先週、『イクサラン』に関する一問一答記事を始めた。素晴らしい質問が多かったので、今日はその2として回答を続けよう。


 白黒吸血鬼が『イクサラン』と『統率者(2017年版)』の両方にあるのはわざとですか?(どちらにせようれしいです)

 もちろん意図的なものだ。我々が常々意識していることの1つに、異なる商品間のシナジーを探すということがある。ガヴィン・ヴァーヘイ/Gavin Verhey率いるチームが『統率者(2017年版)』をデザインしているとき、早いうちに、部族デッキを作るべきだということがわかった。そこで、何か、特に良い統率者が足りない、人気のある部族はないかと探したのだ。

 吸血鬼には興味深い統率者の問題があった。『イニストラード』では吸血鬼は黒赤で、『イクサラン』では黒白だ。つまり、赤黒白の伝説の吸血鬼のロードが求められるが、それは『イニストラード』にも『イクサラン』にも存在できないものである。つまり、『統率者(2017年版)』にまさにふさわしいのだ。


 デベロップ中に、アモンケットのような暗い次元の次に海賊と恐竜と吸血鬼のいる次元をやるのは馬鹿げていると考えた人はいなかったんですか?

 実際はそれと正反対だった。我々が好むことは、「振り子を揺らす」ことであり、連続したマジックのセットにまったく異なる雰囲気をもたらすことである。そうすることで、プレイヤーがある設定を気に入らなくても、それと違うようになるまで長期間待つ必要がなくなるのだ。

 実際、マジックの成功の大きな理由、そして平均的なプレイヤーがこれほど長い間楽しんでくれている理由は、マジックの本質にある絶え間ない変化だと私は信じている。常に変わり続けるからこそ、マジックに飽きないでいられるのだ。

 巨大な敵が我らが主人公に大勝利を収めることになる『アモンケット』ブロックはシリアス寄りの雰囲気になることがわかっていた。次のブロックをいくらか気軽なものにして、雰囲気のバランスを取ることが重要だったのだ。つまり、我々はそれを馬鹿げたものだと不安視するのではなく、意図的に雰囲気を変えたのである。


 ジェイスの奥義用の、伝説でないジェイス・トークンはつかないんですか?

 《狡猾な漂流者、ジェイス》の奥義は彼自身のコピーであるトークンを生成する。通常、あらゆるトークンのトークン・カードを作るのだが、《狡猾な漂流者、ジェイス》のコピーのものを作らなかったのはなぜか。答えは、通常、トークンを生成するカードのコピーであるトークンのトークン・カードは作らないからである。例えば、『ラヴニカへの回帰』の《群れネズミ》のトークン・カードは存在しない。

 それらを作らない大きな理由は、混乱を招くからである。ルール上、コピーはマナ・コストも含む全ての特性を持つ。そのため、トークン・コピーは実際のカードとほぼ同じ外見になってしまうのだ。一般則として、我々はそれらを印刷することを避けているのだ。

 しかし、我々は『アモンケット』や『破滅の刻』で不朽や永遠メカニズムのためにコピーのトークン・カードを作ったではないかと言われるかもしれない。それは、それらがセットの重要なメカニズムであり、トークンの扱いについて興味深いクリエイティブ的扱いがあったからである。また、あれはメカニズムだったので、トークンがマナ・コストを持たないようにすることができたのだ。

 このルールは変更すべきだろうか。ぜひ、諸君の意見を聞かせてもらいたい。


 『イクサランの相克』にも反転土地がありますか、それともこれは『イクサラン』だけのメカニズムですか?

 両面カード(「反転」カードというのは『神河物語』ブロックで登場したもので、上下を反転させて違う形に変化するというものだった。これは両面カードの元になったのだ)は『イクサラン』ブロックに存在するもので、『イクサラン』セットだけに限ったものではない。つまり、『イクサランの相克』にも両面カードは存在する。全く同じものかどうかという質問の答えは、登場するまで待ってもらいたい。


 「恐竜」というクリーチャー・タイプを使うべきかどうか、あるいはどのクリーチャー・タイプを更新すべきかという議論はありましたか?

 実際、「恐竜」を新しいクリーチャー・タイプとして導入すべきかどうかに関してかなりの議論があった。私から見た議論を劇的に描けば、次のような流れになる(私は賛成派最大の支持者だったということを添えておこう)。

反対派:部族テーマは非常に人気がある。クリーチャー・タイプを増やしすぎると、それぞれを薄めることになり、プレイヤーがデッキを組むのが難しくなる。

賛成派:新しい部族を作るのには理由がある。マジックは常に新しいメカニズムを増やし続けるものだ。新しいクリーチャー・タイプを決して増やさないというのは間違いだろう。

反対派:その通り、既存のシステムに当てはまらないときにはそうすべきだ。

賛成派:プレイヤーをエキサイトさせるだけの派手さがあるものならどうか。

反対派:それは罠だ。いつでも分類をクールな小分類に分けることはできる。しかしそれをやりすぎると部族デッキを組むのに充分なカードが存在しなくなってしまう。

賛成派:もちろん、ハードルは高くあるべきだ。しかしそれでもクリアできるものは存在する。それこそ恐竜のように。

反対派:恐竜を作ることができないとは言っていない。クールな恐竜のアートと、クールな恐竜のカード名はつけられる。クリーチャー・タイプにまで「恐竜」が必要ではないと言っているのだ。

賛成派:じゃあ何と書けばいい。

反対派:トカゲだ。これまで恐竜を作ったときはいつもそうしてきた。

賛成派:元からそうだったわけではない。かつては、それらは実際に恐竜だった。

反対派:そうだ。そして変更したのだ。

賛成派:それは充分な数がなかったからだ。『イクサラン』ではそうはなっていない。

反対派:トカゲにすることで、プレイヤーのデッキの選択肢が増えることになる。

賛成派:現在の科学では、恐竜はトカゲかどうかはっきりしていない。鳥かもしれない。

反対派:それなら鳥にすればいい。鳥も既存のクリーチャー・タイプだ。

賛成派:大多数が飛ばない鳥?

反対派:既存の何かにすればいい、と言っているだけだ。

賛成派:なぜだ。プレイヤーは恐竜デッキにエキサイトするだろう。なぜ実際に恐竜なデッキを作らせてはならないというのか。

反対派:抑えなかった時に問題が生じるというのは前例がある。例えば、我々の多くはナーガを蛇にしなかったことを後悔している。

賛成派:確かに、ナーガから学ぶべきだ。ハードルをどの程度にすべきかには慎重であるべきだが、どれだけ慎重に考えてもそのハードルを超えうるものはあり、それが恐竜だ。映画1本のテーマになったようなクリーチャー・タイプがどれだけある?

反対派:海賊、構築物、類人猿、グレムリン、ミニオン。

賛成派:なるほど、つまり我々はミニオンを再録すべきだというわけか。

 最終的には、恐竜派が勝利した。ちなみにそのほうが大多数だった。


 プレインズウォーカー・ルールの最近の変更がありましたが、今後伝説でないプレインズウォーカーは登場しますか?

 現時点ではそのような計画は存在しない。我々がプレインズウォーカーに伝説のという特殊タイプを持たせたのは、2つのよく似ているが同一ではないルール(プレインズウォーカーの同一性ルールと、伝説の特殊タイプのルール)を統合するためである。伝説でないプレインズウォーカーを作ることは、カード・タイプ内に動きの異なるものを混在させることになってプレイヤーの混乱を招き、またプレインズウォーカーが非常に珍しい特別なものだというフレイバーを乱すことになる。無名なプレインズウォーカーを作るつもりはない。


 なぜコモンやアンコモンの反転カードは存在しないの?

 通常、我々が新しいメカニズムをデザインするときは(ああ、厳密に言えば変身は新しいメカニズムではないが、この形の両面カードは新しいものだ)、デザインするものを制限せず、そのカードがあるべきところを考えることにしている。もしそのメカニズムがコモンにふさわしいものならコモンのデザインを作ることになり、レア寄りのものならレアのカードを多く作ることになる。メカニズムのデザイン空間にデザインを委ねるのだ。

 アンコモンのカードをデザインしようとはしたが、最終的にはかなりレア寄りの雰囲気になったのでレアリティを上げることになった。おそらく、次のようなことが起こったのだろう。『イクサラン』の両面カードは、いわば任務カードとでも言うべきものだ。各カードで何らかの達成すべきものがあり、それを達成したら利益を得られる。つまり、任務を定義する必要があるオモテ面は文章がいくらか多くなるのだ。

 裏面は、利益の上で重要になるのは強さや珍しさなので、比較的単純にできる。しかし、任務に挑む価値があるようにするために、充分派手でなければならない。派手さもまたレアリティを高める要因である。例えば、『イクサラン』の両面カードの裏面の元ネタとなった象徴的な土地・カードのとほんどはレアである。

 つまり、オモテ面は複雑で、裏面は派手なのだ。どちらもそれぞれカードのレアリティを押し上げるものであり、それらが同じカードになればさらにレアリティは上がることになる。これが、『イクサラン』の両面カードがコモンやアンコモンに存在しない理由である。


 『ゼンディカー』と『イクサラン』の、つまり冒険と発見の世界の類似について危惧したことはありますか?

 それは間違いなく我々が留意したことだ。我々がはっきり定義した違いは、対立のもとが何なのかである。

 『ゼンディカー』では、対立は人々と環境の間に存在するものだった。世界は危険で、住人は世界に殺されることなく何かをしようとするのだ。『イクサラン』では、対立のほとんどは人々と人々の間に存在する(私がマジックにおいて「人々」というとき、それは知恵のある様々な生命体のことを指す)。土地そのものは害がない存在である。発見する対象であり、戦いを挑む相手ではないのだ。

 また、この2つは元ネタも変わってくる。『ゼンディカー』は冒険者のパーティと迷宮探索の、『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』のようなものだ。一方の『イクサラン』は、失われた世界と海賊を軸にしており、古典的なパルプフィクションが元ネタとなる。つまり、この2つには類似点もあるが、まったく異なる点もあるのだ。


 《絶滅の星》は《冒涜の行動》と同系統に見えます。開発部は《冒涜の行動》を間違いだと判断したと思っていましたが、変わったのですか?

 《絶滅の星》は赤からの染み出しである。通常、我々はタフネスに意味があるようにするため、赤がクリーチャーに与えるダメージの量を制限している。一方、黒はサイズを問わずクリーチャーを破壊する色だ。7点以上のダメージを与えるようになると、そのカードは実質的に「クリーチャー1体を対象とし、それを破壊する」というような働きをすることになる。黒と赤はもっとも重複が多い2色のペアの1つであり(もう1つが緑と白だ)、我々は違いを維持したいので、メカニズム的な差がもっと必要なのだ。

 これは、赤が大ダメージを与えることが許されないという意味ではない。《火の玉》のようなカードは存在する。赤が大量のダメージを与えるときにはそれ相応のコストを必要とするようにしたいのだ。《絶滅の星》は使うのに7マナかかり、それがこの染み出しを認めることに繋がった理由の1つである。

 もう1つ大きな要因がフレイバーである。カラー・パイの曲げ(ちなみに、曲げの対義語は折れであり、その色の弱点を無効化するようなもののことを言う)は、非常に刺激的でフレイバーに富んだカード、つまりは《絶滅の星》のようなカードであれば認められることが多い。恐竜関連のネタは海賊関連のネタほどは多くないのだ。赤が頻繁にこのようなことをしてほしいとは思わないが、低頻度で、高コストで、素晴らしいフレイバーがあれば、この特定の場合には許容できるだろう。


 恐竜をデザインすることに関して一番難しかったのはどこですか?

 違いを表すための最適な方法は、恐竜と海賊を比較することだろう。海賊と言った時に、彼らがすることは何だと思うだろうか。彼らは闘い、宝物を隠し、宝物を探し、荒らし回り、拷問し、騒ぎ、カトラスから大砲まであらゆる武器を使う。海賊の活動を列記すればキリがない。では、恐竜はどうだろうか。

 恐竜は唸る。恐竜は走る。恐竜は攻撃する。列記してもそれほど多いわけではない。また、ほとんどは攻撃に関連したものだ。大型クリーチャーなのだから攻撃してブロックするのは当然だが、他にメカニズム的に何ができるだろうか。戦闘関連のメカニズムはいくつかできるし、攻撃誘発もできるし、ダメージを与えることによる誘発もできる。しかし、クリーチャーができることの中のほんの狭い分野のことにすぎないのだ。

 単純なバニラやフレンチバニラの恐竜を作るのは簡単だった。恐竜らしくて、複雑で、何らかのフレイバー要素を反映した恐竜を作るのは、ずっと難しかったのだ。


 今後、海賊のカラー・パイはどうなりますか? 吸血鬼のように、時とともに変わっていきますか?

 マジックを長年作ってくる中で私が学んだことの1つが、実際にそうなるまで想像もしないようなことが起こることがある、ということである。もし10年前に白のゾンビを作る可能性があるかと聞かれたなら、おそらくないと答えただろう。しかし、『アモンケット』のデザイン中に、白のミイラが存在しなければならないということがはっきりしたのだ。

 つまり、今後白や緑の海賊が存在するかという問いには、どんなフレイバー的裏付けがあればそれらの2色が存在できるかはわからない、ということになる。我々はマジックの未来において無数の新しい世界を訪れるし、そのどの世界においても白や緑の海賊が存在し得ないことを知っているなどというのは傲慢な話であろう。

 私が言えるのは、『イクサラン』が人気になれば今後海賊が登場する可能性は高くなるだろうし、そうなると、白や緑の海賊が登場する可能性も高くなることだろう。しかし、それが充分あり得る、とは思えない。


 『イクサラン』には、ほとんどの部族セットに存在した伝統的な「ロード」(+1/+1)がいないようです。この決定の理由はなんですか?

 部族のデザインで難しいところの1つが、各部族がお互いに似すぎないようにしながら、それぞれのメカニズム的雰囲気を持たせるところである。そのため、我々は『イクサラン』の4部族のメカニズム的実装に違いが出るように留意した。特に、ロード(特定のクリーチャー・タイプのクリーチャーすべてに能力を与えたりパワーやタフネスを強化したりするクリーチャー)についてはそうである。

 つまり、海賊や恐竜にはそれぞれのクリーチャー・タイプを持つ他のクリーチャーに+1/+1の修整を与えるクリーチャー(《鉄面提督ベケット》、《轟く棘背びれ》)が存在する。海賊には、海賊に+1/+0の修整を与える船(《不吉な旗艦》)も存在する。一方、吸血鬼やマーフォークに伝統的な+1/+1ロードは存在しないのは、プレイの形を変えるためである。また、吸血鬼やマーフォークには、マジックの過去のセットにロードが存在しており、カジュアルな部族プレイでは使えるというのも理由の1つである。


 恐竜に乗っているクリーチャーは多いですが、恐竜を機体としてデザインしたことはありますか?

 『カラデシュ』で機体のルールを作ったときに、私はいわば「乗騎問題」と呼ぶべきものを提起した。人工的に作られた機体に乗るというのは非常に面白いが、クリーチャーに乗るのも面白いのだ。いつか、乗騎のメカニズム空間を掘り下げたいと思うことになるだろうから、機体のルールを作る時に乗騎のためにも使えるようにしたらどうかと思ったのだ。

 当時のルール・マネージャーのマット・タバック/Matt Tabakは私に、デザイン上、機体は搭乗するまでクリーチャーではないのでそれは不可能だと言った。乗騎は、フレイバー的に、常にクリーチャーなので、現在のメカニズム的実装では上手く行かない。これは、我々が「機体」や「搭乗」という語を選んだときにフレイバーのメカニズム面に寄せた理由でもある。


 《放漫トカゲ》や《ムラガンダの印刻》がミライシフトしてきた元の未来はここですか?

 違う。《放漫トカゲ》のレイバー・テキストや《ムラガンダの印刻》のカード名でわかるのは、どちらもムラガンダという次元の存在だということである。ムラガンダは失われた世界のネタを入れた中米風世界であるイクサランと違い、ムラガンダは前史時代の次元である。ムラガンダには前史時代のクリーチャーや動物が溢れており、人類は文化人というよりも穴居人に近いものだろう。


 恐竜と言えばサイズが大きく、従って点数で見たマナ・コストも大きいと思われますが、点数で見たマナ・コストが小さい恐竜を作るのはどれぐらい難しいものでしたか?

 『タルキール龍紀伝』を作るときに問題だったことの1つが、クリーチャーを小さくしすぎるとドラゴンらしくなくなるということだった。象徴的な小型の恐竜が多く存在するので、この問題は恐竜には存在しなかった。例えば、ヴェロキラプトルはポップ・カルチャーにおいて有名な恐竜である。また、恐竜には飛ぶものも飛ばないものもいるというのも有利な点だった(空を飛ぶ恐竜の科学的な正確さについては先週の記事を参照)。


 『イクサラン』で両面カードが戻ってきました。今後、もっとよくある存在になるんでしょうか? まだまだデザイン空間は残っていそうです。

 両面カードにこれほどのデザイン空間があることには驚かされた。実際、どのセットにも両面カードにできるものが存在する、というジョークがあるほどだ。それなのにやらない理由がいくつか存在している。

 1つ目に、印刷するのに費用がかかる。各セットに予算が決まっており、両面カードを毎回やると予算を食い尽くしてしまって他のクールなことに挑戦することができなくなる。

 2つ目に、プレイヤーの多くは両面カードが好きだが、すべての人に好評というわけではない。はっきり嫌っているプレイヤーも少数だがいるのだ。両面カードが人気なので、現在は、そういったプレイヤーにはときどき我慢してもらっているわけだが、毎セットでやるのはやりすぎだろう。

 3つ目に、何かを派手だと感じさせ続けるためには、その頻度をある程度抑える必要がある。両面カードには掘り下げるべきクールなデザイン空間があるが、我々は常にエキサイティングなものに保ち続けるため、それを少しずつ使いたいと考えている。

 4つ目に、両面カードはプレイヤーに物理的な問題をもたらしている。我々はマジックに時々両面カードを入れたいと思っているが、プレイヤーが常に対処しなければならないような邪魔者にしたいとは考えていないのだ。

時間切れ

 本日はここまで。質問を提供してくれた諸君に感謝している。非常に多くの(すばらしい)質問を送ってくれたが、全てに答えることはできなかった。いつもの通り、私の回答に関する諸君からの反響を楽しみにしている。私の回答について何か言いたいことがあれば、メール、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrGoogle+Instagram)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、開発部の舞台裏で起こっている大変化についてついに話す日にお会いしよう。

 その日まで、あなたが『イクサラン』を楽しみ、さらなる質問があなたとともにありますように。

(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)