレインズウォーカーを作る上で重要なのは、それぞれに特徴を持たせることだ。そのための方法には、たとえばそれまでのプレインズウォーカーがやっていなかったことをやる、というものがあり、やっていなかったことの1つに、2マナのプレインズウォーカーというものがある。デベロップ・チームはリスクを承知の上で作ろうとしたのだが、2マナのプレインズウォーカーはそのリスクに見合うところには思えなかった。弱点の方が長所よりもずっと大きいのだ。

 《悪鬼の血脈、ティボルト》に関する2つめの質問は、「ロミオとジュリエットの登場人物から名前を取ったのか」というものだ。私はそうは思わないが、ロミオとジュリエットの登場人物の名前を連想したのは事実だ。実際、(綴りは違うが)ロミオとジュリエットと《悪鬼の血脈、ティボルト》を絡めたジョークはいろいろある。私のお気に入りのジョークは、マジックのデザイナーでシェークスピア・ファンのショーン・メイン/Shawn Mainの言った「ティボルトを殺したクリーチャーは追放される」というものだ。

(訳注:ティボルト(Tybalt)はロミオとジュリエットに出てくるキャピュレット夫人の甥で、ロミオは彼を殺した咎によって追放される)

 このカードに関するもっともおかしな話と言うと、開発部でのちょっとしたジョークの話になる。知らない諸君のために説明しておくと、我々は開発部が作業している一群の机のことを「奈落」とあだ名している(私の描いている「Tales from the Pit(リンク先は英語)」はこれにちなんだものだ)また、この奈落に座っている人間のことを「奈落に住まう者」と呼んでいる――つまり、このカード名はちょっとばかり内輪受けなのだ。

 メカニズム的には、このカードの面白いところは、デザイナーの気に入っていることをするというところだ。メカニズム的に、通常とまったく逆のことをする方法を探すというところである。ほとんどの不死クリーチャーについては、強化された形で帰ってくるために死なせたいと思うものだ。だが《奈落に住まう騙し屋》は不死がメリットでなくデメリットである不死カードである。多くのカードでこんなことをするべきではないと思うが、セットに1枚や2枚入っていてもいいものだ。

 緑を結魂の第1色にした経緯については、すでに話したとおりである。パワーを強化する結魂カードを緑の専有にしたのは、その現れの1つだ。なぜそれが重要なのかと言うと、パワーを強化するというのは結魂の中でも非常に特殊なもので、同名のカードを組にすることに充分な意味があるからである。

 通常、同名のカードを組にすることは望ましくない。同じ能力を2つ持っても、通常は何の意味もないからである。しかし、パワーを強化する場合はそうではない。《信頼厚き腕力魔道士》同士を組にすれば、《信頼厚き腕力魔道士》はそれぞれが4/4のクリーチャーになるのだ。

 これは、開発部の用語で言うところの「懲罰者カード」だ。つまり、対戦相手にとって不利になる、あるいは唱えた側に有利になる選択肢2つからどちらか1つを対戦相手に選ばせるというものである。その選択肢の1つは対戦相手への直接ダメージであることが多い。

 赤の混沌らしさを感じさせるための手法を探していた私は、オデッセイの時に懲罰者カードを作った。赤のできることを広げた(オデッセイ・ブロックの懲罰者カードのほとんどで、効果の1つは赤のカラー・パイからはみ出していた)呪文でありながら、起こることを完全には制御できないというアイデアを気に入っていた。

 懲罰者カードは非常にうまくいったので、我々はそれを時折引っ張り出した。《苛立たしい小悪魔》はこの流れに乗ったもので、ユーザーの第一印象は非常にいいものだった。

 防御的なクリーチャーよりも、攻撃的なクリーチャーの方がいい。この単純なデザインにたどり着くまでに、様々な試行錯誤を繰り返してきた。攻撃できるときだけ大きくなるなら、どうするかな? 私がこのカードを好きな理由は、露骨でない形でそう問いかけているところだ。カードが露骨に主張すべき時や場所というもはあるが、私は意図を隠してひっそりと訴えかけるカードのほうが好きだ。このメカニズムはその意図を大声で騒ぎ立てることなく誘導している。

 火曜の定例マジック・ミーティングについては何度も何度も語ってきたが、同じように重要なマジックに関する火曜日のミーティングについてはほとんど語っていない。このミーティングは「カード技術」と呼ばれるもので、中核的デザイナーやデベロッパーが集まって技術的な問題について語り合う場だ。たとえば、青の物あさりと赤の物あさりの差別化について決めたのがこのミーティングである。

 数ヶ月前に取り上げた題材が、白の強化と緑の強化の差別化についてだった。強化効果とは、《巨大化》のようにクリーチャーのパワーとタフネスをターン終了時まで増加させる、大抵はインスタントである。緑にも白にもそういった強化は存在するが、同じ事をさせるつもりはなかった。

 このミーティングで決めたことは、次の通り。

緑は大きく強化し、白は小さく強化する
 境界線は、いわば《巨大化》線ということになる。+3/+3以上の強化は緑に寄せることにした。白の強化は+2/+2までだ。緑には+1/+1や+2/+2の強化も認めるが、それは稀なことでよくあることではない。それらの小さい強化は他のものと組み合わせられるのが通例である。

 また、この線を全体強化にも適用することにした。白は全体を+1/+1や+2/+2するが、+3/+3以上は緑の領分だと。

白は強化に能力がつく
 この両者を分ける方法として、白には単にパワーやタフネスを強化する以外の機能を持たせることにした。白の強化はキーワード能力も与えるものがほとんどだ。《盲信の一撃》はこの一例となる白の強化カードである。緑はトランプルを唯一の例外として残すことになった。

 これらの詳細はどうでもいいことに聞こえるかもしれないが、これがゲームの健全性を保つために必要なのだ。カラー・パイがマジックの健全性のために重要であり、我々は色ごとの特徴を守ることを常に意識しなければならない。それは、2つの色が同じようなことをしていてもである。

    「マジック・オンステージ」

 さて、諸君がアヴァシンの帰還のカードを巡る3週にわたる旅路を楽しんでくれたなら幸いである。私は諸君からの反応を心待ちにしている。どんな話が好きで、どんな話が嫌いかという意見が将来のカード個別談義を決めるのだ。ツイッターTumblrGoogle+、メール、方法はなんでも構わない。

 それではまた次回、クリーチャーの群れと結魂するときに。

 その日まで、諸君の話を人々が楽しみますように。

(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)