ドミナリアへの帰還 第2話

更新日 Magic Story on 2018年 3月 22日

By Martha Wells

Martha Wells has written fantasy novels, short stories, media tie-ins, and non-fiction. Her most recent works are The Harbors of the Sun, part of her Books of the Raksura series, and a science fiction novella from Tor.com, The Murderbot Diaries: All Systems Red.

 靄がかった曙光の中、リリアナは沼の中を闊歩していた。ぬかるみの草が衣服に張り付いた。前方で、枯れ木を覆う影が弾けるかのように鴉の群れが飛び立った。怒り狂って彼女は叫んだ。「いるんでしょう、出てきなさい!」 夜明けからずっと、彼女はこの沼地を探し回っていた。ここには陰謀団の魔術で作られた不快にねじくれた怪物が満ち、だが彼女の行く手を遮ったものは、真の脅威が何たるかを学んだ。

 鴉の男はきっとここにいて、ベルゼンロックがいかにしてジョスを配下のリッチへと変えてのけたかを知っている。昨晩、半ば意識のないギデオンを宿の主が部屋に運び込むと、彼女は採集してきた薬草でその傷を治療したが、ずっと心を占拠していたのはその確信だった。その昔、同じようにジョスを治療しようとした。完治させようと、兄の命を救おうと。今ならわかる。自分は一途に、だが身勝手で警告に耳を貸さず、僅かな時間も惜しむように焦り、誰もできなかったことを成し遂げて家族の中で英雄になりたかっただけなのだと。そしてそれは未熟者の我儘、子供の自己満足に過ぎなかった。自惚れた行いでしかなかった。

 その自惚れの報いを、自分ではなく兄が被ったのだ。

 そしてギデオンに治療を施す間ずっと、彼女は再び同じことが起こってしまわないかと不合理なほどに怖れていた。何かが起こって唯一の味方を殺してしまうか、変質させてしまうのではと。だがギデオンは今も宿にて回復の途中にあり、無事に深く眠り続けていた。

 鴉の男を見つけ出さなければ。答えを見つけ出さなければ。

 前方の木々の上で鴉が旋回し、螺旋を描いて黒い旋風が降下した。まるで一つの生物へと合体するかのように、素早い翼の羽ばたきは黒い塊へと凝集した。その中から、あの鴉の男が足を踏み出した。

アート:Chris Rahn

 その男は前に会った時と同じ姿に見えた。黒ずくめの長身、骨のような白髪に貫く黄金色の瞳。助言したいような態度で、次元を超えて自分を追いかけてきている。とはいえこの男の真意をリリアナは把握できずにいた。彼女は問い質すように言った。「お前の仕業なの? お兄様の死をベルゼンロックに告げ口したの? ベルゼンロックはどうやってお兄様を蘇らせたの?」

「君は答えをもう知っているだろう、リリー」 その平静さは、リリアナを逆上させた。

「お前なんでしょう」 彼女は進み出た。そこかしこに鴉がおり、あらゆる岩や切り株、腐った木の幹にとまっていた。それらは動かずに、対峙する二人を黙って見つめていた。鴉の男の正体に全く心当たりはなく、自分の人生にこれほど干渉してくる理由もわからなかった。強大なプレインズウォーカーか、人の姿をとった古龍か、あらゆる可能性があった。「お前がやったんでしょう。元に戻しなさい。お兄様を眠りにつかせなさい」

「それは不可能だ」 黄金の瞳が穏やかに彼女の姿を認めた、まるでリリアナの苦痛を楽しむかのように。「そこまでお兄さんが恋しいのであれば、私についてくるといい」

 リリアナの怒りが胸に凝集し、腰に下げた鎖のヴェールに宿るオナッケの魂が囁いた。彼女はかすれた声を上げた。「何が目的なの? 私に何をさせたいの?」 返答はなく、鴉の男は考え込むように彼女を見つめていた。湿った風が鴉の羽根を撫でていた。「どうして次元を超えて私をずっと追ってきてるの? どうしてお兄様を不死者にさせたの、私はただ救いたかっただけなのに――」 自分の声がうわずっていくのを感じた、まるで何かが決壊しかけるように。だが彼女は止め、息をついた。自分は感情に押し流されるような輩ではない。この男が何者だっていい、引き裂いてやりたい程に怒り狂っていた。だが弱さと見られるような兆候は一切見せるわけにはいかなかった。

「君はその答えを知っていると思うが」

 その言葉は沼地の静寂へと消えた。返答したくはなかった、できなかった。自分はもう知っている? 彼女は尋ねた。「お前が私を覚醒させようとしたの? どうして私にプレインズウォーカーになってほしかったの?」

 取り囲む鴉が飛び立ち、リリアナは身体をのり出した。「ちょっと、まだ――」 そして彼女が片手すら挙げないうちに鴉は一斉にうねり、目の前にいた男と全ての鴉は不意に消え去った。

 リリアナは不満と怒りに罵り声を上げた。「役立たず!」

 彼女は早足でその場から去り、沼地の蛇や不潔な小動物が怯えて逃げまとった。

 どうすればジョスを救えるだろうか? ベルゼンロックが兄を下僕として用いているだけでなく、その契約は自分のあらゆる骨身にまで食い込んでいる。遠い昔、全てを誤らせたのは自らの治癒の技だったのだ。確かに鴉の男は自分を操り、そうさせた。けれど実際にそれを施したのは、ジョスを心なき死者もどきに変えてしまったのは自分なのだ。そして兄の名残は何があったのかベルゼンロックの魔術の手にかかり、その墓から今一度蘇り、だがその機知と軍事的知識を保持したまま隷属させられた。

アート:Daarken

 私は鎖のヴェールを使える、不意にその思考が心によぎった。そうすれば、リッチへと変質した兄を眠りにつかせられるかもしれない。あの悪魔を殺すだけでなく……理解に至り、彼女は小声で罵った。ああ、そういうこと。

 それがベルゼンロックの計画なのだ、カリゴの軍勢の統率者としてジョスを選んだのは。鎖のヴェールを用いてジョスを元に戻したなら、自分は力を消耗し、ベルゼンロックを倒すために再びそれを用いることは叶わないだろうと知ってのことなのだ。

 リリアナは侮蔑に唇を歪めた。ベルゼンロックの自惚れは、ジョスが死んだ遠い昔の自分と同じく見当違いだった。兄を殺したあの時の自分と同じく。兄を元に戻すために、鎖のヴェールを使おう。私はリリアナ・ヴェス、ヴェールを使わずともベルゼンロックを殺す手段があるなら、見つけてみせる。

 だがそのためには、兄をヴェス邸へ連れ戻す必要があった。兄が不死者にされた最初の場所へ。その場所でのみ変質の呪文は作用するだろう。その場所でのみ、兄を眠りにつかせられるだろう。


 彼女が再び宿へ戻ってきた頃には、朝の陽光が街のつぎはぎ屋根を照らしていた。町人らは広場に出て、燃えた露店を片付ける者や辺りを監視する者がいた。リリアナが通り過ぎると彼らは丁重に会釈をし、手を振る若者もいた。彼女は見つめ、途方に暮れ、だがそのまま宿屋に入った。

 ギデオンは起き出しており、宿屋の庭、薬草と野菜の畑の中にいた。借り物の剣でゆっくりと攻撃の型をなぞり、明らかに肩の治り具合を試していた。リリアナは対立を予期しつつその前で立ち止まると、冷笑を浮かべ、痛烈な言い返しを準備した。

 ギデオンは剣を収めて彼女へ向き直り、穏やかに言った。「何かわかったか?」

「え?」 リリアナは眉をひそめた。

 ギデオンは額に皺をよせた。「夜明け前に出かけていったと聞いた。ベルゼンロックの軍勢を偵察しに行ったと思ったんだが」

 彼女は苛立ちに身振りをした。「ええ、情報を集めに。けれど――」 そう言いかけてはっと息をついた。ギデオンは自分の前から去るつもりだろうと予想していた、ニッサとチャンドラがそうしたように。自分はそういう者なのだから。だがこの男はそうしなかった、そして助力を頼まないことは愚かに思えた。

 沼から徒歩で戻る間に、彼女は説明を考えようとしていた。この男に真実を明かすことなく何が必要かを伝える、だが思いついた話はどれも、一つ前のそれよりも馬鹿げていた。リリアナは不承不承切り出した。「問題があるの……すごく切実な、とでも言えるかもしれない。私はここに住んでいたって昨日言ったけど」 続く言葉を絞り出すのは、予想以上に困難だった。「この一帯で陰謀団の軍勢を率いてるリッチは、ジョス……私の兄なの」

 どんな反応を予想していたか、彼女はそれすら定かでなかった。だがギデオンは何も言わなかった。彼は驚きに眉をひそめ、ゆっくりとベンチに腰を下ろすと続けるよう促した。リリアナは庭の不揃いな石の上を歩き、説明に没頭した。「ずっと昔、私は兄を不死者にしてしまったの。事故だったのよ。私は若くて、愚かで、未熟だった。兄を治療しようとして……」 そこで彼女は鋭い身振りをした。「それは起こったの。その呪文、暗黒の魔術が、同時に私の灯も点火させて、私は何もわからずプレインズウォークした。それ以来ここには戻ってきていなかった。昨日、薬草を探しに行った時に、家の廃墟で強い屍術呪文の証拠を見つけたのよ。ベルゼンロックがどうにかして兄を蘇らせて、私に立ち向かわせようとしているに違いないの」 彼女は言葉を切り、ギデオンへと向き直った。「兄を眠りにつかせてあげたいのよ」

 再び、彼女はギデオンの離脱を予想した。これは話し合った内容には含まれず、ニコル・ボーラスを倒すという自分達の目的にも関係ない。ギデオンの立場だったら、自分は既に抜けていただろう。だが彼は思いにふける表情で頷いた。「わかった。ならば次の目的ははっきりと決まったな」

「はっきり?」 彼女は驚いて言った。

「ベルゼンロックは陰謀団を用いてドミナリア全土を脅かしている。もしお兄さんを元に戻せるなら、解放してやれるなら、陰謀団はカリゴ沼での統率力を失うことになる。そうすればベナリア軍は再編できて、ベルゼンロックと陰謀団をエローナから追い出す好機になるだろう」 ギデオンは彼女を見上げ、苦々しい笑みを浮かべた。「始まりとしては良いじゃないか」

 反論をこらえ、順序立てて述べるべく、彼女は内心ギデオンの同意を反芻した。そして数歩離れ、思考をまとめようと試み、最悪の所をまだ明かしていないことを思い出した。「お兄様を元に戻すために、鎖のヴェールを使うつもり。そうしたなら、ベルゼンロックとの戦いにそれを使う力はきっと残らないと思うのよ」

 ギデオンは少しの間考えた。「それは問題だな。ベルゼンロックを倒すには別の方法を考える必要がありそうだ」 彼はわずかに肩をすくめた。「何一つ単純に事は運ばない、容易くもない。いつもそうだが」

 リリアナは唇を噛んだ。じれったい感情が波立つのは奇妙だった。ギデオンは実践的なのだ。一時的にでも、同じ目的があるというのは幸運だった。彼女は言った。「兄を元に戻すには、ヴェス邸に連れていかないといけないのよ、けれど方法が思いつかない。陰謀団を率いていて、その軍勢に取り囲まれているんだから」

 ギデオンは立ち上がった。「それについては、私ならやるべき事がわかりそうだ」


 ギデオンが先行して二人は沼地へ入り、宿の主と街の守備隊の指揮官から聞いた方角を目指していた。淀んだ池と腐敗した枯れ木の間、かろうじて判別できる道を進みながら彼はリリアナへと告げた。「お兄さんと陰謀団はつい数日前、ここからそう遠くない所でベナリア軍を打ち負かした。負傷者の幾らかは今もあの街に隠れているが、他はこの一帯に小集団で散り散りになったらしい。もし彼らを集めてヴェス邸を本営にすれば、お兄さんは私達へと攻撃を仕掛けてくるだろう」

「あなたの楽観主義は相当ね」 声に冷笑を乗せてリリアナは言った。

「君は狼狽しているな。努力して悪口を言おうとしているだろう」

「狼狽なんてしてないわよ! 私は……策を練っているの。ベナリア軍が私達の話を聞く理由はあるの?」

「ああ、それは私の役目だ」

 前方に、完璧な円形をした石造りの台座が背の高い草に囲まれていた。その近くには優に高さ六十フィートはある滑らかな柱が三本、半円を成して並んでいた。かつて深い森に囲まれていた古の遺跡の残骸、だが今や風雨にさらされてぬかるんだ地面に半ば沈んでいた。枯れた蔦が上部にしがみつき、だがギデオンがこの地で見てきた他の古い構造物のように、その石は汚れても摩耗してもいなかった。中央の柱の上に、ギデオンが探していた人物がいた。

 その人物とは天使で、肌は磨かれた銅色に髪は灰色だった。翼は半ば広げられ、鮮やかな白い羽毛は先端に向かうにつれて暗灰色を帯びていた。鎖帷子の上に金属鎧をまとい、足元に横たえた剣はギデオンの身長ほどもあった。彼は呼びかけた。「失礼致します。ヴェスの街にある宿屋の主、ゲレルさんからお聞きしました。ここに来ればお会いできると」

 しばし、返答はないだろうとギデオンは思った。だが天使は翼を完全に広げて立ち上がり、柱から降りた。そして身軽に着地し、膝を曲げてその衝撃を受け止めた。近くからギデオンはその白い官服が血に汚れ、鎧には最近の戦いでできた凹みや傷があるのが見えた。無感情に天使は尋ねた。「何者だ?」

「ギデオン・ジュラと申します。こちらはリリアナ」 ヴェス邸とリリアナの過去の関係は誰にも言わないと二人は決めていた。ギデオンは既に上手く対処していた。「カリゴの守護者、戦天使レイル殿ですね。この地にてベナリア軍を率いて陰謀団と戦われたと」

 レイルは活気なく言った。「では知っているだろう、私はしくじったと」

 ギデオンは言った。「戦いに敗れることは、失敗を意味するものではありません」

 天使は両眉をつり上げ、表情にわずかな生気が現れた。それは苛立ち、だが少なくとも生気だった。声に皮肉を込め、天使は言った。「陳腐な言葉で陰謀団は止められぬ」

「ええ本当、この人こんな事ばっかり言ってて」 リリアナはそう言って腕を組んだ。「けど私達、力を貸しに来たの」

「ならばもっと早くに来るべきであったな」 レイルは厳めしい視線をギデオンからリリアナへと動かし、二人を値踏みした。「我が軍勢は散り散りになって潜んでいる。再び陰謀団と遭遇したなら倒されてしまうであろう。それぞれに身を守らせ、最善を尽くさせる。真っ向からの戦いで陰謀団を打ち倒すことは叶わぬ」

「それは理解しています。ですが私達が提供できるのは武力だけではありません」 ギデオンは続けた。「リリアナは力ある魔道士であり、昨晩ヴェスの街を襲った不死者の騎士を多数打ち負かしました。皆さんのお力があれば、この地の冷酷漢を統べるリッチ、ジョスを倒すこともできる筈です」

 レイルの黒い眉が下げられた。「奴らの指揮官の名を?」

 ギデオンはリリアナを一瞥した。彼女は一切の感情を浮かべていなかった。「それだけでなく、彼を眠りにつかせる方法もです」

 レイルは躊躇し、その表情には希望と諦めが交錯した。ギデオンは希望が勝つのを見た。天使は深い溜息をつき、言った。「話を聞かせてくれるか」


 リリアナが呪文を準備する間、ギデオンはレイルと共に一日をかけてカリゴに残るベナリア軍を集めた。翌朝、彼らはベナリアの兵士と騎士、エイヴンの斥候の小隊となってヴェス邸近くの高台に集合した。

アート:Mark Zug

 壁に取り囲まれて荒れ果てた庭園にて、ギデオンとリリアナはレイルとその副官らに合流した。空には重苦しい雲と雨の気配が立ち込めていた。全員を見渡し、優れた防衛戦略が必要だとギデオンは心得た。兵士と騎士の大部分は負傷しているだけでなく、仲間の死と陰謀団がカリゴにもたらした破壊に打ちひしがれていた。彼らを戦いの矢面に立たせる意図はなかった。

「他に魔道士はいますか?」 先だってギデオンは尋ねていた。

「コリンがいる」 レイルはベナリア兵と共に立つ、小柄な色白の若者を指さした。「トレイリアの魔道士だ」

 コリンはまだとても若く、意気消沈した様子だった。そのローブには湿った草が貼りついていた。片腕には水晶と金属でできた工匠の篭手らしきものをはめており、だが手強そうには見えなかった。「わかった」 ギデオンは丁寧に頷き、内心では魔道士を数に入れない作戦を立てることにした。

 ジョスを眠りにつかせることで、ベナリアのこの地域におけるベルゼンロックの手駒の一つを奪うというのは嘘ではなく、だがこれはニコル・ボーラスを倒すためのギデオンの計画でも重要な位置を占めていた。自身の目的のために力なき人々を戦いの矢面に立たせるわけにはいかなかった、例えその目的が彼らの次元のためになるものだとしても。

 勿論、ギデオンは心得ていた。この防衛戦略には、仲間へと向けられたあらゆる攻撃の中へ自分が飛び込むという戦術が多分に含まれている。他に何も考えなくて良いのであれば、それは最高の解決策であることは変わりなかった。

「何故ここに集まるのです?」 レイルの副官を務めるベナリア騎士、ティアゴが尋ねた。彼は苔に覆われてそびえ立つ石壁を見上げた。「この館は呪われています。陰謀団との戦いの場として適切とは思えません」

「私があのリッチを倒せば、その呪いも終わるわ」 リリアナが言った。その感情は冷静で抜け目なく、まるでここで交わされた議論に何ら心揺れてなどいないようだった。だがギデオンはよく知っていた。ジョスについて明かした時、彼女は感情を平静に保つべく全力を尽くしており、同時に彼はリリアナが感じた真の恐怖と狼狽を察していた。あの時、リリアナは嘘をつくことも、自分を操作しようとすることもできた筈だった。だがそうしなかった。それは驚くべきことで、本当にベルゼンロックを、ひいてはニコル・ボーラスを倒す好機となるかもしれないと彼は考えた。本当に仲間として共に戦うことができるなら、どんなことでも可能に思えた。彼女は付け加えて言った。「ここで呪文を唱えないといけないのよ」

 兵士長が尋ねた。「そのリッチはヴェスの呪いで作られたのですか?」

 ギデオンはどう返答すべきか定かでなかった。リリアナを一瞥すると、彼女が答えた。「作られた方法は問題ないわ。ここで、私が倒す」

 一人のエイヴンがレイルへと地図を手渡し、彼女はそれを石のテーブルに広げた。そこには沼、街、川、そして周囲の一帯が描かれていた。「あのリッチは手駒を使ってカリゴの我々に対抗してきた。不死者の残骸、不浄のシェイドだ。それとリッチの配下には何人かの皮魔女がいる」

 ギデオンは頷いた。「その不浄のシェイドと皮魔女にはどのような力が?」

「完全な所はわからない」 レイルは彼を見上げ、口元は苦々しい一本線を描いていた。「生き延びて報告できた者はこれまでいない」

 リリアナが言った。「あら。皮魔女は何も珍しくなんてないのよ。死の魔術を使うけど、だいたいは犠牲者から剥いだ皮膚が重要なの」 ギデオンは尋ねるように眉をつり上げた。リリアナははっきりと言った。「皮を剥いでそれを着るのよ」

 ギデオンは溜息をついた。「そうだろうな」

「皮魔女を見たことがあるのですか?」 ティアゴが疑うように尋ね、レイルは不審な目でリリアナを見た。

「何度かね」 リリアナは腕輪の一つを合わせ直しながら言った。その動きは明らかに無意識のものだった。

 ギデオンは素早く尋ねた。「不浄のシェイドは?」

「そうね、そっちはもっと面白い存在。大きさを変えられるから、ただ凄く巨大になるだけじゃなくて、死体の中に入ってそれを動かせるくらい縮むこともできるのよ」 彼女は指を揺り動かした。「むしろ操り人形みたいに」

 その知識をどこで手に入れたのかと皆が困惑してリリアナを見つめる中、ギデオンは表情を平静に保とうとした。彼女は辺りに視線をやり、乾いた声で言った。「私は物知りなの」

 いま一度、リリアナを考え深く見つめた後、レイルが続けた。「不浄のシェイドがこの岸辺からやって来るのをエイヴンの斥候が確認している。続いて冷酷漢と、司祭が率いるアンデッドが来るだろう。あのリッチは近くの何処かにいて、不浄のシェイドと続く軍勢が攻撃するまで待ってから動く」 彼女は背筋を伸ばし、翼を少しだけ震わせた。「つまり、皮魔女どもは今日の戦闘には出てこないのだろう。あのリッチはこれまで、奴らを同時に送り込んではこなかった」

「シェイドだけでも十分に強いですからね」 ティアゴが意見した。

 隊長が言った。「何もかもが初めてのことになる。皮魔女とシェイド、敵がどちらか一方だとしても」

 ギデオンはこのベナリア軍をリッチの配下に対峙させたくはなかった。彼はリリアナへと尋ねた。「そのシェイドを操ることはできるか?」

 リリアナは顔をしかめて考えこんだ。「支配は、無理。ジョスが……出てくるまでは。何を考えてるの?」

 リリアナではなく、ギデオンはあの若き魔道士を探した。コリンを危険にさらしたくはなかったが、この戦略における彼の役割は十分に安全と思われた。「コリン、リリアナに手伝ってもらって幻影を作れるか? シェイドに、私を皮魔女だと思わせることは可能か?」

「できます!」 コリンはティアゴと隊長との間から進み出た。力になれることに明らかに安堵したようだった。「幻影魔法は得意です」

 地図を確かめながら、リリアナは口元を曲げてみせた。「成程ね、いい考えじゃない」


 レイルと皆が持ち場へ向かうと、ギデオンはリリアナへと尋ねた。「準備はいいか?」

 彼女は苛立っていた。「当然よ。私がお兄様の相手をする間、せいぜい生き延びられるように頑張りなさい」

 ギデオンは溜息をついた。そしてリリアナが館の外へ出ると、彼はコリンのもとへ向かった。幾らかの手短な準備はできたが、計画の大半はコリンの呪文にかかっていた。

 ヴェス邸敷地の境である林まで来ると、ギデオンは陰謀団が用いる三本刃の槍を背負った。レイル曰くその武器は儀式用でもあり、彼の行動に更なる信憑性を与えてくれるだろうと。もしこの作戦が上手くいかなければ、自分一人で不浄のシェイドと陰謀団の主力に対峙することになる。その時はその時だ。

 コリンが呪文を唱えると、その幻影が濡れた毛布のように身体にかかるのをギデオンは感じた。自身を見下ろしたが、何ら変化は見えなかった。「私には見えないのか」

「ギデオンさんは屍術の気配がしませんので」 コリンは不安そうに説明し、また躊躇した。「ですのでシェイドから見えるように幻影を調節しました。上手くいくといいんですが」

「私もそう願うよ」 ギデオンは頷き、リリアナが屍術師ではなくトレイリアの魔術師だったらと願った。彼はコリンを兵士らに合流させると出発した。

 背の高い草の中を通ると、ギデオンは何かに引かれるのを感じた、まるで長いスカートを引きずっているかのように。奇妙な感覚、だがコリンの呪文が幾らかの広がりで機能している証拠だった。

 ぬかるみと藪の湿った悪臭の中を進みながら、彼は川へ向かっていた。枯死して蔓が絡まった林から出ると、かつて川であったと思しき泥の広大な平原が目の前に伸びていた。腐敗した枯れ木の間を、黒い姿が目的をもって進んでいた。

 それが陰謀団の戦力、アンデッドの軍団だった。よろめく死骸、略奪した武器を持った歩兵の名残、そしてアンデッドの騎士はかつて馬であった生物に騎乗していた。黒い外套に黒い鎧の冷酷漢と司祭がそれらの間を進んでいた。そして軍団を先導するのは……

 あれが不浄のシェイド、ギデオンはそう認識した。まるで目が覚めても続く悪夢のように感じた。

 それはギデオンの身長の優に倍ほどもあった。灰色の肌をして腰まで裸、身体は筋肉質かつ乾燥した屍のようだった。首元から腰までは引き裂かれており、中身のない空洞をさらけ出していた。内には不気味な光が輝き、長い牙が伸びる尖った顎がその上にあった。

アート:G-host Lee

 ギデオンは深呼吸をして前進し、両手を挙げてみせた。

 シェイドは立ち止まり、彼をよく見ようとするかのように頭を左右によろめかせた。一人の冷酷漢が前に出ると声を上げた。「魔女よ、ここで何をしている? 何故我らが主の命令を無視する?」

『その大口を閉じて素早く行動しなさい』 リリアナはそう助言していた。『時間は全然ないのよ。お兄様がその幻影を見たらすぐに看破されるわ』 ギデオンは両手を掲げたまま大股で前進した。その物腰が十分に魔女らしいものであることを願った。

 不意に、目の前に友人らの姿が見えた。ドラサスとオレクソ、アクロスの外国人居住地の、不正規軍。心臓が止まったかのようだった。彼らはアンデッドとなり、身体はよじれ、いかにしてかベルゼンロックによって持ち込まれた血の流れない屍となっていた。

 ギデオンは後ずさりかけたが留まった。違う、これは本物じゃない。この軍勢の何処かにいる陰謀団の司祭は、広範囲に狂気の魔術をかけているに違いない。今見えたのは自分の意識から引き出された悪夢に過ぎない。シェイドの近くの冷酷漢が声を上げた。「違う――」

 ギデオンは突進し、シェイドの胸にあいた穴へと槍をまっすぐに突き立てた。それは中心部を突き、シェイドはよろめいて怒りに咆哮した。ギデオンは踵を返して逃げ出し、シェイドはすぐさま彼を追った。

 林まで来るとギデオンは上空を一瞥し、頭上高くを飛ぶエイヴンの斥候がその様子を見たことを確認した。主力のシェイドが離脱したなら冷酷漢らの背後にベナリア軍を送り出す、斥候はその合図をレイルへと送る手筈だった。これもリリアナが語った作戦だった。『シェイドを罠にはめる方法はこうよ。あいつらはいつも飢えている上に粥みたいな脳みそだから。十分に怒らせれば、あなたを追い続ける。どんな命令も無視してね』

 ギデオンは下り坂を転がるように駆けた。彼は濡れた枯れ木を避け、滑り込むように急停止した。目の前にいたのは、切り裂いた人間の皮膚らしきものを着たハッグのような人影だった。更にそう離れていない背後にもう二人がいた。皮魔女。つまりジョスは自分達へと最も手強い武器を全て向けてきたということだった。

 最初に考えたのは、自分は避けて逃げ、シェイドと皮魔女を遭遇させ、その一人が攻撃してきたように思わせるというものだった。だが彼は目の前の魔女の首に繋がれた皮膚に幾つもの顔を認めた。それらの目は見開かれ、苦痛と恐怖に涙ぐんでいた。何らかの不浄の魔術が犠牲者を生かし続けているのだ。ギデオンは考えを改め、そして魔女が両手を掲げて呪文を唱えると同時に、彼は剣を抜いて突撃した。

 その魔女は息を吐き出し、毒の黒い雲がギデオンへと流れていった。反射的に彼はその防護呪文を張った。難攻不落の神盾、そして毒の雲は無力に周囲を漂った。剣の一振りに魔女の首が落ちた。

 驚愕を貼りつかせた首が草の中を転がり、魔女の身体が地面に沈むように倒れると、シェイドが彼の背後の屍から飛び出した。それは皮魔女を目にするや否や飛びかかり、掴んで地面に引き倒すとその胸に大穴をあけた。その魔女は激しく身悶えし、痙攣とともに縮み、崩れた。シェイドがその生命力を飲み干したのだった。

 最後の魔女は怒りに金切り声を上げ、毒雲をギデオンへ放った。彼は再び防護の盾を張ると魔女の腹部を突き刺し、更なる呪文を唱えようとする魔女の内臓を切り裂いた。敵が倒れると、ギデオンは自身を覆う幻影が消えるのを感じた。

 振り向き、彼はシェイドに対峙した。コリンが死んでいないことを願った。このように呪文が解けるのは、あの若き魔道士が無能な証拠であって欲しかった。

 シェイドはギデオンを不可解に見つめ、そして吼えた。

 完璧に計画通りではなかったが、重要な点はシェイドを混乱させてベナリア軍から遠ざけることだった。それを続けない理由はなかった。彼はまごつくシェイドへと咆哮を返し、突撃した。


 リリアナはヴェス邸敷地の隅に立っていた。遠くで戦いの音が聞こえ、沼の上空を飛ぶエイヴンの姿が見えた。そう遠くない距離で、ギデオンが怒って騒々しく何かを殺す音が聞こえた。だがジョス以外のものに注意を向ける余裕はなかった。

 そして彼女は何か力ある存在が接近するのを感じた。冷たい風が沼地から立ち上り、草を揺らして濁った池にさざ波を立て、枯死した木々の脆い枝を折った。彼女はその源を辿った。狂気の魔術とともに放たれる、屍術の中心。そしてそこには冷たい怒りがあった。

 リリアナはその怒りの中に、兄の断片を感じることができた。記憶の破片と馴染み深い存在感。兄であった者と会話ができると期待するほど愚かではなかった。真のジョスの人格が埋もれて残っていようとも、ベルゼンロックの分厚い死魔術の層に閉じ込められているのだから。

 彼女は感情のうねりを目的の鋭い刃に変えた。ジョスの苦しみはここで終わり、ベルゼンロックはカリゴでの手駒を失うのだ。

『ジョス・ヴェス、私はここよ。わかるでしょう』 彼女は風へと言葉を送り出した。

 ジョスの注意が彼女を叩いた、彼女の位置を狙って。怒りと不信がその接続から伝わってきた。返答が届いた。『下らない罠を』

 彼女は風へと笑い声を乗せた。『妹のことは覚えているでしょう』

 声なき怒りの咆哮が届き、彼女は背を向け、濡れた地面を歩いて館へと向かった。

 リリアナは広間に続く階段の直前で立ち止まり、振り返った。林の影の中からジョスが姿を現した。

 だが近づいてきても、その顔を見ることはできなかった。兄を心なきアンデッドの残骸からベルゼンロックが操るリッチの将軍へと変質させた魔法は、同時に彼を黒い金属鎧で包んでいた。鋭い棘が肩と背中から生え、重苦しい兜がその顔を隠していた。彼はかつて館の前庭であった草地の中央で足を止めた。『お前なのか、リリアナ』

『お兄様、もっと昔の面影を留めていて欲しかった。お兄様の主が変えてしまったのね』

『私を変えたのはお前だ』 その声色に込められた怒りと強情は、むしろ本来の兄そのもののように聞こえた。とはいえ彼女が覚えているジョスは、決して本気で自分に怒ったことなどなかった。『お前が私をこんな姿にした』

 その通りだった。自分があの邪な治癒呪文をかけたからこそ、ベルゼンロックは兄を蘇らせることができたのだ。『知ってるでしょう、私はただお兄様を救いたかった。けれど嵌められたの、私の魔法は――』 彼女は言葉を切った。これは罠、この姿の兄と話をさせるための罠。兄をこの呪いから解き放つまでは、真に言葉を交わすことなどできない。リリアナは広間へ続く階段へと踏み出した。

 ジョスは彼女を追った。リリアナは階段を駆け上り、広間を横切ってベルゼンロックが呪文を行使した場所を目指した。振り返るとジョスはすぐ背後にそびえ立つように迫っており、その戦鎚を振り上げていた。彼女は鎖のヴェールを掴んだ。

 その荒々しい力を引き出すと、鎖のヴェールに縛られたオナッケの魂が心に囁いた。ヴェールに屍術を吸収され、沼地のアンデッドが一体残らず石のように倒れたのを彼女は漠然と把握した。身体の刻印が燃え上がり、だが今や彼女にはジョスの姿がはっきりと見えていた。包み込むような鎧に埋もれたもっと小さな姿、リリアナの呪文が命を奪う前の、ベルゼンロックが変質させる前の姿を。黒い髪に青白い肌、彼女によく似た容貌。ありえなかった。ジョスは狂気の魔術を用いており、リリアナの視界を曇らせていた。今すぐ行動しなければいけなかった。

 炎が弾けるように、ヴェールの内にあるオナッケの力が彼女の中を流れた。

 それは即座に消え去り、同時にリリアナの体力を奪っていった。彼女はよろめき、身体は不意に糸の切れた操り人形のように力を失った。地面に膝をつきたかったが、目の前の敷石に倒れているのは、崩れゆく兄の屍だった。彼は空ろな両目でリリアナを見上げていた。

 青ざめた灰色の日光に、その乾いた皮膚の隙間から骨が見えた。呆然として見上げると、広間の上半分が完全に吹き飛んでいた。鎖のヴェールはそれを保っていたベルゼンロックの屍術の力ごと吹き飛ばし、館は瞬く間に年月を経て崩れた廃墟と化した。どれほどの時間が経過したのか定かでなく、だがレイルとベナリア兵が前庭に集まる様子が壁の穴から見えた。そしてギデオンが階段を恐る恐る登ってきていた。

 彼女は疲労に震え、契約の刻文からは血が流れ出ていた。このジョスの存在は一時的なものだとは知っていた、ただ消えゆく魂と肉体の残骸だと。すぐに兄は旅立ち、眠りにつく。聞こえているかどうかは定かでなくとも、彼女は言った。「お兄様、安心して下さい。全て終わりました。ヴェス家の呪いは終わったのです」

 だが骨ばった顎が落ち、かすれた声が発せられた。「リリアナ、終わりはしないんだ。お前が生きている限りは」

 その声に込められた荒々しい憎悪に、彼女は驚愕した。「どういう意味です?」

 唇の残骸が嘲笑う形に歪められた。「リリアナ、お前がヴェス家を破滅させた」

 彼女はかぶりを振った。兄は混乱しているに違いない、記憶がベルゼンロックの呪文に影響されたのだろう。「お兄様、私はここにいたわけでは――」

「その通り、お前はいなかった」 身体の力は失われながらも、ジョスは声を強めた。「お前が逃げてから何があったと思う? 死んだ。全員が。父は私を眠りにつかせようとした。私が殺した。母は妹たちを連れて出た、私を癒す手段を探して。そしてお前を探して。母はお前が生きていると考えた、密かに逃げたのだと。私を救えるかもしれないという魔術の噂を追い、その旅の途中で死んだ。同じくその重荷を追った者は、姉妹も従兄弟らも、私を止めようとして、倒そうとして、全員が死んだ」 今や、ジョスの身体の残骸は吹きつける風に消えつつあった。「お前が殺した。私を、皆を。リリアナ、お前なんだ。これからもずっと。お前が、ヴェス家の呪いだ」

 そして、兄の姿は崩れて消えた。

アート:Eric Deschamps

 リリアナはその言葉の重みによろめいた。兄はずっと不死者だったのだ、この長い間ずっと。冷たい衝撃がリリアナを襲った。何という恐怖だろうか。そして更に悪いことに、家族は、自分が作り出した邪悪に終わりをもたらそうとして全員が死んだのだ。あれは事故だった、罠だった、彼女は自身にそう言い聞かせた。けれどそれは問題ではなかった。故意に家族を破滅させたのでなくとも、結果は同じだった。

 ギデオンが近づいてきた。驚きを隠せない表情でその男は言った。「リリアナ、済まない――」

 目眩とともにリリアナは知った。聞いていた。この男は全部聞いていたのだ。だが彼女は顎を引きしめ、矜持を保った。支えようとギデオンが腕を伸ばしてきたが、彼女はそれを拒んで一歩引き下がり、無理にでも背筋を伸ばした。弱気になるわけにはいかなかった。過去にはもっと悪い状況を生き延びてきたのだ。そしてベルゼンロックにはこれに関わった報いを受けさせねばならない。兄の苦しみの報いを。自分が家族を破滅させたのだという実感の報いを。

 怒りに声を荒げ、リリアナは口に出して言った。「これで私が止められるって思うなら、ベルゼンロックは只の馬鹿よ。あいつの要塞をこじ開けて、冷酷漢を皆殺しにして、何も残らないように壊し尽くしてやる。どんな代償を払っても。私自身が呪いだっていうなら、ベルゼンロックにそれをくれてやるわ!」

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)


プレインズウォーカー略歴:ギデオン・ジュラ

プレインズウォーカー略歴:リリアナ・ヴェス

次元概略:ドミナリア

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