2012年プロツアー殿堂顕彰者紹介

更新日 Daily Deck on 2012年 7月 27日

By Brian David-Marshall

 私はウィザーズ・オブ・ザ・コーストに協力できていることを嬉しく思っています。ウィザーズがこうして連載させてくれていることで、私はマジック世界の最高のプレイヤーたちについて皆さんに話すことが出来ているのです。私は、マジックの最大のイベントにおいて特等席を確保しています。他の何にもまして、プロツアー歴史家というこの立場を楽しんでいるのは、毎年、マジック界の最高のプレイヤーたちをプロツアー殿堂というマジック史上に残る栄光の座に案内することができるからです。

 今回のウィリアム・ジェンセン/William Jensenのように、わずか1〜2票の差で受賞を逃し、翌年まで次の機会を待たなくてはならなくなるといったことを見るとほろ苦い気持ちになります。私自身は彼に5番目に投票しており、40%のボーダーラインの向こう側に座っている4人にも同じように投票していました。それではさっそく、2012年プロツアー殿堂顕彰者をご紹介致します。

順位氏名投票委員会プレイヤー委員会総合
1Paulo Vitor Damo da Rosa92.86%71.03%85.65%
2津村 健志84.29%76.64%81.76%
3大礒 正嗣82.86%62.62%76.18%
4Patrick Chapin50.00%34.58%44.91%
5William Jensen43.57%31.78%39.68%
6Justin Gary25.71%8.41%20.00%
7八十岡 翔太14.29%23.36%17.28%
8池田 剛11.43%12.15%11.67%
9Scott Johns13.57%6.54%11.25%
10斎藤 友晴5.71%22.43%11.23%
11Chris Pikula11.43%7.48%10.12%
12Antonino De Rosa10.00%9.35%9.78%
13Mark Herberholz5.71%7.48%6.30%
14Alex Shvartsman5.00%7.48%5.82%
15Mike Long3.57%8.41%5.17%
16Mark Justice3.57%6.54%4.55%
17Carlos Romao4.29%4.67%4.41%
18Osyp Lebedowicz1.43%8.41%3.73%
19森 勝洋0.71%9.35%3.56%
20Eugene Harvey2.86%4.67%3.46%



 本年顕彰者の中でプロ・マジックの世界でもっとも長くプレイしているパトリック・チャピン/Patrick Chapinは、プロツアー史上最初の2年間に本戦に併催する形で行なわれていたジュニアの部からそのキャリアを始めました。プロツアー・ダラスのジュニアの部で3位入賞を遂げ華々しくデビューを飾ったのです。我々のよく知るプロツアーに参加するようになる前、次のイベントでも11位に入賞しています。

2012年プロツアー殿堂顕彰者パトリック・チャピン

「最初の頃は、ジュニアの部は一般の部と同じぐらいシビアなものだったよ。その頃のメンバーと言えば、ジョン・フィンケル/Jon Finkel、ズヴィ・モーショウィッツ/Zvi Mowshowitz、カイ・ブッディ/Kai Budde、ブライアン・キブラー/Brian Kibler、その他にもたくさんたくさんいたからね。ダラスが私の最初のプロ・イベントだったんだけど、それで人生が変わったよ。自分にとっての英雄だった、ブライアン・ワイズマン/Brian Weissmanやマーク・ジャスティス/Mark Justiceと会うこともできたし、クリス・ピキュラ/Chris Pikulaやブライアン・ハッカー/Brian Hackerという偉大な男たちの影響も受けた。マジックそのものに誇りを持てたし、自分自身やその好きなものを革新できるようになったんだ」と、チャピンは当時のことを思い出して語ってくれました。

 彼はプロツアーでプレイを始めてすぐ、その2回目のプロツアー、プロツアー・ニューヨークのリミテッドでトップ8入賞の結果を残しました。現在、スタンダードで最強の呼び名も高いパトリックですが、最初に名手として知名度を得たのはスタンダードではなかったのです。

「一般の部については、正直に言って、余裕だと思ってたよ。リミテッドのスペシャリストみたいなもんだったし、ドラフトが本当に『巧い』と言える人は世界に40人ぐらいしかいなかったんだ。だから、まだ若僧だったけど、自信はあったよ」

 ジュニアの部、一般の部を通して、最初の4回のイベントで、チャピンは2度のトップ8と1回の11位入賞を果たしたので、その自信は証明されました。次のトップ8に入賞までは2シーズンかかりましたが、それもまたリミテッドでした。彼はデッキ・ビルダーとしての名声を得、デッキをなくしていなければプロツアー・セコーカスでも間違いなくトップ8入賞していただろうと言われながら、トップ8の表彰を蚊帳の外で聞くことになったのです。

 チャピンのキャリアは、10年ほど前の、短期間だけ開発部のインターンとしてマジックから離れた時機を挟んで2つに分けられます。競技マジックの世界に帰ってきた彼はまさに猛威を揮いました。彼は著名な戦略記事ライター、またマジック界の有名人となりました。そして、その記事の内容を裏付ける結果を残していきました。ニューヨークで開催された2007年世界選手権で、彼は日曜のステージに舞い戻ったのです。

チャピン 2011

「プロツアーでの最高の思い出は、2006年の世界選手権、中でもナシフ/Nassif相手のマッチだね。マーク・ハーバーホルツ/Mark Herberholz、ガブリエル・ナシフ/Gabriel Nassif、僕は《ドラゴンの嵐》で環境を破壊した。自己最高記録だったし、何年ぶりかの個人戦プロツアーだった。とても楽しんだよ。そのマッチはもはや伝説級だったから、自分で曲を作ったぐらいだ。」とチャピンは語りました。

 そして、彼が4回目にトップ8入賞を遂げたプロツアー・パリで、パトリック・チャピンを殿堂入りさせようという動きがありました。昨年の投票ではおしくも40%に達しませんでしたが、好成績を上げ続け、コミュニティにも多大な寄与をしていることから、今年の殿堂入りにつながったのです。

 受賞しそうだと知ったときにどう思ったか、そしてスコット・ララビー/Scott Larabeeからの朗報を受けたときにどう感じたかを尋ねたところ、チャピンはこう答えました。「去年は2票足りなくて受賞を逃したんだけど、本当に厳しい年だった。それ以来、複数のグランプリでトップ8入賞、国別選手権では残念ながら9位になって、その間もできるだけマジック文化に貢献し続けていたんだ。そこそこの計画をたてたと思ったけど、本当にきつい年だったよ。呆然となるし、過去の思い出が走馬燈のように蘇ってきた。夢みたいで、最高で、でも静かな幸せを感じたね。あらゆる意味で。僕の人生でもっとも誇らしい到達点で、人生のほとんどを費やしてきた成果だ。13歳の時にマジックを始めて、今は32歳だ。本当に、誇らしいことだと思ってるよ」

 引退したプレイヤーが殿堂入りを果たしたとき、そのプレイヤーが競技マジックの世界に戻るかどうかということが必ず話題になります。チャピンのようなプロツアーの重鎮が殿堂入りを果たしたとき、私は、そのプレイヤーが情熱を失い、のんびりとプレイするようになってしまうのではないかということを危惧します。チャピンは、彼のマジックにおける目標はまったく揺るがず、今後もさらなる実績に向けて尽力すると語ってくれました。

「僕の個人的な目標はプロツアーで優勝することだ」殿堂顕彰を決めた男の言葉です。「イベントに向けての調整中に一番大事にしているのは、自分のチームを可能な限り高めることだけどね」

 チャピンに、ダラスでのジュニアの部から始まってこの10月にプロツアー「ラヴニカへの回帰」で行なわれる殿堂顕彰式典までを振り返って感謝したい相手について聞いてみました。

「いつでも僕のマジックへの情熱を助けてくれた母さんと父さんに、まずは感謝したいね。マーク・ハーバーホルツとガブリエル・ナシフは僕を呼び戻し、僕のマジックをさらなる高みに導いてくれた。クリス・ピキュラとブライアン・ハッカーは僕にあり方を教えてくれて、青写真をくれた。マイケル・フローレス/Michael Floresとマイク・ロング/Mike Longはマジックについての文章の書き方を教えてくれた。リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldとマーク・ローズウォーター/Mark Rosewaterはゲーム・デザインについて教えてくれた。エリック・ラウアー/Erik Lauerとエリック・テイラー/Eric Taylorはデッキ構築について教えてくれた。ピート・ホーフリング/Pete Hoeflingとパム・ウィロビー/Pam Willoughbyのおかげで僕は全てをマジックに捧げることができた。ルイス・スコット=ヴァルガス/Luis Scott-Vargasとブライアン・キブラー/Brian Kiblerはマジックのあるべき姿についての考察を交わし、そして僕と協力してアメリカのマジックを再び栄光の座に戻してくれた。そして僕がプロのマジック・プレイヤーになると言ったときに疑いの目を向けてくれた人たちにも感謝を。そして最後に、いつでも一緒にいてくれて、夢を叶える助けとなってくれた僕のフィアンセ、アマンダ/Amandaに感謝したい。」



2012年プロツアー殿堂顕彰者 大礒正嗣

 大礒正嗣が初めて日曜に進出したのは、デビューしたその年の、準優勝の結果を残したプロツアー横浜のことでした。彼はその年、日本人初の最優秀新人賞に輝きました。彼の進撃はそれで終わることはなく、まだ日本人プレイヤーのトップ8入りが当たり前でなかった頃に複数回のトップ8入賞を果たした初の日本人となり、2シーズンの間に3回の入賞を果たしました。

 2005年シーズンの幕開け、4度目のトップ8入賞を果たしたプロツアー・コロンバスでは、彼以外に2人の日本人が日曜日に残っていました。そしてこのシーズンは、この年7回開催されたプロツアーのすべてでトップ8に日本人が残っていたのです。大礒は社会生活のためにマジックから離れ、プロツアーに参加しないときもありました。それにも関わらず、このシーズンの最優秀プロ・プレイヤー・レースで彼は3位で、横浜での世界選手権の結果によっては戴冠も狙える位置につけていました。

 私の、マジックのカバレージに関する最大の後悔の1つは、2005年のグランプリ・ボストンに行かなかったことです。このとき、大礒正嗣率いる日本のマジック・プレイヤーたちが北米のグランプリに現れるという大事件が世界を揺るがしました。

 通算して、大礒は6度のプロツアー・トップ8入賞と、10度のグランプリ・トップ8入賞を果たしました。その中には、マジック再開直後に環境を解き明かした2007年のプロツアー横浜、そしてドラマチックな優勝を果たしたグランプリ・ボストンが含まれています。



2012年プロツアー殿堂顕彰者 津村健志

 津村健志は2005年、マジック史上初の日本人最優秀プロ・プレイヤーに輝いた年、プロツアー・アトランタプロツアー・ロサンゼルスプロツアー・フィラデルフィアと、プロツアー・サンデーに3回進出という記録を打ち立て、強烈なプレイ技術と実に紳士的な態度で有名になりました。

 彼のプロツアー歴はその数年前、2002年のプロツアー・シカゴから始まります。その時、彼は初めて海外に出て、マジックのプレイヤーとしての実力を知ることができました。

「正直に言って、参加する前は2日目に残ることはできると思ってました。実際は3−4。2日目に残れたのは、5回目のプロツアーが初めてでした。カイ(・ブッディ)/Kai Buddeや(大礒)正嗣のプレイを見学して、もっと技術を磨かなければならないとわかりました。本当にラッキーだったのは、いろんな友人と交流して技術を磨くことができたことです。マジックを通してたくさんの友達ができました。マジックは僕に何もかもをくれたんです。友人、経験、人生に大切なもの。マジックは僕にとってただのゲームじゃなくて、そう、人生なんです。」

 驚くべきことに、津村は今年選ばれるかどうか自信がなく、彼とその友人である大礒のことが忘れられていないかと不安だったといいます。

「いや、自信なかったです。他にも有力な候補者はたくさんいましたし。殿堂入りは僕にとって本当に光栄なことで、最高の友達と一緒に殿堂入りができるならそれ以上のことはありませんよ。」

 津村はプロツアーで6度のトップ8入賞を果たしており、グランプリでは12回のトップ8と2回の優勝を記録している。チャピンと同じように、津村もプロツアーでの優勝は果たしておらず、プロツアーに参加して優勝を目指すと言う。

津村 2009

「日本のグランプリやプロツアーはほとんど出るつもりですし、海外のプロツアーも出たいと思っています。プロツアーで優勝するのは、やっぱり夢ですよ。でも、今は就職活動中です。だから来年は出られないグランプリやプロツアーもあると思います」

 津村健志に関する話は彼のキャリアを通じて、グランプリ・モントリオールで対戦相手のパクト死を防ぎきることができなかったという後悔から、2005年に構築環境を制した後のリミテッド・プレイヤーへの華麗な転身まで数多くあります。殿堂顕彰に至っても、津村はその選出の影響を考えていました。

「繰り返しになりますけど、これは本当に光栄なことだと思います。そして、今こそ、マジック・コミュニティのために何かをしなければならないと思っています。プロツアーで、殿堂顕彰者としてプレイすることは僕にできることですし、コミュニティのためにもっと多くの記事を書いていきたいです」

 津村は、彼のキャリアを築くのを助けてくれた人々に感謝したいと言います。

「マジック関係の友人みんなに感謝したいんですが、中でも、石田格、森勝洋、中島主税、森田雅彦、リッチー・ホーエン/Rich Hoaen、大礒正嗣に感謝しています。彼らの助けなしでは今の成績はもちろん、2日目に残ることもできなかったでしょう。それに、家族にも心から感謝しています。僕は本当に出来の悪い子供でしたが、家族はいつでも優しく励ましてくれました。マジックで成績を残せていなかったときもです。この気持ちを完全に言い表すことはできません。できませんが――ありがとう、と言いたいです」



2012年プロツアー殿堂顕彰者パウロ・ヴィター・ダモ・ダ・ロサ

 パウロ・ヴィター・ダモ・ダ・ロサがプロツアー・チャールストンでRaaala Pumbaのチームメイトであるセルソ・ザンピエーレ/Zelso Zampereやウィリー・エデル/Willy Edelとともに檜舞台に躍り出る前に、私はBrainburstで彼の記事を読んでいました。そのトップ8の準備中に、ランディ・ビューラー/Randy Buehlerと私はパウロのプロツアー歴を振り返り、安定してマネー・フィニッシュを続けていることを知ったのです。ダモ・ダ・ロサはプロツアー予選で勝ち、航空券褒賞を受け取ることで、赤道を越えてイベントに参加することができるようになりました。そして、ダモ・ダ・ロサは先週末、ブラジルで開催されたグランプリの席上で殿堂顕彰者として選出されたことを知ったのです。

「記事やツイッターで候補者の一覧を目にして、受賞できる可能性はあると思う様になったよ。グランプリ・サンパウロでそのニュースを聞いたときは驚いたさ。結果を知ることができるのは金曜日だと思っていたからね。皆が僕を祝ってくれて、握手してくれて、何が起こっているのか理解するのに時間がかかったよ。でも、落ち着いてみたら、それが本当なんだって実感が湧いてきて、それからその意味を考えて興奮したね」

 プロツアーの情報を追っていた人たちなら、ダモ・ダ・ロサの選出を当然のことだと思うことでしょう。彼の名前は、彼のプロ・ポイントが100点を超えた年からずっと私の投票用紙で丸をつけられていました。10年間のキャリアの間、彼は9回日曜に進出しており、平均するとほぼ毎シーズン1回のプロツアーでトップ8に入賞していることになります。

ダモ・ダ・ロサ 2010

 彼が初めてプロツアーに姿を見せたのは、レーティングによる招待を受けた2003年の世界選手権でした。

「はっきり覚えてるよ。中南米レーティングのトップ8で招待されて、交通費は代理店のDevirが全額負担してくれたんだ。ポルトガルやスペインの人と合流して、スペインでしばらくプレイテストをした。それほど期待していなかったけど、トップ64に入賞したのは興奮したね。そう、最終戦ではダーウィン・カスル/Darwin Kastleに勝ったのを覚えてるよ」

 ダモ・ダ・ロサはトップ64入賞後もどんどん順位を上げ、ついにチャールストンで檜舞台に躍り出るのです。そこからは、マジック界最高のプレイヤーの1人となり、トップ8入賞を賭けた試合で当たりたくない相手になりました。彼はそのキャリアを通して、勝てば抜けられるというプロツアーの試合では一度も負けていないのです。彼に、いつ自分がその他大勢からエリートの1人になったと気付いた瞬間について尋ねました。

「難しい質問だね。いつ、って言われても......段々なってきたっていう感じで、少しずつ。どこかの時点では、確かに僕は他のほとんどのプレイヤーより巧くなっていたけど、それは、経験値を積んでレベルアップするっていうようなものじゃないよ」と、分析的に答えてくれるダモ・ダ・ロサ。「結果じゃないんだ。今でも、『いやー、このゲームは巧くいったよ。皆とは違うようにできた感じ』って思うこともあれば、『いやー、今回は大失敗だったわ。もっと巧くならないと』と思うこともある。そのゲームに勝ったかどうかは問題じゃないんだ。自分が正しくプレイできたかどうかが重要なんだ。だから、『この特定のイベントで結果を残したとき』というようなことは言えないね。」

 パウロは、南米初の殿堂顕彰者の貴重な思い出3話のうちの1つ、プロツアー・サンファンで優勝してトロフィーを手にしました。

「最初のプロツアー・チャールストンで、チームメイトのウィリーやセルソと一緒にトップ8に入賞したんだ。それに、サンファンで優勝したこともとてもいい思い出だし、その後ブラジルの旗をパリで掲げたのものね」

 今やプロツアーに自由に参加できる特権を得たダモ・ダ・ロサがアクセルを緩めるとは思えません。彼は毎シーズン、1つの目標を目指してプレイし続けています。

「今後もプラチナ・レベルを目指していくよ。もし将来プレイ時間が取れなくなったら変わるだろうけどね」殿堂顕彰者に選出されたことの意味について尋ねたところ、ダモ・ダ・ロサはそう答えました。「意味と言われれば色々あるし、すごい名誉だ。マジックの歴史に永遠に残る足跡を刻めたわけで、僕が人生をどうするか、どれぐらい時間をかけるかとかに関係なく、僕はいつでもプロツアー殿堂の一員であり続けるんだ。今、そして今後永遠に、それは僕の人生の一部になる。」

 ダモ・ダ・ロサが今後何回かトップ8に入賞し、マジック史上でジョン・フィンケル/Jon Finkelとカイ・ブッディ/Kai Buddeしか達成していない2桁の世界に足を踏み入れたとしても、驚くには値しません。また、彼が戦略記事ライターとしてその名を高めたとおり、このゲームの戦略面を深く考察し続けることも想像できます。彼はこれまでのキャリアで助けてくれた人たちに感謝していると言います。

「感謝したい相手はたくさんいるけど、その中で誰かって言われたら、僕がマジックを始めた時からの最大の理解者だった母だね。今でもそうだけど。僕が若かった頃――本当に若かった頃、それこそ9歳とか――、僕を一人で店に置き去りにすることができなかったので、母は僕を待ってものすごい時間を費やしてくれた。ただ、僕がプレイしているのを待っているだけだったんだよ。それだけじゃなく、結果を残せる保証なんてないのに最初のチケットを買ってくれたんだ。母がいなければ、イベントに行くどころかマジックを始めることもなかっただろうね。」

「それからもう1人、ウィリーだ。ウィリーのおかげで、ただの巧いプレイヤーからプロに脱皮できた。彼はプレイのことだけじゃなく遠征のこととかいろいろなことを教えてくれた。まるで兄貴みたいな相手だと思ってる」

「最後に、僕のここ数年のマジック人生で大きな位置を占めているLSVにも。彼がいなければ、今のような強力なチームは組めなかっただろうし、ChannelFireballで記事を書くこともなかっただろう。彼はとてもいい友人で、マジック内外を問わずいろんなことをしてくれたんだ」

 これで、2012年プロツアー殿堂顕彰者の紹介を終わります。プロツアー「ラヴニカへの回帰」のライブ・カバレージをチェックし、新しく殿堂入りを果たしたプレイヤーたちの第1回戦から始まるフィーチャー・マッチや殿堂顕彰式の放送をお楽しみ下さい!


(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)


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