ボーラス年代記:最初の教え

更新日 Magic Story on 2018年 6月 20日

By Kate Elliott

Kate Elliott has been writing science fiction and fantasy for over 25 years, with 27 books in print. She's best known for her Crown of Stars epic fantasy series. Her next book, out in 2019, will be a gender-bent Alexander the Great as space opera.

 前回の物語:双子と双子


 ネイヴァは飛び出した岩の上に屈み、山々を振り返った。彼女らの猟団は険しい風景を何日も旅し、昨日ようやくこの高地に到着していた。ネイヴァがまだ小さかった頃、祖母は彼女とベイシャをこの高地に連れて来たことがあった。当時、山々は深い雪と巨大な氷河に覆われていた。今や積雪は斑模様で、そこかしこに岩が見えていた。氷峰にて彼女とベイシャを殺しかけたあの雪崩だけでなく、かつては凍り付いていた峰から雪と氷は落ちつつあった。世界は変化している。共に自分も変化しなければ、押し流されてしまうだろう。

 彼女は空を見つめ、この数日間自分達を追っていたアタルカ血統の龍の痕跡を探した。だがそれは消えていた。高地を見渡そうと振り返って、彼女は息をのんだ。遠方で細身の龍が素早く降下し、しなやかに身体を波打たせて再び飛び立った。どのような鳥にも真似できない優雅さだった。

 夜営地を見下ろすと、狩人らが毛皮の敷物を巻き取っていた。

「ベイ、あれ見て」

 双子の片割れが隣へやって来て、昇る太陽に目を細めて空を見た。「アタルカの龍じゃないね。長くて細いもん」

「違う血統の龍がアタルカの縄張りで狩りをしてるのか? ところで準備にこんな長くかかるのは何でだ?」 狩人らが武器や荷物をまとめ、行軍の準備をする様子を彼女はもう一度見下ろした。全員が分厚い革の上着をまとう中、最も長身の一人だけは違った。フェクというその男はコラガン氏族生まれのオークで、灰色混じりの固い黒髪を鶏冠のように立てていた。彼だけは上半身裸で、革を編み込んだ分厚い腰巻を身に着けていた。斑模様の背中に二振りの剣を交差させ、左手には頑丈な歩行杖を持っていた。「遅いのはあの老いぼれオークのせいか。何であいつが一緒に来てるんだ?」

「おばあ様のやる事にはいつも理由があるよ。静かにしな、おばあ様が来たよ」

 ヤソヴァが二人の隣へと這い上ってきて、片膝をついた。目の前に広がる高地はあまりに広く開けており、大地の皮膚が裸にされたかのようだった。成長しきれない木々の途切れ途切れの列が、高地を横切る小川を記していた。荒涼とした風景の中、他にあるのはまばらな草地と湿った窪み、雪解け水のぬかるみ、そして岩屑の中の草からひときわ高く飛び出したむき出しの岩だけだった。風は止むことはなく草を波打たせ、ネイヴァの緩い髪を引っ張った。

岩だらけの高地》 アート:Eytan Zana

「あの龍、見えますか?」 ネイヴァは東を指さした。

「勿論見える」 祖母は眩しい光を手で遮った。「あれはオジュタイ氏族の龍だ。アタルカの縄張りに現れるというのは珍しい。そして珍しいことが良いことであった試しはない」

「たまたま迷い込んだのかも」

「オジュタイの龍が? それはない。彼らは賢く、過ちなどおかさない」

「飢えてるだけじゃない、賢い龍なんているんですか?」

「おばあ様の歴史の話を聞いてなかったの?」 ベイシャが片割れの肋骨を肘で突いた。その威力は分厚い革の上着にほとんど吸収され、ネイヴァはぐらつきもしなかった。「オジュタイはすごい学者なの。その血統も全部、もうちょっと劣るけどすごい学者なんだって」

「龍の歴史の学者であって、人の歴史ではないがな」 苦々しさを唇に浮かべ、祖母が言った。「オジュタイが粛清を開始した。他の龍王はそれに従った」

「粛清?」ベイシャが視線を動かし、ネイヴァはその質問を発したことを後悔した。

「ネイは本当に何も聞いてないなあ」

「私達の年で、槍や弓を一番うまく使えるのが私だ。昔の話を気にしてどうする?」

「お喋りはそこまで」 祖母は身体をこわばらせて立ち上がり、その様子にネイヴァは不安になった。祖母はいつまでも強く身軽だと思っていた。だがその目がネイヴァと合うと、厳しい視線には弱さの一片すらなかった。「遠回りになるが、流れに沿って木の下を進む。あの龍に遭遇することなくウギンの墓まで辿り着きたい」

 彼女は振り返り、カル・シスマの西域を見つめた。

 ネイヴァは尋ねた。「あのアタルカの龍は今も追ってきてるんでしょうか? 昨日から見ていないです」

「私も見ていない。だが消えたとは思いたくない。飽きたのかもしれないし、あの小さな頭で何かを考えた際に、私達を追っていた理由を忘れたのかもしれない。だがアタルカの血統にも、低いながら狡猾なものがいてそれらは特に危険だ。二人とも、真中で私と共に進みなさい」

 ベイシャは笑みとともに頷いた。祖母の近くにいる以上に嬉しいことはないのだ。だがネイヴァの怒りが燃えた。

「ここに来たら私は先行することになっていました!」

「それはオジュタイの龍が現れる前の話だ。一緒に来い」

 祖母はネイヴァの主張を跳ねつけた。

 出発してもネイヴァの不満は収まらず、声を発しはせずとも唇を動かしながら歩いた。双子の片割れは繰り返し彼女を横目で見つめ、肘を突いて挑発し、その馴染みあるからかいにやがてネイヴァの心は和らいだ。物憂げな水の流れに沿って進むその朝の行軍は心地良いものではなかった。藪の中には絶え間なく羽虫が飛び交い、棘のある蔓とイラクサの茂みに悩まされたが、それを顔に出したくはなかった。自分ほどの狩人であれば、そのようなありふれた不快さをいちいち気になどしないのだ。絶え間なく噛みついてくる虫を叩きながら、皆厳しい表情でひたすら進んだ。

 正午になろうとする頃、彼らは川が大きく屈曲した地点に到着した。そこでは流れから離れて深い淵ができていた。祖母は片手を挙げて告げた。「ここで休憩する。魚を採って昼食にしよう。ラカンとソーヤ、見張りを」

 ネイヴァは木々の端まで歩き、葉に隠れて空を見上げた。鷹か鷲か、一羽の巨大な猛禽が遠くを滑空していた。川沿いの茂みに長い尾の小鳥がとまり、飛ぶ昆虫を眼で追っていた。少しして、祖母がベイシャを連れてやって来た。

 ネイヴァは言った。「オジュタイの龍は見えません。縄張りへ戻っていったのかも」

「そうかもしれない」 祖母は彼女を見つめ、やがてネイヴァは居心地悪く身動きをした。あの龍を目撃したことで行軍を遅らせたと叱られるのでは? 「ネイヴァ、お前はよくやってくれている。片割れを守り、ゴブリンを倒し、先を見越して死体を持ってきた。それに愚痴を言うこともなく。お前なら言ってもおかしくない所だ」

 おばあ様に褒められるなんて!

 祖母は先の平原を示した。「あの円形に並ぶ岩はわかるか?」

 流れから少し離れた背の高い草むらの中、人の身長ほどの大きな岩が一つ飛び出していた。まるで巨大なかまどであったかのように、崩れた岩がそれを円形に取り囲んでいた。その一つの上に二羽のハゲワシがとまり、腐肉あさりの物腰で輪の中を見つめていた。何かが死ぬのを待っているかのようだった。

「あの岩に登って辺りをよく見てきて欲しい。ここでは視界が限られている。ハゲワシが怖れないものならば、私達も問題ない。どちらにせよ気をつけて近づけ」

「もちろんです!」

「ベイシャと一緒に行きなさい」

 ベイシャは抵抗した。「おばあ様、一緒に魚を採るつもりだったのに!」

「お前には鍛錬が必要だ。囁く者だとアタルカが察したなら食われてしまうのだから。行け」

 ネイヴァは早く行きたがった。彼女は他の皆に荷物を預け、槍とナイフだけを持って草むらの中へと急いだ。とはいえ草は視界を遮るほど高く、その中を動くと音を立てた。山ではここまで草が高く伸びることはないため慣れておらず、鬱陶しかった。

》 アート:Titus Lunter

 背後でベイシャが息を切らした。「待ってよ」

 物音に気付き、ハゲワシは首をもたげて飛び立った。

「しー、静かに」 近づくとネイヴァは歩みを緩めた。そして近くの岩の粗い表面に背中をつけ、視界が通らない中心をさほど警戒せずに覗いた。

 杖の鈍い先端が顔をかすめ、彼女は急ぎ身を引いてかろうじて避けた。ネイヴァは槍を突き出し、素早く旋回させて相手の杖の先を引っかけると力強く叩き返した。それを手にしていた人物はよろめき、だがネイヴァが再び杖を狙うと避けた。彼女は杖の下に槍をくぐらせて突き、相手は攻撃を受けとめようと杖を回したが、その動きにふらついて後ずさった。彼女は飛び出して、相手を地面に打ち倒そうとしたが、そこで動きを止めて見つめた。

 若い男がそこにいた。杖にもたれながら激しく息をついていた。衣服の左肩は新鮮な血に濡れ、首から顎までが赤く染まっていた。

 男は苦痛に震えており、殺すのは容易だった。そしてアタルカの縄張りに侵入したことは殺す理由に値した。だが男が杖を更に強く握りしめ、背筋を伸ばして立つと彼女は躊躇した。それは誇りある戦士の物腰だった。

 かすれた声で男は言った。「ティムール氏族の方ですね。龍爪のヤソヴァ殿を探しています」

 その言葉に力尽きたかのように、男は意識を失って地面に倒れた。

 ベイシャが隣にやって来て男を見つめた。「この人誰?」

「おばあ様を呼んでこい」

 そっけない命令に気分を害したかのようにベイシャは鋭く息をつき、だが彼女は急ぎ戻った。

 ネイヴァは槍先を男の首筋に押し当て、狩人らしく待った。静寂の中、その男をつぶさに観察することができた。頭を剃っており、緩いズボンに明灰色の上着と飾り帯、ベルトには金色をした美しい円形の留め金が、細い銀の鎖で飾られていた。視界の端に動きがあり、中央の岩に二体のハゲワシが降り立った。

「この男を生かす価値はないとおばあ様が判断したなら、食ってもいいぞ」 彼女は鳥たちへそう告げ、だが視線は男へと定められていた。閉じた目、わずかに開いた唇、痩せた頬。共に育った他の若者とは全く異なっていた。謎めいており、好奇心をそそった。

 男は身動きをし、うめいた。起き上がって再び攻撃してくるのではと彼女は身構えたが、再び顎を落として動かなくなった。ベイシャが背後に巨体のオークを従えて戻ると、彼女は下がった。フェクは石の輪に守られたその一帯を注視し、問題がないことを告げる口笛を鳴らした。

 そしてようやく祖母が姿を見せた。彼女は意識のない男の周りをゆっくりと歩き、隅々まで見つめ、そして屈むと力のない手から杖を取り上げた。

「龍爪のヤソヴァを探していると言っていました」とネイヴァ。

「私が見た幻視の通りに」 ベイシャが興奮して続けた。

「この男を見たのか?」 最初にこの男を見つけたのは自分でありたかった。

「違うよ、この人のことじゃない。私はあの言葉を聞いただけ。覚えてない?」

 その声に気付いてか、もしくはずっと意識を取り戻そうと奮闘していたのか。男の瞼が数度動いた。その僅かな動きすらも傷を悪化させた。苦痛の息とともに男は起き上がり、目を開けた。瞬きをし、視線を少女一人からもう一人へ動かし、そして困惑に目を狭めてそれを繰り返した。

「頭を強く打ち過ぎたのでしょうか? 同じ顔が二つ見えます。ティムールの囁く者には、自身の複製を氷から作り出す力があると聞きます。どちらか片方は魔法の映し身なのですか?」

 祖母は手にしていた槍を強く握りしめた。黒曜石の先端の、ごく普通の槍。かつて全ティムールの支配者という地位を告げた高名な龍爪のそれではない。「お前はオジュタイの龍から追われている、違うか?」

「その通りです」

「お前を殺して龍王に差し出すこともできる。お前の存在は我らが民を危険にさらしている」

「殺したら駄目です」 ネイヴァが主張した。「おばあ様を探しに来たんですから! 傷を治さなかったら、死んでしまいます」

「誰もが死ぬ、遅かれ早かれ」 断固とした穏やかな口調で、祖母は答えた。「これはオジュタイ氏族の何かが私を探し出そうという罠の可能性もある」

「では貴女がヤソヴァ殿、過去の番人にして書かれざる今の守り手なのですね」

「それがお前に何の関係がある?」

「三か月前のことです。我が師が夢を見られました。そして目覚めると私には遥か長い旅をする定めがあると告げたのです。師は今こそ我らの秘密を共有する時と仰りました」

「秘密を知っていると言う者は多いが、共有する価値のあるものは僅かだ」

 男はもう少しの言葉を紡ぐ力を求め、粗い息を数度ついた。「オジュタイ様はシュー・ユン大師が長きに渡って保存されてきた記録を破棄しました。そして我らが過去や祖先の記憶をも破棄したがっています。民は龍王が望む過去のみを知っていれば良いのだと。ですが精霊龍が最初の巫師へと伝えた物語は残っております、それらは記されただけのものではないために。記録されるだけでなく、師から弟子へと伝えられ、記憶されて次の世代へ渡されるのです」

 祖母の額に皺が刻まれ、両目にかすかな光が宿った。興奮、恐怖と希望の戦慄がひらめいた。「精霊龍がお前の氏族の巫師へと?」

「そうです。私も知って――」 男は言葉を切り、咳込んだ。赤い滴が顎を伝い、粗く息をして意識を保とうとした。

「その怪我じゃもう喋れません!」 ネイヴァが叫んだ。

「ネイの言う通りです」 ベイシャが同意した。「この人の言葉が本当だって、証明させてあげてください」

 祖母は眉をひそめた。「フェク、オジュタイの龍は見えるか?」

 オークは小さな岩の一つの上に屈んでおり、だがネイヴァはその悪い足でどうやって登ったのかを想像できなかった。「空に動くものはありません。俺には悪い知らせのように思えます」

 祖母は若者の隣に膝をついた。「お前の名は何という?」

「テイ・ジンと申します、龍爪のヤソヴァ殿」

「その肩書を二度と口にするな」

 彼女は男が傷に押し当てていた手を外して脇にやった。圧迫が失せて直ちに血が衣服を濡らした。祖母は手袋を外し、指を広げて素手を傷の上に置いた。魔力の輝きがその手を照らし、生命力が灯火のように男の身体から苦痛を燃やし尽くしていった。男は歯を食いしばり、音は立てず、だが吹きつける冷たい風にもかかわらず、額には汗が浮かんだ。

 そして魔力は消えた。祖母の両目は消耗して弱々しく見え、だが腰を下ろすと治癒魔術によって消耗した様子はなかった。

「私の知らないことを話すのだな。そうすれば生かしておくことを考えてもいいだろう」

 彼は頷き、落ち着いた息を吐いた。「これらは精霊龍ウギンの言葉。古の日々、我がジェスカイの祖の一人へと伝えた言葉」

 そして彼はかすかな、抑揚のない声色で語りはじめた。まるで自分は遥か古の声をただ繋ぐだけの存在であるかのように。


 一つの道を究めんとするならば、学び、反復し、覚えねばならない。知識とは記憶でもある。過去の忘却は我らの一片を失うことに等しい。いかに多くの人々が、過去を完全に忘れ去ってしまったであろうか。

 我が物語は簡素なものだ。最愛の者に、我は斃された。

 何故そのようなことが? それは簡素ではなく、長い話となる。注意深く耳を傾けよ、あやつはいつか戻ってくるやもしれぬ。そしてその時は用心せねばならぬ。あの者がそそのかし説き伏せるその言葉は全て、嘘であろうから。


 祖母は鋭く息をついた。

 ベイシャがその手をとった。「大丈夫ですか? どこか痛むんですか?」

「いや、ただの嫌な思い出だ。先を話せ、テイ・ジン。続きが聞きたくなった」

 その反応を予想していたかのように彼は頷き、続けた。


 我ら龍は空から落ちた。我らを知らぬ、我らも知らぬ大地へと。無論、そこには多くの我ら雛がいた。各々が各々の目でその新たな世界に対峙した。

 他の卵全てと異なり、我はニコルと双子で生まれた。共に目覚め、互いを名乗り、時を同じくして新たな故郷の土に触れた。また姉の死を目撃し、命の保証など何もないと知った、我ら龍ですらも。

 山頂から飛び立ち、我らは兄弟姉妹を探すべく飛んだ。姉の死、そのあまりに短い生と惨い死に、我が心は苛んだ。ニコルにとっては、それは恐怖であったからこその怒りだった。あやつはそうは認めぬであろうが。あやつに遭遇するという不運に見舞われたなら、その長い生において恐怖を感じたことはあったかなどと問いかけることは決して推奨せぬ。

 生き延びた兄弟姉妹については? そなたが彼らの名を聞き及んだことはないと察する。古龍の名はかつて畏敬と尊敬をもって口にされていた。だが忘却は容易い。記憶とは儚いものだ。

 だが生まれ落ちたあの日、初めて空を飛んだあの瞬間、生まれたばかりの瞳で全てを見た時は! なんと広大な空! 朧の雲、緑と獣に満ちた広き大地を流れる川。その全てを、その名を、意義を知りたいと我は心から願った。

 広大な空、朧の雲、ニコルもまた全てを見つめて口を開いた。「あの狩人がお姉ちゃんを殺すの、どうやったら止められたのかな」

「世界をもっと理解すれば、その答えが見つかるかもしれないよ。探検してみたくない?」

「邪魔すればよかった」

「ニコルは動けなかっただろ」

「動けなくたって! 何かできたかもしれないだろ、きみが躊躇しなければ」

「僕たちは、あの時できることをしたんだよ」

「それじゃ足りなかったんだよ! あれを防ぐためにはどうするべきだったか、見つけないと」

「ねえ、この世界に興味はないの?」

「あの狩人が何者なのかは知りたいよ、どこから来たのか、どうやったら倒せるのか。あいつらは僕らの仲間を殺せるってわかったから、僕たちのことは怖がらないだろうし」

「あそこを見て」 ニコルの気を逸らせることを願い、我はそう返答した。「お兄ちゃんがいる!」

 高山の谷に、深く暗い湖が広がっていた。金属光沢を持つ鱗の細くしなやかな龍が一体、剥き出しの平坦な岩に腹部をつけて前肢をその端から伸ばし、形の良い頭部は眠っているかのように水の上に揺れていた。我らが興奮とともに着地点を探して兄の周りを飛ぶと、何か怪物のように巨大なものが湖の水の中で身を翻し、濁った深淵へと姿を消した。岩の上から、明らかな不快感とともにクロミウム・ルエルが鋭く顔を上げた。

アート:Chase Stone

「幼い子たちよ、何故私の邪魔をした?」

「きみと同じくらいだよ! 同じ羽ばたきから落ちてきたんだから!」 許可を得ることもせず、ニコルは兄の隣に着地した。我もその隣へと急いだ。

「君たちは遅く孵った、つまり私より幼いということだ。それに言わせてもらうが、とても小さいじゃないか。君たちを合わせて私と同等くらいだ」 兄は我らをその背格好から推し量るように見つめた。「私は湖の生物を観察していたんだ。邪魔をしてくれたな」

 ニコルは首を曲げて濁った水を覗きこんだ。「狩りをしてたの?」

「狩り? 君が考えるのはそれだけか? 君たちの名は何という? いや、いい。言う必要はない」

「僕たちの名前を言い当てようとしてるの?」 ニコルは嫌味のように言った。

「言い当てるのではない。龍は名を持って生まれてくる。語らずとも互いの名を知るのは私達の天性。自分達の名を、物心つくと同時に知るように」 我らを全く怖れることなく兄は目を閉じ、そしてそれを開くと鋭くも断固とした凝視で我らを探った。その自らへの確信は我を苛立たせ、だが兄が抱く好奇心と自信は興味をそそった。「どうして君たちはそれぞれ一つの名前しかないんだ?」

 岩の割れ目をこすっていたニコルは何も言わなかった。その閉じられた口元から煙が小さく上がった。

「僕たちは双子で生まれたんだ」 我はそう返答した。片割れの行動を、あるいは自身のそれを少々気にしながら。

「なるほど、それで君たちは二つの名前があって、けれど君たち同士で共有しているのか。だから大きさも、そんなに幼く見えることも説明がつくんだな。ふうむ、面白い」

「それが面白いってどういうこと?」 尾を左右に振りながら、ニコルが尋ねた。

「世界の礎となる法則というものが存在するんだ。多くは目に見えないものだから、見つけるのは難しい。勿論、ほとんどの生物にはこの知識を掘り下げる欲求や我慢強さが欠けているんだけど」

「僕には何も欠けてなんていないよ」とニコル。

 クロミウム・ルエルは煙を小さく吹き出し、翼を広げて不快感を表現した。「確かにそうだろう。けれど今は小さい子は帰ってくれ。私は観察に戻りたいんだ。一緒にうるさく喋って、野生生物の邪魔をしたくはない」

「狩りはどうすればいいの?」 ニコルが尋ねた。

「狩りにしか興味がないのか? それならパラディア=モルスの所へ行くといいかもしれない。きっとあれには大きな野心も何もないからな」

 兄は見下ろし、我らはその言葉に頷くと飛び立った。

 広大な草原に、屈曲した角を抱く赤緑色の龍が吼え、四足の獣を追っていた。その最後部に炎を吐きかけると獣は転び、震え、消えた。息絶えた。龍は旋回し、それを食らうべく屍の隣に降り立った。

 ニコルと共に我はそこへ向かった。隣に着地すると姉は赤く荒々しい瞳を我らへ向け、威嚇するようにひと吹きの炎を吐きかけてきた。

「これは私のだ。やるものか」

 丁寧に我は切り出した。「パラディア=モルス、僕らのお姉ちゃんだよね。クロミウム・ルエルから聞いてきたんだ、狩りを学ぶならお姉ちゃんの所へ行けって」

「自分で狩りな」 姉は肉の大きな塊を噛みちぎり、鼻面と歯を血まみれにしながら咀嚼して飲み込み、そして再び我らを睨みつけた。「お前らは小さすぎる、両方とも。龍のできそこないだな。狩りなんてできるわけないだろ」

アート:Svetlin Velinov

「狩りくらいできるよ!」 ニコルは憤って土に爪を立て、そして続けた。「お姉ちゃんよりも上手くできるよ、やり方さえわかれば」

 姉は焦げた獣の屍を拾い上げ、凶暴な笑い声とともに我らへと放った。ニコルは慌てて横に跳んで避けた。だが我はその場に屈んだままでいた、軌道は外れるとわかっていたために。そしてその通りだった。音を立てて死骸は地面に墜落し、我らへと液体が飛び散った。

「そら、残り物をやるよ。この肉は固くて味気ないからな。私はもっと美味いのを自分で採ってくるよ」

 姉はその立派な翼を広げて空へ飛び立ち、羽ばたきの力は暴風となって我らを叩いた。そして逃げ惑う獣の群れを追って姉は去った。我はその死骸の匂いをかぎ、精神の残滓からその名と存在を幾らか把握しようとした。アイベクスの老体であり、平穏な生を営んできた。そしてその血と肉は目の前で心地良い香りを放っていた。

 我は肉の塊を噛みちぎった。少々固くとも、食べることには喜びがあった。「食べてみなよ」

「誰かの食べ残しなんて嫌だよ」 ニコルは尾で立ち、身体を伸ばして自らを高く見せようとしていた。「僕たちはそんな小さい存在じゃないよ。この大地にいるどんな獣よりも大きい。一緒に来る?」

 その死骸を放置していくのは無駄に思え、だが冷えゆく肉を見ると、昆虫らがその皮膚に潜り込もうとしていた。そして小型の肉食獣らが近くへにじり寄り、安全な距離を保って我らが去るのを待っていた。目に見えぬ小さな生物らも死肉をあさり始めた。腐敗とは食い尽くされることでもある。

 その発見は熱い嵐のように我を襲った。生と死の目に見えぬ網の中では、無駄になるものなど何一つない。

 驚くべき知啓に打たれ、我は言った。「死も、ずっと大きな循環の一部に過ぎないんだ」

「僕は何か倒したいよ」 ニコルが言った。「ねえ、一緒に来る?」

 一緒に来るかと尋ねられたのはこれで二度目だった。確かに、我らは離れたことなどなかった。常に互いの声が届く距離にいた。あやつが隣にいない世界など想像すらできなかった。

「うん。一緒に狩りをする方法を探そう」

 龍とは天性の狩人である。我らはそのように生を受けた。狩り、名付け、知識を蓄える。だがそうであっても、この平原に駆けるアイベクスやガゼルは足取り軽く、攻撃を避けるすべを心得ていた。我らの捕獲よりも、あれらの逃走は長けていた。

 一度、我らがようやく小型のガゼルを追い詰めたその時、パラディア=モルスが音も無く飛び込んできた。冷やかすように容易く、姉は我らの鉤爪が届く寸前にその獣を掴み上げた。嘲る咆哮とともに姉は獣を掴んだまま飛び去った。ニコルは姉を追いたがって暴れたが、我がその尾に噛みついて引き留め、落ち着くのを待った。

「挑発に乗ったらお姉ちゃんの勝ちだよ。それでもいいの?」

 あやつは深い憤慨から薄黒い煙の筋を吐いたが、その後我らは姉に邪魔されぬよう、その狩猟場を離れることにした。

「狩りはお姉ちゃんの天性だけど、他は何も考えていないんだ」 我はそう言った。「けど僕たちはお姉ちゃんとは違う。ただ狩りじゃなくてもっと色々なことを考えられる。僕たちにとって狩りはこの世界で生きるための手段じゃなくて、食べるための手段だよ」

 とはいえ、奮闘の末にようやく弱って逃げられぬ痛ましい獣を引きずり倒した頃には我は疲労し、ニコルは心から憤っていた。あやつは獣の四肢を噛みちぎるとすぐさま飲み込み、むせていた。

「あんな狩人が、メレヴィアお姉ちゃんを殺せたなんておかしいよ」 ようやく喋れるようになると、あやつはそう言った。

「黙っててくれないかな、静かに食べたいんだよ」 我は言い、疲労のままに横腹の肉の一筋を咀嚼した。

「あの狩人は力を合わせてた。もし僕たちが力を合わせれば、パラディア=モルスお姉ちゃんよりも上手に狩りができるよ」

 我は物思いにふけりながら食し、あやつの言葉を考えた。確かに我らは姉のように狩りをしていた。各々で、各々の速度と力に頼って。もっと良いやり方があったなら?

 我らは熱い砂丘で身を清めると午睡を楽しんだ。この心地良い休息を経てニコルは憤慨を忘れ、目的に取りかかりたがった。我らは対での狩りの技術を様々に研鑽して年月を過ごした。そなたらジェスカイにとっては数日程であろうか。やがて我らは容易く、いかなる群れからも最も美味で健康な個体を捕える力と技を身に付けた。いかにその群れが大きく、その獣が素早くとも。

 この頃に、我らは新たな領域を訪れていた。数度我らは暴虐のアスマディという巨大で醜悪な龍とその兄弟に襲われた。それらは自分達の狩猟場と主張する縄張りを気性激しく守っていた。十分に広く、取り除くべき多くの狩人が他にいたにもかかわらず。だがそのため、我らは更に遠方へ向かった。大地は広大で、海はそれを覆う不可視の障壁のように思えた。当時、我らは若く無知であった。

アート:Steven Belledin

 ある日、我らは豊かな森が点在する平原の丘に降り立った。その位置からは、人間と呼ばれる二足歩行らが川辺に住まう様子が見えた。通常、我らは人間を避けていた。味は悪く、言葉を話すものを食すのは好みでなかった。

 その定住地は木の梁を石で繋いだ壁に囲まれており、組み合う梁の隙間は土で埋められていた。我らはそれまでにも、小さく脆い人間が数となって身を守るそのような定住地を見てきた。だがそこは遥かに大きな規模で、最も多様な建築物があり、ほとんどの人間がその狭苦しい内に詰め込まれていた。つまりは、我らの距離からも匂いでその様子がわかった。

 驚いたことに、我らが兄であるアルカデス・サボスがその輪を成す巨大な壁の内に住まっていた。一際目を引く、藁ぶき屋根の巨大な木造建築の前に、広々とした庭園があった。平坦な川砂利が敷かれたそこに、兄は心地良く身体を休めていた。渦巻模様で飾られた銅製の盾が兄の両脇を守り、磨き込まれたその輝きは近づく者を映し出すほどであった。兄の前には瑪瑙の粒で満たされた銅の鉢が置かれ、象牙の幹と黄金の葉のしなやかな樹木が飾られていた。

 兄に付き添う人々は金銀の腕輪と胸飾りを身に付けていた。数人の書記官が敷物に足を組んで座し、樹皮布に文字を書き込んでいた。質素な装いの嘆願者がその木の脇にひざまずき、頭を下げて判断を待っていた。

 我はその様子をしばし観察したかった。龍と人とがあのように密接に関わっているというのは極めて驚嘆すべきことであった。だが気短なニコルは早く会いたがった。鱗を太陽の下で眩しい白色に輝かせ、人間に大きな信頼を寄せられて主となっている兄に。

「人間が龍を信頼するなんて知らなかった」

 その人間らは臆することなく兄の周囲を動いていたため、我らも堂々と近づいた。だが街を取り囲む耕作地まで来ると、人々は壁の中へと逃げた。警告の角笛が響き、射手らは壁上の位置についた。我らが近づくや否や、我らの腹部を狙って矢弾が空へと放たれた。数本が我が分厚い鱗に命中したが、それはわずかに刺す程の痛みに過ぎず、危険というよりは迷惑である程度、だが姉が死したあの鮮やかな記憶が燃え、怒りに胸が詰まった。

 ニコルはしばし空高くへと舞い上がり、身体を伸ばして自らを巨大に見せようとした。その屈曲した角が陽光を受けてひらめいた。そしてあやつは優美に旋回し、素早く降下した。炎の息が最も高い塔とその脇に伸びる壁上を焼いた。不運な兵士らは悲鳴を上げ、炎に包まれて落下した。

 巨大な身体がニコルに激突し、あやつを宙でよろめかせた。あやつがかろうじて翼を羽ばたかせて宙に留まると、我らが兄、アルカデスが旋回して次なる攻撃を仕掛けようとしていた。我は二体の間に急ぎ、呼びかけた。

「お兄ちゃん! 攻撃するつもりはないよ。話がしたいだけなんだ」

 ニコルは怒り、傷つき、打ちのめされていた。我はあやつを最初に街を目撃した丘へと連れて行き、その草の丘に着地した。共に獲物を狩ってきた我らにとって既に死は珍しいものではなく、だが死にゆく兵の悲鳴は、狩られる獣の断末魔とは違う何かで我を苦しめた。ニコルは脇腹にアルカデスの鉤爪を受けて出血していた。あやつは息を荒げ、脚を踏み鳴らし、立腹していた。

 我は言った。「お兄ちゃんが来るよ!」

 翼を大きく広げ、アルカデスが着地した。その凝視は太陽のように眩しく、鉤爪は伸ばされていた。

 ニコルが口を開く前に、我は言った。「ごめんなさい、お兄ちゃん。あの人間は龍に慣れていると思ったんだ」

 龍はその龍が何であるかを知る。それは天性だった。

「ニコルとウギン。君達は双子なんだな」

「僕はニコル・ボーラスだ」

「え? いつその名前をつけたの?」 我は尋ねた。

「僕には二つの名前がある。正当な龍にはみんな二つの名前があるんだ」

「僕はウギンがいいや」 我はそう言い、ニコルの気まぐれとして流した。我は礼をもって兄へ向き直った。「アルカデスお兄ちゃん、どうして僕達が近づいた時、あの人間たちは攻撃してきたの?」

 気性の荒い姉とは異なり、アルカデスは深く滑らかな、整然として鳴り響く声で返答した。「我が学者らは、君達が攻撃してきたと思ったのだよ」

「どうしてそう思ったの?」

「この世界の龍は我らだけではないからな」

「それは知ってる」とニコル。「パラディア=モルスお姉ちゃんと、クロミウム・ルエルお兄ちゃんに会ったよ」

「そしてアスマディの群れがいる。あれらは只の暴れ者どもだ。それだけでなく、個体で放浪する者や群れる者がいる。我はこの地をさまよう他の龍から人間を守り、同時に人間へとよりよい生の道を教授している。彼らが持つ原始的かつ暴力的な気質に支配されないような道をね」

「どうして人間をそんなに気にかけるの?」 ニコルが尋ねた。「あいつらは、僕たちが最初に落ちてきた時にお姉ちゃんを殺したのに」

 アルカデスはそれを理解したかのように、翼を動かした。「その戦いは生と死の道だ、違うかね? 我々と同じように、人間にも生きる権利があるのだよ」

 ニコルは鉤爪を伸ばしたが何も言わず、その我慢は奮闘を要するものだと我は察した。だが、あやつも心を落ち着けて考えることを学んだのやもしれぬ。

 アルカデスは我ほどニコルを知らず、そのためニコルが一瞬見せた怒りに気付くことなく話を続けた。「人間とは興味深い生物だ。我らの種とは異なり、彼らは力を合わせる。見てみたくはないか? 我がこの地に築いた法と秩序に従うのであれば、客としてしばし滞在しても良いぞ」

 ニコルは我を見ると、落ち着いて平坦な声で言った。「行ってみたいな」

 あやつが道理をわきまえた事は嬉しかった。あやつの事は生まれた時からよく知っていると思っていたが、何をし得るかは未だ定かでなかった。

 そうして我らはアルカデスに連れられて街へ戻った。兄は人々に我らを紹介し、人々は我らを畏敬と尊敬と共に迎えた。とはいえ彼らが「龍王」と呼ぶアルカデス程のそれは向けていなかった。

アート:Even Amundsen

 我らは数年間滞在した。人は領土を広げて壁で取り囲み、数と住居を増やして平原を開拓し、彼方の街から交易の使者がその成長する街を訪れた。我はあらゆる物事に興味を抱き、仲の良い友もできた。その中にテ・ジュー・キという名の老いた聖者がいた。我が見たところ、その者の人生唯一の目的は、目に見えぬ物事について熟考するというものだった。彼女は石造りの丸く小さな部屋に一人住んでいた。その石のように、不屈で冷静沈着な人物だった。四肢は衰え身体は弱く、だがその心は黒曜石のように鋭かった。

 ニコルは彼女の無欲な生き方に辛抱できず、人々を導き助言を与えるアルカデスと共にいることを好んだ。ニコルは多様な方法で自らの有用性を示し、人間の生と感情のあらゆる深みを探った。だが人間の強欲と興奮と不安と競争心にさらされ、ある時我は疲れた。そのためテ・ジュー・キの孤独の道に引きつけられた。我は彼女から染み出す静かな知啓に浸った。

 彼女と共に円形の部屋に座し、静寂の内に数日を過ごした。その壊れかけた塔の屋根は落ちて久しく、現在この地に住まう人々以前の遺構なのだと彼女は教えてくれた。

「私達から始まったのではありません。そして私達で終わるのでもないのでしょう」 彼女はそう言った。「私達が見るのはこの目の前にある手のみ、ですが私達以前にも幾つもの手があり、私達の後にも続くのでしょう。この世界ですら、多くの層の中の一つなのです」

 彼女は瞑想の助けとなる多くの術を知っており、だが我が最も好んだのは、宙に光の球を描くというものであった。半透明の魔術の糸が各々の球を繋ぎ、宙にうねる中、それらは離れておりそれでいて繋がっていた。とはいえその繋がりは我には難しく理解できぬ神秘的なものであった。彼女はその一つ一つを「次元」と呼んだが、当時の我はその言葉の意味を知らなかった。その球は思考実験なのか本当に存在するのかと尋ねると、それは問題ではないというのが返答だった。次元の間を渡れる存在などないのだからと。だが我は気にしなかった。輝く球が繋がり、巡り、回転する様に我は魅了された。彼女がそのかすれた声で囁く知啓と同じほどに。

「生けるものは全て編み合わさっているのです。死したものは全て他の何か、別の獣や腐敗によって食い尽くされます。この腐敗の中に新たな生の粒があり、種が根を張り育つように世界へと返るのです。終わりなどなく、ただ永遠に続く変質の循環があるのみです」

「あなたもいつか死ぬのですね」

「そうです」

「怖くないのですか?」

「私の精髄は異なる姿となって存在を続けるでしょう。私の存在の一片は新たな目覚ましい存在となり、それ自身の路を辿るのでしょう。怖れることなどありましょうか」

「僕には怖いです。龍も死ぬのですか?」

「全てのものに終わりがありますが、時にそれは死とは異なります。あの球を作り出し動かす方法を教えましょうか? 心を落ち着かせる良い訓練になりますよ」

 我はそれを願った。心から願った。だがそれは難しく、また我は優秀な生徒でもなかった。

 ある日我は陽光の下に座し、左前脚の上に一つの光球を作り出し、小さな達成を心から誇っていた。その時、宮廷の貯蔵庫の方角から騒々しい悲鳴と叫びが上がった。アルカデス・サボスの統治の下、この国は平和と秩序の内にあった。そのため恐怖の悲鳴と苦悶の騒乱は静かな午後を荒々しく切り裂いた。

 百本もの矢に攻撃されたように我が鱗が疼いた――貫くものはなくとも、危険を告げるような。何かが起こっているのだ、好ましくない何かが。

 球は音を立てて消え、光の雲となって突風にかき消えた。我は貯蔵庫の前へ急いだ。普段そこでは荷車や荷馬が物資の上げ下ろしを行っていた。今、その敷石には血が散っており、一人の男が膝をついていた。血に濡れたナイフが別の男の胸に刺さっており、暴力的な殺人を恐怖と共に証明していた。血に濡れた両手を当惑とともに見つめる殺人者を、宮殿の衛兵が取り囲んでいた。

「けど、弟なんだよ。何でこんなことが? 誰が刺したんだよ?」

 目撃者らが前へ出た。「お前だよ。自分が受け継ぐ筈の財産を奪ったな、って叫んだだろ。そうしてナイフを抜いて刺した」

 息もできぬほどその男は呆然としていた。「でも俺達の諍いはずっと前に終わったんだ、両親が交易の仕事を俺達二人に任せてくれて……」 男は繰り返しかぶりを振った、まるで自らの内に潜む悪しき虫を振り落とそうとしているかのように。「それ以来、一日だって喧嘩したこともなかったのに」

 逃れえぬ証拠を目の前に、その言葉は空ろに響いた。

殺害》 アート:Tyler Jacobson

 衛兵が男を連れ去った。下士官が死体を運び去るよう命じ、石の血が洗い流されると我は近くの建物の屋根へと視線を動かした。ニコルがそこに寛いでいた。屋根の列に沿って身体を伸ばし、熱心な視線でその場面を見つめていた。

「何をしたんだ?」我は龍の言葉で尋ねた。

「僕が何をしたって? ずっとここから動かなかったよ」

「そこで見ていただけだったのか? 止めるべきだっただろ」

 その表情に満足の笑みが開いた。「もしそうしたら?」

 刺すような感覚が強まった。「どういう意味だ? ニコル、君は何をしたんだ?」

「いい復讐の方法を見つけたんだ。一緒に来るかい、それとも回りくどいことばっかり言うあの女の所にいて、退屈な小話を聞いてる方がいいかな?」

「どこへ行くんだよ?」

「お姉ちゃんの復讐に。もっと昔にやらなきゃいけなかったことを」

 ニコルは翼を広げ、片割れに正式な別れすら告げることなく飛び去っていった。そのあまりの速さに、あやつが全てを捨てて行くつもりだと気付いた時には既に視界から消えていた。我は片割れに追い付くべく急いだ。

「行政官が話を聞いて判決を下すだろ。僕が気にするまでもない。心配することはないよ、ウギン。君は勉強に戻ればいい」 我がようやく見つけた時、あやつはそう言った。

「けど、ずっと僕達は一緒にいたんだよ。いきなりこんな事になるなんて、変だと思わないの?」

「人間には人間の問題があるんだ」 我関せずというような口調だった。「何年も恨みを持っていて、そして火花が灯ると、爆発するんだ。前にも起こったし、これからも起こるよ」

 だが我が心の悩みは拭えなかった。

「何を怖れているのですか?」 宵闇の頃、屋根のない部屋へ戻るとテ・ジュー・キが尋ねてきた。

「わかりません。けれど心がざわついたままなんです」

「その状態で学びを続けるべきではありませんね、ウギン。ごめんなさい。貴方はしばしここを離れるのが良いのかもしれません」

『お姉ちゃんの復讐に』。飛び去るニコルが心から離れなかった。

「ニコルが何処へ行ったのかはわかります。追いかけないと」

「ウギン、あなたの道はあなたが進むものです。あなたが何を求めているのかを見いだせますように」

 その地を離れたくはなく、だがニコルを追わねばならなかった。何か重大なことが起こったのだ。まるで彼方の丘を豪雨が覆う間、砂漠の枯れ谷に立っているかのようだった。未だ見えずとも、洪水は迫っているのだ。


「降りろ、隠れるんだ!」フェクが叫んだ。「草の中からそいつを追ってるぞ!」

 雨のような音が全員へと襲いかかり、とはいえ空は晴れたままだった。慌てた羽ばたきでハゲワシが空へ飛び立った。

 岩の背後から龍の頭部としなやかな首が伸ばされ、影が落ちた。かすかな青色を帯びた薄灰色の鱗をまとう、目を瞠るほど美しい生物だった。濃青の鶏冠が二本の長く優雅な角の間から伸びていた。その凝視が一人一人へと向けられ、そしてアタルカの枝角の血統が持つ激しい飢えとは全く異なるぎらつく知性をもって、一人一人と退けた。やがてそれは地面に座したままの若者を目にした。龍は息を鳴らし、冷たい霧のようなもやを鼻孔から上げた。

 テイ・ジンは急ぎ身体を起こし、両腕を合わせて服従の意思を示した。これは全て罠だったのだろうか? 自分はヤソヴァをオジュタイ血統の一体へ差し出してしまったのだろうか?

 巨大な鳥が龍の背後から飛び立ち、岩の上に着地した。それは鳥ではなくエイヴンで、精巧な衣服をその鉤爪の足にまでまとっていた。頭部には仕える龍に似た冠羽と角があった。

 乾いた響きの龍詞を龍が話すと、そのエイヴンが通訳をした。

「テイ・ジン、大師の命令により、そなたは冒涜の罪にて氷死を命ずる。そなたを殺害する栄誉は我が喜びである」

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)


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