ラヴニカ:灯争大戦――古き友、新しき友
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Ⅰ
ギルド渡りの遊歩道で、ヒカラは待ってくれていた。
一、二秒立ち止まって、その実感に浸った。信じられないようなことだけど、私の最高の連れで、憧れで、お手本。ヒカラは髪にベルを付けていて、私は肩から下げている。髪じゃないのは、この人の見た目やスタイルを……ヒカラっぽさを真似してるってあからさまに思われたくないから。
けど考えなしの私は大声を上げた。ヒカラは振り返ると、あの大きな笑みを浮かべて私の名前を呼んだ。「ラット! 待ってたよ可愛い子ちゃん、キスをしてよ!」
いつも、私にはそんな喋り方をしてくれる。
私はヒカラに抱きついた。私よりずっと背が高くて、ぶうんっと私を振り回す様はまるで彼女がいるギルドの、血まみれのショーの軽業みたいだった。けれどここは高い綱じゃなくて地面の上で、剣もなくて、本物の血も流れない。
今回は。
「何があったのか教えてくれる? やばい事も全部」
「もちろん教えるって」 慌てたように私は早口で言った。ヒカラと話す時はいつもこう……ていうか、私が口を開く時はいつもだけど。「言われた通りにさ、ザレック様を尾行してニヴィックスへ向かったよ。そもそも、何であなたを避けてるのかわかんない――」
「でしょ。あたしを避けるとか信じらんない」
「ほんとそれ。けどあの人を尾けることで役に立てるならさ、光栄の極みってやつよ、ね」
「それでこそ」
「そりゃあもう」
「いいね。で、誰と会ってたの?」 彼女、ヒカラは悪魔ラクドスの密偵で、イゼット団の長ザレックを監視する命令を受けていた。けど彼女は目立つから追い払われちゃう、そこで私の出番ってわけ。ヒカラは、自分が無理な時にザレック様の後を尾けて欲しいと私に頼んできた。気付かれずに誰かを尾行するのは、私の得意技は沢山あるけど、その中でも一番得意なこと。それに、さっき言った通り、最高の連れの役に立てるのは嬉しかった。
「ボスと一緒に閉じこもってた」
「ニヴ=ミゼット?」
「そゆこと」
「閉じこもって?」
「研究室に。それもでっかいの。けど、あの二人だけで。ニヴィックスにはこっそり入れたけど、その研究室は無理だった。扉開けるだけでばれそうだったし」
「本当に?」
「凄いでっかくてぎしぎし言ってたから」
「あー」
「だから換気口に入って」
「それでこそ」
「でしょ。まあでも辿り着くには結構かかった。何度か……爆発があったかな? だから研究室を見下ろせる換気口に上がったけど、見えたのはほとんど煙だけだった。換気扇がたぶん自動で動いてて、煙を吸い出してた。私もかなり咳しちゃって、聞かれそうになったくらい」
「でも聞かれなかった」 ヒカラはおどけて指を振ってみせた。
「まあね。けど向こうの声も聞けそうになかった。換気扇がいっぱい回ってて凄くうるさかったから。ニヴ=ミゼット様はなんか機嫌悪そうだったよ。二人そろって凄くでっかい機械を見つめてたけど、どうもそれが爆発したっぽい。それが何なのかはわからないけど、動いてないってのはわかった。焦げて煙が出てた。何か所か火が出てたくらい、けどニヴ=ミゼット様もザレック様も気にしてなかった。一言だけ聞きとれたかもしれない。あの人達の今ある唯一の公算、何かの標、って」
「ふーん、そういうこと」
「わかるの? いいけど」
「他は何かあった?」
「そんなにないかな。ニヴ=ミゼット様は飛んでった。ザレック様は扉を開いて、そうしたらゴブリンがいっぱい入ってきて火を消した。すごい能率でね」
「イゼット団のゴブリンは消火訓練をしっかり受けてるからね。よく火元にもなるけど」
「ザレック様はゴブリンを一人隅に連れ出すと、伝言を送れって命令した。ケイヤ様、ヴラスカ様、ラヴィニア女史、ヴロナ氏、それとあなたに。私はすぐ出て伝えた方がいいって思ったの、用心するようにって。呼び出しがある前に何があったか知っておけるようにさ」
まるでそれが合図だったように、一人のゴブリンが駆けてきた。そいつは私に気付かずヒカラへお辞儀をすると、一枚の紙を手渡した。ヒカラはゴブリンの頭を軽く叩いて、お駄賃とばかりにそいつの掌に剃刀の刃を落とした。ゴブリンはそれを見つめて、次にヒカラの危ない笑顔を見上げて、ゆっくりと後ずさった。そして五フィートも離れた所で、踵を返して逃げ出した。
ヒカラはその紙を開いて頷いた。髪のベルが小さく鳴った。「あんたの言った通り。緊急事態。邪悪なるドラゴンと戦う超兵団を召喚すべく、標を起動したい。つきましてはどうか御足労を願います、って」
「悪しきドラゴン? ニヴ=ミゼット様が?」
「や、違うドラゴン」
「私はどうしよう?」
ヒカラは私を見下ろして髪を撫でた。私に姉がいたら、こんな人だっただろう。けれどいらない、ヒカラがいるから。「そうだね、あたしはご指名を受けたから、今夜は好きにしてくれるかな。ここで待ち合わせよっか、うん……夜明け前に。もしあたしが来なかったら、まだ忙しいってことだろうから一日自由にしてて」
「ほんとに?」
「うん、よろしく。あたしが一緒にいる相手を尾けてもらうこともないし」
「わかった……」
離れたくないって気持ちを察してくれたのだろう、ヒカラは私の顎を持ち上げて言った。「ね、あたしのラット。あたしの蛾にはならないでよね。確かにあたしは世界一眩しい光だけど、周りで飛ばれてもね。あたしだって大人だよ、自分のことは自分でできるから」
「わかってる」 私はそう答えた、少し頭にきて。少し。
私を少し可哀想に思ったのだろう、ヒカラは私を抱き上げるとまた振り回した。そんな遊びをするような子供じゃないけれど、正直に言うと今も私はこれが好きだった。そしてヒカラは私を下ろすと額に口付けをしてくれた。
「じゃあ行くね、可愛い子ちゃん」
「またね、ヒカラ」
「またね、アレイシャ」 ヒカラが私を本名で呼ぶ、それは驚くほど不自然だった。彼女にアレイシャと呼ばれたことはほとんどなかった。けれど私はその気分を振り払って、遊歩道を横切って行く彼女の姿を見送った。そして私も背を向けて歩き出した。しばらく何も食べていなくて、お腹が空いていた。
セレズニアの市場へ向かうと、どこも閉まったばかりか開店の準備中だった。熟したプラムを一つ拝借して、果物売りから税金を取る最中のオルゾフの役人からすりをした気がする。実際現金なんて必要ないけれど、私はぴかぴかして綺麗なものが好きだった。
どうしろって? 私はラットだから。
ラクドスの火遊びショーを見に行こうかとも思ったけど、浮気をするみたいでなんか嫌だった。単に今はそういう気分じゃないってだけかもしれない。
だから私はぶらついて時間を潰した。グルールの縄張りの家に帰ろうかとも思った、皆と一緒にいようかと。けどやめた。落ち着かなかった。皆して私を抱きしめて、抱きしめて、そう考えると……言ってみれば閉所恐怖症みたいな気分になった。広い所にいたかった。
いい考えと思った所で、雨が降ってきた。雨はそんなに嫌いなわけじゃない。私は建物の入り口の前に縮こまって、ラヴニカの夜のまばらな往来が過ぎるのを見つめていた。その全員に帰る所がある、そんなふうに思えた。
そのうち数時間経って、少しずつ朝の気配がしてくると、私はヒカラに会うためにギルド渡りの遊歩道へ急いだ。彼女はいなかった。待ったけれど、来なかった。もちろん、今もザレック様と一緒にいるのだろう。そして私は必要ない。私も帰るべきなのだけど、特に理由もなくそこに居残っていた、太陽は昇りはじめて……
そしてその時、いきなり目の前に砂まみれの男の子が現れた。
Ⅱ
その男の子は――見た感じ十八歳くらい――地面に手と膝をついて、激しく咳をして砂を吐いていた。視界を晴らそうと砂だらけの腕で顔をぬぐって、そして混乱した様子で空を見上げた。助けを求めるような表情、かもしれない。その姿が何だか可哀想だったので、私はその子を見つめていた。どこから瞬間移動してきたら、そんな砂まみれになるんだろうと少し思った。
そして、まだ砂を吐き捨てながら、その子は顔を下ろすと私の方向を見た。私は見つめたまま、ぼんやりとベルトから小さな真紅のベリーを取り出して口に放り込んでいた。
ほら、私お腹すいてたって言ったじゃん。
その子の額の傷から少し血が出ていた。私がベリーを噛んで血みたいな果汁を味わうと同時に、赤い血がその子の口元まで流れ落ちて砂に混じった。そしてまた砂を吐き捨てて、発作みたいに咳をして、両手と膝をついたまま――助けを求めた。
驚いて、私は自分を指さした。「私?」
その子は必死に頷くと、咳をして言った。「お願いです……」
すぐに、私は柵を跳び越えて隣に急いだ。「私がいるってわかったの? みんな気付いてくれないのに」 そして立ち上がるのを助けると上着の砂を払い落してあげた。
その子は小さくお礼を言って、尋ねてきた。「ここは?」
「ギルド渡りの遊歩道だけど」 私は肩をすくめた。
「え?」
「ここはギルド渡りの遊歩道。すぐにあちこちからスラルの荷車が来るから、轢かれたくないなら移動した方がいいよ」
私は手を引いて連れ出した。橋を渡りながらもその子は必死に頭皮をかきむしって、髪から砂を払い落とそうとしていた。
この新しい出会いにかなり興奮して、私はいつものように、分速一マイルもありそうな勢いでわめきだした。「きちんと自己紹介してなかったよね。私はラット。もちろん本名じゃないけど。むしろ通称かな。みんなそう呼んでくる。ん、みんなっても沢山はいないけどね。でも教えてあげる。本当の名前は――つまり、つけて貰った名前は――アレイシャ。アレイシャ・ショクタ。ラットの方が短くて言いやすいでしょ、だからラットって呼んで。別に気分悪くするとかないから。実際、私には似合ってるし。アレイシャよりもずっと。ま、アレイシャの方がかわいいかな? 母さんには今もそう呼ばれるし、父さんからも。けどそう呼ぶ人はそのくらい、あともう一人、名付け親のケンタウルスがいて、その人も同じ。両親は選んだ名前にこだわってるけど、私はラットで構わない。だからこの先きみもラットって呼んでくれるかな。いい?」
「僕は――」
「一応言っておくけど、私は今のところは門なし。けど生まれはグルールで、だから親も同じ氏族に入ってほしがったけど、何ていうのかな、私あんまり怒る方じゃなかったみたいな。それに、ラクドスとセレズニアに仲良しの友達がいて――うんわかる、全然違うじゃんって、けど私ってある時片方のギルドに合いそうで、でも次の日は別のギルドな気分になってとかで。ともかく、グルールとラクドスとセレズニアの三つ。確実にそのどこかに入るだろうね、たぶん。きみはギルドに入ってるの? その服はわからないなあ」
「あの――」
「そういえば、きみの名前は? 最初に聞くべきだったね。初めて会った人と話すことなんてあんまり無くてさ、正しい順番を忘れちゃうのかもね。わかんないことは沢山あるけれど、自分で答えを見つけちゃうとかそういうやつ」
「あの――」
「まあそれは言い過ぎか。会ったばっかりだし、私がどれだけ行き当たりばったりに生きてきたかなんて別にいっか。ともかくこうして話してるわけだから、急ぐことはないんだし。最終的には大切なところ全部に行きつくってことで。頭どう? けっこう深そうな傷だけど。縫うほどじゃないだろうけど、綺麗に洗って砂を取って、包帯で巻くか治癒魔法のできる治療師さんを見つけた方がいいかも。そういうのやってる所は知ってるけど、大したことないくせに結構高いんだよね。んー、そのくらいの小さな傷なら、いい感じにお願いすればタダでやってくれるかなあ。それとも、知らない人には恥ずかしくて頼めないなら――きみは見た感じ恥ずかしがりっぽいからさ、まあけど会ったばっかりで決めつけすぎるのはよくないか――私が手当てしてあげてもいいよ。いや私だって知らない人だろうけど、こうして少しは関係あると思うし。ともかく、私もちょっとは治療くらいできるよ。自分でできるようにならないといけなかったから。母さんがやってくれなかったわけじゃないけど、グルールの戦士だし、いつも頼れるわけじゃないからね。それに私はそんなひどい怪我はしたことはない。切り傷とかすり傷とか。ほら私って小柄な方だし、よそ見してるともっと背の高いのがいっつもぶつかってくる。ほらラヴニカは人多いから」
「あの――」
「あ、でも治癒魔法は使えないよ。それと包帯になりそうなものは持ってないけど、盗んでくるのは簡単だから。それとも盗んできた包帯は嫌とか? そうだよね泥棒さんと一緒にいるのは嫌ってのはあるかもね。アゾリウスの拘引者はぜったい嫌な顔するし。ん、君はアゾリウスじゃないよね?」
「あの――」
「ま、その格好ならアゾリウスじゃないか。思うにきみは――」
不意に、この子は私の前に出て両腕を掴んできて、叫んだ。「聞いて下さい!」 そしてどうも自分の叫びに自分で怖くなったみたいだった。大声を上げたことを申し訳なさそうに、怯えるみたいに――私が叫び返すんじゃって思ったのかもしれない。
そう、この子は私のことを知らないんだって。
私は微笑んで、自分はそこまでか弱くなんてないと示して言った。「喋りすぎちゃったかな? 私だいたい自分だけでさ、独りごとも多いんだよね。ずっとあんな感じに。で、誰かと話す時はさ、もっと話を聞けって思うよね。自分でもそう思う。だから、聞くよ、えと……ああ、そういえばきみの名前も聞いてなかった。そこから始めよ、ちゃんと聞くって約束するから」
「テヨ、です」 その返答は、まるでその名前が正しいかどうか、私に向けて尋ねているみたいにうわずっていた。
手助けしてあげようと、私はそれを繰り返してみせた。「テヨ。いい名前。テヨ君はギルドには入ってるの? 怪我してるし調子も悪そう。連れて行って欲しい所とかある? 知り合いの所とか」
「どこのギルドにも入ってません。僕は、盾魔道士団の見習いです」
「ふーん、聞いたことないけど」
「聞いたことがない? そんな事が? 金剛嵐の時はどうしているんですか?」
「金剛嵐、それも聞いたことないよ、けどいい響き、きらきらしてそう。そういうの好き。粗削りっぽいけれど、それもまたいい感じ。きらきらしたものがあったら、手に入れる。言ったでしょ、私は泥棒さんなんだからね?」
テヨは私の腕を離して橋の欄干へふらつき、その下を流れる川を見下ろした。両目を見開いて、欄干を掴むその手は力を入れすぎて白くなっていた。呟き声が聞こえた。「金剛嵐に遭ったことがない? 盾魔道士団を知らない? そんな馬鹿な。盾魔道士修道団はゴバカン全土に知られていて、皆それに頼っているのに」
テヨの隣で欄干にもたれ、私は微笑んで肩をすくめると、なるべくゆっくりと穏やかに喋った。「『ゴバカン』も聞いたことないよ」
その言葉にテヨは欄干に拳を叩きつけ、足を踏み鳴らした。「ここはゴバカンでしょう! 僕達の世界! あなただってゴバカンに立っているのに!」
そこで私はテヨの腕に自分のそれを通して、前へ歩き出した。「テヨ君、ここはね……」 そしてそのままの速さで、私は敷石の上を小さく飛んで、肩のベルをそっと鳴らした。「……ラヴニカ。この世界はラヴニカ。テヨ君、きみはもうゴバカンにはいないんじゃないかな。思うに君は『ウォーカー』だね」
「ウォーカー? 歩く? 僕だって歩いています。そうですよ、僕は歩む者です」
「そういう意味じゃなくて。私もよく知ってるわけじゃないけど。ザレック様とヴラスカ様が議論してたのがちょっと耳に入っただけなんだけど、私が上でぶらさがってるって気付かれてない時に。えとね、ザレック様を追ってくれってヒカラに頼まれた時、つまり任務、割り当てられた仕事だったの。それはいい? 『私が見てない時に二人がこっそりどこへ行ってるのかを調べて』って言われたの。本当にそんな感じに。ヒカラはそんなふうに喋るの。ともかく、私は二人を追いかけるはずが、ちょっと盗み聞きもしちゃったってわけ。認めない方がいいんだろうけど、どうしても盗み聞きしちゃうんだ。本当止められなくって」
「嵐に誓って言いますが、仰ることが全くわかりません」
「ん、何となくわかった。あの時きみは砂だらけでここに現れた、だから考えついたんだと思う。でもきみの心はいつも、まず一番簡単な説明をしようとする、そうじゃない? ねえ、きみは一つの場所から別の場所へ瞬間移動する方法を知ってる、とかある?」
「まさか!」
「そうだろうね。なら、私が思った通りなら、きみは世界から世界を、次元から次元を渡り歩けるんだ」
「どうすればそんな事ができるかなんて、全然知りません、誓って!」
「思うに初めてだったんじゃないかな、例えば事故とか、んー違うかな、意図的にじゃないっていうか。無意識に飛ぶみたいな。例えば命の危機だったとか、死にそうになってたとか?」
テヨは目を見開いて私を見つめた。川を見つめていた時よりも大きく。「どうして――どうしてわかったんですか?」
「や、わかったわけじゃないよ。けど物には法則ってものがあるでしょ。それと私は勘が良くってさ、あときみは砂だらけだった。生き埋めになってたとか?」
テヨは頷いて、続けた。「つまり、ここはゴバカンではない?」
「ここはラヴニカ」
「ラヴニカ」 その発音は、今まで気づかなかったけれど、何だか慣れていない言葉みたいに響いた。
答えを知りつつ、私は尋ねた。「で、ここに知り合いはいない――よね?」
「多分、あなただけです」
その言葉に私はテヨの腕を抱え込んだ。「じゃあ、正式にきみを養ってあげる! 帰る時までは家族だからね。気にせずに喜んで世話になってよ、私そういうの得意だから。自分の力で何でもやってかないといけなかったからね」
「で、でも」 テヨはそう答えて、とはいえ必ずしも嫌がってはいないようだった。
「さて、じゃあきみがラヴニカで生きていくために必要なことは」 一緒に歩きながらテヨをちらっと見ると、ありとあらゆる建物や道路や通行人を見つめて(テヨや私に目を向ける人は誰もいなかった)、大きく見開かれた目がどんどん大きくなっていった。頭から弾け飛んじゃいそうなくらいに、だから私は噛み砕いて説明した方がいいって感じた。「よし、まずきみが知るべきこと。ラヴニカは一つのおっきな街で、すごく色んな人が住んでる。本当に色んな。一番多いのはきみや私みたいな人間かな。けど他もいっぱいいるよ、エルフにミノタウルスにサイクロプスにケンタウルスにゴブリンに天使にエイヴンにヴィダルケンにヴィーアシーノに巨人にドラゴンにデーモンに、ん、そう、とにかく沢山。ヴラスカ様なんてゴルゴンだし。私だって三人しか見たことないけど、すっごく、すっごく綺麗なの。知ってる?」
「い、いえ……ゴルゴンは見たことない、と思います」
「見たらはっとするよ。絶対。ところでさ、ゴバカンってどういう人が動かしてるの?」
「バレズ院長でしょうか? いや違いますね、あの人は僧院を仕切っているだけです」
「つまりきみはお坊さんなの? お坊さんってみんな頭を剃ってると思ってた」
「まだ僧ではないです。見習いなんです。それに頭を剃るのも規則ではありませんし、少なくとも僕が思う限りでは」 そしてテヨは両手を投げ上げた。「今の僕は、何ひとつきちんとなんて知らないってことか!」
「落ち着いて。だから私が教えてあげてるんでしょ。つまりその院長さんがゴバカンを動かしてる。けどここラヴニカでは、ギルドがそれ。十のギルドがあって、その中で、何もかもが機能してるの」
「オアシスにギルドがあります。ゴバカンの大きな街です」 テヨは立ち止まって辺りを見回した。「けれどオアシスもこんなに大きくはなかった気がします」
「けどギルドがあるくらいには大きい?」
「大きいです。大工ギルドや、馬丁ギルドがあります。けれど何かを取り仕切っているわけではないと思います。ただ集まってお酒を飲んで愚痴を言っているだけみたいな。少なくとも僕はそう思いました。オアシスにいたのはほんの数日ですが」
「ん。ここのギルドはもっと大きいことをやってるよ。でもお酒を飲んで愚痴を言い合ってるのは同じかも。父さんもグルール一族では名前の知れた戦士だけど、お酒を飲んでは愚痴ばっかり言ってたし」
「つまり、あなたはそのグルール一族なのですか?」
「さっき言ったけど、私は門なし。どこのギルドにも入ってないってこと。グルール、ラクドス、セレズニアの三つが言い寄ってきてるんだけど。私は人気なのよ」 そして声を上げて笑ってみせた。テヨはその冗談がわからなかった。「嘘。そんなに人気なんてない」
「そうなんですか」
「きみは優しいね」
「僕がですか?」
「そう思うよ。きみのこと気に入った。拾って良かった」
「僕は――」 テヨは笑った。もしくは、笑ったと思った。そう判断するのは難しいかもしれないけど。「僕も、良かったと思います」
テヨは私を見つめた、その様子に私は……いや、この気分は何て言えばいいの?
気おくれ、みたいな?
止めなよ。私は目をそむけて内心言い聞かせた。
それとも大声で言った? 嫌、声に出して言ってるわけなんてない!
テヨは深く溜息をついて尋ねてきた。「他に、僕が知っておくべき事はありますか?」
「あ、んー……そだね。ギルドはいっつも喧嘩してる。馬鹿みたいよね、全然違うんだから仲良くした方がいいのに。それぞれの役割だって割と違うのに、その違いと扱うものの違いに文句を言ってる。で、もし手がつけられなくなったら、その争いはジェイス・ベレレンって男が解決することになってる。ギルドパクトの体現者とも呼ばれてて、つまりギルドはその人の言う通りにするってこと。本当だよ、そういう魔法になってるの。問題は、そいつが何か月も留守にしてるってことで。どうも君と同じなんじゃないかな、一つの世界から別の世界へ渡れる人。たぶん、何かやることがあるんだろうけど。ともかく、そいつがいなくなって、情勢がきな臭くなってるってわけ。ギルドは全部、どうもここに向かってきてるっぽいなんか悪いドラゴンを止めるために力を合わせようとしてた。けどヴラスカ様が――ああ、ゴルガリ団のギルドマスターね――イスペリア様、アゾリウスのギルドマスターを暗殺した」
「え、殺したのですか?」
「ん。それで今やギルドはいがみ合ってる。それか、んと、もう信頼しあってない」
「では、悪いドラゴンとは?」
「わかんない。まだ来てないんじゃないかな」
角を曲がった所で私は立ち止まった。第10管区広場へ向かっていたのだけれど、そこには背の高いオベリスクが立っていて、その頂点にはドラゴンの彫像があった。悪いドラゴン、だと思った。
「は、何あれ」
Ⅲ
広場中央に立つ新品のオベリスクは驚きだったけれど、私の目はすぐにその先にある巨大なピラミッドに向いた。最近――ほんのつい最近――それは地面から飛び出してきたみたいで、建物や庭園やそこにあったものを押しのけていた。その光景に私はたちまち圧倒されて、その場所がどんなだったか思い出せないくらいだった。
そんなに印象薄かったっけ?
私の頭に残らないって、ずいぶん刺さる皮肉じゃない?
「あれがその悪いドラゴンなんですか?」 テヨは不安そうに尋ねてきた。
最初、それはオベリスクのてっぺんにある彫像のことかと思った。けれどテヨの両目はピラミッドへ向いていた。なるほど、その上にはドラゴンの彫像がもう一つ――と思ったらそれは不意に顔をこっちへ向けてきた。私を見てるわけじゃないって思ったけど、テヨの言葉は正しい気がした。「見られているような気分です」
「そんな事ないと思うけど」 そう私は言った。もしくは、とにかくそう言おうとした。けれどその語尾は鼓膜が破れそうな音と、後ろから凄い勢いで吹いてきた乾いた砂漠の空気にかき消された。私とテヨは文字通りそれに突き倒された。
私が立ち上がるのが早かった。テヨは両手と膝をついたまま、震えて呟いていた。「起きろ、起きろ、起きろ……」
石の建物を壊す音が広場に轟いて、私は振り返った。ゆうに高さ五十ヤードはある、巨大なポータルが開いて、ギルドパクト庁舎の建物を真二つに砕いた。柔らかな紫色の光がポータルから溢れ出した。何かこう、落ち着かせるみたいな光――空間を引き裂いた力は凄くて、まだひどい事になってるのに。一人のオーガがつまずいて倒れたけれど、よく見たらその身体の四分の一はポータルに巻き込まれて消し飛んでいた。庁舎の瓦礫が落ちてきて、そこにいた二人を押し潰した。
恐怖のショーだった。ただ、ラクドスっぽい楽しさはない。
私は肩越しに振り返って、そのドラゴンを見た。遠すぎてその表情まではわからなかったけれど、少しだけ精神魔法を感じられる私は、その満足心が波みたいに放たれているのがわかった。満足心と、その名前が。
ボーラス。ニコル・ボーラス。
背筋に寒気が走った。
そして、事態は悪化した。
Ⅳ
優雅な黒のドレスをまとった黒髪の女の人が、そっと瓦礫の上に踏み出した。そして落ちた欄干の上にまっすぐに立って動きを止めた。
「あの形から何かが出てきます……」 テヨが呟いた。それが空間にできた円形の穴のことだと気付くのに一瞬かかった。私はそっちに目を向けた。
軍隊。軍隊がポータルから現れた。朝の太陽を受けて、金属っぽい青色に輝く軍隊が。見た目は綺麗だと思った。けれど私はそこまで馬鹿じゃない。ラヴニカに行進してくる軍隊がいいことなわけはない――どんなに綺麗でも。
あの黒髪の人も、輝く何かを顔にかけた。手をどけると、それは金属のヴェールだとわかった。磨きぬかれた金の鎖が編まれていて、それも陽光にぎらついていた。むき出しの肌に食い込むみたいな、刺青に似た紫色の線が光りだした。その人の悲鳴が聞こえたみたいに思えた。けどそれは本当の叫びだったのか、それとも心の声だったのかはわからない。
それとも、単に私の恐怖が映し出された、とか?
その人の腕が輝きを増すと、金属の軍隊も輝きはじめた。これだけ離れてても、兵士たちの目が女の人の刺青と同じ紫色に変わるのが見えた。ともかく、その軍隊は一斉に止まってその人の方を見た。次にその人が腕の一振りで命令すると、そいつらは一斉に回れ右して駆け出した。ポータルが崩した建物から逃げる、もしくは呆気にとられてその軍隊を見つめている人たちへ。
テヨが呟いた。「僕達はどうすれば?」
実際、何かやるべきことができたわけじゃなかった――逃げて隠れるほかは。けれど私はそこに立ったままで、黙ったままで動けなかった。旦那さんか恋人か兄弟を瓦礫の下から助け出そうとしている若い女の人へと、金属の戦士が近づいた。その人は顔を上げたけれど、素早く踏み出してきた相手に首を折られても、ほんの少しの筋肉すら動かせなかった。私達は結構離れていたけれど、その音を聞いた。自分達の身体で感じた。
「どうすれば?」 テヨがまた尋ねてきた。
わからなかった。進軍は続いて、行く手の全てを殺戮していった。近づいてくるとその兵士は不死者だとわかった。人間、ミノタウルス、エイヴン、他にも色んな種族が頭から爪先まで何か青い鉱物みたいなもので覆われていた。すぐに、私達の近くまでやって来た。何も考えられなかった。動けなかった。私としてはすごく珍しいことに、口を開くこともできなかった。
不意に、雷鳴が聞こえた。私とテヨが揃って振り返ると、そこにザレック様がいた。白熱した両手から稲妻を放って、青い金属の戦士を二、三体ずつまとめて倒していった。怒り狂って髪を逆立たせて大股で歩くと、その目の前で青い戦士が爆発した。
ケイヤ様もいた。長ナイフを抜き、赤毛の親子を襲う不死者へと飛びかかった。紫色の魔力に輝くダガーが、その背中に深く突き刺さった。不死者の兵士は悲鳴を上げる母親の目の前で崩れ落ちた。その人は感謝するよりもむしろ怖がりながらケイヤ様を見上げた。
「逃げなさい」
その言葉に、その人はすぐさま子供を腕に抱えて駆け出した。
何故かはわからないけれど、それは私とテヨの何かも動かした。
「力になれるでしょうか?」
「やってみようか」 私はそう言ったけれど、どうすればいいかはわからなかった。
輝く怪物が続いて二体、ケイヤ様へと襲いかかった。近くて大きい方が斧を振り回したけれど、ケイヤ様は霊の姿になって斧は効かずにその身体を通過した。あの人が持つ神秘的な力だってことは私も知ってる。怪物は混乱したみたいで、その隙にケイヤ様は元の姿に戻ると迫ってきた二体目の喉元を切り裂いた。ダガーの薄い紫色の光が、その戦士の両目と首飾りの暗い紫色の光と一瞬戦ったように見えた。けれどまるで毒みたいに、ケイヤ様の力が屍に染みたようだった。それは倒れた。
再び、斧の戦士が武器を振るってきた。ケイヤ様はまたも幽体になって斧を素通りさせると、その隙に二本のダガーを腹へと突き刺した。私の母さんの技に似ていた。
もしくはヒカラの。何処にいるんだろう。けれど、ここにいないことを喜ぶべきなのかもしれない。彼女にとっても、この楽しさは手に余るだろうし――それにもしかしたら殺されちゃうとか、あるかもしれない。
ザレック様はというと、ベンチの上で立ち塞がるみたいに、子供三人を守っていた。その一人はゴムボールを抱きかかえていた、あの母親が子供にそうしていたみたいに。ザレック様は次々に金属の戦士を倒していったけれど、ケイヤ様がその隣に駆けつける頃には目に見えていた――皆が、私達全員が、そのうち持たなくなるだろうって。
すぐに別の一体が迫った。ケイヤ様がまた幽体になると、相手はつまずくみたいにその身体を素通りした。敵は振り返り、続いてケイヤ様も。そして元の姿に戻ると敵の両目にダガーを突き刺した、脳みそが残ってるならそこに届きそうなくらい深く。それは糸を切られた操り人形みたいに崩れ落ちた。
けれどその様子を見終わるよりも早く、金属のミノタウルスが体当たりをしてきてケイヤ様は弾き飛ばされ、地面に転がった。立ち上がろうとしたけど苦しくもがく声が聞こえた。
そこでやっと、私達が追い付いた。
ミノタウルスの攻撃を真正面から受けられるとは思わなかったので、私は背中側に回った。それは私に気付かず、想像以上に素早くケイヤ様へと向かった。私の技を見せるより素早く。
けどそこにテヨがいた。ケイヤ様の前に立って、三角形の光の盾を立てて自分たちをその生物から守っていた(盾魔道士団の見習いってのはそういうことか)。怪物の鎚が三角形に叩きつけられて、一瞬眩しく光ったけれど壊れはしなかった。テヨは顔をしかめたけれど立ち続け、低く詠唱を呟いていた。私は驚いて、感心して、それと――特に理由はないけれど、誇らしかった。ボルボ、名付け親のケンタウルスの言葉を借りるなら、私に養われることを誇りに思いなさい、って。
そのミノタウルスは下がってまた鎚を振るってきて、けれどその時には私が構えていた。二本の(ケイヤ様のよりは小さい)ダガーを抜いて、背中に飛びかかると首に突き立てた。それは吼え声を上げて暴れ、私を振り払った。私は飛ばされ、けれどナイフは握ったままでいた。そしてお尻を思いっきり打ちつけて落ちた。
切り傷にすり傷、本当さっき言った通り。
不意に、青白い稲妻がそいつに命中すると、青い鉱物を融かしながら爆発した。
ザレック様が近づいてくると、テヨは盾を下ろした。耳元の小さな光の円が消えると同時に、疲れたみたいに肩を落とした。けれどテヨはケイヤ様が立ち上がるのを助けた。
ザレック様がテヨへと呼びかけた。「君はプレインズウォーカーだな」
「僕が、何ですか?」
「彼がプレインズウォーカーって、どうしてわかるの?」 ケイヤ様がそう尋ねた。
私は青い金属の兵士の間を縫うみたいに、次々に突き刺しては目標から気を逸らしていた。一体の腱を切るとそれは膝をついて、その瞬間私は両目を突き刺してやった。
これでひとまずケイヤ様は大丈夫。
幸運にも、私もこれで少し助かった所があった。
もう一体の怪物を避けつつ、私はテヨの所へと急いで戻った。
そうすると、ケイヤ様が私をまっすぐに見て言った。「こいつら、あなたにはどうも興味なさそうだけど。何か秘密があるの?」
一瞬、私もケイヤ様を見つめた気がする。
ザレック様はそれが自分に向けられた言葉だと思ったようだった。「十分に興味を向けられてるよ」
それを無視して、ケイヤ様が私に話しかけてきた。今回は心配そうに。「大丈夫?」
そこでまた、私は馬鹿さ加減を発揮してしまった。「うっわあ、強大なるオルゾフ組のギルドマスター様に気付いて頂けるなんて夢にも思わなかった!」 そんな事を呟いて、更には小声で続けた。「ていうか一日に二人もって。世界に大穴があくより変なことかも」
ザレック様は、まだケイヤ様が自分に向けて話していると勘違いしたまま言った。「俺は大丈夫だ。悪いな、ゴーグルでわかるんだ。火想者の設計で、プレインズウォーカーを判別できる。ちょっとばかり……面食らうだろうが」
「他にも近くにいる?」 ケイヤ様は尋ねた。「プレインズウォーカーが。手を貸してもらえるかも」
ザレック様はゴーグルを目に下ろして空を見上げ、そしてゆっくりと何かを辿るみたいに下ろしていった。その表情から――それと脳内に聞こえるかすかな雑音から――誰かと精神的な会話をしているとわかった。そこに介入するほど私の力はなかったけれど、そうしているって事自体はわかった。
その顔の向きをたどっていくと、人間が四人近づいてくるのが見えた。二人は見たことなくて、けれど三人目はギルドパクトの体現者の元助手、ラヴィニア女史。もちろん、ジェイス・ベレレン氏も一緒にいた。四人は戦いながらこちらへ向かってきていた。一番体格のいい男の人が、よくある大剣を振りながら、向かってきた相手を次々に黙らせていた。
ザレック様はその四人組に立ち塞がる怪物数体へ稲妻を浴びせた。そして大男が叫んだ。「チャンドラ!」
私達全員が振り返ると、また別の四人が戦いながら向かってきていた。先頭は人間の女性二人、両方とも紅蓮術師だった。一人は燃える――本当に燃えてる――赤毛で、ものすごい炎を発射して敵を融かしていた。もう一人は長い灰色の髪、こちらは正確で効率のいい攻撃をしていた。二人の後ろには男性のレオニンと巨大な銀の自動人形が続いていた。
二つの四人組が私達四人に合流すると、隻眼のレオニンはその連帯感に感激したみたいに、両腕を空へ突き上げて吼えた――でも勝利の雄叫びだとしたら、少し早すぎないかな。
簡単な自己紹介が続いた。さっきの大男はギデオン・ジュラ。もう一人の男性はテフェリー。赤毛の紅蓮術師はチャンドラ・ナラー、灰髪の方はヤヤ・バラード。レオニンは黄金のたてがみのアジャニ、そして自動人形は、どうも生きていて知性があるみたいで、カーンって名前だった。テフェリーと同じく苗字はないとのこと。プレインズウォーカーはすごく色々な人達で、多元宇宙の広さを感じた気がした。きみに苗字はあるの、とテヨに尋ねかけたけれど、私達二人を皆に紹介しようと頑張ってる最中だった。それが焦って口ごもっていたものだから、ジュラ氏がテヨの肩に大きな手を置いて言葉をかけた時、私はほんのちょっと笑ってしまった。「一緒に戦えて心強いよ、テヨトラット君」って。
「テヨトラット」 は名前じゃない、ってテヨは訂正しようとしたけど、その時ジュラ氏が叫んだ。「構えろ! 永遠衆はまだ来るぞ! できる限りの人々を助ける!」
つまり、あの金属の戦士は永遠衆って名前。
私達が生き残るかどうかって時に、幸先のいい名前じゃあない。そう思った。
Ⅴ
優雅な黒のドレスに優雅な黒髪のあの女の人は、永遠衆の護衛にしっかり守られて広場を横切り、ポータルからピラミッドへ向かっていた。そしてジュラ氏が「戦慄衆」って呼ぶ軍団の前へ私達を先導する姿を見つめた。
そして、私達が小さな子供たちを腕に抱えて逃がす様子を見つめた。
ジュラ氏は一度に三人を抱えていた。
怯えて動けない、もしくは自分の身を守れない通行人を助けに回る様子を見つめた。
永遠衆を一体また一体と破壊する私達を見つめていた。
そしてその人を完全に見失う前、最後に見たのは、嫌気じゃないにしても、同情するみたいに首を振る様子だった。
テヨへと振り返ると――そういえば苗字はベラダというらしい――疲れ切って見えた。続けざまに盾を広げて、あらゆる人々を永遠衆から守ろうとしていた――全員、見知らぬ相手だろうに。私も生き残るのに精一杯で、テヨの思考をきちんと読み取ることはできなかった。けれどわかった事はあった。あの子は自分自身を信頼していない。自分の手札を扱いきれていない。
私は身をのり出して声をかけた。「いいよ、上手くやってるじゃない」
テヨは大きく息を吸い込んで私へと頷いてみせると、続けて盾を出した。伸ばした両手から円が広がって、鉱物で覆われた――ジュラ氏いわく、ラゾテプで覆われた――永遠衆から逃げるエルフの子供二人を守った。盾が永遠衆を止めて、その隙に私はこの小さなダガーを永遠でもない目に突き刺した。
この動きをもう六、七回はやってきたと思う。すごく効果的だった。ひたすら相手の背後に急いで突き刺す。最初、テヨは吐いてしまうかもと思ったけれど、それを呑みこむと少しずつ私の技に慣れていった。こんなに素早く私の戦い方に順応してくれたのはテヨが初めてだった。私の母さんくらいかもしれない、けれどそんな考えは表に出さないようにした。
テヨは新しい盾を出して別の永遠衆の鎚を防いだ。
ジュラ氏が叫んだ。「テヨトラット、そいつをこっちに押してくれ!」
「テヨ、だけです!」 その指示に従おうと頑張りながら、テヨはわめいた。気が付いたのだけど、テヨが力を発揮する時は、右耳の下に小さな光の円が現れていた。そこには眩しく光るイヤリングがあって、危ないくらいに私は惹かれた。それを猛烈に掴み取りたくなったけど、じっと見つめていたくなったけど我慢した。
テヨは左手の盾を広げ、それを円形から菱形へ変化させた。その技を少しだけ自慢するみたいに、テヨはほんの僅かに微笑むと、両手を使って菱形の盾を立体化させて前進した。
鎚が意外な角度に跳ねて、その永遠衆は体勢を崩した。そこでテヨが前のめりになって押した。永遠衆はよろめいて後ずさり、そこでジュラ氏が首を落とした、凄く滑らかな剣さばきだった。
「いいぞ」 ジュラ氏はそう吼えると踵を返し、次の攻撃へと向かった。
テヨはもう一度微笑んで、私も微笑み返した。けれどそこでテヨは表情を引き締めて、ケイヤ様の背中へ盾を向けた。
ベレレン氏が叫んだ。「ギルドの力が必要だ! 彼らをこの戦いに!」
ザレック様が永遠衆を吹き飛ばして叫び返した。「できるかわからんぞ! イゼットには俺が命令できるし、ケイヤもできるだろうが……」
ラヴィニア女史がその言葉を締めた。「他のギルドは自分達の領域に撤退しています。ボーラス以上に互いを警戒してのことです」
ケイヤ様が続けた。「それに、ボーラスに下っているギルドもある。ゴルガリにアゾリウス。もしかしたらグルールも」
グルールがあのドラゴンに従うなんて信じられなかった。父さんと母さんは絶対そんなことはしない。
ラヴィニア女史は顔をしかめてもいた。アゾリウスがボーラスに仕えているのが愉快なわけはない。
テヨとケイヤ様は背中合わせになって、二体の永遠衆に挟まれながらも攻撃を受け流していた。力になれるだろうと、私はその間に入った。そして身をのり出してケイヤ様へ囁いた。「ヒカラを呼んで、あの人なら教団を動かせます」
ケイヤ様は目の前の永遠衆を突き刺し、そして一瞬動きを止めて悲しむようにかぶりを振った。「ヒカラは死んだの」
その時だった。私の世界が……揺らいだ。
ありえない、そんな事……
昨日の夜に会ったばっかりだった。元気で、朗らかな、ヒカラだった。世界一の連れ。多元宇宙一の。
盾の背後から、テヨが心配そうに私を見つめた。
「ヒカラは友達なんです」 絶望するように私は言った。「私を知ってて、私が見えてて」
テヨは私の様子を察した。無力さを。そして盾を左手に移し替えると、安心させようとするように右手を伸ばして私の腕を掴んでくれた。励ましてくれるように。
それがほんの少しでも効いたふりができれば良かったのだけど、私はまだケイヤ様の言葉を受け入れられなかった。ヒカラのいない世界なんて考えられなかった。あの笑い声を、賑やかな思考を、優しさと友情を、血への飢えだって。けれどテヨは励ましてくれようとしているのだから、その思いはわかってるって微笑んで応えようとした。けど、自分が実際にどんな表情をしたのかはわからなかった。
ヒカラが死ぬはずなんてない。そんなことはありえない。
「ヒカラは死んだの」 ケイヤ様の言葉は、この人もヒカラのことが気に入っていて、そんな嘘をつくはずがないって示していた。嘘をついていると信じたかった。けど、そうじゃないことぐらいわかった。
最高の連れは、ギルド渡りの遊歩道で私を待ってはいなかった。これからも待っていることはない。私を抱きしめてくれることも、からかうことも、くすぐることも、振り回すことも、話してくれることもない。
「待ってたよ可愛い子ちゃん、キスをしてよ!」 そんな言葉を聞くこともない。どんな言葉も二度とない。髪に鳴るベルの音も。剃刀の刃を取り出した時の含み笑いも。何かひどく可笑しいものを見つけた時に口から出る馬鹿笑いも。何もかもが。カーテンが下ろされた。ショーは終わってしまった。
更に永遠衆がやって来た。ああ。どうして戦う必要があるのだろう?
私が知るラヴニカが死んでいった。そして不意に守る価値があるものとは思えなくなった。
ヒカラが死んだ……