都からのさらなる話
先週、『ラヴニカのギルド』のカード個別の話を始めた。話すべき内容が多いので、今週は先週の続きをすることにしよう。
《希望の夜明け》
私はしばしば、マジックが単一のルールを共有するいろいろな意味で複数のゲームであるということについて語ることがある。ブースターパックを開ける人の中には、スタンダードで遊ぶ人も、モダンで遊ぶ人も、ブースタードラフトで遊ぶ人も、統率者戦で遊ぶ人も、その他いろいろな人がいるのだ。各フォーマットごとに異なる需要があるので、マジックをさまざまな方向に引き寄せる圧力が存在する。問題は、我々が作るゲームは1つだということである。プレイするフォーマットごとに変化するカードを作ることはできないのだ。
最も問題があると最近数年間で示された部分の1つが、赤と白のカラー・パイにあった。統率者戦のゲームは長引く傾向にある。(ライフ総量が大きいことによる部分と、多人数戦の政治的側面による部分がある。)赤と白は、理由は異なるが、統率者戦のプレイスタイルに自然に合致しているとは言えず、統率者戦プレイヤーからはもっと統率者戦で使いやすいように色を拡張してほしいというかなりの重圧がかけられていた。
色の協議会の(そして開発部全体の)目標は、赤と白で、その本質を守ったまま統率者戦で使いやすいことを見つけることだった。《希望の夜明け》はその取り組みの好例である。白は対策の色である。もっとも防御的な色なので、白が何らかの対策手段を持ち合わせない問題はほとんど存在しない。白を強くしすぎないために、我々は2つのことを決めている。1つ目に、対策は多くのカードに分かれている。単一のカードであまりにも多くの脅威を解決できるようなカードは白には与えられない。白は、どのような脅威が訪れるのかを知っていれば容易に止めることができる色だが、知らなければ不適切な対策手段で埋もれてしまう。柔軟性に欠けることが、白の欠点の1つなのだ。
2つ目に、白があらゆる対策カードを引いてしまうことがないよう、カードを引く能力は白が一番低いようにしている。他の色と同様にキャントリップ(「カードを1枚引く」というおまけ)は存在するが、カード・アドバンテージを得られるようなカードを引くカードは存在しない。長期戦になると手札を貯める手段が必要になるので、この欠点は統率者戦において白の大きな欠点であることがわかっている。
それの対策として我々が実験してきたものの1つが、白に特定の戦略に専念していなければ使えない方法でカードを引けるようにするというものである。例えば、『イニストラード』の《弱者の師》は、小型クリーチャーをプレイすることでカードを引くことができるようにするものである。これを活用するためには小型クリーチャーでいっぱいのデッキが必要となり、従って大量の対策カードを入れることはできなくなる。
《希望の夜明け》は、テーマに専念するために強要されるものの範囲を緩めはじめるものであり、かなりの論争を引き起こしたカードである。デッキにライフを得るカードを入れる必要はあるが、ライフを得る効果はおまけについていることが多く、障壁としては小さすぎるかもしれないのだ。このカード自身にもライフを得る方法が組み込まれていることも、そのテーマに専念するためにデッキ内で必要になる枚数を引き下げることになる。正直なところ、カラー・パイの人として、私にとってこのカードがこのセットで一番恐ろしいカードだ。私の懸念が杞憂ならいいのだが。
《ギルド会談》
『ラヴニカへの回帰』で、我々はコモンの2色土地の作り方を解明しようとしていた。標準では、タップランド(タップすることで2色のうちどちらか1色を出せる、タップ状態で戦場に出る土地)を使っていたが、レアにショックランド(タップすることで2色のうちどちらか1色を出せて、2点のライフを支払うことでアンタップ状態で戦場に出せる土地)が存在していたのでコモンの土地がいろいろな意味で完全下位互換になってしまうことになった。解決策として、本質的にはタップランドだが土地のサブタイプを持つ「門」を作ることにした。これによって、ある面ではショックランドと違う働きをすることでメカニズム的な意味を持たせることができたのだ。
『ラヴニカへの回帰』では、門を参照するカードはそれほど多くは存在しなかった。《武器庫の護衛》《オーガの脱獄者》《門を這う蔦》の2枚だけである。『ギルド門侵犯』ではその枚数は倍になり(《門なしの守護者》《門の維持》《盗賊の道》《門道の影》《はじける境界線》《緑側の見張り》)、その多くは門が多ければ多いほど強くなるものだった。『ドラゴンの迷路』では、門を2つ以上コントロールしていたら戦場に出たときの能力を持つ、コモンのクリーチャー5体(《太陽塔の門番》《オパール湖の門番》《ウブール・サーの門番》《溶解区の門番》《サルーリの門番》)からなるサイクルが存在した。
『ラヴニカのギルド』には、6枚の「門関連」カード(《ギルド会談》《迂回路》《管区の案内人》《駐屯地の兵長》《門番のガーゴイル》《ギルドパクトの大剣》)が存在し、そのうち2枚はアーティファクトであってどのデッキにも入れることができる。《ギルド会談》は、ドラフトでの門の基柱カードとしてデザインされた。本質的に、自分がコントロールしている門の数だけカードを引くことができるのだ。これを初期にドラフトしていれば、より積極的に門をドラフトすることができ、結果として多くの色をプレイでき、ドラフト上の選択肢も広くなるのだ。これを使って諸君がどのようなデッキをドラフトするか、楽しみである。
《神聖な訪問》
マジックのデザインに関して面白いことの1つが、1枚のカードを分岐させて新しく掘り下げるべきデザインの発想を生み出すことである。その例が、《神聖な訪問》である。このカードを生み出すに到った、『アルファ版』の2枚のカードとは何か。
わかりやすい方は、4/4飛行警戒の天使である《セラの天使》である。しかし、もう1枚は《狂暴化》なのだ。それでは、このカードにおいて《狂暴化》が与えた影響というのは一体何だろうか。その答えは、遠い昔、プレイヤーだった私が受けた閃きである。このカードは私が初めてプレイした、何かを倍にするカードで、私はそれに惚れ込んだのだ。あまりにも惚れ込んだので、私は何かを倍にすることが大好きになったのだ。私が開発部に入り、印刷に到るカードをデザインし始めたとき、私は何かを倍にするカードを大量に作り始めた。もっとも人気のある倍にするデザインは、このカードではないだろうか。
『ラヴニカ』には、カウンターとトークンの両方のテーマが存在した(前者はゴルガリ、後者はセレズニア)。そして私は、両ギルドに存在する色である緑単色で両方のテーマを助けるカードを探していたのだ。カウンターとトークンに、カードをつなぎ合わせるような単一の方法でできることはないだろうか。両方、倍にすることができる。
そのために、私はカウンターやトークンを生成することへの置換効果を生成する必要があった。1つつくるなら、その代わりに2つ作るのだ。これによって、デザインの新しい手段への扉が開かれたのである。《倍増の季節》はトークン1個を2個にしたが、今回は何か違う変化を加えるとしたらどうなるか。そのことから、《神聖な訪問》がひらめいたのだ。2倍にするのではなく、トークンを《セラの天使》にしたらどうだろうか。
これのクールなところは、我々が革新して新しいカードを作るたび、我々は将来掘り下げていくデザイン空間を切り開いているということである。これが、これまで1万8千枚以上の種類のカードを作ってきていても、まだ1万8千枚以上のカードを作ることができるという自信がある理由である。
通常、ストーリー上で重要な役割を果たすキャラクターがいる場合、我々はそれを心躍るカードにしようとする。競技マジックでトップメタになるようなカードである必要はないが、誰かが何かのフォーマットでプレイして心躍るようなものにしたいのだ。《イマーラ・タンドリス》は、『ラヴニカへの回帰』ブロックの物語上で重要な役割を果たしていた。(ダグ・ベイヤー/Doug Beyerの小説「The Secretist」で語られている。)彼女は心躍るカードになるべきだった。そうならなかった。
何があったのかを説明しよう。イマーラは最初、神話レアのカードで、《復活の声》のルール文を持っていたのだ。『ドラゴンの迷路』には、伝説のクリーチャー10体(ストーリー上は迷路走者――イゼットの走者は実際にレースをする前に《ラル・ザレック》に交代しているが、走者のカード自体は存在している)のサイクルが存在した。最初は、そのうち5体はレアのクリーチャーで、5体は神話レアのクリーチャーだった。後になって、我々は迷路走者のサイクルが2種類のレアリティにまたがっているのはおかしいと判断し、すべてをレアにすることにしたのだ。
《復活の声》は、神話レアで競技レベルのカードとして位置づけられていたので、イマーラをレアにするにあたって彼女の能力を緑白のレアに存在したクリーチャーと入れ替えたのだった。そのカードはセレズニア向けにデザインされたものではあったが、《復活の声》のように心躍るものではなかった。プレイテストの後期の話だったので、少なくとも競技プレイで見かけるようになる可能性があるような新カードを作る時間はなかった。その結果、イマーラはあまり心躍らせないようなルール文で印刷されることになったのだった。
さて、そして『ラヴニカのギルド』に到る。ラヴニカに戻るということは、つまり、新しいイマーラのカードを作ることができるということである。我々は前回多少の罪の意識を感じていたので、多くのプレイヤーの心を躍らせるようなイマーラを作ることにしたのだ。また、5/7という大きさはイマーラには少しそぐわないと思われたので、もう少し小さく、セレズニアと非常に相性のいいものにしようと考えた。セレズニアのメカニズムは召集なので、タップされたときに効果が発生するようなクリーチャーという考えが気に入った。セレズニアは非常にクリーチャー中心的であり、我々が採用できる最高の効果の1つがトークン生成である。イマーラのフレイバーに非常にふさわしく、またさまざまなデッキで使える類の効果でもある。こうして、イマーラ2.0が誕生した。これで完成と言えるものであれば嬉しい。
特殊勝利(開発部語で「alt cons」)をデザインするのは難しい。条件が簡単すぎれば、ゲームそのものを台無しにしてしまう危険性がある。ただXをすればいいのに、わざわざ20点ものダメージを与えるような面倒なことはしない。条件が難しすぎれば、それは苛立ちのもとになる。適切なバランスを見つけることが鍵なのだ。エトラータは我々がすでに使ったことのある、『レギオン』の《触れられざる者フェイジ》が元祖の「通れば勝ち」の類のカードである。
フェイジの一撃での特殊勝利は非常に強いので、彼女を「ズルして」戦場に出すことを防ぐためにいくらかの文章を追加する必要があった。エトラータでは、我々は少し違う方法を試みた。彼女を、戦闘ダメージをプレイヤーに与えたときにクリーチャーを殺し、充分な回数そうしたときにはゲームに勝利するという暗殺者にしたのだ。このデザインの出来が良いところは、その勝利条件そのものが実用的なものであるところである。エトラータが1~2体のクリーチャーを殺すだけでも、その勝利条件によって勝ちにはならないまでも勝利に近づく助けにはなるのだ。
エトラータが打撃ごとにライブラリーに切り混ぜられるのは、多人数戦へのとっかかりである。エトラータが伝説のクリーチャーでなく、従って統率者でもなければ、この一文が追加されることはなかっただろう。これは、スタンダードで使えるセットのルール文で、多人数戦フォーマットを意識させるためのものに違いないのだ。
《採取 // 最終》
(過去2回のラヴニカ同様、)混成マナと分割カードを『ラヴニカのギルド』に入れるという計画は最初からあった。両方を同じカードに入れるというのは、セットデザインの発想であった。発想は単純なもので、小カードの一方は混成、一方は伝統的な多色カードにするというものだった。混成のほうが点数で見たマナ・コストを小さくしやすいので、混成の方を軽くすることにした。
分割カードをデザインする上での鍵は、単一の分割カードにある2つの効果が美学的に正しいものであると感じられるようにすることである。チームは多くの場合、制限が厳しいほうである混成能力の方を先に手がけることになった。その後、何らかの形でそれと噛み合うような伝統的な多色の効果を見つけるのだ。《採取+最終》を例に説明しよう。黒は墓地から手札にクリーチャー・カードを戻すことができる。緑は何でも戻せるので、クリーチャーを戻すという効果は両方の重なりになる。
ゴルガリは生命と死亡のサイクルのギルドなので、混成カードが墓地からカードを戻すものであれば、それとふさわしいのはカードを墓地に送ることができる効果ということになる。黒は黒だけでクリーチャーを殺すことができる色なので、緑でもあるカードにするための鍵は効果の黒部分から外れるような形で何かを強化する方法を見つけることになる。
このサイクルが作ったもう1つの問題は、重要なリソースである分割カードの命名規則を使い切りつつあるということであった。『インベイジョン』で初めて分割カードを造ったとき、「and」でつないで熟語になるようなカード名を付けるという発想が浮かんだ。(訳注:これは英語版の話です。日本語版では、セットごとには何らかの関連性があるようにはしていますが、全て統一した命名規則は存在していません。)「なんとか and なんとか」というものは大量にあったので、問題ないと判断したのだ。そのとき、分割カードにどれほど人気が出るかは考慮していなかった。この命名規則が維持できる以上のカードを作る必要があるということがわかった。(もちろんまだ使われていないものは存在するが、カードで使うものには充分な柔軟性が必要なのである。)
そして、『ラヴニカのギルド』の名詞の担当者であるダグ・ベイヤー/Doug Bayerが、分割カードの新しい命名規則を考えなければならなくなったのだ。名前には何らかの関連性が必要で、分割カードは今後も大量に作ることになるので充分な自由度があるものでなければならない。ダグの答えは、両方の名前が1単語で、最初の3文字を同じにするというものであった。これはすべての条件を満たしており、ダグは非常にクールな名前をいくつも作ることができるようになったのだった。
もう1つの問題が、コレクター番号であった。カードの下部、黒い枠の部分に白い文字で情報が書かれるようになったのは、照合されたセットを印刷するためにそれらの情報が必要だからである。機械で読み取るために、これらの情報はどのカードでも必ず同じ場所になければならないのだ。新しい枠で分割カードを初めて入れた商品は『統率者(2016年版)』だったが、『統率者』は照合されたセットではなく(各デッキに入っているカードは同じ組み合わせである)、その情報はカードの下部になくてもよかったので、我々は「小カード」の下部に表記した。不幸にして、『ラヴニカのギルド』は照合されているので、それは不可能だったのだ。
《火想者の研究》
デザインでは誰もが、その下流の人々がしなければならない仕事を意識してカードを作る必要がある。例えば、展望デザインではプレイテストにおいて均一のパワーレベルでカードのコスト付けをし、すべてのカードをプレイしてどれが楽しいカードか判断できるようにする。後に、セットデザインやプレイデザインが各カードの適正なパワーレベルを決定するのだ。彼らに必要な道具を提供するため、「節」と呼ばれる概念が存在する。
節とは、カード・デザインの要素の中で変更できるもののことである。土地でないすべてのカードには、調整できるマナ・コストが存在する。クリーチャーであれば、変更可能なパワーやタフネスが存在する。デザインに節が多ければ多いほど、セットデザインやプレイデザインがそのカードを適正なパワーレベルに微調整することができるようになるのだ。《火想者の研究》でこの話をしているのは、このカードが非常に「節が多い」からである。全ての節を見てみよう。
節1:このカードにはマナ・コストが存在する。これは2色のカードなので、点数で見たマナ・コストは最低2になる。どうしても1点にする必要があれば、青赤混成マナ1点にするという選択肢もある。
節2:このカードには誘発条件が存在する。誘発条件が必ず節になっているわけではないが、これはある程度は節になりうるので、数に入れることにした。例えば、このカードの効果を弱くしたいと考えたなら、インスタントのみ、あるいはソーサリーのみが唱えられることを参照するようにすることができる。強くしたいと考えたなら、クリーチャーでないカードが唱えられることを参照するようにもできる。
節3:このカードには蓄積カウンターの経済学が存在する。誘発型能力によって蓄積カウンターが生成され、起動型能力2つがそれを消費する。誘発したことで得られる蓄積カウンターの数を調整したり、起動型能力それぞれが必要とする数を調整したりすることができる。この2つの起動型能力が消費する蓄積カウンターの数は同じでなくても良いので、釣り合いを保ったままで能力のパワーレベルを違うものにすることができるのだ。
節4:各起動型能力自身も調整できる。青の起動型能力は、カードを引くのが強力すぎるとわかったらルーター能力(カードを1枚引いて、カード1枚を捨てる)にすることもできるし、弱すぎるとわかったら2枚引くようにすることもできる。同様に、赤の能力で与えるダメージや何を対象にできるかを変更することでパワーレベルを調整することができる。
すべてのカードに多くの節が必要なわけではないが、デザインに節を持たせれば持たせるほど、セットデザインやプレイデザインがそのカードのパワーレベルを適正に調整することが簡単になるのだ。諸君が意識しないような、デザインによる興味深いカードの見方である。
都の宵闇
またもや時間になってしまった。『ラヴニカのギルド』のカードののぞき見を楽しんでもらえたなら幸いである。いつもの通り、今日の記事や話題にしたカード、あるいは『ラヴニカのギルド』そのものについて感想があれば、メール、各ソーシャルメディア(Twitter、Tumblr、Google+、Instagram)で(英語で)聞かせてくれたまえ。
それではまた次回、さらに多くのカードについて(Fで終わったのは続きがあることを暗示しているかもしれない)語る日にお会いしよう。
その日まで、あなた自身のプレイや物語があなたとともにありますように。
(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)