さらなるこぼれ話:『ラヴニカの献身』
先週、『ラヴニカの献身』に関する一問一答を始めた。良い質問が大量にあったので、今週もまた質問に答えることにしよう。
What new color philosophies were awarded to the guilds this time around?
— Jake Boss (Host of MTG Tonight) (@JakeBossMTG) 2019年1月4日
Q: 今回、どんな新しい色の理念がギルドに与えられましたか?
『ラヴニカのギルド』と『ラヴニカの献身』では、2つの常盤木メカニズムが移動することになった。興味深いことに、その1つは黒から緑、もう1つは緑から黒への移動であった。これまでは赤が1種色、黒が2種色、緑が3種色だった速攻は、黒と緑が入れ替わり、緑が2種色、黒が3種色(主に墓地から戻ってくるクリーチャーと、赤や緑が通常持たない飛行を持つもののような特別なクリーチャーで用いられる)となる。この変更の理由は、プレイデザインが緑の道具として速攻が必要だと考え、全般的な感覚としても速攻を持つのは黒よりも緑がふさわしいと考えられたからである。黒と赤は威迫でも重複していたので、黒赤の混成などで使えるメカニズムは他にも存在していた。これが『ラヴニカの献身』で起こった理由は、緑が速攻の3種色だったため、暴動メカニズムが少し拡大解釈になっていたことである。
もう1つの移動したメカニズムは瞬速である。瞬速はこれまで、青が1種色、緑が2種色、白黒赤が3種色だった。黒が3種色から2種色になり、緑も2種色のままとなった。黒と青の重なりが必要で、我々は黒の瞬速が存在すれば黒の除去のように働くフレイバーに富んだカードが作れるということに気がついたのだ。
色の理念の変化は他にもあったが、それらはもっと小さく微妙なものだった。我々は、赤と白の両方で、統率者戦の助けとなる能力を探す実験を続けている。『ラヴニカのギルド』や『ラヴニカの献身』では大きなことは起こっていないが、我々が実験しているのは《希望の夜明け》や《雷電支配》でわかるだろう。
We had clues about what guilds are with Bolas. Were there red herrings?
— Felipe Proto (@nerdmor) 2019年1月4日
Q: どのギルドがボーラスについたのかの手がかりがありました。偽装工作はありましたか?
ボーラスの影響は10個のギルドすべてに感じられる。彼が(プレインズウォーカーを通して)支配下に置けたのは5つのギルドだけだが、他の5つのギルド内にもボーラスを支持する者はいるのだ。ほとんどの場合、指導者でもプレインズウォーカーでもないギルド内の伝説のクリーチャーでギルド内の対立分子を表し、ギルドがボーラスの陰謀とどのように闘っているのかを描くようにしていた。この話をするのは、偽装工作だと受け取るのは我々の意図と反したもので、我々はどのギルドもボーラスの影響から完全に逃れられているわけではないと示したかったのだ、ということを伝えるためである。
Was the power of Teferi a factor in determining the direction Azorious should take and what spells should be included?
— Douglas Whittaker (@DougWhittaker) 2019年1月4日
Q: テフェリーの能力はアゾリウスの取るべき方向性や使うべき呪文を決める要素になりましたか?
まったくそういうことはなく、正真正銘そうだ。開発部のどの部署について話しているのかによって、その答えは変わってくる。展望デザインがファイルを扱っている間、『ドミナリア』はまだ出来ていなかったので、アゾリウスを構築するにあたってはほとんどテフェリーの影響はなかった。加えて、展望デザインはずっと大きな視野で大局的な問題を扱うので、カード1枚の相互作用の問題は意識しないのが通例である。例えば、展望デザイン中に我々が作ったカードのほとんどは、印刷されることはない。我々のデザインはもっとコンセプトを示すためのものであり、セットデザインがそのセットの展望をよく掴む助けにするためのものなのだ。つまり、我々はマジックの公式戦がどうなのかということにはほとんど意識を向けていないのである。メカニズム的テーマは新セットを組み上げる上で重要な役割を果たすので、我々はそれを非常に意識しているということを強調しておくべきだろう。
それと対照的に、プレイデザインはカードが公式戦に与える影響を強く注視している。彼らは、環境に大きな影響を及ぼすテフェリーのようなカードを意識しなければならない。また、プレイデザインは展望デザインが始まってから1年後に始まるので、現在のセットがプレイ環境にどのように適応するのか、ずっとよく予想することができるのだ。つまり、アゾリウスのどの要素を構築線で推すのかを組み上げていくときには、セットデザインやプレイデザインはどの白や青のカードがプレイされるのかをしっかり理解しなければならないということである。
さて、これは影響があったと言えるのだろうか。まったくそういうことはなく、正真正銘そうだ。
How did Treasure tokens end up becoming deciduous?
— Nick Salvaggio (@LoneCrusader399) 2019年1月4日
Q: 宝物・トークンはいかにして落葉樹になったんですか?
まず最初に、「落葉樹」という用語を定義しよう。これは私がブログやソーシャルメディアで頻繁に使っている単語である。(ほとんど)どのセットでも登場する(飛行や速攻などのような)メカニズムは、「常盤木」と呼ばれる。落葉樹とは、毎セット使われるわけではないが使いたいと思ったデザイナーは使えるもののことである。例えば、混成マナ、分割カード、両面カードなどは、使う必要があるセットならいつでも使える道具なのだ。
私のブログで、私は、宝物・トークンは落葉樹になった、と書いた。なぜか。基本的に、フレイバー的に中立で、メカニズム的に有用だと示されたからである。ほとんどの世界には何らかの宝物が存在し、ほとんどのセットでは生け贄に捧げて好きな色のマナを出せるトークンを使うことができる。もう1つ重要なことは、我々は同じものを表すのに、そのセットに応じて新しく名前をつけ続けるより、同じ単語を再利用したいのだ。マジックにおいて、プレイヤーに複数のトークンが機能的には同じことをするのだということを理解させる必要はないということがわかっている。それよりも、セットで部族テーマを使うことが多いので、例えば特定の1/1の白のクリーチャーを使うのではなく、異なったクリーチャーにしてクリーチャー・トークンの多様性を持たせたいのだ。
How reprints were considered in the set build?
— André Nonnig (@braziliandre) 2019年1月4日
Q: セットの作成において、再録はどのように考えられるんですか?
一般的な再録のあり方はこうだ。展望デザインはセットの展望を具体化し、我々が展望している基本構造を示す概念を表す(大抵の場合はコモンとアンコモンが揃っていて、シールドやドラフトをするのに充分なだけのレアや神話レアが入っている)カード・ファイルを作る。また、展望デザインはセットのメカニズムすべての初稿も作る。メカニズムやテーマを目立たせるようなカードをデザインした後には、プレイテストのために埋める必要がある穴がいくつもあるのが普通である。それらの穴は、そのセットにふさわしいと思われる既存のカードで埋めることが多い。
これが、セットに再録カードが入る1つ目のあり方、展望デザインがエキスパンションの全体像を表すために使う、というものである。それらの再録カードの中には印刷に到るまでずっとファイルにとどまるものもある。その多くは取り除かれるが、中には別の再録カードで置き換えられるものもある。再録カードは既知のものなので、我々が描こうとしている雰囲気を伝える良い働きをしてくれるのだ。
展望デザインや初期のセットデザインで起こりうることとしては、それを入れても問題ないかどうかを試すために大胆に再録カードを選ぶということがある。例えば、『ラヴニカの献身』の《吸収》はかなり初期に追加されたものであり、それはこれがこのセットにまさにふさわしくプレイヤーを興奮させるということがわかっていたからである。これがトーナメント環境を混乱させるかどうかはわからなかったので、我々はプレイデザインが検討し、あまりにも問題を引き起こすとなれば取り除くことになるとわかった上で入れたのだった。
Why do not there exist the 10 guild ascendancy? #MTGRNA
— La mesa del fondoMTG (@mesadelfondoMTG) 2019年1月4日
Q: なぜ、○○の隆盛は10ギルドに存在しないんですか?
私はしばしば、マジックというゲームにおいて最も限りのある資源は名前だということについて語っている。特定の意味を持つ単語の数は限られており、つまり2枚のカードに何の関係もない場合にも同じ単語を使わなければならないことがあるのだ。ここでそれが起こっているのが、「隆盛」という単語である。『タルキール覇王譚』では、○○の隆盛というレアのエンチャントのサイクルが存在した。それらそれぞれのマナ・コストは、その氏族の楔3色それぞれの色マナ1点ずつ、合計3点だった。5つの隆盛のうち4つは2つの能力を持っていたが、《スゥルタイの隆盛》だけは1つだった。
私の知る限り、《シミックの隆盛》はそのサイクルへのオマージュとして名付けられたわけではない。そのカード単体として名付けられただけである。振り返ってみて、これは誤りだったのだろうか。使った単語を同じメカニズムを持つ複数のカードで使うことを禁止していったとしたら、ただでさえ難しい資源をさらに問題のあるものにしてしまうことになるが、ありえないわけではない。常に『タルキール覇王譚』を思い出させることなく「隆盛」という単語を使えるようにしなければならないのだ。この単語を必要とする概念なのでエンチャントではあるが、多色のエンチャントにはもっと注意深くあるべきなのだろうか。不安定で危険な道であり、明確な答えは存在していない。
これらを踏まえて、他の9キルドに隆盛が存在しない理由は、その意図でデザインされたものではなかったからである。いつかそうなることはありえるのか。隆盛は、それを使ってもっと多くのものを作りたいと思うほどメカニズム的に確固たるものではないので多くのサイクルを作るようなものではないが、ありえないわけではない。さらなる隆盛を作るためには、新しく確固たる形式を作って繰り返す必要があるかもしれない。確信はない。なんにせよ、重要なのは1枚のエンチャントが怪しい単語を使っているだけであり、ラヴニカのサイクルを作るという意図ではないということである。
Were there any stand out memorable cards in set that had their design altered due to MTG:Arena compatibility?
— Savjz (@Savjz) 2019年1月4日
Q: このセットで、MTGアリーナの互換性のためにデザインを変更した特に印象的なカードはありましたか?
MTGアリーナが現在のマジックのデザインに与えている影響について混乱があるようなので、ここでそれについて話すことにしよう。しばしば述べている通り、マジックは単一のゲームではなく、同じルール・システムを使った複数のゲームの集合体である。MTGアリーナは、新しいマジックのプレイ方法に過ぎないのだ。様々な意味で、他のプレイ方法と似ているが、異なる面もある。マジックの新しいプレイ方法の1つなので、我々はそれの類似点や相違点に敏感になっている。
それがデザインに影響を与えるのは、しばしば、カードの作用について複数の選択肢から選ぶ分岐点に来たときである。その場合、我々はカードの使われ方全てを検討し、それぞれの選択肢の影響を分析する。そして、それらすべてを考慮して、どの選択肢を選ぶか決めるのだ。いずれかのプレイ方法が常に優先されるということはない。どのカードも、そのカードの狙ったユーザーに基づいてデザインされている。また、さまざまなユーザーに刺さるようなカードであれば、我々はそれぞれのユーザーが望むものを手に入れられるようにしているのだ。
つまり、分割カード(モードを持つカードは、例えば、一発勝負向きである)など、MTGアリーナに影響を受けたデザインは間違いなく存在したが、他のプレイ方法を優先した選択(例えばドラフトはドラフトのアーキタイプを決めるアンコモンの金色カードに多大な影響を与えた)も存在したのだ。
ここで実際の質問に戻ると、セットデザインやプレイデザインは、2つの選択肢がそれぞれ狭い問題への解答となると同時にそのカードをメインデッキに入れられるような効果をもたらすように、分割カードに本当に尽力していた。私は、これらのカードのデザインが、MTGアリーナにもっとも影響を受けたものだろうと思う。
Since this is the set before milk, for the 5 guild leading walkers, have you always planed these 5 to be the leaders? Especially after reading how kaya was meant for the storyline.
— Josh B. (@TheOnlyBooman) 2019年1月4日
Q: これは『Milk』の前のセットですが、5つのギルドの指導者であるプレインズウォーカーについて、この5人を指導者にする計画はずっとあったんですか? 特に、ケイヤの物語上での意味を知ってからです。
ボーラス・シリーズ全体(『カラデシュ』から『灯争大戦』まで)は、一番最初から人連なりの長い物語としてデザインされたものである。その途中で変更されたことも多い(例えば、『カラデシュ』と『アモンケット』は最初は逆だった)が、終末はラヴニカを舞台にすることは最初から計画されており、5つのギルドがボーラスの手に落ちるということもかなり初期から決まっていた。ケイヤとドビンは、最終的なラヴニカでの役割を意識して創造されている。(ヴラスカ、ドムリ、ラルは、そもそもラヴニカ出身のプレインズウォーカーであった。)ほとんどの物語要素に比べて、ボーラスのギルド5つはかなり早い時期に決まっていたのだ。
How much of the #MTGRNA card design was made with the Commander format in mind?
— e m i l (ewil :: denmark) (@hewhowhews) 2019年1月4日
Q: 『ラヴニカの献身』のカードのデザインの中で、統率者戦を意識して作られたものはどれだけありますか?
ほとんどのマジックのフォーマットに関して、クールで心躍るカードを作ればそれで完了だ。ラヴニカには10個のギルドがある。それぞれのギルドの雰囲気を活かし、ちょっとしたひねりを加えれば、プレイヤーは使いたい新しいカードを見つけることになるだろう。統率者戦特定の話をすれば、我々は伝説のクリーチャーに目を配っていた。その全員が統率者戦向けにデザインされたわけではない(統率者戦プレイヤー以外にも伝説のクリーチャーのファンはいる)が、多くはそうデザインされたものである。先述の通り、我々は、これまで統率者戦で問題があるとわかっていた色(白と赤)を広げる方法を常に模索している。それ以外では、我々はただクールなセットを作るだけである。そうすることで、統率者戦プレイヤーも満足するだろう。
Why did it take so long to finally make a lizard wizard? Is there just a natural resistance to rhyming card types because they're too whimsical for black-bordered magic?
— Nathan Comstock (@nathanacomstock) 2019年1月4日
Q: トカゲ・ウィザードを作るのにこんなに時間がかかったのはなぜですか? 黒枠マジックでは韻を踏んだカード・タイプ(訳注:英語ではリザード・ウィザード)はあまりに奇抜すぎて、作るのになんとなくの抵抗があったんでしょうか?
マジックは昨年25周年を迎えた。つまり、何かを初めてやるときには、必ず、「何か」をするのにこんなに時間がかかったのはなぜですか、というメールを受けとることになる。私が普段返す返事はこれだ。
#1 ― 起こりうることは大量に存在する
これは、ソウルメイト・バイアスと呼ばれる現象である。誰かと集まり、そしてその2人が本当にまとまるために必要な出来事を思い返したとき、それは奇跡的なものに思えるのだ。それらの様々な出来事すべてが起こったのは奇跡的だ。一方で、人々はいつでも出会い、協力している。人々の出会いは、そう珍しいものではない。視点によって、圧倒的なものに見えるようになっているだけなのだ。同じことがマジックのデザインにも言える。単一のデザインというレンズを通して振り返ると、それが起こっていないことは奇跡的に見える。他の考え方をすれば、デザインできうることは何百万とあるということである。それらすべてをわずか25年ですることはそうできることではないのだ。
#2 ― 何かをデザインすることと、それを印刷で見ることは大きく異なる
トカゲ・ウィザードをデザインするのに、25年がどのように費やされたのか。費やされていない。私はこれまでにもさまざまなトカゲ・ウィザードをデザインした。単に、印刷に到る試練を乗り越えられなかっただけである。何かが起こっていないのは誰も考えたことがないからだ、というのはよくある間違いである。
#3 ― 非常に特別な状況が必要なものが存在する
トカゲ・ウィザードは、特定の機能、この場合は魔法の呪文を唱えるという機能を果たすことができる人型のトカゲのクリーチャーであることが必要である。また、トカゲは赤や緑であることが多く、さらに、それらの色の魔法使いはシャーマンやドルイドであることが多い。我々が可愛らしいことをすることは多く、脚韻の問題ではない。むしろ、ウィザードであるトカゲが必要な状況がめったに起こらなかったということである。
つまり、何も陰謀などない。状況が整わなかっただけなのである。
Why no guild charms? (I think this applies to GRN as well)
— Barracius (@Barracius) 2019年1月4日
Q: なぜギルドの魔除けはない?(これは『ラヴニカのギルド』にも言えるはず)
世界を再訪する上での課題の1つは、プレイヤーがその世界とのつながりを感じているものを再録することと、新しいものを掘り下げることのバランスを取ることである。これはラヴニカへの3度目の訪れとなるので、過去の2回のことを掘り返すことになる。多くのものがあるのだ。『ラヴニカへの回帰』ブロックでは、ギルドの魔除けがあった。初代『ラヴニカ』ブロックにはなかったが、回帰の際に、開発部に魔除けを入れるように私が言ったのだ。私は好評なマジックの慣例に、ギルドという視点を与えるのを楽しんだのだった。
再び金色の魔除けを入れなかった理由は、すでに存在しているので繰り返しても傷跡をひっかくだけになること、そして新しい視点がなかったことである。10枚の魔除けのサイクルを作るには30個の能力が必要となるが、使いたい効果のほとんどは既に使ってしまっているのだ。『ラヴニカへの回帰』ブロックで作ったものをもう一度作るのでなければ、それを作るのは複雑な作業であり、うまいものができるとは思えなかったのである。そこで、我々は作らないことにしたのだ。
Is humour on the rise in black border magic as both Ravnica sets seem to be embracing it more than recent sets? :)
— Dean Wolf (@Nogdra) 2019年1月4日
Q: ラヴニカの両セットでは最近のセットに比べてユーモアが多く思えますが、黒枠マジックのユーモアは増えているんですか? :)
フレイバーテキスト内のユーモアは、もちろん、時とともに大いに増減するものである。私がフレイバーテキストにもっと関わっていたころは、もっと多くのユーモアを入れていたものだ。そしてそれから、長い間、雰囲気や物語に力をかけ、ユーモアを減らした時期が続いていた。私は、ユーモアが再び回復基調にあると思う。これが好きな諸君がそう知らせてくれると、全体としてのユーモアがさらに増える可能性が高くなるだろう。
最後の答え
さて、本日お答えするのはここまでとなる。いつもの通り、私の回答や今日の記事についての諸君の感想を聞かせてほしい。メール、各ソーシャルメディア(Twitter、Tumblr、Google+、Instagram)で(英語で)聞かせてくれたまえ。
それではまた次回、本年の「基本根本」記事でお会いしよう。
その日まで、質問を忘れずに。質問があなたを興味深い世界に導いてくれますように。
(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)