20の年、20の教訓 その2

更新日 Making Magic on 2016年 6月 6日

By Mark Rosewater

Working in R&D since '95, Mark became Magic head designer in '03. His hobbies: spending time with family, writing about Magic in all mediums, and creating short bios.

2016年6月6日

 今年の「Game Developers Conference」で、私は20年間続けてきたマジックのデザインについて、そしてマジックから得た多くの教訓について話した。先週、今週、来週の3回に渡り、その発表と話した教訓を記事にしている。先週は最初の6つまで終わったので、今週は7個目から始めることになる。

教訓#7

 この話はウィスコンシン州ミルウォーキーに向かう飛行機の中から始まる。私はウィザーズの多くの人と一緒に、アメリカ最大のゲーム大会、Gen Conへ向かっていた(このイベントは当時ミルウォーキーで開催されていた)。私は、残念ながら今年世を去ったクリストファー・ラッシュ/Christopher Rush(クリス)の隣に座っていた(私はポッドキャスト1回分を使って彼を追悼している。涙なしには聞けない話だ(英語、mp3ファイル))。知らない諸君のために書いておくと、クリスは長年に渡りウィザーズで働いており、私は彼に出会うことができてとても幸せだった。なんにせよ、その飛行機で、クリスは私の隣に座っており、私たちは会話していたのだ。

 彼は、基本土地の新しい方法について考えがあった。いわく、「基本土地が何をするのかは誰でも知っている。その説明のために無駄に場所をとる必要はない。カード全体をアートに使ってみよう」と。

 他のメンバーが彼のアイデアについてどう考えているかと聞くと、クリスは、誰も同意しなかったと言った。プレイヤーは基本土地に意識を向けておらず、注意をひくこともないだろうと。クリスはそうではないと確信していたが、誰も同意はなかったという。私は彼に、それは素晴らしいアイデアだと思う、と答えたのだ。

 それから1年が過ぎ、私は『Unglued』に取り組んでいた。目標は、伝統に挑み、新しいことを試すセットを作ることだった。基本土地のサイクルで何かをしたいと考え、そしてクリスとの会話を思い出したのだ。このセットは奇妙なものなのだから、全面アートの土地というアイデアに誰も驚かないだろうと、私は全面アートの土地を作ることにした。私はクリスのところへ行き、そして描いてほしいカードがあると告げた。全面アートの《平地》を描いてほしいと。クリスは素晴らしい笑顔を見せてくれたのだった。この話から得られたのが、次の教訓である。

教訓#7:プレイヤーが、ゲームを自分のものだと思うようにせよ

 大学で、私は広告学の講義も受けていた。そこで、非常に興味深い事実を学んだのだ。棚に物を並べている店舗で、そのどの商品もそれまでに買ったことがない顧客が一番買うものは、ブランドの知名度で決まるのだという。その理由は何か。

 それは脳の気まぐれによるものである。脳は、知っているということを品質と関連付け、知っているもののほうが良いものだと考えるのだ。認識していることと重要性とが関連付けられ、知識は質とイコールで結ばれるのだ(心理学側の諸君のために説明しよう。厳密には、知識は知名度につながり、知名度は優先傾向につながり、優先傾向は質に繋がるのだ)。

 ゲームデザインにおいて、これは、プレイヤーにそのゲームへの個人的なつながりを持たせることが重要だということになる。プレイヤーがそのゲームのことを自分たちのものだと感じれば感じるほど、彼らの脳は肯定的に考えるようになるのだ。そのためにどうすべきかというと、プレイヤーに多くの選択肢を与えるのだ。様々なリソース、様々な道、様々な表現を与えるのだ。プレイヤーに選択の余地(そして選択しないという選択肢)を与え、その選択が「自分たちのものだ」と感じられるようにすべきなのである。

 マジックはこの点で成功している。プレイヤーにあらゆる選択を委ねている。プレイヤーは色やクリーチャー、登場人物、陣営、イラスト、枠、何でも選ぶことができるのだ。結局のところ、クリストファー・ラッシュはそれに関わっていたのだ。

教訓#8

 この教訓は2013年、『ラヴニカへの回帰』ブロックの第2セットである『ギルド門侵犯』の話になる。このセットで、我々は《道迷い》というカードを作った。

 これは何の変哲もない、リミテッドやカジュアル構築でプレイされることを想定してデザインされたカードだった。我々の誰も、このカードがセットで一番影響力のあるカードになるとは思わなかったのだ。その理由は、こいつにあった。

道迷い》 アート:David Palumbo

 フブルスプ。巨大都市の中で迷子になっただけの、小さなホムンクルスだ。プレイヤーは彼が好きになった。彼を元ネタにしたミームを作り、マジックのアートに彼を描き込み、マジック以外のイラストにも描き込み、ついには場所を選ばず可能な限りどこにでも描くようになった。コミックやグリーティング・カードにも。そしてウィザーズもこの遊びに加わった。我々は、携帯電話カバーやキーチェーン、ぬいぐるみまで作ったのだ。忘れられるようなカードの使い捨てキャラクターだったフブルスプは、マジックの象徴になったのだ。このことから得られたのが、この教訓である。

教訓#8:プレイヤーに愛されるのはゲームの細部である

 プレイヤーが自分の選択を掘り下げていく中で、彼らは絆を感じるものを探していく。ゲームの中で、自分のものだと考えられる部分を手に入れたいと思っているのだ。マジックにおいて、プレイヤーはカードや登場人物に絆を感じるが、場合によっては1枚のイメージに絆を感じることもある。

凶暴な殴打》 アート:Wesley Burt

 つまり、個人がゲームに絆を感じるのは細部を通してなので、細部が重要になるのだ。重要に思えないものこそが重要なのだ。そういった細部はほんの少数の人にしか重要ではないが、その人たちにとってはそのゲームに絆を感じる原因となり得て、つまり何より重要でありうることになる。

 プレイヤーは強く個性を求めるもので、つまりゲームの隅にある何かに特別な絆を感じるものである。大きな要素は注意を集めすぎるので、プレイヤーが情緒的な絆を強く感じるのは小さな要素ということになる。つまり、細部は決して無意味などではないのだ。

教訓#9

 マジックのプレイの仕方は色々あり、我々はそれをフォーマットと呼んでいる。フォーマットの中には、スタンダード、モダン、ブースタードラフトのように我々が作ったものもあれば、Pauper、皇帝戦、統率者戦のように我々でなくプレイヤーが作ったものもある。今回取り上げるのは、最後に言った「統率者戦」である。

 統率者戦は、一日ずっとジャッジをしたあとで何かをプレイしたいと考えたジャッジたちが始めたフォーマットである。彼らはそこに何らかのフレイバーを求め、『レジェンド』セットにいた5体のエルダー・ドラゴン・レジェンドに注目した。時が流れて、伝説のクリーチャー、つまりマジックの特定の登場人物を表すクリーチャーに注目するように進化していった。

 統率者戦をプレイしたことがない諸君のために説明すると(ここでは単純化して説明する)、伝説のクリーチャーを自分の統率者として選び、そのあとで2つの大きな制約に従うように他のカードを99枚選ぶ。制約とは、1つ目が、すべてのカードは自分の統率者の色であるということ。2つ目が、基本土地以外の同名カードは2枚以上入れられないということ。つまり、100枚のシングルトンのデッキを組むということになる。

 統率者戦はゆっくりとコミュニティに浸透していった。やがて、ウィザーズが統率者戦用の商品として『統率者(2011年版)』という商品を作るまでに大きくなったのだ。この商品は大成功を収めたので、今は毎年『統率者』商品を発売している。このフォーマットは育ち続け、今となっては最もよくプレイされるカジュアル・フォーマットとなった。このことから得られた教訓が、これである。

教訓#9:プレイヤーにその所有感を認めること

 プレイヤーが選択を行い、細部に絆を感じたら、次に進むことになる。カスタマイズを加えるのだ。プレイヤーに、彼ら自身に独特のものをつくることを認めるのである。マジックの場合、統率者戦のようにフォーマットにこのカスタマイズを加えることもありうるが、ほとんどの場合はデッキ構築を通してカスタマイズが行われることになる。

 プレイヤーは任意の60枚のカードを選ぶことができる。フォーマットによっては枚数が異なる場合もある。15000種類以上のカードの中から選ぶことができるのだ。そして、そうして選んだカード1枚ごとに、どのバージョンを入れるか選ぶことができる。その結果、ただデッキを作るというだけではなく、自分自身を表現する、自分のデッキを作ることになる。つまり、自分のデッキが勝利したら自分が勝利したことになるのだ。もはやそのデッキは単にマジックの一部というだけではなく、彼ら自身の延長上にあるものなのである。

 ゲームデザイナーとして、我々はこの基本的な人間の要求を理解しなければならない。単純に、自分が手がけたものには、より深い絆を感じるものなのだ。カスタマイズはただ何人もの手で何かを作るための方法というだけではなく、プレイヤーにゲームを自分のものにするための道具を与える方法でもあるのだ。

教訓#10

 この教訓の元になったのは2枚のカードで、その1枚目が『未来予知』の《召喚士の契約》である。

 これは、マナを支払わずに唱えることができる呪文である「契約」サイクルに属する5枚のうちの1枚である。その代わり、次のターンに規定量のマナを支払わなければゲームに負けることになる。私は、このメカニズムのことを信用買いのようなものだと考えることにしている。しばらくの間はただで済むが、いずれ決済しなければならないのだ。《召喚士の契約》は、自分のライブラリーから緑のクリーチャー1体を探してきて、それを自分の手札に入れることができる。《召喚士の契約》を唱えるのにマナがいらないので、浮いたマナを使ってライブラリーから持ってきたクリーチャーを唱えることができるのだ。

 2枚目は、基本セット『基本セット2010』の《集団意識》である。

 《集団意識》は、インスタントやソーサリーを他の各プレイヤーのためにコピーするというエンチャントである。このカードは多人数戦で色々と面白いことをするようにデザインされたものだ。《予言》を唱えて2枚カードを引こうとしたなら、他のプレイヤーもそれぞれが《予言》を唱えたことになり、2枚カードを引くことになるのだ。

 この2枚のカードを組み合わせたらどうなるか。まず、《集団意識》を唱える。その後、《召喚士の契約》を唱えると、他の各プレイヤーも《召喚士の契約》を唱えたことになる。つまり、それぞれが自分のライブラリーから緑のクリーチャー1体を探して手札に入れることができる。ただし、全員が緑をプレイしているわけではないので、クリーチャーを手に入れることもできないプレイヤーも多いのだ。しかし、興味深いのはそこではない。各プレイヤーは信用払いをしていることになるのだ。そして、次のターンに{2}{G}{G}を支払わなければゲームに負けることになる。そのコストを支払うだけの{2}{G}{G}のマナを出せない多くのプレイヤーは、次のターンに負けることになる。

 この2枚コンボの興味深いところは、それぞれのカード1枚で見ると全く違うことをするカードだ、ということである。《召喚士の契約》はクリーチャー1体を手に入れるだけ。《集団意識》は呪文をコピーするだけ。どちらも、単体ではゲームを終わらせるようなものではない(自滅することはあるが)。組み合わせると、どちらの1枚でもできないことをできるのだ。このことから得られたのが、この教訓である。

教訓#10:プレイヤーが掘り下げる余地を残せ

 プレイヤーに選択肢、細部、カスタマイズを認めている。次は、提示について話すことになる。私はゲームデザイナーになる前、まったく違う仕事をしていた。私は、ハリウッドでホームコメディのライターをしていたのだ。その仕事で重要なのが、ピッチと呼ばれるものだった。部屋いっぱいの人の前で、ストーリーに関するアイデアを売り込むのだ。ピッチはハリウッドのライターにとって非常に重要なので、そのやり方に関する講座が開かれているのだ。

 私がその講座で学んだことの第一が、受け手に話すのではなく受け手と話せ、というものだ。その一例として、こんな技法を学んだ。受け手に物語の筋を単に話すのではなく、その部分部分だけを話して受け手に質問させ、そしてその質問に応える形で物語についてさらに説明していくのだ。これが有効な理由は、自分から求めたものにはそれだけ集中するものだからである。ピッチにおいて受け手に質問させることで、彼らを会話に参加させることができるのだ。彼らは自分の質問への答えを聞くことに集中することになる。

 ゲームデザインにおいて、これは、プレイヤーに知らせたいものすべてを見せるべきではなく、彼らに見つける余地を与えるべきだということになる。プレイヤーに選択肢、細部、カスタマイズを認め、さらに発見の余地を与えるのだ。自分で見つけたものには、それだけ集中するものだからである。

教訓#11

 ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社員の大半はマジックのやり方を知っているが、そのほとんどは開発部員ではない。何年も前に、開発部はこのリソースの利点を活用できるということに気がついた。毎セットごとに、我々は「レア投票」と呼ぶものを集めた。我々は社内からマジック好きを集め、開発中のセットのレアや神話レアを見せ、そしてそれらのカードに10点満点で点数付けをしてもらうのだ。なお、ブースターから出たら嬉しくないのが1点、手にしたときにとてもエキサイティングなのが10点である。

 我々は何年も、レア投票を行いながらその手順を改善し続けてきた。長い間続けているうちに、多くのことを学んだ。その1つを今から質問形式で言うので、答えを読む前に考えてみてくれたまえ。カードが2枚あって、1枚はすべて7点。もう1枚は1点や2点が半分で、9点や10点が半分。この中のどちらか一方しかセットに入れられないとしたら、どちらを選ぶべきか。どちらを選ぶか決めてから、次の段落へ読み進んでくれたまえ。

 開発部は、ほとんどの場合に1~2点が半分で9~10点が半分のほうがよい選択であると理解した。嫌われないことを優先するより、強い印象を与えることのほうが重要なのだ。このことから得られた教訓が、これである。

教訓#11:そのゲームを誰もが気に入っていても誰も惚れ込んでいなければ、失敗することになる

 この教訓を説明するための例えにちょうどいいのが、初デートだ。初めてのデートの前には、重要だと思うもののリストを作るものだ。では、そのリストのすべての条件に当てはまっても気が合わない相手と、この上なく気は合うがリストの条件で当てはまらないものがある相手、どちらを選ぶだろうか。ほとんどの諸君は後者を選ぶことだろう。強い長所がなければ、短所が少ないことには何の意味もない。デートの目的は欠点を減らすことではなく、興奮できる相手を探すことなのだ。上手く行かない可能性もあるが、2回めのデートにこぎつける可能性はずっと高いことだろう。

 プレイヤーをすべてに惚れ込ませる必要はないが、何かに惚れ込ませる必要はある。何かが感情を揺さぶり、ゲームへと惹きつけなければならない。プレイヤーが何かを嫌うことを恐れてはならない。誰も何にも惚れ込まないことのほうを恐れるべきなのだ。強い反応を呼び起こすものは、様々な方向の強い反応を呼び起こすことが多く、つまり誰かが惚れ込むようなものを作ろうとすれば誰かはそれを嫌うことになるのだ。実際、他のプレイヤーが惚れ込んだものを嫌うのが好きなプレイヤーもいるのだ。否定的反応を恐れるのをやめて、強い反応を呼び起こさないことを恐れるべきなのである。

教訓#12

 次の教訓を得たのは、2012年5月、『アヴァシンの帰還』のときのことである。その中に、ティボルトというデビル・プレインズウォーカーがいた。当時我々は様々なプレインズウォーカーを作っていた。3マナ、4マナ、5マナ、6マナと存在していたが、2マナというのはそれまで作ったことがなかったのだ。ティボルトを2マナのプレインズウォーカーにするというのはどうだろうか。ここで重要なのは、2マナというのがカードや人物に由来するものではないということである。我々は、2マナにできるかどうかを見るためだけに2マナにしたのだ。

 ティボルトは出来上がり、最悪の出来だった。2マナのプレインズウォーカーを、プレインズウォーカーとして充分な強さにすることは難しすぎたのだ(後に、『マジック・オリジン』で、伝説のクリーチャーとして戦場に出て特定の条件で変身する両面プレインズウォーカーを作った。これによって軽いプレインズウォーカーを作ることができるようになったのだ)。プレイヤーは不満で、ティボルトは市場調査史上最低評価のプレインズウォーカーとなったのだ。このことから得られた教訓が、これである。

教訓#12:何かができることを証明するためにデザインしてはならない

 クリエイターというものは自我を表現するものであり、強い自我を持っているものである。自我を持つことは問題ないが、自我を原動力にしてはならない。良いゲームデザインの目標が、「対象となる受け手に最適化した体験を与えること」であるということを忘れてはならない。判断はゲームのためであるべきで、自分自身のためであるべきではないのだ。「この決定は対象の受け手に最適な体験を与える助けになっているのか、それとも内面の欲求を満たす自己満足のためのものなのか」と自問するべきである。もし後者であれば、その理由付けは間違っているのだ。

 ゲームを作る人々はゲーマーである。ゲームを作ること自体をゲームとして考えることも容易い。しかし、自分が楽しむことや自分に挑戦すること、自分が何かをできると示すこと、それらはどれも何かをするための理由にはならない。自分の動機を確認し、それがゲームをあるべき姿にすることであって、ゲームを使って自分の能力を示すことではないようにしなければならない。私の20個の教訓の中で、一番習得するのが難しいのはこれかもしれない。

教訓#13

 この教訓の舞台は2004年、『Unhinged』というサプリメント・セットのことである。いわゆる銀枠セットに詳しくない諸君のために説明しておくと、銀枠セットはイベントでは使用できない、ユーモアと、通常の黒枠のマジックではできない、あるいはやりたくないようなテーマやメカニズムを扱うためにデザインされたセットである。マジックは非常に競技的なことが多いので、我々はマジックが面白いものだとプレイヤーに思い出してもらうため、『Unhinged』(と、その前に『Unglued』)を作ったのだ。

 『Unhinged』で、私はゴチ/Gotchaというメカニズムを作った。ゴチカードがプレイヤーの墓地にあるときに対戦相手が特定の行動をとったら、そのプレイヤーは「ゴチ!」と宣言してそのカードを手札に戻せるのだ。本質的に、ゴチカードはプレイヤーの行為に奇妙な条件付けをするものとして作られたのである。

 対戦相手が特定の単語を口にすると複数のゴチカードが誘発するが、その単語はマジックでよく使われるものばかりだった。自分の顔に触れた時に誘発するゴチカードもあった。また、テーブルに触れることで誘発するゴチカードもあった。数を口にすることで誘発するゴチカードもあった。手札のカードを弾くことで誘発するゴチカードもあった。笑うことで誘発するものまであったのだ。

 問題は、ゴチを防ぐための正しい方法が、何もしないことだ、ということに発売まで気づかなかったことである。話すのを止め、動くのを止め、笑うのを止める。そう、マジックを楽しむためにデザインされたこのセットには、楽しむときにやろうとすることを明確に禁止するようなメカニズムが含まれていたのだ。このことから得られた教訓が、これだ。

教訓#13:楽しい部分が勝利のための正しい戦略になるようにせよ

 楽しいことを探すのはプレイヤーの仕事ではない。ゲームデザイナーは、プレイヤーが見つけられるところに楽しさを配置するのが仕事である。プレイヤーがゲームをするために席についたら、ゲームが求めることをすれば楽しいというのはゲームデザイナーから無言のうちに示された約束なのだ。だからほとんどのプレイヤーは、それが楽しくなかったとしても、ゲームが求めることをして目標(勝利)を目指すのである。ゲームが終わったとき、楽しめていなかったプレイヤーは文句を言うだろう。それは当然だ。

 ゲームで成功するための手法がゲームの楽しさそのものであるようにすることはゲームデザイナーの義務である。楽しいことは、脱線であってはならず、ゲーム体験の中核でなければならないのだ。これはいくら強調しても充分とは言えない。楽しいことを隠してプレイヤーがそれを探すようにしてはならない。楽しいことを探すのはプレイヤーの仕事ではないのだ。プレイヤーを楽しみへと導くのが、ゲームデザイナーの仕事なのである。

13個終わって残り7個

 3分の2まで終わった。いつもの通り、諸君からのこの記事やゲームデザインに関する考え全般についてのフィードバックを楽しみにしている。メール、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrGoogle+Instagram)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、「20の年、20の教訓」の最終回となるその3でお会いしよう。

 その日まで、あなたがプレイするゲームの楽しさが常にあなたとともにありますように。

(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)

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