追悼 石田格さん

更新日 Feature on 2013年 1月 18日

By 森 慶太

横顔

故・石田 格氏

 日本を代表するマジック:ザ・ギャザリングのプレイヤーとして活躍した石田格(いしだ・いたる)氏が、13日亡くなった。享年三十三。その早すぎる死を悼む声が世界中のプレイヤーや関係者から寄せられている。本稿では、故人の偉大な業績の一端を振り返りたい。

 1979年生まれの石田格は、マジックというゲームの黎明期に十代半ばを迎えた。トレーディングカードゲームに出会う前から生粋のゲーマー気質であったという彼は、生涯の友たちとともに、みるみるうちにこのゲームの腕前をあげていった。すぐに石田格は国内のトーナメントシーンで活躍するようになり、競技マジックの最高峰であるプロツアーにも早くから海外遠征し続けるという「日本最強の高校生」となった。やがて彼はカードショップFuture Beeとスポンサー契約を締結し、日本初のプロフェッショナル・カードゲームプレイヤーとなった。彼はまさしく日本におけるマジックの先駆者のひとりであり、あり続けた。グランプリベスト8入賞17回、プロツアー準優勝1回、マスターズ準優勝2回、日本選手権13大会連続出場といった輝かしい戦績とともに、石田は三十三年の生涯を駆け抜けた。

 国際的な観点から彼の業績を振り返る際に、おそらく石田格のキャリアは「3人制チームリミテッド」フォーマットの達人としてハイライトされる。安藤玲二と百瀬和之をチームメイトに結成した”Panzer Hunters”では、プロツアーと同等の権威をもって開催されたマスターズというトーナメントにおける二度の準優勝という成績を残し、いくつもの伝説的な戦いを繰り広げた。石田の生涯でただ一度のプロツアー決勝ラウンド進出も、このフォーマットで争われた2004年のプロツアー・シアトルでのことで、池田剛と岡本尋を左右に従えた”www.shop-fireball.com2”による準優勝だった。石田はこれ以外にもグランプリ2大会で準優勝を果たしている。

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チーム”Panzer Hunters”/百瀬和之(写真左)、石田格(写真中央)、安藤玲二(写真右)

 もちろんこの競技形式はチームの総合力が問われる種目だが、彼らのチームリミテッドでの圧倒的パフォーマンスは石田格のドラフティング采配の妙によるところが大きかった。石田がチームメンバー全員分のドラフトピックを指示し、卓上のすべてを掌握しているかのようにデッキを作り上げていく様はまさに圧巻。実戦練習として敵味方六人全員分のドラフトピックをひとりでシミュレートし続けたという驚異的な技量ゆえに、彼は「チームドラフトの魔術師」としての声望を確立した。

Martin Juza
2001年グランプリ・神戸にて

 彼自身の名を冠したデッキが日本のトーナメント記録に残されていることからも明らかだが、石田格はマジックというゲームにおけるもっとも華やかな分野のひとつである「デッキ構築」でも大きな実績を残した。ウルザ・ブロック構築で彼が作り上げた「イタリックブルー」は1999年10月に開催されたグランプリ・九州を真っ青に染め、優勝者の小宮忠義を含む5名の選手をベスト8に送り出した。また、The Finals 2001で優勝を飾った赤緑ビートダウン「般若の面」は、《激動》型《サイカトグ》をはじめとした青いデッキがフィールドを埋め尽くすことを読み切ってデザインした「徹底した青対策のメタデッキ」として語り草になっている。ほかにも、2001年にグランプリ・ラスベガスからグランプリ・仙台までのわずか一週間で、当時のエクステンデッドの最新デッキ「ワイルド・ゾンビ」を見事にチューンナップしてトップ8入賞した逸話から、インベイジョン・ブロック構築の2001年グランプリ・神戸で優勝を飾った「トレンチ・コントロール」の活躍まで、デッキ製作者としても数々のきらめきを見せた。

 石田の活躍はいちプレイヤーにとどまらず、様々なウェブサイトや雑誌にマジックの記事を寄稿し、ジャンルの裾野を広げる活動にも貢献した。巻末の遺稿集の掲載媒体だったサイドボードオンラインというウェブサイトも、日本語版サービスの立ち上げ自体が石田格の全面協力によって支えられていた。

 後進プレイヤーの育成にも熱心で、世代と世代をつないだ人だった。20世紀の「日本最強の高校生」は、コミュニティのリーダーのひとりとして21世紀の日本の競技シーンを牽引した。エピソードを列挙していくと、それこそ枚挙にいとまがないわけだが、いくつかご紹介したい。

 2001年、日本人として初めてのルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)受賞に燃える森勝洋のために、石田格は藤田修とともに「Anchans」を結成して同年7月のグランプリ・台北へと遠征した。チームは台北の地で見事に準優勝を果たし、その夏の世界選手権を終えて森は同賞の受賞を果たした。さらに森は飛躍を重ね、とうとう日本人としてはじめての世界選手権優勝を成し遂げるまでに成長した。

 2005年、前出の森勝洋がワールドチャンピオンに輝いた「伝説の三冠」の年、やはり日本人としてはじめてプレイヤー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に輝いた津村健志の背後にも石田のサポートがあった。神河ブロック構築で争われた2005年5月のプロツアー・フィラデルフィアで津村が準優勝に輝いた「4色明神フレア」も、同年10月にエクステンデッドで争われたプロツアー・ロサンゼルスで3位入賞を果たした「発掘サイカトグ」も、ともに遠征する石田格が手がけたマスターピースだった。

 2006年、4月のグランプリ・浜松に石田格はチームLimit Breakのメンバーとして参戦し、大澤拓也と小倉陵という二人の後輩とともに3位入賞を果たした。まもなく、大澤は同年6月のプロツアー・プラハで見事に優勝を飾り、小倉も同年12月に世界選手権パリ大会で準優勝という成功を収めることとなった。

 チームドラフトの魔術師、名デッキビルダー、執筆活動や後進の育成を通じたコミュニティへの多大な貢献。「日本最強の高校生」は十余年走り続け、マジック:ザ・ギャザリングというゲームに大きな足跡を残した。石田格は日本最高のプレイヤーのひとりとして記憶されるべき存在となった。

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1995年第4回東京大会にて(写真左)

 石田格のトレーディングカードゲームにおける活躍がマジックのみに限定されなかったことも記しておきたい。弊社制作のデュエル・マスターズをはじめとしたカードゲームの開発や監修に携わった彼は、タカラトミー社の一員となってからもイナズマイレブンTCG等のデザインに尽力し、作り手として市場やコミュニティに作品を送り続けた。マジックを愛し、トレーディングカードゲームを愛し、信じ続けた人だった。

 ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社の一員として、石田格さんがこのゲームとジャンルに残された輝かしい業績を讃え、その多大なる貢献に感謝の意を表したいと思います。

 故人のご冥福をお祈りいたします。

森 慶太

ウィザーズ・オブ・ザ・コースト 東京オフィス マジック:ザ・ギャザリング代表

(写真提供:株式会社ホビージャパン)


サイドボードオンライン遺稿集 掲載年度順


戦績

  • 日本選手権1997 ベスト8
  • 日本選手権1998 準優勝
  • アジア太平洋選手権1998 ベスト4
  • The Finals 1998 ベスト8
  • グランプリ・マニラ1998 ベスト8
  • グランプリ・台北1999 ベスト4
  • グランプリ・東北1999 ベスト4
  • マスターズ・東京2001 準優勝(チーム戦・Panzer Hunters)
  • グランプリ・台北2001 準優勝(チーム戦・Anchans)
  • グランプリ・神戸2001 優勝
  • グランプリ・仙台2001 ベスト8
  • The Finals 2001 優勝
  • グランプリ・福岡2002 ベスト4
  • マスターズ・大阪2002 準優勝(チーム戦・Panzer Hunters)
  • マジック・インビテーショナル2002 出場
  • グランプリ・札幌2002 ベスト4
  • マスターズ・ヴェニス2003 ベスト4(チーム戦・Panzer Hunters)
  • グランプリ・京都2003 ベスト8
  • グランプリ・バンコク2003 準優勝
  • グランプリ・シドニー2003 ベスト4
  • グランプリ・岡山2004 準優勝
  • プロツアー・シアトル2004 準優勝(チーム戦・www.shop-fireBall.com2
  • グランプリ・大阪2005 準優勝(チーム戦・www.Shop-Fireballpros.Com
  • グランプリ・シンガポール2005 優勝
  • グランプリ・北九州2005 ベスト8
  • グランプリ・浜松2006 ベスト4(チーム戦・Limit Break)
  • グランプリ・クアラルンプール2006 ベスト8
  • The Limits 2006 ベスト4
  • 日本選手権 13大会連続出場(1997年~2009年、最長記録)

デッキリスト

緑白オース

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クリーチャー (6)
3 スパイクの飼育係 3 ボトルのノーム
ソーサリー (7)
3 ハルマゲドン 4 神の怒り
インスタント (3)
3 解呪
他 (8)
2 知られざる楽園 2 堅牢な防衛隊 1 夜のスピリット 2 ガイアの祝福" 1 移ろいの門
60 カード
サイドボード (15)
1 解呪 1 沈黙のオーラ 2 エメラルドの魔除け 1 アーギヴィーアの発見 2 赤の防御円 3 冬の宝珠 1 ハナの保護管理 1 道化の帽子 1 ロボトミー 2 日中の光

赤茶単アカデミー

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クリーチャー (4)
4 陶片のフェニックス
ソーサリー (7)
3 地震 4 火の玉
インスタント (8)
4 ショック 4 火葬
アーティファクト (6)
4 通電式キー 2 ファイレクシアの処理装置
土地 (19)
15 4 不毛の大地
他 (16)
4 トレイリアのアカデミー 4 魔力の櫃 4 呪われた巻物 4 無のブローチ
60 カード
サイドボード (15)
1 地震 4 ボトルのノーム 4 紅蓮破 2 破壊的脈動 4 溶融

イタリックブルー

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インスタント (13)
4 無効 1 撤回 4 巻き直し 4 天才のひらめき
アーティファクト (3)
3 スランの発電機
他 (18)
3 マスティコア 2 変異種 2 パリンクロン 4 魔力消沈 4 厳かなモノリス 3 不実
60 カード

匂いバーン

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クリーチャー (4)
4 モグの狂信者
インスタント (28)
4 Fork 4 稲妻 4 ショック 4 火葬 4 いかづち 4 焚きつけ 4 火炎破
土地 (20)
20
他 (8)
4 火炎噴流 4 燃えがらの匂い
60 カード
サイドボード (15)
3 Anarchy 4 紅蓮破 4 赤霊破 4 発展の代価

トレンチ

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他 (11)
4 沿岸の塔 4 火+氷 3 ゴブリンの塹壕
60 カード
サイドボード (15)
4 翻弄する魔道士 1 ラッカボルバー 2 稲妻の天使 2 撹乱 4 反論 2 デアリガズの息

ワイルドゾンビ

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ソーサリー (8)
4 強迫 4 生き埋め
インスタント (4)
4 吸血の教示者
エンチャント (4)
4 ゾンビの横行
他 (16)
1 知られざる楽園 4 野生の雑種犬 4 隠遁ドルイド 4 灰燼のグール 3 炎の嵐
60 カード
サイドボード (15)
1 Stench of Evil 3 スパイクの飼育係 3 紅蓮破 1 地の封印 1 グールの誓い 1 無のロッド 2 窒息 1 非業の死 1 破滅 1 消えないこだま

般若の面(青メタステロイド)

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ソーサリー (8)
4 炎の稲妻 4 獣群の呼び声
インスタント (4)
4 ウルザの激怒
他 (20)
2 デアリガズのカルデラ 4 野生の雑種犬 3 疾風のマングース 3 ヤヴィマヤの蛮族 4 カヴーのタイタン 4 呪文散らしのケンタウルス
60 カード
サイドボード (15)
4 強迫 4 たい肥 4 殺戮 2 破壊的な流動 1

明神フレア

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サイドボード (15)
1 曇り鏡のメロク 2 摩滅 2 頭蓋の摘出 4 鼠の墓荒らし 3 北の樹の木霊 1 鬼の下僕、墨目 2 英雄の死

発掘サイカトグ

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サイドボード (15)
1 酸化 1 堂々巡り 1 けちな贈り物 2 ヴィリジアンのシャーマン 1 枯渇 3 強迫 1 恐ろしい死 1 帰化 1 クローサ流再利用 1 自然の類似 1 忌まわしい笑い 1 サーボの命令

オウリング・ボア

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クリーチャー (1)
1 猛烈に食うもの
ソーサリー (17)
4 手練 4 未達の目 4 石の雨 2 連絡 3 燎原の火
インスタント (9)
4 ブーメラン 4 差し戻し 1 マナ漏出
アーティファクト (7)
4 吠えたける鉱山 3 黒檀の梟の根付
エンチャント (2)
2 併合
60 カード


追悼コメント

津村 健志(マジック:ザ・ギャザリング 2012年度プロツアー殿堂顕彰者)

 格さんは類稀なる才能を持つデッキビルダー、プレイヤーとして世界中のプレイヤーから尊敬を集めていましたが、彼が多くの人々から愛される理由のひとつに、その人柄があったことは間違いありません。冷静沈着なプレイヤーとしての一面とは裏腹に、普段の格さんは誰とでも気さくに話をしてくれるみんなの兄貴分で、いつも冗談を言っては場を和ませてくれる僕たちのムードメーカーでした。僕が試合に負けて落ち込んでいる時でも、楽しそうに話をしている格さんを見ていると、いつの間にか自然と笑顔になっていた。そんなことが何度となくあったのを覚えています。

 そしてプレイヤーとしての格さんはと言えば、完璧という言葉がこれ以上ないほど似合う鉄人でした。これほどまでに数々の偉業を成し遂げてきた人であれば、慢心や傲慢といった言葉がちらついても何ら不思議はありませんが、格さんはそういったものとは一切無縁の人でした。常に謙虚で自分に厳しく、目の前のゲームから何かを学ぼうとするその姿勢は、僕にとっての理想のプロプレイヤー像そのものです。今でこそ日本人がプロツアーで優勝するのが当たり前のような時代になりましたが、それは偉大なる先人たちの努力の上に成り立っていると思います。格さんはそんな偉大なプレイヤーたちの中でも際立った存在で、なおかつ若手の育成に積極的に力を注いでいた方でもあります。プロツアーで多くの成功者を輩出した「浅原連合」というチームがありますが、そのチームを率いる中島主税さんは「格さんがいなかったら僕たちの成功はなかった」と断言していますし、僕が2005年に年間最優秀賞を受賞できたのも、格さんのお力添えがあってこそでした。プレイヤーにとって「最高のお手本」と言える格さんと一緒にマジックができたことを光栄に思いますし、試合内外を問わず、本当に多くのことを学ばせていただきました。ご自身の輝かしい戦績のみならず、若手の育成、執筆活動など、様々な方面で日本のマジック界に多大な影響を与えた人でした。

 それと格さんは、良い意味で遊び心をずっと持ち続けていたプレイヤーだったと思います。例えば「《サイカトグ》」デッキの《狡猾な願い》用に《死体のダンス》を仕込んだりだとか、格さんは面白くて実用的なカード選択に人一倍強いこだわりを持っていました。プロツアーフィラデルフィア用に格さんが開発した「明神」デッキはその最たる例で、これほどまでに高いレベルで強さと面白さを兼ね備えたデッキは他に類を見ません。勝ちにこだわればこだわるほど忘れがちな、マジック本来の楽しさを、格さんは誰よりも大切にしていたんだと思います。

 最後になりますが、格さんにはお世話になってばかりで、恩返しらしいことが何ひとつできなかったことが心苦しい限りです。今後は格さんの試合を観ることも、格さんがみんなと楽しく談笑している姿ももう見れないかと思うと本当に残念でなりませんが、これからは僕たちが格さんに教わったものを次の世代に伝えていくことが、せめてもの恩返しになればと思います。

 格さんに教わったもの、格さんの笑顔をずっと忘れません。本当にありがとうございました。心より、ご冥福をお祈りしております。



大礒 正嗣(マジック:ザ・ギャザリング 2012年度プロツアー殿堂顕彰者)

 格さんは日本のマジックを初期から牽引してきた方で、雑誌やインターネットを通して見ていた格さんはまさに憧れのプレイヤーでした。

 その後プロツアーの旅を通して交流を持つようになりましたが、直接お会いした格さんは自分の中のイメージと違って気さくでひょうきんで、親しみやすい兄貴分という存在になりました。

 先日飲み会でご一緒して元気そうな姿を見ていただけに、突然のことに実感がわかないというのが本心です。

 心よりご冥福をお祈りいたします。

中村 修平(マジック:ザ・ギャザリング 2011年度プロツアー殿堂顕彰者)

 『人生とは後悔の連続だ』とは誰が言ったのか、月並み過ぎて、普段の私なら一瞥して顧みない類の言葉だ。『後悔先に立たず』も上に同じく。

 だがこうやって現実で直面するとなんと的を射ていることか。

 2ヶ月前の台北で、そのもう少し前にも偶然浅草の地下鉄内で、会う機会、話す機会があったというのに、聞いてみたいことがあったというのに。

 どこにでもありふれた話。その通り。それでも言わずにはいられないのだ。

 石田格に聞いてみたかったことがあったというのに、と。

 寄稿している誰もがそうであるように、私も石田格に影響を受けた人間の一人。正確には彼の背中を見て、彼の生き方を見て影響を受けた人間だ。

 石田格は日本の黎明期から最前線で活躍をしていたマジックのプレイヤーであり、日本人で初のマジックをプロフェッショナルとしたプレイヤーであり、そしてプレイヤとして活動を終えたその先を歩く先駆者でもあった。

 プロプレイヤーとしてどうするべき、あるべきか、判断に迷った時は一度や二度ではないが、振り返るのはいつも彼の存在だった。彼の足跡があったからこそなのだ。

 また私にとっては高い壁でもあった。彼の真骨頂である、チームドラフトにおける自分とチームメイト2人、そしてその対戦相手である3人、卓内全員コントロールするという神業に魅せられ、少しでもに近づこうとチーム戦で試行錯誤を重ねた日々が、今のプロプレイヤーとしての私を形作ったのはこれから先も決して忘れることができないだろう。

 そして初めてグランプリトップ8入賞を果たしたところの若造だった私を決勝で倒したのも彼だった。その時彼が呟いた

『(優勝するまで)本当に長かった』

 という言葉を本当に理解するまでに5年もかかってしまった。

 あらゆる意味で後ろ姿を追っていた偉大なる先駆者に、遂に超えられなかった壁である石田格に、冥福を。



藤田 剛史(マジック:ザ・ギャザリング 2007年度プロツアー殿堂顕彰者)

 俺は悔しい。

 格ほどマジックを愛した人間が死んだのが悔しい。

 だってお父さんから聞いた、格の死ぬ直前の最後の言葉が

「 デッキ 組まなきゃ 」なんだよ。

 こんな奴他にいる?、死の直前までマジックの事を思える人間なんて他にいる?

 どんだけマジックの事が好きやねん格よぉ、おまえどんだけマジックが好きやねん。

 なんでこんなにマジックを愛した格が死ななあかんの?

 格はまだマジックをやりたかった、マジックを楽しみたかったはずなのに何で死ななきゃならんのだよ

 俺は悔しいよ

 納得できないよ俺


 格が亡くなって追悼文を依頼された時、俺はまず何を書くか迷った。

 俺と格の出会いから今日までの事を書こうかと思ったり、格のマジックにおける優れた資質や優れた成績の事を振り返ったり、また日本のマジック界に対する貢献の事とか他にも色々書きたいと思った事はある。

 でもそんな事は書くまでも無く昔からマジックをやってたプレーヤーなら知ってるだろうし、逆に最近始めた子達は石田格って誰?ってなるだろう、ましてや俺の事なんて何も知らないだろうと思う。

 だから今の俺の思ってる事をそのまま書く事にした。

 マジックプレーヤー石田格の最後の言葉をどうしてもみんなに伝えたかった。


 最後に俺からみんなにお願いがあります。

 みんなマジックをやってください。

 みんながマジックをやってくれてる限り、記憶や記録に石田格は永遠に残ります。

 みんなの記憶や記録に残ってる限り格は完全には死にません、一生会う事はできないけど生き続けることになると俺は思います。

 昔マジックをやってて石田格を知ってる方はこれを機会に旧友と共にマジックに触れて欲しいし、また若い新しい子達はぜひ石田格が活躍した時代のカバレージなんかを一度読んでみてほしい。

 よろしくお願いします。

 追悼文としてふさわしいかは解らないけどこれで終わります。

 俺は絶対石田格を忘れないよ



真木 孝一郎(ウィザーズ・オブ・ザ・コースト 東京オフィス代表/髑髏団)

「イタル、ごめん!!」

 当時の日本マジック界の聖地、渋谷DCIジャパントーナメントセンターのトイレで私は絶叫した。98年日本選手権が終わった直後のことだ。

 イタルと出会ったのは、DCIセンターの前の日本のメッカだった渋谷オフビート。その時の私は右も左もどころか《津波》と《ハルマゲドン》の違いすらも怪しいド素人だったが、イタルは既に日本最強だった。メッカに集う多数の強豪が、こぞって意見を求めるご意見番だったのだ。

 そんな日本最強は、若干人見知りだったのを覚えている。だが、こっそり観察を続けると、人見知りという防御壁の奥には笑顔が隠されていることが分かった。人を蕩かす極上の破顔だ。私はオフビートに日参し、やがて友人となり、そして戦友となった。

 98年の日本選手権は、ほぼ二人で調整した。《ドルイドの誓い》。相手が自分よりも多くクリーチャーを出していれば、自分もライブラリーをめくってクリーチャーを出せるエンチャント。漠然と可能性を感じた私は、適当に馬鹿デッキを構築。うわっ、よわっ。そりゃそうだ。誓いに重量クリーチャーを足しただけのデッキがまわるわけない。だが、練り込み続けるうちに馬鹿は馬鹿なりにまとまってきた。更に続けると、わりと対処できなくなった。あれれ。そして、イタルが口にしたのだ。

「これで出ちゃおう」

 私は頷いた。イタルが言うなら間違いない。

 結果は、冒頭の通りだ。二人一緒に日本代表になる。イタルとの誓いを私は守れなかった。イタルは2位に入賞したが、私は5位。そう、その昨年に続きまたもや5位。日本代表になれるのは4位までだ。私はトイレで絶叫し、泣いたのだ。あー、恥ずかしい。

 そんな恥ずかしい男にも、イタルは優しかった。帰り道、長崎ちゃんぽんで残念な晩飯を啜っているとイタルが真剣な表情で呟く。

「俺、世界選手権行かない」

 イタルは自身初となる日本代表入りを決めた直後だ。本来であれば、飛び上がって喜び祝杯をあげているべき流れ。だが、調整パートナーである私の無念を感じ、共に悲しみ、そう申し出てくれた。イタルは、自然とそれができる男なのだ。

 というか、冷静に振り返ると、年上の私こそがイタルの入賞を祝福すべき時。あー、恥ずかしい。

 その後のイタルのプレイヤーとしての活躍はご存じの通りだ。イタルは多くの友人と遊び、笑い、知恵を貸し、切磋琢磨し続けた。マジック弱小国に過ぎなかった日本は、最強国の一つへと躍進した。そうなれた要因の大きな一つは、間違いなくイタルだ。

 一方私は、マジックを遊び続ける傍ら、ウィザーズが作る別ゲーム「デュエル・マスターズ」の開発に携わることに。色々やるうちに手が足りなくなり、人手を増やそうという話がでた。勿論、声をかける相手は決まっている。そして、イタルは快諾してくれた。

 ゲーム全般への深い造詣に、アニメ・マンガに関する豊富な知識。頭の回転が速く、人柄もいい。加えて、カラオケでの歌唱力。イタルは直ぐさまチームの一員として活躍。欠かせない存在となった。

 イタルとは、イナズマイレブンTCGの企画が動き始めたあたりで、訳あって違う道を歩むことになった。ただ、違う道ではあるけれど、その道は決して交わらぬ道ではない。互いに何をしているかは分かるし、色々な場で顔を合わせては近況を報告しあい、ゲームについて語りあいもする。単に、互いが作るゲームが違うだけだ。

 いつまでもそれが続くと思っていた。いつまでも同じままだと思っていた。年を重ねてから、互いのもうろくしたプレイングを笑い合うんだと思っていた。勝手に確信していた。

 だが、昨日会ったイタルは棺に入っていた。安らかな表情で。まるで、地球上のゲームは全て解き終えちゃったからね、みたいな感じに。

 でも、私たちはまだ解き終えていない。イタルのいない状態に慣れてもいない。どう考えたって慣れようがない。忘れてもらっちゃ困る。私はしぶといし、諦めが悪いし、引き分けが多い男だ。Wikiにもそう書かれている。絶対に慣れてなんかやらない。ちょくちょく思い出すし、引用するし、皆に偲ばせ続けてやる。これは、新たな誓いだ。

 だから、安心してプロツアー天国で勝ち続けてくれ。

 いずれ我々が参戦する時まで。

 その時まで、安らかに。



射場本 正巳(ウィザーズ・オブ・ザ・コースト 本社開発部/髑髏団)

イタルへ

 突然だった。今でもまだ実感がない。

 シャイで、口をとんがらせて、まっすぐで、ガハハと笑って、きまじめで、いつまでたっても少年のような、色んなイタッチが思い浮かんでくる。

 イタルは半生をともにした友人であり、仕事仲間であり、歳の近いいとこのような存在だった。

 ほぼ毎日DCIトーナメントセンターで過ごしていた学生時代、フジケン組の仲間たちは家族よりももっと近い存在だった。フジケン組はマジックの調整チームではなく、マジックを通して知り合った気の合う仲間たちだった。

 10代で出会って以来、苦かったり酸っぱい思いもしながらいわゆる青春の日々をイタルと一緒に過ごしてきた。その頃の自分は酒が飲めなかったので飲み会に一緒に行くことは少なかったが、酒を飲まなくても一緒にバカが出来る仲間はそうはいなかった。焼肉屋で食べきれない量の肉を前に右往左往した日がついこの間のように感じられる。

 毎晩定食屋でアニメ談義に花を咲かせ、カラオケや麻雀などマジック以外の時間を共にすることのほうが長かった。驚くほどマジックのことには触れなかった気がする。多分その頃の自分は無駄に負けず嫌いだったので、マジックに関しては勝手にイタルに対抗心を燃やしていたのだろう。違うデッキで勝ってやるという意地みたいなものがあったんだと思う。自分の中の越えなければいけない壁がイタルだった。

 少し近づけたかなと思った頃にトーナメントプレイから離れることになった。活躍し続けるイタルを傍から見ていることはもどかしくもあったが、なにより誇らしかった。グランプリで初タイトルを取ったときは飛び上がったのを覚えてる。

 復帰した時にはすでに手の届かない存在になっていたが、素直にまた一緒にマジックできることがうれしかった。きっと俺たちは一生マジックをやり続けるんだと、じいさんになってもシニアシリーズに出ようと笑いながら話した。

 自分がウィザーズで働き始めた後、パートナーとして一緒に仕事をするようになった。お互いの考えも汲みやすく、アイデアを出し合う時も波に乗りやすかった。仕事が楽しくて仕方ない、そう思わせてくれる心強い仲間だった。残念ながら途中で別のチームになってしまったけれど、いつか戻ってくると信じていた。また一緒に仕事できる日を心待ちにしていた。

今でもイタルの思いは当時のカードの中に詰まっている。そう思ってカードを眺めると切なくも懐かしく思える。

 これからイタルに誇れるカードを一つでも多く作っていきたい。

 あとしばらくしたら自分も普通の生活に戻るだろう。きっとイタルの分もカラオケで歌い、新作アニメを見て、ゲームをし、新しいエキスパンションでドラフトをする。

 いつかあっちに行くときの土産話をたくさん作っておくから、またバカ話しながらマジックをしよう。

 まだまだ先になると思うけど、待っていてください。



藤田 憲一(フジケン@髑髏団)

 どうやら今回頼まれた人間の中では、付き合いが始まった時期が一番古いのは自分のようなので、昔話から入ろうと思います。

 自分がMTGを始めたのは1995年、大学生のころでしたが、ある日知人に連れられて訪れた伝説の代々木マックで出会ったのが、当時高校一年生だった「最強の高校生」石田格でした。自分が大会どころか知り合いでない人間とプレイすることすら初めてだったその当時から、彼は周囲の大人から一目置かれる、文字通りのトッププレイヤーだったのです。当時は現在ほどトレーディングカードゲームを楽しむ環境も整っておらず、金銭的にもなかなか負担の大きい趣味だったので、プレイヤー層はどちらかというと社会人が中心でしたが、比較的年齢が近い我々は、学生グループということで親しい間柄でした。共通の趣味もあって、よく夜通しドライブとかもしたもんです。

 とはいえ、若いころの格は、言っちゃなんですが今よりも一本筋が通った頑固さがあり、ある意味攻撃的な人間でした。周囲の人間との衝突も多く、自分とも、数か月口をきかないようなことが二回あったりもしました。まあ、結局時が経てば誤解も解けてキチンと和解していましたが、当時を知る人間は「格は怖かった」という印象を抱いている人も結構多いんじゃないでしょうか。そんな格も、年を経るにつれてどんどん丸くなっていきました。おそらく、この辺りの格が、みんなの記憶に残っているころだと思います。

 一番思い出深いのは、格が個人戦初タイトルを獲得した2001年のグランプリ・神戸です。実はこの時、Bye3明けの4回戦で自分と格は当たっているのですが、格先勝から事故×2で自分が勝利してしまいました。非常に悔しそうにしていた格ですが、結局そこから勝ち進んで、優勝に輝いたのはご存じの通りです。そして、優勝が決まった後、格が自分のところに来て、「フジケン、やっと勝ったよ!」と本当に嬉しそうに握手を求めに来てくれました。あの笑顔は今でも覚えています。ボストンに行った時の話や、オフビートでのいろいろなエピソードなど個別の話はたくさんありますが、そのあたりの話をしだすとキリがないので、また別の機会にしたいと思います。

 いろいろな意見はあると思いますが、20年近く間近で見ていた人間の一人として、石田格は日本最高のMTGプレイヤーだと思います。思い出補正抜きでそう確信しています。死に際しての彼の最後の言葉をご尊父から聞き、「ああ、自分たちはとんでもない才能と一緒に貴重な時間を過ごしていたんだな」との思いを改めて抱きました。そんな彼が、33歳という若さで逝ってしまうとは…やりきれない気持ちでいっぱいです。

 ありがとう、石田格。

 世の中にカードが存在する限り、我々は君のことを忘れることは無いだろう。

  R.I.P.



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