『破滅』の情報 その2
先週、『破滅の刻』のカード個別のデザインの話を始めた。まだ語るべきことは山のようにあるので、さっそく本題に入ることにしよう。
《不屈のエイヴン》
ほとんどの場合、マジックではデザイン上求めたことが実現されている。しかし、時々、一見するとこう動くだろうと思うものがそうならないときがある。《不屈のエイヴン》はまさにその例だ。我々は、攻撃誘発、すなわち攻撃したときに誘発する何らかの能力、大抵は呪文のような効果を持つ能力を持つさまざまなクリーチャーを作ってきた。攻撃誘発によって、クリーチャーが他のクリーチャーにクリーチャー・キーワードを与えることもよくあり、その相手は一緒に攻撃しているクリーチャーであることもそうでないこともある。
これはほとんどのクリーチャー・キーワードではうまくいったが、警戒ではうまくいかないことがわかった。攻撃クリーチャーの指定が終わった後でクリーチャーに警戒を与えても、当然意味はない。警戒は攻撃クリーチャーがタップしないようにするものだが、攻撃誘発では、その誘発型能力を持つクリーチャーが攻撃するほうが先であり、全ての攻撃クリーチャーは同時に指定されるので、警戒を与えることでクリーチャーがアンタップしたままで攻撃できるようにするタイミングは逸しているのだ。
この問題の解決策として、我々はその誘発型能力ではクリーチャーに警戒を与えるのではなく、クリーチャーをアンタップするようにした。これは、警戒を与えることと本質的に同じことを行なうことになる。現在、クリーチャーをアンタップすることは白から緑にほとんど移行していた(青は今もクリーチャーを「ぐるぐる」できる、すなわちタップまたはアンタップさせることができる)ので、いくらかの議論を呼んだ。これを「攻撃クリーチャー1体を対象とする」に制限するべきという話もあったが、結局のところ、その文章を増やすだけの価値はないと判断された。白は、ほとんどの場合クリーチャーが警戒を持っているように感じさせるだけとなるような条件付きアンタップを少し得られるのだ。
サイクリング砂漠
このサイクルの話として、一般的なデザインの事象について語ろう。過去にデザインされたことがある何かをカードとして作るとき、意識的であるにせよないにせよ、その過去のデザインが新しいデザインについての考え方に影響を及ぼすものである。今回取り上げるのは、この砂漠サイクルである。『アラビアンナイト』で、リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldは《砂漠》というカードを作った。
『アモンケット』のデザインに関する記事の中で、私は、《砂漠》を再録することを検討したが、それが環境に及ぼす影響(タフネスの小さいクリーチャーを使い物にならなくすること)が望ましくないという理由で採用しないことにした、という話をした。そのため、新しい砂漠をデザインすることにしたのだ。私はデザイナーに何も条件をつけなかった。ただ、トップダウンの砂漠を作るように言っただけである。興味深いことに、最初に提出されたものは全てがタップして無色マナを出すものだった。
それは理解できることだ。一般に、砂漠は資源のないところだと考えられているので、最初の時点では、色マナを見つけられるような場所にする必然性はない。しかし、私はデザイナーたちがその思考回路をたどったとは思っていない。彼らは我々の過去のデザインをなぞったのであり、過去に作った砂漠がタップしたら無色マナを生み出すものだったからそうしたのだろう。
この危険な部分(これはデザインでは非常によく起こることである)は、誰も最初から自分でデザイン上の制約を課してはいないということである。単に最初にデザインした人が理にかなっていると感じられるような判断を下しただけであり、それが心理的デザイン空間に固定されて考え方を変化させていただけなのだ。
私の覚えている限り、このサイクルは『破滅の刻』まではデザインされていない。そして、これは砂漠を追加でデザインするという役目の砂漠担当の小チームで作られたはずだ。それまで、誰ひとりとして、「砂漠はタップして無色マナを出すものでなければならないのか」ということを質問したものはいなかったし、その答えは「いいや、そんな制約は存在しない」である。
このサイクルのクールなところは、それがこのセットの重要な部分を目立たせていることである。ヘクマと呼ばれる防御壁が消え去り、砂漠が街の中に侵入してきているのだ。色マナを出す土地を使うことで、街が砂漠に飲み込まれつつあることを明確に伝えることができる。色マナを使わなければ、それまで存在していたものが砂漠になっていっているということを伝えるのは難しかっただろう。そして、これは、実際に起こったことを通して起こり得る可能性を想像させることで伝えることができたのだ。
《正気減らし》《圧倒的輝き》《スカラベの責め苦》
私はしばしば、何かが常盤木になることについて語ることがある。常盤木キーワードあるいは常盤木能力とは、我々が(ほとんど)全てのセットで扱うものであり、マジックのデザインにおける基本的な道具に属する。その次の分類が落葉樹メカニズムである。これは、我々がデザイナーとして必要なときにいつでも使える道具箱の中にある道具だが、頻繁に出てくるとは思われていないもののことである。混成マナや両面カードは落葉樹メカニズムの好例である。それらが何かを達成する助けとなるなら使うことができるが、有用でない場合にも使う必要があるようなものではない。
呪いは、落葉樹になっている。『イニストラード』で、ゴシックホラー・テーマを扱う小さな要素として初登場した。その後、『闇の隆盛』でも続けて採用した。『統率者(2013年版)』のデザイン・チームはその使い方を見つけ、新しい呪いを何枚かデザインした。その後、『イニストラードを覆う影』でイニストラードを再訪したとき、両面カードとして1枚《呪われた魔女》/《感染性の呪い》を作った。その後、エジプト風テーマの『アモンケット』で、呪いはふさわしいものに感じられた。我々は「死と穢れ」のトゥームレイダー的なものをあまり多く入れたいとは考えなかったので、2枚だけ印刷した。『破滅の刻』ではセットの「ディザスタームービー」感を扱うようにデザインされた呪いを3枚追加した。呪いは雪だるま式にふくらむ効果を持っており、プレイヤーを敗北へ敗北へと押しやるのだ。
《王神の贈り物》
『破滅の刻』のテーマの1つが、ものは見かけと違うということである。ニコル・ボーラスはナクタムンの人々にさまざまな約束をしており、その約束を守ったが、それは人々が信じていたものとは違っていた。例えば、人々は死者が《来世への門》を通過すると何かすごいことが起こるということは知っていた。しかし、そのすごいこととは輝かしい来世ではなく、死者がボーラスの大ゾンビ軍団の一員になるということだったのだ。
このことを再現するため、我々は『アモンケット』でこのカードを使って「前フリ」をしたのだ。
前フリとは、まだ存在していない他のカードを参照するカードであり、プレイヤーにその参照されているカードが何をするのか想像する余地を残している。今回の場合、これは《来世への門》についてナクタムンの人々とまったく同じこと、すなわち試練を通過しこの門をくぐったものに待っているであろう報奨を想像するということをプレイヤーも味わうことになるのだ。
《王神の贈り物》は、ボーラスが死者を永遠衆にすることを表現するようトップダウンでデザインされた。このアーティファクトは、本質的にあらゆるクリーチャーに永遠能力を与え、それを永遠衆にするという文字通りのことを行なう。この2枚コンボは、《来世への門》で《王神の贈り物》の重いマナ・コストを無視することができるという相性の良さである(引きが良ければ4ターン目に出すことができるのだ)。
これまでにも数枚、上出来とはいえない前フリを作ったことがあるが、今回のこれはデッキ・デザインのきっかけになってほしいと思う。
《ハゾレトの終わりなき怒り》
マジックは1つのゲームだけで成立しているのではなく、同じカード群やルール・システムを共有した無数のゲーム全体であるということをしばしば語ってきた。このゲームの多様性、いわゆるフォーマットが存在するため、開発部には色を新しい方向に押して特定のフォーマットでのプレイをより良いものにする方法を探すという課題が生じるのだ。
《ハゾレトの終わりなき怒り》に関して言えば、我々は比較的カジュアルなフォーマット、特に統率者戦に注目していた。赤はもともと、2人戦だけに注目してデザインされていた。赤は短期的アドバンテージの色で、短期的な目的のために長期的な利得を投げ捨てる色だが、短期的戦略がほとんど無意味になるフォーマットではその特徴が問題になる。
我々は、赤に長期戦となる多人数戦のゲームで有益なものを与える方法を探して、かなりの時間を費やした。赤らしい方法で、赤以外の色のように振る舞うのではなく赤の理念に従うものにしたいと考えたのだ。《ハゾレトの終わりなき怒り》は、混沌の理念を軸にしたものである。赤は、白の逆の色なので、混沌の色である。そこで、大きな効果、ただししばしば未知の効果を生み出せるようにする方法を探し続けてきたのだ。
このカードは赤の予測できない性質を維持したまま、長期戦でのカード・アドバンテージを与えるというものである。赤が追い詰められた状況では素晴らしい結果が得られることもありうるが、注意深く計画するなどは赤のやり方ではない。
《虚ろな者》
スタンダードで使えるブロックでサイクリング・メカニズムを使ったのは、今回で5回目である(『ウルザズ・サーガ』ブロック、『オンスロート』ブロック、『時のらせん』ブロック、『アラーラの断片』ブロック、『アモンケット』ブロック)。これほど何度も使ってきているので、新しい変種を見つけるのに苦労していると思うことだろう。しかし、私は我々が新しい方向性を探す方法のことが大好きである。《虚ろな者》はまさにその好例である。コスト低減メカニズムは常々使っているが、それとサイクリングを組み合わせたことはない。厳密に言えば『ウルザズ・サーガ』で《波動機》というカードを1枚作ったことがあるが、それはサイクリングのコストを減らすものであり、その逆ではなかったのだ。
実際、《虚ろな者》は、ほとんどのコスト低減カードとは少し違うことをする。サイクリングは(ほとんどの場合)マナを使うので、5マナ使えない状況で《虚ろな者》を唱えることはそう多くないが、軽減のおかげでマナをサイクリングに使い、《虚ろな者》も唱えるということができるのだ。これはサイクリングの全く新しい使い方であり、5回目でそれを見つけられたことに私は大満足である。
刻サイクル
刻サイクルは、初めての「注目のストーリー」サイクルである。この物語における主な部分5つは、レアのサイクル1つで語られているのだ。ナクタムンの人々は、尽力して献身することがボーラスのアモンケットへの帰還につながると教えられていた。そして、その日には5つのことが起こると予言されていたのだ。このサイクルにはその5つのことが描かれており、ボーラスは法律の文面には従っていても、法の精神には従っていないということが示されているのだ。
この刻サイクルの順番はマジックの伝統的な色の順番(白青黒赤緑)でも試練の順番(白青緑黒赤)でもなく、白黒緑青赤という順番である。
《啓示の刻》
副陽がボーラスの角の間の定位置に収まるとき、啓示の刻が始まる。そして《来世への門》が開き始め、恐怖が始まる。ほとんどのセットには白の全体除去呪文が存在するが、啓示の刻は都市の破滅のはじまりなので、全体除去にまさにふさわしいと思われたのだ。少し違う雰囲気を持たせるため、コスト低減のおまけをつけた。世界に人々が溢れていれば、この破滅は起こりやすくなるのだ。
《栄光の刻》
ボーラスの神々の中で最初に現れるのは、《蠍の神》である。《蠍の神》は姿を現すと、かろうじて逃れたハゾレト以外の単色の神々を皆殺しにした。慈悲深い神々が目の前で他の神に殺されるのを見るのは、本当に恐ろしいことである。メカニズム的には、これは除去呪文にすることにし、さらに、これが神を殺したら、手札にある同名のカードも取り除くようにする一文を加えた。
《約束の刻》
次に現れたのがヘクマを食い尽くす蝗の群れを解き放つ《蝗の神》である。周知の通り、その防御的障壁が砂漠や危険な怪物を防いでいたのだ。砂漠やゾンビが都市に侵入し始めるというストーリー上のポイントなので、これを砂漠をサポートする、ゾンビ・トークンを出す助けとなるカードにしようと考えた。緑にとって、土地を探してくることやトークンを生成することは当たり前なので、うまく噛み合うものになった。
《永遠の刻》
そして《スカラベの神》が現れ、死霊都市の永遠衆をすべて蘇らせた。試練の褒賞として期待されていたのは栄光の来世だったので、友人や愛するものが巨大ゾンビ軍団の一員となり、襲い掛かってくるという状況はつらいものである。この永遠衆の蘇りを表して、このカードはコストを支払えるかぎり自分の墓地にあるクリーチャーを「永遠」できるのだ(このカードでは、死んだクリーチャーに永遠能力を与えることなく永遠能力の処理を真似ている)。伝統的に青はリアニメイトの色ではないが、このセットでは永遠能力の色の1つなので、これは許容できる範囲の曲げだと考えられた。
《破滅の刻》
最後にこのセットの名前となっている刻が訪れる。ボーラス自身が現れ、ボーラスとゲートウォッチの最後の対決となる。敗北サイクルが示す通り、ゲートウォッチにとって無残な結果となった。このカードを破滅的でストーリーを示すものにするため、クリーチャーだけでなくボーラス以外のプレインズウォーカーにもダメージが与えられるようになっている。
注目のストーリー・カードをどのように使うかは今も実験中だが、『破滅の刻』での斬新な使い方のことを私は気に入っている。
ペイン砂漠
『アモンケット』のデザイン中に、最終的に『破滅の刻』に残しておくことにするまでの間、砂漠シナジーについて少し考えていた。試していたものの1つが、自身を生け贄に捧げて効果を生む類の砂漠を、そのカード自身でなくても砂漠を生け贄に捧げることで効果を生めるようにするというものだった。これは、カードにそれほど文章を増やさずに「砂漠部族」を成立させる方法であった。そして、それをプレイテストした。
その結果、これは非常に声高で(プレイヤーの注目を強く集めるという意味の開発部語)、非常に強力だった。また、無色土地をプレイする枚数を増やす方向にプレイヤーを誘導するという副次効果もあった(当時は砂漠はすべて無色マナを生み出していた。サイクリング砂漠の項参照)。我々は、「砂漠1つを生け贄に捧げる」を採用する量には注意が必要だということを認識したのだった。
このサイクルがデザインされたとき、我々は生け贄に捧げるときに有色の起動コストを必要とするというアイデアを試していた(これは砂漠をタップして色マナが出るようになるよりも前の話だったと思う)。我々は『破滅の刻』に「砂漠1つを生け贄に捧げる」を少し入れたいと思っていて、色を必要とするこのサイクルは単一のデッキにそれほど多く入れることができないということが気に入っていた。その結果、このサイクルがこのセット唯一の「砂漠1つを生け贄に捧げる」土地になったのだった。
《ケンラの永遠衆》
マジックの歴史家として、私は、特定の流れを追って物事の時系列での変遷を見るのが興味深いということに気づいた。《ケンラの永遠衆》は、いわば「《スケイズ・ゾンビ》」系のカードの最新型の好例である。この系統の最初は、その名前で分かる通り、もちろん1993年『アルファ版』の《スケイズ・ゾンビ》である。
当時は、2マナで2/2のバニラ・クリーチャー(ルール文を持たないクリーチャー)は緑の《灰色熊》しか存在しなかった。黒では(白や赤でも)3マナだったのだ。そして7年後、2000年の『ネメシス』に到る。
ついに黒に2/2のクリーチャーが登場したのだ。ただ、これではブロックできないだけである。その次のセット、『プロフェシー』にも、{1}{B}で2/2のクリーチャーが登場している。
今回は、毎ターンのアップキープに{B}を払わなければならないという欠点がある。この次の革新が訪れるのは11年待たなければならない。2011年の『イニストラード』で、《歩く死骸》が登場するのだ。
これは当時賛否両論あった。開発部はこれについて長い長い議論を重ねたが、最終的にはクリーチャーのマナ・カーブは時とともに改善されており、{1}{B}で2/2のバニラは許容できると決定した。このクリーチャーはカード名を変え(《排水路潜み》)、新しいクリーチャー・タイプを得て(ネズミ)2年後の『ギルド門侵犯』で再録された。そして『アモンケット』だ。
史上初めて、黒の{1}{B}2/2に完全な欠点ではない能力が与えられた。《ケンラの永遠衆》はさらに先に進んだ、{1}{B}2/2史上初の利点を持つクリーチャーである。これはあらゆる人が興奮するような話ではないかもしれないが、私にとっては興味深いものなのだ。
黄昏の『刻』
本日はここまで。これらの話を楽しんでもらえたなら幸いである。いつもの通り、この記事や『破滅の刻』に関する反響を楽しみにしている。メール、各ソーシャルメディア(Twitter、Tumblr、Google+、Instagram)で(英語で)聞かせてくれたまえ。
それではまた次回、その3でお会いしよう。
その日まで、あなたが対戦相手や対戦相手たちを破滅させますように。
(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)