反逆の先導者
前回の物語:革新の時
とあるプレインズウォーカーがラヴニカを訪れ、ゲートウォッチの助力を求めた。「ゲートウォッチは多元宇宙間の脅威にのみ介入すべきである」というのが彼らの総意だった。しかし、カラデシュの発明博覧会への潜在的脅威はプレインズウォーカーによるものとは思われなかった。だがチャンドラ・ナラーとカラデシュ次元には個人的な関わりがあった――そこは故郷であり、十二年前にプレインズウォーカーの灯が点火して以来一度も戻っていない世界だった。仲間には黙って彼女はカラデシュへ、故郷へと向かった。
故郷へ向かおうとすると、筋肉が萎縮した。カラデシュへと戻る道は時に覆い隠されて雑草だらけで、そしてその道を覚えているのかどうか、一瞬チャンドラは訝しんだ。だが自身を落ち着かせるように深く息を吸うよりも早く、到着していた。
非現実的な既視感に眩暈を覚えながら、チャンドラは暖色の煉瓦の広場中央に立っていた。カルダモンと香料、溶接された銅と歯車の潤滑剤、行き交う高木背のジャコウ、猫猿の毛皮のきつい香り。大気中には霊気のありふれた軌跡があり、太陽を浴びた寝具のように新鮮な、だがその内には鋭い動きがあった。最終的に、ここは故郷だと彼女に告げたのはその霊気の香りだった――空の雲を渦巻かせる、飛行船の心臓部をうねらせる、そして太いガラス管の中を通って都市を流れる、荒々しい力。
この世界での最後の日は過去の中で止まったまま、途切れて不完全だった。その日が再び動き出した。ただ全てがせわしなく、更に高く見えた。子供の頃の故郷を訪れて、何もかもが大きく見えるっておかしくない?
カラデシュ人的な忙しさで人々が行き交っていた。彼らの声の旋律がチャンドラを揺すぶった。自分が育った故郷だと間違いなくわかる、少しの会話を耳にした――博覧会での名高い発明家への熱い期待、あれやこれやの飛行船の設計的長所についての不機嫌な意見、迫りくる締切についての早口のやり取り。
チャンドラは両肘を掴んだ。両親が背を丸めて新しい発明品を作っていた機械工房の上、霊気ブーム以前の古い鉱山の通路に下げられていた子供の頃のハンモックにくるまりたかった。そこで揺られながら、金属を研磨する両親の声を聞きたかった。ただ、故郷へ帰りたかった。とはいえそこは故郷であってもはや故郷ではなく、もはや彼女は十一歳ではなく、抱きしめてくれる母もなく――
彼女は唸り、足を踏み鳴らした。そして両手を腿の上にこすり、そして片目をぬぐった。そうじゃない。
この群集のどこかに自分が探し求める改革派がいる、危険にさらされている発明家が――そしてゲートウォッチの誰も助けようとしない発明家が。子供だった頃、家族は領事府に反発し、監視を避けて素晴らしい発明家へと霊気を届けていた。その人物が自分にとって何故ここまで重要なのかはわからなかった、もしくは何故この任務が自分をカラデシュへ再び引き寄せたのかも。ただ、今すぐその発明家を見つける必要があるということだけは知っていた。
何千もの顔がひしめく都市、ギラプールは何もかもが賑やかだった。その改革派がどのような外見をしているのかすらも知らなかった。棘が刺さったような馴染みある感覚があった――計画も、脱出方法も考えず何かに飛び込んでしまったという感覚を。回れ右してラヴニカへ帰るべき、そんな小さな衝動を感じた。
領事府の法官二人が彼女を一瞥し、見定め、動いた――そして反抗心の棘が、逃げたいという彼女の衝動を追い払った。チャンドラは反射的に作った拳を素早く隠し、近くの垂旗を握りしめた。そして片足を豪奢な銅の支柱に乗せ、つり下げられた領事府の旗を引き、上階のバルコニーへと自身を引っ張り上げた。
そこに昇ると、都市が目の前に広がった。機体と人々が街路を急ぎ、発明博覧会へと向かっていた。ガラス張りの屋上庭園が太陽の動きに合わせて回転していた。都市の中央では巨大な一本の尖塔が空高くへと伸び、霊気動力の飛行船がそれを蛾のように周回していた。ここは本当に自分が知るカラデシュなのだろうか、そんな酷くもつれた説明不可能な感情を覚えた。だがもしここに友がいたとしても、理解してくれる者がいたとしても、それでも説明することは――
「ここがあなたの故郷なのね」 隣で女性の声がした。
チャンドラははっとして、そして顔をしかめた。それまで無人だったバルコニーの上、隣にはリリアナがいて腕を組んで手すりにもたれ、ギラプールを見下ろしていた。
灰色の髪をした人間が滑るように、だがどこか回りくどい経路でギラプールを通っていた。その男は大通りを避け、急行列車には近寄らず、部品屋を出入りして何度も鋭く曲がりながら進み、霊気幹線を辿り、そして影のかかる庭園を通った。男は頬までフードを下ろして監視や飛行機械から顔を隠していた。そして発明博覧会へと次第に近づいていったが、誰もその影を踏むことすらなかった。
チャンドラは手すりを握りしめてリリアナを睨み付けた。「私を連れ戻しに来たの? やってみなさいよ」
リリアナは嘲るように笑った。「何を言ってるの。ここがあなたの帰る所でしょう」
「バーンの奴が探してる人を見つけるまで戻るつもりはないわよ」 腰に巻き付けた母の肩掛けを引っぱり、彼女は歯を食いしばった。「あんたたちが何と言おうと」
「問題はあなたが何をしたいかでしょう、他の誰かじゃなくて。あなたにとって故郷はどういうものなのか、誰も知らないのだし」
チャンドラは言い返した。「あいつらも知ってるわよ。ただ……全部は知らないだろうってだけで」 カラデシュとは何だろう、百もの解釈が思考の表面に浮かび上がろうともがいたが、大きすぎるものも複雑すぎるものもなかった。子供の頃の故郷から「子供の頃」を取り去ったら、それは何を意味するというのだろう?
「言ってごらんなさい、力になってあげられるかもしれないから」
「あんたも理解はできないわよ、どのみち」
「故郷は苦痛の源だというのは理解してるわよ」 リリアナが語るその表情は読めなかった。「バーンがあの素敵な制服を着た規制側の奴等だってこともね」
「バーンはあいつらの仲間。領事府の。この都市を動かしてる、でも線の外にはみ出すような奴を誰でも憎んでる。追放者とか、改革派とか」
「言い換えれば、面白い奴等をってことね」
「簡単に言うと、私みたいな奴等。お父さんとお母さんみたいな」 チャンドラは両手を手すりに乗せた。細い煙が木材から上がった。
リリアナは指先に紫色の光を輝かせ、唇を大きく広げて笑顔を作った。「それならあなたの故郷の街への凱旋をお祝いする頃合いじゃない」
チャンドラは片眉をつり上げた。「私はここに何かをやり遂げに来たの」
「あなたの大切な改革派は道中で探しましょう。でもここで繰り広げられてる盛大なパーティーを楽しもうとしないのは勿体ないじゃない? それに、この街であなたと私よ? すごく楽しい騒動に飛び込めると思うのだけど」
チャンドラから自然と笑みがこぼれた。「リリアナ、あんたは私より二百歳くらい年上よね。私達のどっちが責任者になるべき?」
「秘密をひとつ教えてあげる」 リリアナはおどけてチャンドラの耳に手を当て、囁いた。「責任者なんていりません」
フードの男は発明博覧会の喧騒に身を包みながら、耳を澄ました。男はその顔と右腕を隠したまま、もはや領事府の兵士やレンズをぎらつかせる飛行機械の詮索の目を避けることなく、観衆の中を気ままに歩いていた。無論、発明家は男の正体をすぐに認識し、業務を妨げるだろう。それは許されなかった。誰かに気付かれる前に任務を遂行する必要があった。
男は群集の流れへと滑り込み、耳を澄まし、彼らの言葉を追って標的を探した。
空の霊気の痕跡は蒼と白の柔らかな渦から金色と銅色へ、桃色と紫色へ、やがてきらめく黒色に明るく映えて輝く薄青緑色へと移ろった。霊気の光源が活き活きと連なり、都市のあらゆる戸口から光と音が漏れ出ていた。チャンドラとリリアナの改革派捜索はその支持者との一連の雑談に至り、そして社交会会場やダンスホールで発明家らと何時間も過ごし、そして今や踊っていた。チャンドラはいつしか浮かれて身を翻しては軽やかに跳躍し、レガーサ修道士流の身体のひねりを加えた舞踏で偉大な工匠とパイロットを称えていた。
チャンドラの頬は紅潮していた。リリアナを振り返ると、この世界で丸一日を過ごしたその女性は腹立たしくも完璧に馴染んでいた。リリアナは飲み物を手にしてナイトクラブの壁にもたれかかり、領事府の制服をまとった一人のヴィダルケンへと無言でその魅力を獰猛に発していた。まるでライオンが傷ついたアンテロープを弄んでいるようだった。
そのヴィダルケン兵士の青色の顔が突然紫色になり、そしてその笑顔が変化すると、チャンドラの咄嗟の本能が反応した。彼女は領事府の男が告発の体勢に入る中、急いだ。
ヴィダルケンは今や怪訝な目をしていた。「博覧会への脅威について私は存じてはおりますが、貴女様の御用件は何でしょうか? もし何か目撃したのであれば、報告の義務があります」
リリアナは完璧な動作で、尊大に彼へと向きなおった。「そうですわね、貴方の義務は――」 そして相手の顔面にグラスを投げつけるに等しいであろう侮辱を放ち、加えて本当にその例えを実行した。後ずさったその男の顔から領事府の制服へと液体がまっすぐに滴り落ちた。
チャンドラはぽかんと大口をあけた。恐怖に息を呑むべきか、爆笑すべきか定かでなかった。
「そうね、正しくこの方に奉仕しようかしらね、チャンドラ?」 リリアナは彼女へとウィンクをした。「こちら私の同僚のチャンドラ。誇り高き改革派の支持者ですわよ」
チャンドラの脳内で警報が鳴り出した。
「改革派か」 床下に潜む害虫の類の名を発音するようにそのヴィダルケン兵士は言った。彼はスカーフで顔を拭い、何かを探してポケットに手を入れた。「二人とも、私と共に来てもらいましょうか」
領事府のヴィダルケンが制服から取り出したのは、金線と宝石細工のような芸術性を持つ、簡素な手錠の一組だった。それを見てチャンドラの怒りが灯った。彼女の髪は炎と化した。指は握り拳となった。彼女は再び十一歳に戻り、怒りの大波に乗っていた。
その兵はチャンドラの髪を見て驚いたような表情をし、だが労働意欲を刺激されたらしかった。だが彼が「両手を出せ」と冷笑したその時、チャンドラの拳がなめらかな弧を描いて顎骨に炸裂した。その勢いに顔は後方へねじられ、歯が壁に跳ね返り、そして彼は床にどさりと崩れ落ちた。
リリアナは称賛の笑い声を上げた、まるでドミノ倒しが途中で崩れる様を見ているように。そして彼女はグラスを掲げた。
チャンドラはナイトクラブのあらゆる顔が自分へ向けられるのを見た。「逃げなきゃ」
「でもここの皆に自分の力を見せたくないの? この間抜けに当然の報いを受けさせてやらないの?」
「さっさと行くわよ!」
チャンドラは手すりを跳び越え、身を屈めてナイトクラブの奥を抜けた。裏口を押し開けて出ると、リリアナも続いて二人は裏道に出た。そして自作の自動機械をうるさく従えた二人の発明家を避けて走った。片方の装置は入り組んだ銅の羽根をはばたかせ、もう片方はジャイロ作用式車輪の上で回転していた。
探していた目印をフードの男が発見したのは暗くなってからだった。楕円競争の観客席の明かりは既に消えており、大急ぎの若者が列を成して帰路についていた。彼らの背負い袋からは、合法とは言えない自動機械の銅製の肢や鉤爪が突き出ていた。改革派の発明家。
男はそこに割り込み、注意深くも何気ない様を装った。長くもつれた銀髪はフードの中に隠したままで、だが片手を差し出した――「その手」ではなく、もう片方を――手袋の下に隠した漏霊塔の印を示すように。
あるドワーフの女性が漏霊塔に気付いて驚き、自身のその印を見せた。「同士よ、今夜はもう無理かと思っていました」
「霊気を探さぬよう」 男はそう返答し、そして巧妙な呪文を用いて彼女の背負い袋の中身を調べた。その自動機械の内部には盗聴器が仕込まれていた。完璧だ。ならば今はしばらく喋らせていればいい。「関係者を一人探している。彼女が明日どこであの活動を計画しているか知っているか?」
「沢山の活動が同時進行しています。その人のお名前は?」 彼女は男と目を合わせようと、顔を見ようとした。良い注意深さだ。
男が持つ情報は部分的だったが、何にせよそれは注意深い改革派らしいものでもあった。「名前を出すなと言われている。あの人に会いたいだけだ。何か聞いていないのか?」 その間に次の呪文が発動した。小さな金属の盗聴器は男の命令に従い、自ら彼女の装置から落ちた。それは静かに背負い袋から出て浮遊し、男の上着のポケットへ入った。
「すみません」 女性は肩をすくめて言った。「何を仰っているのか、誰をお探しなのか、わかりません」
だが男は知っていた、この女性は自分の標的の関係者だと。男は申し訳なさそうに笑みを広げた。「すまない、そちらの手を煩わせてしまったようだ」
「お気になさらないで。もしご友人についてわかったなら、あなたにはどう連絡を取れば良いですか? あなたは何と――」
男は背を向け、手を振った。「お疲れ様」
再びフードを深く下ろし、男は歩き出した。そしてうつむいて片手を一瞥した――「その手」を――小さく華麗な銅製の装置を掴む手を。歩きながら、男は意志を込めてそれを起動した。歯車が回り、装置は何もかもを語った――会話、時間、日付。そして場所。
巡視の兵を見かける度にチャンドラとリリアナは角を曲がり、その度に迷宮のような都市に迷い込んだ。二人は市場の天幕の下をくぐり、優雅な階段をいくつも駆け上った。窓の外を見下ろすと、兵の巡回路からは外れた人気のない裏道があった。
「あそこへ降りよ」 チャンドラが言った。リリアナの反対意見は明白だったが、二人は滑るように梯子を下りて裏道へ入った。
それぞれ反対側の壁にもたれかかり、二人は息を整えた。建物の頂上から光の柱が差し込んでいた。一日が始まり、再び街に人が溢れようとしていた。
「こんな『街じゅうを全力疾走』みたいなことはもう沢山よ」 リリアナは悔やむように額に指を当てた。「もっと堂々と威張って歩く方が好みだわ」
だがチャンドラはただ側の壁のモザイク画を見つめていた。
そのモザイク画ははがれて摩耗していた。円形の枠の中に、発明家の肖像が描かれていた。額にはゴーグルをつけ、何よりも優しく見えた。穏やかに喜ばしく、彼女を見つめているようだった。チャンドラは道のごみの中に色の欠片を見つけて拾い上げ、元の場所に押し付けようとした。はまらなかった。
リリアナはチャンドラの隣に立ち、モザイク画を見つめた。
「これ、私のお父さん。キランっていうの」
「鼻が同じね。それとゴーグル」
「お父さんとお母さんは凄い発明家だったの。私が小さかった頃に殺された」
「ごめんなさいね。でも誰に? 領事府?」
しばし、チャンドラは目をきつく閉じた。「領事府の服を着た人でなしに。バラルに。あいつのせいでお父さんとお母さんは死んだ。あいつが私を憎んでたから。お父さんとお母さんは私を守ろうとして」
リリアナは好奇心と興味を持って見つめた。そうではないことをチャンドラは願った。
「あなたのせいじゃないわよ。そいつのせい」
「私は帰ってくるべきじゃなかった。どうして私はここに?」
「あなたが、終わっていないと感じたから。私達の誰もが過去の選択と向き合わなければいけない」 リリアナはモザイク画を見上げ、人物画から埃の筋をぬぐった。「あるいは、そのバラルとかいう奴を探し出すべきなのかもね」
「この場所は……私が悲劇を予測することを学んだ場所。人を疑うことを学んだ場所」
「そして抵抗することを選んだ場所。危険であり続けることを学んだ場所、でもあるんでしょう」
「いい事みたいに言うのね」
「ほとんどの人々はあるがままの人生を受け入れる。お前らは弱い、世界にそう言われて誰もがそれを受け入れる。失望を食らって、それを中で腐らせて、横たわって死ぬ。私達はどうするかって? 拒むことを学ぶ。唾を吐いて物を投げつけることを。生き残ることを。チャンドラ、そしてあなたは生き残った」
チャンドラは父親の瞳を見つめた。そして肩掛けの端を掴んだ、腰に巻いていた母親の肩掛けを。
リリアナは得意そうに笑った。「もしバラルがあなたの家族をそこまで嫌っていたなら、まだのうのうと生きているのかどうかを調べましょうかね。それから、もしそいつに出くわしたら、その絵の代わりにそいつの目を見つめて、どう思っているのかを伝えなさい。あなたにはその権利がある」
「わからない。バラルは多分、私はあの日に死んだって思ってるだろうし」
「じゃあ想像してごらんなさい、あなたが死んでいなかったと知った時のそいつの顔を。あなたが生き延びていたと知った時の顔を」
それを想像し、チャンドラは少しだけ喜びを感じた。
リリアナは彼女の目を見つめた。その顔は真剣だった。「そいつを燃えがらにしてやる時の顔をね」
チャンドラは驚きに頭をのけぞらせ、だが同時に、暗い興奮が大胆にも胸に流れていった。バラルは私の目の前でお父さんを殺した。兵士たちに村を燃やせって命令して、お母さんも殺したに違いない。あの男一人の手で、私の家族全員が失われた。そいつが燃えるのを見たなら、さぞかし満足できるだろう。
「もしあいつが今も生きてるなら、報いを受けさせてやるって誓うわ」
リリアナは低い囁き声で言った。「あなたが受けた苦痛を返すのは、当然の権利よ」
「当然の権利」 チャンドラは呟き、そして髪が燃え上がった。
「いたぞ!」 制服姿の二人が裏道の先から叫び、プレインズウォーカー二人へと駆けてきた。見つかった。
チャンドラは別方向へ駆け出そうとしたが、リリアナが止めた。「走る必要はないわよ」 その屍術師は言って、衛兵らを平静に見つめた。「この鬼ごっこを終わらせる方法がもう一つあるわ」
「駄目、それは駄目」
「必要な事をやるだけ」 リリアナは言った。その声に二つ向こうの街路を走り抜ける列車の警笛が重なった。
チャンドラはリリアナの手を振り解いた。彼女は二人の衛兵を見て、そして渦を巻く炎の突風を放った。だがその呪文は領事府の衛兵ではなく煉瓦の地面に弾け、裏通りの幅一杯に広がる炎の壁となった。衛兵は急停止した。
彼女はリリアナを見た。「私に命令しないでよ。来て、考えがあるの」
二人は大通りに出た。アラダラ黎明列車は巨大でありながら煉瓦の溝一本の上に優雅に安定して座し、その磨かれた木製の車体に陽光が輝いていた。その滑らかな車体に並ぶ扉へと運転士達が急ぐ中、チャンドラは走って昇降段を上り、閉まろうとする扉を手で押し留めた。
彼女とリリアナが乗り込んだ瞬間、列車が音を立てて発進した。追跡を諦めた領事府の衛兵が窓の外に見え、次第に遠く小さくなっていった。
乗降口の複雑な機械が騒々しく音を立て、二人に切符を求めた。チャンドラは拳をその機械に叩きつけて爆発させた。音は止まった。
二人は座った。チャンドラは窓に額をつけ、子供時代を過ごした街の建物が急ぎ過ぎていく様子を見つめていた。会話はなかった。
列車が揺れ、ブレーキが軋んだ。チャンドラは座席に掴まって立ち上がったが、目の前の座席に叩きつけられた。列車の警笛が繰り返し鳴らされ、車体の下で車輪が回転を止め、赤い警告灯が車両の天井でひらめいた。
激しい揺れの中、チャンドラは窓の外を見た。外――不自然な混乱が起こっていた。領事府の特殊調査員の一段が群集を指示区域へと誘導していた。遠くでは爆発した霊気管がきらめく気体を宙へ迸らせ、飛行船の乗組員らが網を落としてはぐれた飛行機械を回収していた。霊気の供給を断たれ、多くの建物から一斉に光が消えた。博覧会の観客はわめき、興奮とともに空を指さした。だが何か起こったのだとしても、それは既に終わってしまっているらしかった。
妨害活動。空中ショーか何かの直後に。改革派の仕業に違いない――ドビン・バーンが懸念していたもの。
列車の伝達管を通して案内がわめいた。「緊急停止します。席を立たず今しばらく――」
「行こう」 チャンドラは肩越しにリリアナへ言うと、座った数人の乗客を過ぎて出口へと向かった。
「――アラダラ急行乗務員もしくは領事府職員からの案内があるまでお待ち下さい。ご協力をお願い致します」
チャンドラの熱い拳が扉の取っ手に叩きつけられた。ハンドル機構は音なき炎の爆発で消し飛び、熱に融けた穴だけが残った。彼女が蹴りを入れると、扉は倒れて開いた。街路は今もまだ騒々しかった。
「改革派の仕業だと思う」 チャンドラは言った。「きっとそう」
リリアナは頷いた。そして二人は跳躍し、列車が完全に停止する前に舗道に着地した。そこかしこで、領事府の衛兵が妨害現場から人々を遠ざけようとしていた。チャンドラは群集の中へ飛び込み、非常事態から離れようとする人々の絶え間ない波をぬって、そこへ向かおうとした。
「チャンドラ」 何かが目にとまり、リリアナが呼びかけた。
「何?」
「あれ。フードの」
チャンドラはその視線を追った。暗いフードに顔を注意深く隠し、一つの影が人混みを巧妙に横切っていた。その人物の方では二人に気付いていなかった。妨害現場から目を離すことなく、その人物は制限区域を迂回してそちらへと向かっていた。
「怪しいくらい目立たない、そう思わない?」
チャンドラは確固として頷いた。改革派。彼に警告しないといけない。「ねえ!」 彼女は呼びかけた。「ねえってば!」
その人物は聞いていなかったか、あるいは「ねえってば!」はまさしく博覧会を妨害する改革派の発明家が役人だらけの群集を横切る最中に呼びかけられたくない類の言葉だった。どちらにせよ、その人物は傍観者の群れを横切り、領事府の検問を迂回して足早に二人から離れた。
チャンドラとリリアナは追跡した。追い付いた時、その人物は足を止めて一人の中年女性に声をかけていた。
その男のフードは今や下ろされ、頭を覆う灰色の巻き毛が見えていた。そして袖口から覗く右手は、金属の鉤爪だった。男はそれを目の前の女性へと定めていた。
男の背後の群集から飛び出し、二人は追い付いた。だがチャンドラの注意をひいたのはその女性の方だった。チャンドラと同じような赤褐色の髪、だがもっと暗い色をして、今や灰色の斑点が混じっていた。その女性は溶接ゴーグルを身につけ、携帯用溶接機を持ち、鉤爪の男を睨み付けていた。
チャンドラの心臓が止まり、熱い涙が溢れ出た。何を言えばいいのかわからなかった。
「ようやく会えたな、改革派の長」その男は言って、まるで武器の狙いを定めるかのように金属の手を向けた。「その粗末な見世物で私の博覧会を邪魔できると思ったか?」
女性は男へとあざけった。「お前を止めてみせる、審判長。今日でなくてもすぐに」
リリアナはその男を掴んで振り返らせた。そしてチャンドラの知らない名前を、チャンドラの理解できない嫌気とともに呟いた。
「テゼレット」
そして、自分と同じ髪の女性を驚きとともに見つめながら、チャンドラはようやく自身の言葉を掴まえた。彼女はそれを衝撃の海から心の水面へと引き出し、やっとのことでそれを大声で発した。
「……お母さん?」
(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)