先週、『破滅の刻』のデザインについての話を始めた。今週もさらに話を続けるが、今週は少しばかり異なった角度から掘り下げることにしよう。先週は、トップダウンのニコル・ボーラスのセットにしたいと思っていたという話と、その目的のために我々がデザインに盛り込んだ要素について話した。今回は、全く異なる、だが同様に重要な目標について語ることにしよう。つまり、ニコル・ボーラスのセットであることと、『アモンケット』ブロックの一部であることのズレを埋める、ということである。

デザインはあくまでドラゴンらしく

 小型セットにつきものの問題がある。大型セットからの連続性が必要だということである。同じ場所で起こることで、同じ物語で、同じメカニズムを多く使う、しかしデザインを変化させるようなひねりが存在する。たとえば、ニコル・ボーラスが3柱の神々を引き連れて現れ、世界を破壊し始める。これに注目しないわけにはいかない。

 しかし、ブロックは同一のリミテッド環境の一部であり、多くの構築フォーマットでも組み合わせてプレイされる。いくらかの繋がりが必要なのだ。関連していると感じられなければならない。では、まったく新しい方向に進まなければならない一方で前のセットとの繋がりも必要だとしたら、どうすべきだろうか。この点について、今日は語らせてもらおう。

 答えは6つある。

#1:重なりを見つける

 この2つのセット間の移行については、一連の計画の一番初め、先行デザインを始めるよりもまだ前から準備を始めていた。ニコル・ボーラスにエジプトの影響を与えることにしたのは、この2つには、世界の過酷さや聖職階級制、象徴主義といった必然的に重なり合う部分があったからである。そして、これらの重なり合いを使って第2セットの基礎を作るための準備を進めることができたのだ。

 いくつかの例について見ていこう。

-1/-1カウンター

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 ブロック内で使う、パワー/タフネスを修整するカウンターは1種類というルールがある。多くの場合、+1/+1カウンターを使っているが、『アモンケット』ブロックでは-1/-1カウンターを使うことにした。第1セットでは、-1/-1カウンターは、世界の過酷さを表すとともに、クリエイティブ的には幸せに描かれている中でゲームプレイ的にはそうではないという不一致感をもたらすものであった。

 しかし、『破滅の刻』は破壊がテーマである。ボーラスとその配下がナクタムンの待ちを破壊し始めるというディザスタームービーだ。『アモンケット』では、-1/-1カウンターはほとんどの場合自分のクリーチャーに置かれるものだったが、『破滅の刻』では対戦相手のクリーチャーに置くことで破壊感を再現できるようになっているのだ。

ミイラ

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 『アモンケット』では、2種類のミイラが存在した。都市の中で召使いとして存在する協力的で従順な白のゾンビと、都市の外の砂漠にいる野生の黒のゾンビである。これらのミイラの存在によって、この世界で死んだものすべてがゾンビとして戻ってくること、人々はカルトーシュを用いてゾンビをコントロールする技術を知っているということがわかる。

 『破滅の刻』では、新しい種類のミイラ、永遠衆が登場した。白のミイラと同じように、永遠衆はカルトーシュでコントロールされているが、従順とは程遠い存在である。ボーラスは5つの試練という手の込んだ儀式を使ってゾンビの軍勢を集めていた。永遠衆は違う色(青、黒、赤)に存在し、加虐(このクリーチャーがブロックされた状態になるたび、防御プレイヤーはN点のライフを失う)と永遠(不朽にひとひねり加えたもの。この後詳述する)の2つの新メカニズムで描かれている。

砂漠

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 『アモンケット』には、砂漠というサブタイプを持つ基本でない土地は何枚も存在したが、それらを組み合わせることでメカニズム的利点になるようなものは存在しなかった。『破滅の刻』では15種類の新しい砂漠と、メカニズム的にそれらを参照するさまざまなカードが登場する。これは、ナクタムンの市民を町の外の危険なものから守っていた障壁ヘクマをボーラスが消し去ったというストーリーを描いたものである。

 上記のそれぞれについて、『アモンケット』はエジプト風のトップダウン・デザインとして描き、『破滅の刻』でそれを元に拡張できるようなテーマを作っていたのだ。

#2:既存のテーマにひねりを加える

 既存のものを前提にするというこの考え方を、メカニズムそのものにも拡張している。ここでは特に2つのメカニズムを取り上げよう。

不朽

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 ミイラは『アモンケット』の重要な部分だったので、クリーチャーが死んでからミイラとしてゲームに戻ってくるありかたを描いたメカニズムを採用した(ああ、厳密に言えばミイラではなくゾンビだ)。先週、不朽がさまざまなエジプト風テーマにおいてどういう意味を持つのかという話をしたが、もう1つの目的があった。

 『破滅の刻』では、永遠衆に注目を集める必要があった。すでにミイラにするというメカニズムが存在しているので、そのメカニズムを調整することでブロックの連続性をもたらすと同時に新セットに注目を集めるようにすることはできないかを探った。さまざまな方法を探ったが、最終的に、この永遠の軍勢をさらに強くする必要があると判断したのだ。『破滅の刻』はニコル・ボーラスこそが巨悪であると明言することがテーマだったので、ボーラスの悪さにふさわしく思えるだけのことをさせることは重要だったのだ。

 永遠が完全に新しいメカニズムであるかのように思われるのではなく2つのメカニズムが関連したものだと感じられるようにすることが肝だったので、我々は変更するのは1つだけにすることにした。クローン・トークンが元になったクリーチャーのパワーやタフネスをコピーするのではなく、常に4/4になるようにしたのだ。これは、我々が求めていた強さを表すとともに、永遠が不朽の延長線上にあると感じられるようにしたものである。

 永遠能力の話をするなら、プレビュー・カードをお見せするのがふさわしいだろう。《機知の勇者》をご覧あれ。

クリックで《機知の勇者》を見る


 《機知の勇者》は、永遠を持つクリーチャーを作る上でデザイン上最大の課題の1つを示すいい例である。我々は、4/4というサイズに、単に大型の攻撃クリーチャーあるいはブロック・クリーチャーというだけではない意味を持たせようと考えたのだ。他にもさまざまな手法が存在し、それは他の永遠カードがプレビューされたときに公開されることになる。

 《機知の勇者》はクリーチャーのパワーを参照しており、大きなサイズで戦場に戻ってくることによって機能も強化されることになるのだ。一種のルーター能力だったのが、カードを引く能力になるのである。(訳注:原文ではfiltererとなっていますが、濾過能力はライブラリーの一番上から数枚見て一部を手札に加え、残りをライブラリーの一番下に置くという能力のことで、これは当てはまりません。)

督励

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 督励を『アモンケット』に採用したのは、市民を自己破壊的な挙動に人為的に向かわせるものが存在するようにしたかったからである。その「もの」とはボーラスなので、このメカニズムは最初から第2セットにふさわしい方向に向かわせていたということになる。我々が必要としたのは、もう少し先に進めることだけだった。ボーラスが現れたので、彼の影響もさらに強まったのだ。

 督励に加えたひねりは2つあった。1つ目が、督励の使い方を攻撃だけでなくコストとしても使えるように拡張したことである。例えば、パーマネントの起動型能力のコストとして使うことができるようになった。2つ目が、督励の効果をさらに強力にできるようにしたことである。督励を持つクリーチャーがアンタップしないようにするだけでなく、他のものも督励でアンタップできないようにすることができるのだ。単色の神々5柱の運命を示したレアの「最後の」サイクルでは、その次のターンに土地がアンタップしなくなることを代償に、軽いマナ・コストで大きな効果を得ることができるようになっている(このサイクルでは「督励」という表記そのものは使っていない)。

 永遠と督励の両方について、『破滅の刻』で注目を集めたい部分を強めるために『アモンケット』の既存のメカニズムにひねりを加えることができた。しかし、どちらのメカニズムも『アモンケット』に起源を持つものであり、『破滅の刻』が第1セットから離れたものではなく第1セットから発展したものであると感じられるようになっているのだ。

#3:中立のメカニズム的テーマを続ける

 小型セットには新メカニズムがつきものだ。小型セットでは大型セットのメカニズムにひねりを加えるものだ。しかしそのどちらも複雑さを増すことになる。この分類では、複雑さを増すことなく大型セットと小型セットを繋ぐ方法である。

 セットのテーマに注目を集めたいとはいっても、それ以外のことをする余地も少しはあるものだ。すべてのカードが同じ目標を目指す必要はない。つまり、小型セットでも大型セットと同じメカニズムを、ひねりを加えずにそのまま採用することができることが多いのだ。『アモンケット』ブロックでの例を2つ挙げよう。

サイクリング

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 サイクリングはこのブロックのゲームプレイのために、さまざまないい働きをしている。カードの流れを潤滑化し、他のシナジーが成立する頻度を上げる助けとなっている。サイクリングはフレイバー的にはそれほど輝いてはいない。いや、我々はこれをボーラスの知性と操作の表れとして使ったが、よく言っても少し関連があるだけである。

 『破滅の刻』でのサイクリングは、連続感を生み出すほどには新しいテーマに関わっていない。砂漠サイクルの1つにサイクリングを持たせており、新しいデッキの軸になるカードも数枚はあるが、全体として、『破滅の刻』のサイクリングはほぼ同じものである。

余波

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 余波にひねりを加えるかどうかという議論は存在した(このメカニズムの名前はボーラスの破壊にふさわしいと感じられた)。しかし、セット内の他のあらゆる要素とこのメカニズムそのものの基本的な複雑さを勘案して、『アモンケット』型の余波カードをさらに作るだけにするほうがいいと判断したのだ。

 サイクリングも余波も、それが小型セットのテーマそのものとはいえなくても、大型セットと同じままにすることができるということを示している。

#4:元ネタを継続する

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 『アモンケット』を紹介した時、大半がトップダウンのエジプトで、トップダウンのボーラスを少し加えていると言った。また、『破滅の刻』については、その逆になるとも言った。これは、『破滅の刻』にもいくらかのエジプト風要素が存在するということである。碑やラクダや猫やスカラベが存在するのだ。もちろん、それらのお約束の多くはディザスタームービーの枠に巻き込まれるが、それでも2つのセットの連続性をもう1つ付け加えることができているのだ。

#5:ヒントを活用する

 大型セットと小型セットを繋ぐもう1つの方法は、大型セットに小型セットへのヒントを置いておくことである。これによってプレイヤーに、情報として知っていることが実際に存在するようになるカードを見たいという期待が生じるのだ。『アモンケット』から、非常にわかりやすいものを1つと、もう少し繊細なものを1つ紹介しよう。

王神の贈り物

 これは『アモンケット』のカード《来世への門》で種がまかれていたものである。

 このカードにはいくつもの目的があった。まず、これははっきりと『破滅の刻』でニコル・ボーラスが登場するということを示していた。

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 2つ目に、来世はナクタムンの人々に約束されたようなものではなく、『破滅の刻』で永遠衆の軍勢とともにもたらされる何かであるということをほのめかしていた。3つ目に、「王神の贈り物」という特定のカードが『破滅の刻』に存在するということをプレイヤーに知らせていた。そのカードは今日別のどこかでプレビューされており、明日『破滅の刻』のカードイメージギャラリーにも掲載される。

他の3柱の神々

 こちらは比較的繊細なものだ。ストーリー上で何度も、かつては8柱の神々が存在したと明示されていた。『アモンケット』ではそのうち5柱しか登場していなかったので、多くのプレイヤーが他の3柱の所在について質問してきた。当然、『破滅の刻』では、3体の新しい伝説のクリーチャー・カードと、そのストーリー上の大きな役割という両方の形で大々的にその答えが示されている。

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 ヒントを出す上で最も重要なのは、それが大型セットと小型セットに関連性を増やし、小型セットを大型セットの続きだと感じさせるようにするということである。

#6:見通しに一貫性を持たせる

 6つ目、そして最後のポイントは最も複雑だが、同時に『破滅の刻』のデザインに関する最も面白いものの1つでもある。

 最初に私のデザイン上の格言を紹介しよう。楽しみを見つけろ。これは、そのゲームの最も面白いところを決め、そのゲームがその面白い部分を提供するようにすることこそがゲーム・デザイナーの仕事である、ということである。ゲームの面白いことが、誰かが顔面にパイを食らうことだとすれば、パイの恐怖を軸とすることと、究極的には誰かがパイを顔面に食らうようにすることで、そのゲームはより良いものになるのだ。

 これをここで取り上げたのは、我々が『破滅の刻』でかなり早いうちに気づいたことの1つが、このストーリーの面白さはボーラスの側にあるということだったからである。自分たちの身の回りの世界が崩壊していくのを眺める人々になりたいのか、それとも世界を破壊する側になりたいのか。

 『闇の隆盛』のデザイン当時、私は破壊の瀬戸際にいる人々の苦境を表現することに集中していた。最高の怪物たちでなく怯える人間に集中していることをそのセットのリード・デベロッパーだったトム・ラピル/Tom LaPilleに指摘されて、私は自分の誤りに気がついたのだ。同じことを繰り返すつもりはなかったので、プレイヤーがニコル・ボーラスの視点に立てるようにするという方向でデザインを行なったのだ。

 これが、不朽能力から永遠能力に切り替え、加虐能力を追加した理由である。永遠衆を作るのはプレイヤーなのだ。これが、破壊的な能力を持つ3柱の新しい神々をプレイヤーが使えるようにした理由である。街を破壊するのはプレイヤーなのだ。これが、砂漠関連のテーマを採用した理由である。ヘクマ(街を守る障壁)を消滅させたのはプレイヤーなのだ。

 この視点は楽しいものだが、非連続性をもたらす。『アモンケット』では、プレイヤーはナクタムンの市民であった。小型セットに移ったことで市民の苦境を無視するようになるというのは正しいとは感じられない。

 我々はこの問題を、市民を勇敢なものとして描くカードを作ることで解決した。プレイヤーは街を破壊するニコル・ボーラスだが、そこには障害となるものが存在する。そしてその障害となるものとは、抵抗を続ける人々なのだ。ゲームには障害物が必要なので、障害物として人々の抵抗を描くことで、『破滅の刻』のテーマに従いながらも一貫性をもたらすことができたのだ。

間もなく『刻』が訪れる

 先週、私は『破滅の刻』がどう『アモンケット』と変わっているのかについてかなりの時間をかけて語った。今回は、それがどう同じなのかについて語ったつもりだ。すでに衆知の通り、小型セットは近々廃止される。だからこそ、この話題が過去のものになってしまう前に、大型/小型のブロック構造に特有の課題について語っておくことが重要だと考えたのだ。

 いつもの通り、今日の記事や『破滅の刻』についての諸君からの感想を楽しみにしている。このセットは、このセット独特の感性と、ブロック全体の一部らしさを両立できているだろうか。メール、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrGoogle+Instagram)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、『破滅の刻』のカード個別の話を始める日にお会いしよう。

 その日まで、あなたが対戦相手を支配する計画が実を結ぶときにふさわしい叫びがあなたに備わりますように。

(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)